【完結】空の記憶   作:西条

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第15話 見知らぬ手紙

 両手には余るほどの大きな本を抱えて、ぼくは急いで廊下を小走りで進んでいた。

 時刻はもうすぐ午後八時、図書館の閉館時間まで、あと十分もない。返却期限が今日までなのを、すっかり忘れていたのだ。

 司書の先生は厳しいことで有名だから、一日でも遅れたら、一体何日貸し出してもらえないことか想像したくもない。

 

 外はもう真っ暗で、昼間は採光のおかげでとても明るいこの廊下も、今では魔法の松明が柱に掛かっているくらいだ。

 ゆらゆらと揺らめく炎は、何だか不安感を掻き立てられる。

 

 ふと、違和感を感じた。最初はそれが何だか分からなかったけれど、後からそれは、足音が重なっていたからだということに気付く。

 続いて、正面に真っ黒の人影が見えた。そのまま擦れ違おうとしたぼくだが、向かってくる相手の顔を見て、思わず足が止まった。

 向こうはぼくより早く、ぼくが近付いてきていることに気付いていたらしい。大して驚いた素振りも見せないまま、つかつかとぼくの正面に対峙した。

 

「……よーう、幣原ちゃん」

 

 低く暗い声。ぼくを上から見下ろすようにして、彼、フィアン・エンクローチェは、立っていた。

 

「……どうも」

 

 視線を、彼から外す。本を胸に抱いて、視線を足元に彷徨わせた。

 

「楽しそーじゃん、最近。良かったなー、友達が出来て」

「…………」

「つーかさ、俺のこと覚えてる? 去年アンタに痛い思いさせられた、可哀ソーなフィアン・エンクローチェ君なんですケド」

「…………」

 

 顔を無遠慮に覗き込まれ、思わず目をぎゅっとつぶった。肩が自然に震え出す。

 

 忘れられるわけがない。

 今まで必死に思い出さないようにしていた記憶の蓋が、無理矢理引き剥がされるのを感じた。

 忘れられるわけがない。

 忘れられるわけがない。

 忘れられるわけ、ないじゃないか。

 

 忘れられるわけがない、この、罪の意識を。

 自分の力で、他人に大怪我を負わせてしまった、あの感情を。

 忘れられるわけがない。

 その後のいじめなど、あの気持ちの前では大したものじゃない。

 

「あの時の傷跡さぁ……いくつか取れなかったやつもあんだよね、ほら」

 

 と、フィアン・エンクローチェは、自身の左袖をくいと捲った。見たくないのに、何かに強制されるように、そちらに目を移してしまう。

 

「……っ!」

「魔法でつけられた傷だからよー、一生治んないんだってさぁ。あーあ、どう責任取ってくれんの? 幣原ちゃん」

 

 ぼくの肩に、彼は手を置いた。反射的に身体がびくっと震え、半歩後ろに後ずさる。しかし、フィアン・エンクローチェはその反応を許さないとばかりに、逆にぼくを引き寄せた。

 感情が、弾けそうになる。その感情に、魔力が引っ張られる。努力してコントロールして押さえつけたぼくの魔力が、足枷を引きちぎって飛び掛ろうとする。

 こんなにもぼくは、弱くて脆い。

 

「リィフ・フィスナーにジェームズ・ポッター、目立つ奴らにくっついていれば安心だって分かったの?」

 

 耳元で囁かれる。皮膚が、ぞくりと粟立った。

 

「俺が怖い? ……冗談言うなよ。俺に言わせりゃ、アンタの方が相当怖いよ、幣原ちゃん。だって君が本気出せば、こんな校舎丸ごと吹き飛ぶもんねぇ? 俺なんて瞬時に木っ端微塵に出来ちゃうもんねぇ? 指先一つ動かすだけで、さ。一人が持つには手に余るほどの、絶対的な暴力だね」

 

 息が、思うように出来ない。ぐらぐらする。足元の感覚が覚束無い。この地面は、本当に固いのか。ぼくのところだけ柔らかいんじゃないのか? 

