霧の街ロンドンは、ぼくのことが嫌いみたいだ。ぼくが来る日は、霧が立ち込める確率が上がる。気がする。
新学期、三年生用の学習用具を揃え、ホグワーツへと出発するためにロンドンへ来た、今日も今日とて霧がかっていた。
こんな天気の日は、街を歩く人通りも少ない。ダイアゴン横丁に入ると、マグルほどでないにしても、人の数は少なかった。
それでも沢山の店は通常運転している。
軒先に売られているものを見るのも楽しくて、両親の後ろをはぐれないようについて行きながらも、目はあちらこちらと移っていく。
「そういえば秋、あなた、ローブとかって買い替えなくてもいいかな?」
「え、どうして?」
意味も分からず聞き返すと、母は普段通りの口調で「だって、背とか伸びてたら、新しいものに替えなきゃでしょ?」と首を傾げた。
「…………」
「?」
「……………………」
「……あら、ごめんなさい」
ぼくの成長期はいつ来るのだろうか……どうか早く来て欲しいものだ。
日本人って基本的に小さいよね。
「……まさか、あの人が……」
「怖いわねぇ……」
主婦の人たちが、ひそひそと何やら話しながら通り過ぎた。思わず目で追う。
何だ……?
気のせいだろうか。何だか不穏な空気を感じる。
「じゃあ、お母さん達はお父さんの新しいローブを見てくるけど、秋はどうする?」
「なら、ぼくは隣の本屋にいるよ」
そう、じゃあね、と笑って、母と父はぼくに手を振ると背を向けて歩いて行った。
本屋の前に一人残されたぼくは、改めて辺りを見回す。
間違いない。最初は天気のせいかと思ったが、それを抜いたところで、今までにないくらいに街の雰囲気が暗い。
大人たちの井戸端会議や、店の人との立ち話、ひそひそ話す大人たちの顔には、笑顔はほとんど見受けられない。
楽しそうなのは幼い子供ばかりで、ある程度年齢がいっている子たちも、どうして大人たちが暗い顔をしているのか得心いっているようだった。
路地には怪しげな人たちがシートの上に怪しげな物を並べて座っていて、普段は見向きもされないようなそんな店に、人はひっきりなしに立ち寄っていく。
近付いてみると、その店は闇の魔術に対抗するグッズを売っているようだった。しかし軟骨を繋いだブレスレットなんかで闇の魔術が凌げるものだろうか。
勇気を出して、ぼくは本屋の店主に話しかけてみることにした。
「あの……すいません。最近、何かあったんですか?」
「ん? あぁ……もしかして両親はマグル出身とかかな。なら知らなくても無理ないな……」
別にマグルとかではないけれども、話を進めるために黙っておくことにした。海を越えた向こうにいるのと、世界が違うマグルの中で暮らしているのとでは、情報格差は同じようなものだろうから。
店主が教えてくれた情報に、ぼくは目を見張った。
「マグルと結婚した魔法使いが、家族もろとも亡くなったんだ」
「……え?」
それだけ、と言おうとした言葉を、すんでのところで飲み込んだ。しかし肩透かしを食らった気分なのは否めない。しかし、続いた言葉にぼくは驚いた。
「犯人は分かってる。奴はマグルを、心の底から憎んでるんだ……マグルなんかと結婚する魔法使いも含めてね。君も、気をつけた方がいい……両親がマグルだなんて、奴に知られでもしたら格好の獲物だぞ……私の祖父もマグルなんだ……」
「犯人が分かってるなら……どうしてそいつを捕まえないんですか?」
「捕まえられないんだよ。魔力が強大過ぎてね、闇祓いが何人かかっても返り討ちだ」
「……その犯人は、何と言う名前なんですか?」
ぼくの質問に、店主はちらっと回りを見回した。そして小声で答える。
「本名は知らないがね。……本人は、『ヴォルデモート卿』と呼ばせたがっているみたいだよ」
◇ ◆ ◇
いつものことながら、ぼくの朝は早い。この時期ならば6時には必ず目が覚めている。
