【完結】空の記憶   作:西条

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第3話 車と満月と真夏の夜

 八月の最終週。慌ただしくもぼくら家族は日本からここ、イギリスへとやって来ていた。『漏れ鍋』で新学期までの残り日数を過ごし、その後ぼくはホグワーツへ、両親は日本へと戻るようになっている。

 ……懐かしいな。去年のぼく、この頃英語に必死だったっけ。英語の学習は今も続けているけれど、正直、あの時の熱意からは程遠いのが現状だ。慣れてダレてきたのもあるのかもしれない。気を引き締め直さねば、と思うぼくなのであった。自分でも真面目な奴だなぁと思う。ホグワーツに入学する前、日本にいた頃は、もっとちゃらんぽらんしてた気もするんだけど。

 ……大人に、大人になったということで! 

 

 という訳で、今日は家族全員でダイアゴン横丁にてお買い物。二回目だからか、一回目ほど落ち着きなくキョロキョロすることはない。大人になったのだろう。良きかな良きかな。

 

「秋! ちゃんとついて来ないと逸れるよ!」

「全く、落ち着きないのは相変わらずだな」

「…………」

 

 えっと。まぁ。

 仕切り直し、と。

 

「父さんも日本からホグワーツに通ったんでしょ? ならさぁ、この、未知への世界に対するドキドキ感っての分かるでしょ!」

「……え……あ、あぁ」

 

 む、不明瞭な返事。何故だろう、ぼく何かまずいこと言った? 

 その時、母がごくごく自然に、あまりにも何気ない足取りでふらっと目の前の露店に吸い寄せられて行った。一瞬事態が飲み込めなかったが、父が「アキナ!」と母の名を叫び慌てて手を引っ張り戻ってきたことで腑に落ちる。

 

「……アキナ、もう君も母親なんだから、そうふらっと消えちゃ駄目だろ。君の行きたいところにはちゃんと僕もついて行くから、一人で勝手にいなくなるのは止めてくれ」

 

 懇願するような父の口調に、あぁ、今までも何度もこのやり取りを繰り返してきたんだろうなということが容易に想像でき、父の苦労が偲ばれた。

 

「じゃ、手ぇ繋いで歩こ? 懐かしいね、学生時代みたい」

 

 母はそう言うと、笑顔で父に右手を差し出す。父は、え、と躊躇うように母を見た後ぼくに目を向け、「いや、秋もいることだし……」ともごもご呟いた。

 

「秋はこっちだよ。ほら、家族全員で仲良くお買い物。ね?」

 

 母が左手をひらひらさせる。手を伸ばして、ぎゅっと掴んだ。その様子を見ていた父も、小さく口を緩めて母の手を取る。

 

「行こうか」

 

 父の言葉に、母は笑顔で頷いた。

 母と手を繋いで歩くのなんて、何年ぶりだろうか。幼稚園……いや、それも記憶がない。慣れない感覚が、なんだかくすぐったい。歩幅を合わせ、歩調を合わせ、一歩一歩踏み締める。

 家族なんだなぁって、思える。改めて思うと、ちょっと照れ臭いけど。

 

「……ん?」

 

 背後でなんだか騒がしい気配がして、母に手を引かれたままぼくは振り返った。

 途端――

 

 並ぶ露店、その内の一つが吹っ飛んだ。

 

「…………」

 

 一瞬呆然として、そして気を取り直す。

 目を擦って人差し指で軽く額を叩き、改めて目を向けた。

 

 立ち並ぶ露店のそのスペースだけが、まるで超局地的ハリケーンにでも遭ったが如く、瓦礫と化していた。

 

「……わー」

 

 唖然過ぎて反応できねー。

 

「……秋以外にもこんなことする奴、いるんだな」

 

 父が感慨深げに頷く。何事もぼくを基準にするのは止めてよ父さん、ぼくは至って常識人……のつもり、なんだからさ。

 

 瓦礫の山から少年が2人ばかり、大笑いしながら走ってきた。ジェームズ・ポッターと、そしてもう一人は誰だろう、育ちの良さそうなイケメン君。後ろから、その店の店主であろうお人が怒り心頭なご様子で怒鳴り散らしているのも気にせず、笑い合いはしゃぎ合い、ダッシュでぼくらの横を通り過ぎていく。

 

「……ポッターの息子だ……父親にそっくり」

 

 母は小さく呟くと、ぼくと父さんの手を引っ張って歩き出した。後ろに気を取られていたぼくは思わず転びそうになり、慌てて足を動かす。

 

 すぐ真横を、彼らは走り去っていく。思わず目が追った。

 楽しそうなあの笑顔をぼくも近くで感じていたいと、確かに願ったんだ。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

「飢える……」

 

 掠れた声で、ぼくは呟いた。鉄格子越しに沈む夕日を、苦々しく睨みつける。

 ぼくらが部屋に閉じ込められ、三日が過ぎた。雀の涙ほどの、12歳の少年が食べるには到底足りない食事が一日三回。勿論おやつも夜食もない。

 死ぬ。死んでしまう。

 

