「ねぇリリー、機嫌直してよ……」
むすっとした顔でそっぽを向くリリーに、嘆願するように呟いた。
時刻は夜。ホグワーツ特急を降りた後、学校へと向かう馬車の中で、辛抱強くぼくはリリーの機嫌が直るのを待っていた。
「ごめん、もうあんなことしないから……」
「あなた、もしかしたら死んでいたかもしれないのよ? 何の魔法かも分からないような呪文に飛び込むなんて信じられない!」
赤く染まった頬を膨らませ、リリーは眉を寄せてぼくを睨む。まいったな、とぼくは頭を掻いた。と、そこでセブルスが助け舟を出してくれる。
「こら、リリー。君は秋に助けられたんだぞ。礼を言いこそすれ、怒るのは筋違いじゃないのか? 秋が入っていかなければ君が怪我を負っていたんだぞ?」
「だから嫌なのよ!」
思わずセブルスは黙り込んだ。リリーは涙の溜まった瞳でぼくを睨む。
「私のせいで秋が、誰かが怪我をするのが嫌! それなら私が怪我した方が100倍マシ!」
「リリー……」
「……自分の不甲斐なさに、呆れてるの。しばらく話し掛けないで。……学校に着く頃には、治ってるはずだから」
そう言って、ローブを毛布のように頭からすっぽり被ると、座席の隅っこに小さく体操座りをしてしまった。ぼくとセブルスは顔を見合わせ、小さく笑う。
「リリーは本当に可愛いねぇ」
「……そうだな」
柔らかい眼差しでリリーを見つめるセブルスに、こっちまで何だか心が暖かくなってくる。と、セブルスがぼくを見て「で、どうするんだ?」と尋ねた。
「どうするって?」
「あのグリフィンドールの眼鏡から、何か招待されただろ?」
「あぁ……」
『僕ら、いい友達になれる気がするんだ! つきましては来週の日曜日、東の賢者の石像前に集合してくれる? そうだ、エバンズとスネイプもよかったらどうかな?』
絶対来てね、秋! と、今までに見たことないような蕩ける笑顔を浮かべられちゃ、断れっこない。しかもお相手は、かの有名なジェームズ・ポッター。
「……セブルスが行くなら、行く」
「……あのなぁ、僕らはほぼ君のオマケ状態だったぞ? 奴らが来て欲しいのはあくまで幣原秋、君であって僕らじゃない」
「でも……」
「でも、じゃない。君が決めるんだ、秋」
セブルスに諭されて、考える。
「……じゃあ、行くから、着いてきて」
「……仕方ないなぁ」
そう言ったセブルスの顔がにやけていて、思わずこちらも含み笑いをする。
それから二人で、寮での話や授業の話、課題のどこそこが難しかっただの、どうでもいい話をしばらく喋り合った。一番セブルスが興味を持って聞いてくれたのは、意外にも勉強関連の話じゃなくて、ぼくの家族についての話だった。でもぼくがセブルスの家族について尋ねると、すぐに口ごもり言葉を濁してしまい、「それよりも!」とセブルスらしくなく強引に、違う話題へと引っ張るのだった。
日が傾いて来て、太陽がだんだんとオレンジ味を帯びてくる。時刻を確認して、ぼくとセブルスは無言で頷き合った。
「リリー、機嫌はどうだい?」
「……まぁまぁ、よ」
毛布代わりにリリーが頭から被っているローブの裾を摘み、ぼくとセブルスはそおっと引っ張り合げ、リリーに笑いかける。唇をへの字に曲げながら、リリーはローブの中から姿を現した。
「今、どこ?」
「わかんないけど、あと2時間くらいは掛かると思うよ」
「そう」と頷いて、所在なげにリリーは座席に浅く腰掛けると、足を投げ出す。
「リリーも、ジェームズのやつに来る? そりゃ、ジェームズが嫌いなら無理にとは言わないけど」
「……秋もセブも行くんでしょ? なら、行くわよ」
そう言って、リリーは頬をぷくっと膨らませた。その仕草が殊更に可愛らしく、小さく笑う。
「でもセブルス、グリフィンドールばかりの中に入っても大丈夫?」
「……生徒間の交流だ、別段問題はないだろう」
渋い顔で、セブルスがリリーの問い掛けに答えた。何のことを喋っているのか分からなくて、首を傾げて「何の話?」と二人の間に割って入る。