勿論、育ち盛りかつ好奇心旺盛なこの年代で、そんなに早起きが習慣づいている者なんて殆どいない。だからぼくは、朝の時間を一人、読書に充てるようにしていた。
友達がいる時はいつも友達と絡んでしまうから、ついつい本を読む時間が削れちゃうんだよなぁ……
そう思いながら、談話室のソファーに腰掛け、本を開く。パラパラと本を捲って、しおりの位置を探し当てた。
さてさて、ソディアの冒険はこれからどのようになるのだろうか。この前サメに喰われかけ奇跡的に生還したのには驚いたなぁ……まさかあんな方法でサメを撒くことが出来るだなんて……
文章に目を落とす。がしかし、妙な音で、ぼくの読書はすぐに遮られた。
何か小さなものがぶつかる音がする。しかも、結構近くで。きょろきょろ見回して、やがてそれが、一匹のふくろうが窓に何度も激突している故に出ている音であることに気付いた。
一瞬躊躇するも、立ち上がって窓に近付き、窓を開けてやる。ふくろうは窓からスィーっと音もなく入ってくると、ぼくの読みかけの本の上にポトリと手紙を落とし、そして現れた時の唐突さそのままに、窓から出て行き、姿を消した。
うーん……。
打ち解けてはくれないなぁ、ふくろうも。
動物には異様に嫌われる才能、遺憾なく大発揮なう。
…………。
「……いやでもしかし、この手紙はぼく宛なのだろうか……」
封筒を手に取り引っ繰り返すも、宛名も送り主のサインもない。少々迷った後、まぁいいか、と封を切った。
中には、一枚の紙のみが入っていた。それに記されていた文言も、たった一行のみだった。
【アリス・フィスナーに近付くな】
「……はっはっは。中々ベタな線行くじゃない……?」
一人嘯いて、杖を取り出す。さっきから開けっ放しの窓から、その手紙に火を付けると、放り投げた。
レイブンクロー塔の高い窓から落とされたそれは、火に包まれた後、真っ黒なススとなって細かく飛び去り、やがて見えなくなった。
◇ ◆ ◇
決闘クラブの後、ハリー・ポッターのサラザール・スリザリン継承者説は、もはや生徒の中では常識となっているようだった。
ぼくへの風あたりも中々に強く、ぼくと仲のよいレイブンクロー2年生男子以外はほぼ皆、ぼくを見てひそひそ話すわ離れていくわ……と、結構凹むぞ、これ。
友人いわく、「アキはいわば、ハリー・ポッターの手足、つまり、実戦部隊だと思われてるみたいだね。だって、猫や人を石にするくらい、ハリー・ポッターは無理でも、君なら出来るだろ?」とのことだった。
ちなみにそいつに「ぼくが怖くないの?」と聞くと、にへらっと笑って「俺を石にしたらすぐさま物的証拠が出来ちゃうからね」とのたまいやがった。したたかな奴。
そんなこんなで、ハリーに会う時間なんて取れるわけがない。ぼくらが二人近付いたら、それだけで細菌でも撒いてるんじゃないかとでも思われるくらい避けられそうだ。
これ以上妙な噂をばら撒かれちゃたまらない。ハリーとの連絡手段は一応確保してあるし、今のところは必要ないだろう。
緊急の用事は、今のところない。
薬草学の授業がやっと終わった。これでもう、今日の講義は全部終了だ。
寮に戻るか、それとも中庭でも散歩するか……そう思いながら勉強道具を片付け席を立った瞬間、後ろから、ぐい、と左手を引っ張られた。思わず転びそうになる。
そんなぼくの様子にも構わずに、意外と強い力で、『彼女』はぼくを引っ張り、教室を出、廊下をすたすたと歩いていく。
数回に及ぶ階段、数十メートルに及ぶ廊下を歩いた後、『彼女』が入ったのは、とある小さな空き教室だった。
ぼくの手を離し、『彼女』は扉を閉める。そしてくるりとぼくの方を向き、普段通りの無表情な瞳でぼくを見た。
「愛の告白でもしてくれるのかな?」
ぼくの冗談にニコリとすることもなく、『彼女』――アクアマリン・ベルフェゴールは、「……あなたに聞きたいことがあって」と口を開いた。
「どうしたの? ぼくに答えられることだったら、何でもいいよ」
笑顔で尋ねる。
