第1話 夏休み
「ねぇ、どうしてぼくらは日本に住んでるの?」
ぼくの問い掛けに、両親は目を瞬かせた。
ホグワーツ夏季休暇である今、ぼくは英国を離れ、住み慣れた母国、日本のマイ・ハウスへと舞い戻っていた。やっぱり自分の家ほど安らげる場所はないし、日本語ってやっぱ素敵だと思うし、懐かしの友人達とも会えるし……で、別段不便はない。
ないのだが。
「でもさ、やっぱ英国に住んでた方が楽なんじゃない? 魔法界一の大通り、ダイアゴン横丁だって、唯一の銀行であるグリンゴッツだって、それに、父さんと母さんの母校のホグワーツだってある。どう考えても、
ぼくの言葉を、父は難しい顔をして聞いている。と、母はぽつりと呟いた。
「理屈っぽくなったねぇ、秋」
「な!?」
思わずたじろぐ。
母の言葉は率直で真っ直ぐで、それが心地好くはあるのだけれども、たまにくじけそうになる。
「理由……は、ないことは……ない」
言いづらそうに父は口ごもる。
父がはっきりと物事を言わないのは珍しく、ぼくは首を傾げて父を注視した。
と、そこで母が助け舟を出す。
「日本は直さんの……秋のお父さんの実家だからねー。お母さんも日本、住んでみたかったし、丁度よかったんだよ。秋は日本、嫌い?」
「……その聞き方は卑怯だよ、母さん」
目を伏せた。
嫌いか、なんて、問い掛け自体が――卑怯だ。
嫌いなんて、言えるはずがないじゃないか。
いつの間にか論点をすり替えられた。
その手際の鮮やかさに今までごまかされてきたものが、今のぼくには知覚出来る。
「へぇ……子供って、一年見ない間にここまで成長するものなんだね。知ってた? 直さん」
「秋はもともと、凄く頭がいい子だからね。一年で英会話を習得するだなんて、並の子に出来ることじゃない。さすが僕達の子供だよ」
父は母の肩に手を回した。母は父を振り返る。
一刹那、二人の視線が交差した。
母は微笑を浮かべる。そしてぼくに向き直った。
今の一瞬間なんてなかったかのような笑顔だった。
「ホントのこと言うとね、お母さんとお父さんは、お母さんの実家から絶縁されてるんだ。だから、お母さんの実家がある英国には、家を構えることが出来なかったんだよー」
「アキナそれ普通言う!? そんなにさらりと言っちゃうの!? 僕にとってはそれ、すごく重たい過去なんだけど!!」
「えー、まぁいずれは知ることなんだし、いいじゃない。ねー秋?」
ねー、と母は、父を尻目にぼくに向かって笑い掛ける。その少女のような笑顔に、困ってぼくは苦笑いを浮かべた。
「……え、というか、え? ……絶縁? 何で?」
「んーと、それはねー」
笑顔で話し出そうとする母の口を、父が慌てて封じる。
「よーし、ごめんなーアキナ、僕を恨むなよー……一人息子にこんな黒歴史知られてたまるか……っ、いいか秋、父さんのことを好きでいたいなら聞くなっ、頼 む か ら……!」
父のここまで必死な瞳は初めて見た。思わず引く。そして、ここは深入りしちゃ駄目なんだと理解する。
「わ……分かった……」
「さすが我が息子!」
ぐっ、と父は親指を立てる。
ぼくは思わず脱力して、ため息をついた。
どうしようもないくらいに子供で、何も出来なかったぼくは、気付くことが出来なかったんだ。
両親が、ぼくを守るために必死で、戦っていてくれたことに。
何もかも、気付いた時には、全部、取り返しがつかなかった。
もし――もしこの時、ぼくがもっと聡明で、人の機敏に聡く、物事に敏感だったなら――物語はまた、違っていたのだろうか。
後悔は、尽きない。
◇ ◆ ◇
プリベット通り4番地の最近の朝は、賑やかだ。
何故かって? ぼくとハリーの頭上に、今日もまたヘドウィグの鳴き声で起こされてしまった、我が敬愛なるおじさんの雷が炸裂するからさ。