「そっか。秋はレイブンクローだし、今までずっと日本にいたから知らないのよね。……あのね、グリフィンドールとスリザリンって、代々ずっと仲が悪いのよ。寮の対立、とでも言うのかしら、とにかく因縁の仲! グリフィンドールの中でスリザリンは、まるで親の敵のように憎まれているわ。スリザリンでもそうなの?」
リリーの振りに、セブルスは静かに首肯した。
「……クィディッチとかを、今度よく見てみるといい。スリザリンをグリフィンドールが応援することは有り得ないし、逆もまたしかり。スリザリンVSグリフィンドールなどはもう、半ば反則対決、野次対決みたいで、正直見ていられない」
「そうなんだ……」
実は数回しかクィディッチを見ていないぼくである。……いや、友達いないと気付かないもんだよ、学校行事ってのはさぁ。ルールくらいは覚えたが、自寮の選手の名前でさえも分からない。まぁ、別段普段の生活に支障はないから構わないんだけど。
「……え、ジェームズ・ポッターはグリフィンドールだよね? ……大丈夫なの、セブルス」
「問題ない」
さらりとセブルスは自信ありげに言うと、リリーの頭をぽんぽんと叩いた。驚いたようにリリーは目を丸くすると、恥ずかしそうに唇を尖らせてそっぽを向く。そんなリリーの表情の変化に気付かずに、セブルスはぼくを見据えた。
「秋、リリーだってグリフィンドールだ。でも、見ろ、僕らが対立しているように見えるか? つまりはそういうことだ。……寮なんて関係ないんだよ。大切なのは……」
「友達、ってことだけだろ?」
ふふっ、とぼくとリリーは、顔を見合わせ、小さく笑った。そして腕を上げると、セブルスと拳をぶつけ合う。
「友達、な」
「……あぁ」
『友達』なんて響きが、あの頃は無性に輝いてみえたんだ。
この友情は一生続くものだと、無根拠に思っていた。
あの頃が、今となっては、ただただ懐かしい。
◇ ◆ ◇
9月1日、いよいよ待ち侘びたこの日が来た。……いや、待ち侘びたという程指折り数えて待ってはいなかったんだけど。
特に今年は、ウイーズリー家に居候させてもらっている訳で、むしろずっとここで過ごしていたい程の居心地の良さを提供してもらっている。ご飯は美味しいし家族全員いい人だし(ジニーに追い回されるのが玉に瑕だ、ハリー相手じゃあんなにシャイなのにぼく相手じゃどうしてこうも違うのだろう)、双子と悪戯商品を考えるのもすごく楽しかった。くそぅ、ロンが羨ましい。
しかし今日、いよいよ出立する日となった時に限って、何だかんだで遅れに遅れ、ぼくらはカートを押しながら駅のホームをダッシュしている次第である。
「ハリー、ロン、急いで!」
「アキが速いんだよ! 走ってカートに飛び乗るとか、身体小さくないと出来ないだろ!」
「アキ、先行ってていいから!」
少し遠いハリーとロンの姿を見たまま、何気なく9番線と10番線の間の壁に身を預けた。倒れ込むようにホグワーツ特急のプラットホームに入ると、汽車の中に駆け込む。
「おっ、アキ、間に合ったな」
「正直乗り逃すんじゃないかと思ったぜ」
口々に双子がそう言いながら、ぼくの荷物をコンパートメントに積み込んでくれた。時間を見れば後1分、ハリー達はまだ来ない。
嫌な胸騒ぎがした。慌てて汽車から飛び出しホームに飛び出す。その時ちょうど汽笛が鳴り振り返るも、9と4分の3番線ゲートに走った。……いや、走ろうとした。
「アキ! 何やってんだテメェは!!」
パーカーのフードを引っ掴まれ、首が絞まる。ぐぇ、と声を出す暇も与えられず、手首を引っ張られ乱暴に汽車の中へと引きずり込まれた。
目の前で、扉が閉まる。ガタンッ、と、エンジンが掛かる音が低く響いた。
シューっと蒸気を吐き出し、汽車はゆっくりと進み出す。プラットフォームにいた見送りの人々の姿が右から左へ流れる速さが徐々に速まり――やがて、目の前から駅が消えた。
「何してんだ、これ逃したら次はねぇんだぞ。分かってんのか?」