 

「『呪文学の天才児』。異名は、中々取れないよ」

 

 霞がかる思考の中、一つ浮かぶのは、後悔という感情だけ。

 

「そうそう、悔いてもらわなくちゃ」

 

 フィアン・エンクローチェは、楽しげに笑うとぼくの背中を叩き、「じゃあ、またね、幣原ちゃん」と言葉を残して去って行った。

 残されたぼくはしばらく立ち尽くしていたが、やがて大きくため息をつくと、その場に座り込む。

 

 倦怠感が、全身を重く支配していた。

 もう、何も考えたくない。何もしたくない。

 ぼくはぼくで、いたくない。

 

 時計の針は、もう午後八時三分を指し示していた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 かさり、と静かな音を立て、アリス・フィスナーは便箋を捲った。日差しが、彼の横顔を照らし出す。

 左耳の雪印のピアスが、きらきらと光を受けて反射していた。

 

「アリスー? そろそろ行くよ!」

 

 同室の友人、アキ・ポッターの声に、アリスは慌てて顔を上げた。

「おう、今行く!」と叫びながら、その便箋をポケットにねじ込もうとしたアリスだったが、ふとその手が止まる。ぐしゃぐしゃになったそれを引っ張り出すと、手早く破り、紙切れに変えてしまった。

 

「全く、こんな寒い日にベランダに出ようだなんて、気が知れないよ」

 

 ベランダへと、アキ・ポッターが降りてくる。マフラーにコートに耳当てと、普段にも増して寒さ対策に余念がない格好だ。

 長く艶やかな黒髪に大きな瞳、華奢な体格のこの友人は、相変わらず初対面ならば少女と間違えられる。

 アキ・ポッターに気付かれないように、紙切れをポケットに突っ込んだ。

 

「今日の試合は、どこ対どこだっけ?」

「グリフィンドール対スリザリン!」

 

 普段あまりクィディッチというスポーツに興味を持たないアキ・ポッターだが、今回ばかりは弾かれるように答えが返ってきたのは、ひとえに彼の双子の兄、ハリー・ポッターが、グリフィンドールチームのメンバーだからだ。

 こちらが引くくらいに兄を慕うこの少年のせいで、自分までも、魔法界の有名人、ハリー・ポッターに詳しくなってしまった。誕生日、血液型は言うまでもなく、好きな朝食の味付けまでも言えるのは、我ながら驚く。

 

「今回はドラコも出るんだよ。あいつがどれくらいハリーについていけんのかは分かんないけど、きっと面白いゲームになるんじゃないかな」

 

 無邪気に笑うアキ・ポッターの横を、すっと通り抜ける。「あ、アリス!」と慌てた声を尻目に、髪を掻き上げ一息ついた。自然、左耳のピアスに手を当てる。

 冷たい金属の感触に、心が落ち着くのを感じた。

 大丈夫、これがある限り。そう、思える。

 

「行くぞ、アキ」

 

 後ろを振り返り促すと、表情豊かな友人は眉を寄せて、少し怒ったように「分かってるよ!」と小走りで近寄ってきた。

 

 そのまま並んで歩く二人の後ろに、アリス・フィスナーが取り落とした紙切れが一片落ちていたことに気付いた者は、誰一人としていなかった。

 

『By Leaf Fisner』と、群青色のインクで綴られたそれは、風に吹き飛ばされ、姿を消した。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 今日は、グリフィンドール対スリザリンのクィディッチの試合の日だ。じめじめとした湿気がある日で、空は曇りだし、今にも一雨来そうな天気。

 ハロウィンが終わった頃からめっきり寒くなったここ、ホグワーツは、晴れの日が随分減ってきた。特にこんな天気の日は、真冬並みの完全防寒スタイルで外に出ないと寒さで死んでしまう。

 

 ……まぁ、中にはアリスのような、こんな寒い日でもカッターシャツにベストみたいな、意味分かんない格好の奴もいるけど……。

 しかも首元はいつものごとく開けっぱだし。ありえねー。

 

 そんな悪天候の中始まったゲームは、なんだかんだでスリザリンが優勢だった。ドラコのお父さんがチーム皆に買ってあげた、最新型の箒のおかげであることは間違いないようだ。

 そのせいか、本来中立でただゲームを楽しむだけの立場であるはずのレイブンクローやハッフルパフも皆、グリフィンドールの味方だった。半官びいき、といったところですかね。

 ぼくは当然、ハリーがいるグリフィンドールを応援するに決まっているので、まあ普段より居心地いい環境ではあった。大声でハリーを応援しても、回りの視線が気にならない。

 

 試合の流れが変わったのは、中盤だった。しかしそれは、箒による劣勢をグリフィンドールが実力で吹き飛ばした、というわけではない。

 ブラッジャーが、まるで魔法でも掛けられたかのように、執拗にハリーだけを狙い始めたのだ。

 

 最初は、幣原秋の夢で見た、敵チームのビーターがシーカーばかりを狙う、あの悪質な手にハリーも引っかかったのかと思った。

 けれど、よく見れば違う。まるでブラッジャー自身に意志があるように、ハリーばかりを付け狙う。

 

 これは偶然なのか? それとも、誰かの故意によるものなのか? 