「今週に入って三度目だぞ! あのふくろうめを黙らせられないなら、始末してしまえ!」
おじさんの怒鳴り声。うん、もう日常。
むしろもう、おじさんの声をBGMにトーストをかじるくらいの余裕だってある。
「うんざりしてるんだよ。いつも外を飛び回っていたんだもの」
いつも通りのハリーの言い訳。
肩を竦めると若干演技気味に「夜にちょっとでも外に放してあげられたらいいんだけど……」と付け加えることも忘れない。
「わしがそんなまぬけに見えるか? あのふくろうめを外に出してみろ。どうなるか目に見えておるわ」
バーノンおじさんは低く唸る。口ひげの端の黄色いのは、もしかして卵の黄身だろうか。指摘した方がいいのかな、いまいちよく分からない。
「……一体どうなるんだろうね」
ぼくの呟きは、しかしダドリーの長く大きいげっぷによって掻き消された。
ナイフとフォークをカチャカチャさせながら「もっとベーコンが欲しいよ」と催促する。今更ながら、食事マナーって大切なんだなと実感した。
そういえば、ぼくとハリーは食事マナーだけでなく生活に関わる殆ど全ての事柄に関して、厳しく(これ婉曲表現ね)しつけてもらっている。過程はともかくとして、結果だけ見れば自分の実感以上にしっかりしている自分がいる。感謝しない訳にはいかない。
思えば、ホグワーツの生徒でマナーとか何やらしっかりしてない人っていない――いや、少ない。
改めて、ホグワーツって名門校なんだよなって実感する。いいとこの坊ちゃん嬢ちゃんも多いし、全体のレベルも引き上げられているのかな。
ドラコしかり、彼女――アクアしかり、アリスしかり――アリス?
そういえば、ぼくはアリスの家族について、全然何も知らない。普通一年も一緒にいたら、いくら無口な奴だってそれなりに知れてくるものなのに。
家が嫌いだ――いつだったか、それは聞いた。
では、一体何処が嫌いなのか?
家族か、家柄か、血統か――はたまた、そのいずれでもないか。アリスは何も話してくれない。
自分にも他人にも無関心で無頓着なアリスの、殆ど唯一とも呼ぶべき、激しい感情の源。
別に、他人の秘密を暴きたいわけじゃない。
でも――なんだろうな。欲求不満にも似た感情が蟠る。
この気持ちに名前をつけてみるとすれば、それは疎外感。そして、幾許かの好奇心、知識欲。
――格好悪いな、ぼく。
アリスが言いたくないのならそれでいい、って、どうして思えないんだろう。
難しいな、人生って。
「お前に言ったはずだな? この家の中で『ま』のつく言葉を言ったらどうなるか!!」
おじさんの雷に、跳びはねそうなくらい驚いた。すっかり思考の海に沈んでいたらしい。
「でも、僕……」
「ダドリーを脅すとは、ようもやってくれたもんだ!!」
どうやらおじさんをハリーが怒らせてしまったようだ。いや、おじさんだけじゃないな。おばさんもダドリーも、険を含んだ目でハリーを見ている。ダドリーなんて、何故か椅子から落っちゃけてるし。
「僕、ただ――」
「言ったはずだぞ! この屋根の下でお前がまともじゃないことを口にするのは、このわしが許さん!!」
「…………」
ぼくは改めて、おじさんの顔を眺めた。
ぽつりとハリーは呟く。
「分かったよ。分かってるんだ……」
その声に、心の奥がざわりと騒いだ。目を閉じ、小さく嘆息する。
まともじゃない、か。
それは――ぼくらが悪いの、かな。
この家庭に異物を持ち込んでしまった、ぼくらが。
「さて、みんなも知っての通り、今日は非常に大切な日だ」
おじさんの声に、顔を上げた。目を瞬かせる。
「今日こそ、わが人生最大の商談が成立するかもしれん」
がっかりしたようにハリーが俯いた。