ため息混じりで言われる。ぼくは奴を振り返らず、流れる景色を見ながら呟いた。
「……汽車、出ちゃったね」
「あぁ? ……あぁ、そうだろうな。てかさっきの、どうしたんだ? 忘れ物でもあったのか?」
「……まぁ、ね。アリス」
奴を、振り返る。アリス・フィスナーの顔を見上げて、へらっと笑った。
「ハリーとロン……置いてきちゃったみたい」
忘れ物、二つ。
どうやって取りに帰ろうか。
◇ ◆ ◇
ハリーとロンが、ホグワーツ特急(ちなみにこの一本しか出ない、らしい)に乗り遅れた。
……どーすんだ、これ。
微かな可能性に期待して、ハーマイオニーとアリスと三人で列車の中を探し回ったけれども、行方は知れず。新入生歓迎会の間もそわそわとしていたら、アリスに腕を小突かれた。
「少しは落ち着け、馬鹿。先生には連絡したんだろ? なら、どうにか大丈夫だって」
「そう言われても不安なもんは不安なんだよ……」
ぼくの言葉に、アリスは苦笑したが、何も言わなかった。
組分けの儀の後先生から二言三言の連絡があり、ようやっと式が終わった。時計を見ると、式自体は30分くらいしかかかっていない。体感では2時間は軽く過ぎてるもんと思ったんだけど。
寮のテーブルに豪華な料理が並ぶのを尻目に、立ち上がって教員席まで走る。ちょうどフリットウィック先生がダンブルドアに何やら耳打ちしているところで、ハリーとロンのことだろうか、と胸が騒いだ。
「ダンブルドア先生!」
「おう、アキ」
駆け寄ると、ダンブルドアは何もかもお見通しだとでも言うように、驚いた様子も見せず飄々とぼくに笑いかけた。そしてすっと立ち上がると、そのままぼくを手招きして教職員の出口の方へと歩き出す。一瞬躊躇したものの、その後ろに続いた。
「先生、ハリーが……」
「分かっておる。今はスネイプ先生の研究室におるそうじゃ。しかし、わしを頼ってくれるとは嬉しい限りじゃのう、アキ」
え、とぼくは首を傾げる。
「ハリー達はどうやって学校まで来たんですか?」
すると、ダンブルドアはくすくすと笑いながら「当てられるかの?」と悪戯っぽくウィンクした。唐突な振りに戸惑いながらも、まあスネイプ教授の研究室に着くまでの暇潰しにいいだろうと思い、腕を組んで考える。
「……ふくろう便ですか?」
「そうであったらよかったがのぉ……残念じゃ」
なんだ、違うらしい。それじゃ何だ?
「箒……はさすがに無理だろうし……姿くらましはまだ出来ないし……近くにいた人とか……アーサーおじさんに送ってもらうとか……車使って……」
そこでダンブルドアが「近いの、アキ。そうじゃ、車じゃ。アーサーはおらんかったがの」と口を挟んできた。車だけどおじさんがいない? そのヒントに首を傾げ――
「……え、まさか――」
一つ、思い至った。青ざめたぼくに追い撃ちを掛けるように、ダンブルドアは「そう、そのまさかじゃ」と優しく頷いた。そしてとどめを刺すかのように、ぼくにそっと夕刊予言者新聞を差し出す。『空飛ぶフォード・アングリア、いぶかるマグル』という見出しに、言葉を失った。慌てて広げ、読む。
「馬鹿だ……」
それだけをやっと喉から絞り出した。ダンブルドア先生は「本当、馬鹿なことじゃろう?」と楽しげな目つきで問い掛ける。
「退学になってもおかしくないですよ、これ……」
「本当にのう。でもこんなことをやらかすからこそ、ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズの息子だと思わんか?」
思わず黙り込んだぼくに、構わずダンブルドアは同じペースで歩いていく。小走りでその後ろを追った。
「まぁ、それはさておき……わし個人の意見はそれなのじゃが、しかし校長という身分からして、わしは彼らを叱らねばなるまい」
「た、退学にはなりませんよね?」
「大丈夫、処罰程度で済むことじゃろう」
ダンブルドアの言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。