 

 そう考えて、むぅ、とその考えを打ち消した。

 ブラッジャーには特殊な魔法が掛けられていて、魔法使いにはクィディッチのボール自体に魔法を掛けることは出来ないようになっている。

 そりゃ、クィディッチは国際スポーツなんだから、不正なんてあったら大変だもんな。多分ぼくや幣原も、クィディッチのボールに細工は出来ないだろう。

 

 雨も降り出して、選手のコンディションは悪くなる一方だ。点差もじわじわと開いてきた。

 一旦タイムを取った後、試合が再開された後も、雨は止むことを知らず、むしろ勢いを増してくる。

 雨で霞むグラウンドに、ハリーを探そうと目を凝らした。目は悪い方じゃないのだけれど、流石に雨の中で一人一人の選手を肉眼で探すのは無理だ。

 

 と、ぼくがハリーを探していることに気付いたのか、何も言わずにアリスがひょいと双眼鏡を投げ渡してきた。あまりに無造作だったため、一瞬思考が止まる。

 こちらを見ずにずっとグラウンドに目を向けているアリスに「ありがとう」と言って、ぼくは双眼鏡を目に当て、ハリーの姿を探した。

 

 やっとハリーの姿を捉えたぼくが見たものは、急降下というか、箒と一緒に落ちていると表現した方がいいくらいの兄。派手に水飛沫を上げ地面に突っ込んだハリーに、叫び声が上がる。

 ぼくはアリスに双眼鏡を投げ返すと、踵を返して立ち上がり、下のフィールドに続く階段を駆け下りた。

 

 途中で解説のリー・ジョーダンが、ハリーがスニッチを取った、と大声で放送している。わっ、とスリザリン以外の観客席から歓声が上がった。

 フィールドの入口には、ぼくと同じようにハリーを心配したのだろう、ロンとハーマイオニーがいた。ぱっとフィールドの中を見ると、数人の人だかりが出来ている。多分、あの中心にいるのはハリーだろう。

 ロン達と合流し、その集団の元に走り寄った。

 

「ハリー!」

 

 ぼくの声に、数人が振り返る。その中にいたロックハートは、ぼくを見て輝かんばかりの笑顔を向けると「やあ! ミスターアキ・ポッター、下がっていたまえ。今から私が、君のお兄さんの腕を直してあげよう」と言い、ハリーを隠すかのようにくるりとぼくに背を向けた。

 腕を直す、って、ハリーは腕が折れるかどうなるかしたのだろうか。まぁ、教科書に載っているあれらの喜劇が彼の実際の経験だとするならば、任せてもいいのかもしれない。

 

 しかしハリーが「やめて!」と悲痛な声で叫ぶ。が、ロックハートは既に杖を振り回していた。

 ぴりっ、と、魔法を使った時特有の、空気が痺れるような感覚。ぼくはカメラを構えるコリン・クリービーを押しのけ、前に出た。

 

「あっ」

 

 誰かの声がする。今にも死にそうな顔色のハリーと、目が合った。しばし、無言で見つめ合う。

 

「そう。まあね。時にはこんなことも起こりますね。でも、要するに骨は折れていない。それが肝心だ。それじゃ、ハリー、医務室まで気をつけて歩いて行きなさい。――あっ、アキ・ポッター君、ウィーズリー君、ミス・グレンジャー、付き添って行ってくれないかね? ――マダム・ポンプリーが、その――少し君を――あー――きちんとしてくれるでしょう」

 

 ハリーの口元が、何か言いたげに僅かに動く。瞳の奥で意志が揺らめくのを、ぼくは確かに見た。

 ……そりゃ、自分の腕を骨抜きにされたら、呪いたくもなるよねぇ。

 ギルデロイ・ロックハート。彼は本に書かれているほど、能力のある人ではないのかもしれない。

 

 ……薄々気付いてたことだけど、さ。

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