思えば今日は7月31日――ぼくらの誕生日だ。期待したのだろう、そしてそれがあっさり裏切られた――そんな目をしている。
諦め切れてしまえば楽なんだけど――保護者に忘れられるというのは、やっぱり辛い。
今日は確か、バーノンおじさんの仕事の接待パーティーがある日だった。おじさんはそのことを言ってるのか。
「そこで、もう一度みんなで手順を復習しようと思う。八時に全員位置につく。ペチュニア、お前はどの位置だね?」
「応接間に。お客様を丁寧にお迎えするよう、待機してます」
おばさんが即座に答える。
「よし、よし。ダドリーは?」
「玄関のドアを開けるために待ってるんだ」
ダドリーが作り笑いを浮かべて答えた。
「メイソンさん、奥様、コートをお預かりいたしましょうか?」
「お客様はダドリーに夢中になるわ!」
いやねぇよ、人選ミスだろ! とぼくは心の中で叫ぶ。
……上手くいったとしても夢中にはならないよなぁ。やっぱりそれなりのイケメンじゃないと。
そう考えるとハリーって悪くない顔してると思う。ひいき目入ってるかもだけど、さ。
服装さえきちんと仕立てりゃ、そこらの子には負けないものを持ってるのに。おじさんおばさん達はそこが分かってない。
……え、ぼく? 女の子みたい、とよく言われますが、何か。つまりはイケメンからはほど遠いと。……泣いていい?
とぼくがまた詰まらぬ思考に脳みそを浸していると、突然バーノンおじさんはぼくとハリーに向き直り、ぼくらをねめつけた。
「それで、お前らは?」
「僕らは自分の部屋にいて、物音を立てない。いないふりをする」
ハリーが感情のこもらない一本調子で答える。おじさんは、まるで間違えた方がよかったと言わんばかりの嫌みったらしい口調で「その通りだ」と言った。
「わしがお客を応接間へと案内して、そこで、ペチュニア、お前を紹介し、客人に飲み物をお注ぎする。8時15分――」
「私がお食事にいたしましょうと言う」
とペチュニアおばさん。
「そこで、ダドリーの台詞は?」
「奥様、食堂へご案内させていただけますか?」
ダドリーがたっぷりと脂肪のついた腕を女性に差し出す仕草をした。
「なんて可愛い私の完璧なジェントルマン!」
言い過ぎでしょ。感極まり過ぎだってば。
ふと、アリスの顔が浮かんだ。
そういや、目つきの悪さのせいで目立たないけど、アリスもなかなか整った顔してる。あれで髪をきちんと整えて、かっちりした服着て、笑顔の一つでも浮かべたら、絶っ対かっこいい。
だいたいアリスは何事にも無頓着過ぎるんだ。あのだらし無さを『着崩し』まで引き上げてんのは、ひとえに自分の顔のおかげだってこと、もう少し自覚して欲しい。
「それで、お前らは?」
くるりとおじさんがぼくらを振り返った。
「自分の部屋にいて、物音を立てない。いないふりをする」
感情のこもらない、平坦なハリーの言葉。
「それでよし。さて、夕食の席で気のきいたお世辞の一つも言いたい。ペチュニア、何かあるかな?」
「バーノンから聞きましたわ。メイソンさんは素晴らしいゴルファーでいらっしゃるとか……まあ、奥様、その素敵な御召し物は、いったいどこでお求めになりましたの……」
「完璧だ……ダドリー?」
「こんなのどうかな、『学校で尊敬する人物について作文を書くことになって、メイソンさん、ぼく、あなたのことを書きました』」
思わず吹き出しかけた。慌てて手で顔面を覆い、肩を震わせるのみに留める。
ハリーなんてテーブルの下に潜り込んで笑い転げている。ムカついたので一発蹴ってやった。
「それで、小僧、お前は?」
ハリーの姿が見えなかったためか(当たり前だ、テーブルの下にいるんだもの)おじさんは、今度はぼくに質問を振ってきた。
小さく肩を竦めて答える。
「ぼくらは自分の部屋にいて、物音を立てない。いないふりをする」