螺旋階段を下った地下に、スネイプ教授の研究室がある。何だかんだで足を踏み入れるのはこれで三回目だ。ダンブルドアは、ドアを開けると『お先にお入り』と片目を閉じてぼくを促した。慌てて頭を下げ、駆け込む。
「ハリー!」
叫ぶと、驚いたように三人分の目玉が一斉にぼくへと向けられた。ハリーとロンとスネイプ教授だ。走るスピードを緩めず、そのままハリー目掛けてダッシュする。
「アキっ!」
ハリーが『僕の胸に飛び込んでおいで☆』みたいな笑顔を浮かべ、両手を広げた。ぼくも負けじと満面の笑顔で――
「このクソ馬鹿兄貴がぁっ!!」
全体重に速度を掛けた力を両足に乗せ、我が愚兄に愛の飛び蹴りをお見舞いする。もっともぼく程度の力じゃ、せいぜい数歩後ろによろめかせるくらいしか出来ないけれど。
どんっ、と胸を張った。
「な、何すんだアキ!」
「何すんだはこっちの台詞だ、馬鹿兄貴! 目茶苦茶心配したんだぞ!?」
ビシッと指を突き付けると、怯んだようにハリーは身体をのけ反らせた。
「ホグワーツ特急には間に合わない、挙げ句の果てには『空飛ぶフォート・アングリラ』!? どんだけウィーズリーおじさんに迷惑かけたら気が済むのさ、恩を仇で返すってこういうことだよ!?」
まくし立てると、ハリーはバツの悪い顔をして目線を逸らした。その反応に、熱くなっていた頭が少し落ち着く。ダンブルドアは小さく笑った。
「ハリー、後でアキに一言詫びておくのがよいじゃろう。あとミスグレンジャーと、それからミスターフィスナーにもな。……さて、どうしてこんなことをしたのか、説明してくれるかの?」
ぽつりぽつりと、申し訳なさそうな口調でハリーが喋り出す。ぼくが近くにいたら喋りにくいだろうと思って(だってほら、ぼく、ハリーの弟ですし。弟に先生から怒られてる現場なんて見られたくないでしょ?)静かにドアに近付くと、両手で押し開き、小さく開いたスペースに身体を滑り込ませた。
と、ドアをそうっと閉めようとした時、ドアを押さえる一本の腕。慌ててドアから離れると、出て来たのはスネイプ教授だった。
なんか……久しぶりに見ると、相変わらず精気を失った顔しているというか、病気しているみたいな顔だよなぁ。生命力残り僅か、赤ゲージ範囲みたいな。……いかん、この前こっそりプレイしたダドリーのコンピューターゲームの影響が中々に強いぞ。
「休暇はどうだったかね? アキ・ポッター」
そんな変なことを考えていたせいか、教授の言葉に対しての反応が少し遅れた。慌てて口を開きかけるも、すたすたと教授は足早に歩き出す。慌ててその後ろを追った。教授の2、3歩後ろで歩みを合わせ、先程の問い掛けに答える。
「別段変わったことはありませんでしたよ。ただちょっと屋敷しもべ妖精が大騒ぎしたり、一週間の断食に挑戦してみたり、そんな極々普通のバケーションを過ごしてきました」
「それは普通なのか……?」
「断食程度なら」
「そうか……」
納得されてしまった。納得される家庭環境に泣けた。
「……あ。そうだ、教授」
「何だ?」
「誕生日プレゼント、ありがとうございました」
「…………別に」
頬を長く細い指で掻きながら、教授は視線を宙に漂わせる。気まずそうにそわそわと指を神経質に動かしながら、「……まぁ、べっ、別に……不要ならば捨つっ、捨ててもらっても構わん」と、何故か所々噛みながら呟いた。
「それに、その、き、貴様だけ特別という訳ではなく……教師と生徒という関係だけに留まらない者にはきちんと、あ、いや別に私と貴様はただの教師と生徒というだけの間なのだが、その……そう! 幣原秋だ、あいつと貴様があまりにも似ているから、思わず情が湧いて……」
…………。
なんだこの人、可愛すぎる。
「とにかくその、なんだ! 黙って受け取りたまえ」
別にぼく、プレゼントへのお礼を言っただけなんだけどな。
でも、そんな野暮なことは口にせず、ぼくはただ笑顔で「はい」と頷いたのだった。