「紙って食えるんだっけ……」

 

 ハリーが部屋の本棚を見つめた。「やめとこうよ……退屈しのぎがなくなっちゃう」と返して、がっくり息を吐いた。

 夏休みが終わるまで、あと4週間残っている。三日目ですら死にそうなのに、4週間とか生き伸びられる気がしない。それに、もし生き伸びたところで、おじさん達が素直にぼくらを出してくれるとは到底思えないし……。

 簡単に言うと、絶望的。

 

 はぁ、とため息をついた瞬間、ガタガタッと『餌差入口』の戸が震えた。浅ましくも身体が反応し、飢えた獣よろしくパッとベッドから身体を起こす。

 

 ペチュニアおばさんの手と、今晩の貴重な食料が入れられた。缶詰が床につく前に、ヘッドスライディングしたハリーがそれを見事キャッチして、久しぶりのきらきらした笑顔でぼくを振り返る。こちらも笑顔を返して、ハリーから缶詰を受け取ると、小さく息をついた。

 缶詰スープの蓋を開け、一気に飲み干してしまいたい衝動を必死に抑えながらちびりちびりと飲む。ハリーはもう飲み切ってしまったようで、空になった缶詰をドアの近くに置くと黙ってベッドに横になった。

 

「……ハリー」

 

 声を掛けるも返事がない。どうやら寝てしまったようだ。

 諦めて、近くに転がっていた本を手元に引き寄せた。もう何度目になるだろうか。

 この部屋には本くらいしか娯楽がない。去年まであったダドリーのおもちゃは、帰ってきた時にはすっかり姿を消していた。ダドリーが引き取ったのか、はたまた廃品回収に出されたか……その中で唯一無事だったのがこの本棚だ。タイトルならば誰しも聞いたことがあるような、超がつくほど有名な本ばかりがずらーっと並んでいる。ダドリー坊やが大きくなったら読むだろうと思ったのだろうか。残念ながらその思惑とは正反対の所で活躍して頂いている。

 しかし、暇だ。このままでは何ページ何行目に何の文字が書いてあったかまで覚えてしまう。空腹を紛らわすために活字を追うことに集中しているのだが、しかし危機的状況の時の集中力はハンパない。文庫本くらいなら軽く脳内で再生出来そうだ。シェイクスピアを一字一句暗記したところで何になるというのか。ぼくは将来お芝居への道に進むとでもいうのか。

 ため息をついて、ページを繰る。

 

「……見るがいい。不幸なのはただわれわればかりではない。この広大な世界という劇場では、今われわれが演じているこの場面などより、さらに悲嘆に満ちた芝居が数々演じられているではないか……」

 

 文字を指でなぞって、呟いた。

 

「そして人間は男も女も、すべて役者にほかならぬ……」

 

 月明かりが部屋の床に光を落とす。そこで初めて、部屋の中がもう暗くなっていることに気付いた。

 よっこらせ、と立ち上がる。随分長い時間座っていたらしく、足腰がもうバッキバキだ。ロン・ウィーズリーが「やけに嵌まって読んでたね、何の本?」と感心とも何とも付かない声を上げた。

 

「あぁ、シェイクスピアの……」

 

 普通に声を返しかけたところで、頭の中の違和感ランプが点滅する。あれ、何だろう、と数秒思いを巡らし――

 

「ロン! どうしてここに!?」

 

 慌てて窓辺に駆け寄った。窓を開け、鉄格子越しに話が出来るようにする。今の声で目が覚めたか、むくりとハリーがベッドから身体を起こし、「どうしたのさアキ……」と眠そうな目でぼくを、そしてロンを見て驚いたように「ロン!」と叫ぶと飛び起きてくる。

 

「ロン、一体どうやって? ――なんだい、これは?」

 

 ハリーが呆然とした口調で呟いた。

 空飛ぶ車が、部屋(2階)の窓に横付けされていた。まぁ寝起きで飲み込むには重たいシチュエーションだろう。寝起きでなくとも混乱しそうだ。前の座席に座っていたロンの兄貴、フレッドとジョージが、二人一緒に笑いかけてくる。

 

「よう、ハリー、元気かい?」

「殿下もお元気そうで」

 

 殿下って、とぼくは苦笑した。シェイクスピアと言えば殿下だろ、なんて適当なことを言って、双子の片割れが片目をつぶる。今だ二人の見分けがつかないぼくであった。ロンがハリーに話し掛ける。

 

「一体どうしたんだよ。どうして僕の手紙に返事をくれなかったんだい? 手紙を一ダースくらい出して、家に泊まりにおいでって誘ったんだぞ。そしたらパパが家に帰ってきて、君らがマグルの前で魔法を使ったから、公式警告状を受けたって言うんだ……」

「僕じゃない――でも」

 

 ハリーの言葉を遮って、ぼくは窓から身を乗り出した。

 

「ハリー、そんなことよりまず聞かなきゃいけないことがあるだろ! どうしてここに来たの?」

 