「まったくもって、その通りにしろ」
おじさんが凄んだ。
ようやっとハリーがテーブルの下からはい出てくる。
「メイソンご夫妻はお前らのことを何もご存知ないし、知らんままでよい。夕食が終わったら、ペチュニアや、お前はメイソン夫人をご案内して応接間に戻り、コーヒーを差し上げる。わしは話題をドリルの方にもっていく。運がよけりゃ、『十時のニュース』が始まる前に、商談成立で署名、捺印しておるな。明日の今ごろは買い物だ。マジョルカ島の別荘をな」
バーノンおじさんは上機嫌だ。別荘か、これでうちもセレブの仲間入りって訳か。
まぁ別荘持とうが、この家でのぼくとハリーの待遇が良くなるワケないんだからなぁ。
「よーし、と――わしは街へ行って、わしとダドリーのディナー・ジャケットを取ってくる。それで、お前らは……おばさんの掃除の邪魔をするな」
ぼくは頷く。
と、ハリーが黙って席を立った。そのままドアへと歩いて行く。
ぼくは慌ててその後を追った。
「ハリー!」
声を掛けるも、ハリーは振り返らない。そのまま裏口を開けると、庭に踏み出す。
その背中に、手を伸ばした。
「アキ」
耳元で声がする。抱き留められたのだ、と気付くまでに、時間が掛かった。
風が、青々と茂る芝生を掠める。ハリーの肩越しに、まばゆいまでの青空が映えた。あぁ、夏だ、と実感する。
世界が反転した。ぐるりと上下が、空の青から芝生の緑へと視界が入れ替わる。
背中から腰に掛け、夏の日差しで温もった草が触れた。耳元や首元に、草独特のさわさわしたあの感触がこそばゆくて、思わず肩を竦める。
じりじりと肌が焼かれる感覚。眩しくって、目が開けられない。
「昔、こうやってよく二人で遊んだの、覚えてる?」
ハリーの声。口元を緩めて、ぼくは頷いた。
「すんごく、久しぶりな気がするんだ。アキと一緒にいるのが」
「夏休み初日も、同じことずっと言ってたよ」
ハリーが笑う。つられて、ぼくも笑った。
暖かい。と、感じる。あぁ、幸せなんだって思える。
ハリーが隣にいる、この現実を守るためなら――ぼくは何だってしようじゃないか。
そう、思える。
本当は兄弟ではないのかもしれないと、そう考えたことは何度もあった。
でも、もう、そんなのどうだっていい。
血の繋がりなんて関係ない。誰が何と言おうと、ぼくらは真の兄弟だ。
「アキ、君がいなかったらと思うと、ぞっとするよ。ここの生活に堪えられる気がしない」
「さぁてね? ハリーのことだから、それでも何とか上手くやっていくんじゃない?」
「酷いな、アキは」
ハリーが上半身を起こした。服や髪に付いた枯れ草をパタパタと払う姿を、ぼくはぼんやりと見つめる。
「でも、アキがいてよかった、って思うのは本心。今までもずっと一緒で、これからもずっと一緒にいる、兄弟だもんね。君がいるから、魔法界というものが夢じゃなく、現実に起こったことだって、確信できるんだ。惜しむらくは、何で同じ寮に入れなかったのかってこと」
「なかなかずっと根に持つよね、それ」
「当然じゃん。僕凄く悔やんでるからね。もし組分けでアキの方が早かったら、僕はどんな手を使ってでもレイブンクローに潜り込んだよ」
どんな手でもって、おいハリー。でも本当に、奴は文字通り『どんな手でも』使ってきかねない。
と、その時ハリーが弾かれたように立ち上がった。不思議に思ってぼくも半身を起こし、ハリーを見上げる。
「どうしたの?」
「なんか今、生け垣から誰かの目が見えた……」
「目?」
改めて、ハリーの視線の先を辿った。眉を寄せて注視する。
「何も見えないけど」
「…………」
納得いかなそうに、ハリーは目を眇めて生け垣を睨んだ。
と、芝生の向こうから人を小馬鹿にしたような声が聞こえてくる。間もなく、ダドリーが姿を現した。