 ロンを見て、そして双子を見つめる。双子はにやっと笑って互いに顔を見合わせた。

 

「さっすが、殿下は話が早い」

「俺たち、君らをここから連れ出すために来たんだから」

「でも、魔法は使っちゃいけないんだよ?」

 

 ぼくの言葉に、しかし双子は余裕綽々だ。

 

「たしかにアキの細腕じゃあ無理かもしれないが――」

「――俺たちなら、出来る」

 

 双子はハリーにロープの端を手渡すと、「それを鉄格子に巻き付けろ」と指示を出した。

 

「おじさん達が目を覚ましたら、僕たちはおしまいだ」

 

 堅い声でハリーは呟く。でも双子は、そんなハリーの不安までも笑い飛ばしてしまった。

 

「心配するな。下がって」

 

 そう言って双子はエンジンを吹かす。ぼくらは部屋の暗がりまで下がると、成り行きを伺った。ハリーがぼくの指先を軽く握る。応えるように、親指で軽くハリーの手の甲を叩いた。

 やがて――バキッ! という音と共に窓から鉄格子が引き離され、遮られることなく月光が降り注ぐ。月夜の晩に現れる怪盗みたいだ、と、彼らを見て思った。見れば謀ったように満月だし。

 

「乗れよ」

「だけど、僕らのホグワーツのもの……杖とか……箒とか……」

「どこにあるんだよ?」

「階段下の物置に。鍵がかかってるし、僕ら、この部屋から出られないし……」

「任せとけ」

 

 しゅたっ、と物音一つ立てずに双子は窓を乗り越えるとドアに近付く。そしてヘアピンを手に取ると鍵穴に押し込んだ。はぁー、と脱帽するしかない。

 

「マグルの小技なんて、習うだけ時間のムダだってバカにする魔法使いが多いけど、知ってても損はないぜ。ちょっとトロいけどな」

「うん」

 

 素直に頷く。と、双子の片方がぼくの頭に手を伸ばし軽く叩いた。

 

「見たかロン、これが可愛い弟の反応だ、お前も見習いたまえよ」

「まぁお前がアキを見習ったところで滑稽でしかないんだが」

「うるさい! 急いでんだろ、早く!」

 

 ロンに小声で叫ばれ、双子は肩を竦めた。

 錠の開く微かな音と共に、何日かぶりにドアが完全に開け放たれた。

 

「それじゃ、俺たちはトランクを運び出す。君らは部屋から必要なものを片っ端からかき集めて、ロンに渡してくれ」

 

 ぼくとハリーは同時に頷く。そしてすぐさま荷造りに取り掛かった。洋服類をバックに詰め込み小物類をまとめロンに手渡すと、まだ準備の整わないハリーを手助けし、トランクを持って上がってきてくれた双子に手を貸そうと――したら「「いらない」」と即答された。ハリーは受け入れた癖に! 

 ……筋肉つけよう。

 細い腕を眺め、切実に思うぼくであった。

 トランクを詰め込み終わって、先にぼくが車に乗り込んだ。ハリーも後に続く。と、窓枠を乗り越えようとした時、突然鋭い大きな鳴き声が響いた。思わずぱっと振り返る。

「あの忌ま忌ましいふくろうめが!」

「ヘドウィグを忘れてた!」

 

 おじさんの怒鳴り声。ハリーが真っ青になって飛び出すと、やがて鳥かごを手に駆け戻ってきた。かごをロンにパスする。ぼくはハリーに手を伸ばした。ハリーはすぐさま窓枠に手を掛けたが、しかしその時無情にもドアが――さっきの錠開けのせいで何の枷もないドアが――大きく開け放たれ、おじさんとおばさん、そしてダドリーの姿をさらけ出した。

 一瞬だけ怯んだが、猛然とおじさんが走ってハリーに飛び掛かる。おじさんがハリーの足を掴んだのと、ハリーがぼくの手を握ったのは、ほぼ同時だった。

 

「ペチュニア! やつが逃げる! やつが逃げるぞー!」

 

 瞬時に四方から手が伸びてきて、ロンとフレッド、ジョージが渾身の力でハリーを引っ張る。おじさんの手からハリーの足が抜けた、それを見てすぐにハリーを車に押し込めドアを閉めると、ロンが叫んだ。

 

「フレッド、今だ! アクセルを踏め!」

 

 ぐいっと身体に強くGが掛かる。でもそんな感覚すらも楽しくて、皆で大声で笑った。

 出れた。抜け出せた。あの鉄格子の中から。

 

「来年の夏にまたね!」

 

 ハリーが窓を開け叫ぶ。ぼくも窓から首を突き出し、呆然とぼくらを見送る彼らを存分に観察した。夜風が髪を揺らす感じが気持ちよく、目を細める。

 そして、大声で叫んだ。

 

「自由だーっ!!」

 

 夜空を空飛ぶ車が駆ける。

 そんな出来事にワクワクして興奮して、はしゃぎ回った、真夏の夜の一ページ。

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