「今日が何の日か、知ってるぜ」
ダドリーが歌うように節をつけながら口ずさむ。ハリーはちらりとダドリーを見て、ため息をついて目を細めた。
「そりゃよかった。やっと曜日がわかるようになったってわけだ」
口を開けば、出てくるのは強烈な皮肉。ぼくは小さく肩を竦めると、二人を見比べた。
しかしダドリーは、ハリーの皮肉をものともしない(そもそも皮肉と理解していないだけかもしれないが)。
「今日はお前らの誕生日だろ」
ハリーの肩が、小さく動いた。臨戦体制に入るかのごとく、重心が下がる。
「カードが一枚も来ないのか? あの変てこりんな学校でお前らは友達もできなかったのかい?」
「僕らの学校のこと口にするなんて、君の母親には聞かれない方がいいだろうな」
冷ややかにハリーが言う。ダドリーはズボンをずり上げながら「なんで生け垣なんか見つめてたんだ?」と問うた。
「あそこに火を放つにはどんな呪文が一番いいか考えてたのさ」
「ハリー!」
慌ててハリーを窘める。ダドリーは怯えたように後ろに下がった。
「そ、そんなこと、できるはずない――パパがお前らに、ま、魔法なんて使うなって言ったんだ――パパがこの家から放り出すって言った――そしたら、お前らなんかどこも行くところがないんだ――お前らを引き取る友達だって一人もいないんだ――」
「デマカセー! ゴマカセー!」
ダドリーの声を遮って、ハリーが激しい声を上げる。
「インチキー、トンチキーッ! ……」
手を思いっきり引っ張れば、バランスを崩したハリーは芝生にそのまま尻餅をついた。その隙を逃さず、ダドリーは母親に助けを求めながら走って行く。
「馬鹿っ、なんでわざわざ……」
と、ハリーが無言で抱き着いてきたため、ぼくの言葉はそこで止まった。ぼくの肩を抱く力の強さを感じて、ハリーの心の内を想像する。そして黙って、ハリーの髪を撫でた。
「……大丈夫だよ、ハリー」
「……だって……ロンもハーマイオニーからも、一通も手紙が来ないんだ……送るって、約束したのに……」
ぼくを抱く兄の、ぼくよりも広くて大きい、でもまだまだ華奢で頼りない背中を、見つめる。
「何かきっと、手違いがあったんだよ。それに、手紙なんて来なくってもさ、友達は友達だよ。二人とも、実はすごい筆不精なのかもよ? あははっ、アリスが手紙なんて書くと思う? ないでしょ!」
ハリーの背中に、腕を回した。
「友達ってさ、常に側にいなきゃいけないもん? いっつも連絡取り合ってなきゃいけない? 違うでしょ。友達っていうのはさ、たとえ離れていても、長い年月が経っても、ずぅっとお互いを思い合える、そんな存在じゃない?」
そう、その通りだ。
自分の言葉に、納得する。
「……じゃあ、僕には友達がいないんだ」
「馬鹿」
口調を強める。
「君が友達だと思った人達って、そんな人で無し? 違うでしょ。その言葉は自虐だけじゃない、君を友人だって思ってくれてる人に対しても、失礼だよ」
腕に、そうっと力を込めた。
小さく、ハリーが何事かを呟く。聞き取れなくて、思わず聞き返した。
「……ありがとう、アキ」
小さな小さな、その声に――
「……どういたしまして」
照れ臭くなって、思わずぼくは身体を離した。
ハリーがダドリーをからかった代償は、高かった。
フライパンをかわし、窓を拭き、車を洗い、芝を刈り、花壇を綺麗にし、バラの枝を整え、水遣りをし、ガーデン・ベンチのペンキ塗りをした――その部分は描写してもつまらないものだし、割愛させてもらう。
重要なのは、この次。
豪華な夕食が並ぶ横でみすぼらしい食事を取り、早々に部屋へと置いたてられたぼくたちが見たものは。
今年一年の波乱を予感させる、小さな使者の姿だった。