……ところで、手首を握って引っ張られるのって、一般的には「手を繋いだ」ことになるのだろうか……。
「……ちょっと待って」
と、そこでアクアは立ち上がり、扉から首だけを出してきょろきょろと辺りを見回した。ほどなくしてドラコ・マルフォイが現れ、ぼくたち二人きりだった部屋の均衡が破られる。
……いや、まあ、ね。いいんだけどさ。
ちょっと、いや、かなりがっかり。
特に、彼女の想い人を知った今となっては――いや、まぁこれはおいておこう。
「さて、アキ。一つ聞きたいことがあるんだ」
ぼくの気持ちも知らず、ドラコはぼくの前の椅子に座った。倣ってぼくも椅子に腰掛ける。
「久しぶりだね、ドラコ。再会の挨拶よりも先に、一体何の用?」
「君ら、サラザール・スリザリンの後継者なのかい?」
ぼくの軽口を無視し、ドラコが単刀直入に問いかけた。
……なるほど。これが狙いか。
「そう聞くってことは、君は継承者じゃないんだね」
確か、ハリー達はドラコが怪しいって言ってなかったっけ。古くから歴史のある家系で、代々スリザリンで――みたいな。
ドラコはぼくの言葉に、少々気分を害したらしかった。小さく舌打ちをしてから、それでも律儀に「違う」と答える。
「違う。僕だったらよかったのにと何度も願ったが――違う、僕じゃない。スリザリンの継承者は、僕じゃない」
ちらり、とアクアを見る。無表情のアクアだがしかし、ドラコの言うことは嘘ではないように思えた。
ドラコは続ける。
「はっきり言おう。この学校に、僕の家系、マルフォイ家以上に、歴代スリザリン生を輩出してきた家柄は存在しない。こいつの家、ベルフェゴール家にしても同様だ」
そう言ってドラコは気安くアクアを顎でしゃくった。ちょっとむっとしたが、堪える。
「スリザリンの継承者に足る人物なんて、僕以外にはいないのに――僕以上の人物なんていないにも関わらず、今こうして、スリザリンの継承者を名乗る人物が存在し、そして事件を引き起こし続けている。――僕としては、これは見過ごせない。アキ、君には分からないだろうけれど、これは結構、重大なことなんだ」
「…………」
考える。
スリザリンの継承者とは。
そして、そいつの狙いとは。
「……違うよ。ハリーは、そしてぼくも、スリザリンの継承者とはなんら関係ない」
「……でも、彼はパーセルマウスよ。……純粋なスリザリンの証」
アクアが、鋭く切り込んだ。ドラコから目を離すと、彼女にしっかりと視線を合わせる。
「昨日の、決闘クラブでのあの出来事……あれはぼくにも、よく分からない。あんなハリーは初めて見たんだ……ヘビ語を話せる、なんて、全く知らなかった」
そしておそらく、ハリー自身も、知らなかったのだろう。
昨日、ヘビを退けた後に見せた、何で皆がそんな表情をしているのかさっぱり分からないといった表情から、それは明白だった。
「でも、ぼくはハリーを信じてる。たとえ消去法で、ハリーしか犯人候補がいなくなったとしても、僕だけはずっと信じ続ける。唯一の家族だから」
ぼくの意志の強固さを感じ取ったのだろう、ため息をついてドラコは肩を竦めた。
「結局、アクアの言う通りか……」
「…………?」
ドラコの呟きを耳聡く聞き拾ったぼくに、ドラコが付け加える。
「『アキならそう言うだろう』って、アクアがね」
それは――喜んでもいい、情報だろうか?
彼女が、ぼくの思考を読んだ、読もうとしてくれた、ということに。
「はー……んじゃ一体、スリザリンの継承者というのは誰なのかね……アキ、心当たりはあったりするかい?」
「あ、心当たりって程じゃないんだけど……」
ぼくは小さく手を上げた。二人が揃ってぼくを見る。
「あのさ、スリザリンの継承者って、その、サラザール・スリザリンの意志を継ぐ者、って考えてもいいわけだよね? その、マグル生まれの子を排除して、純粋な魔法族の子供のみに教育を受けさせようと考えてるみたいな……」
「あぁ、そうだ。だからこそ、純血主義の主張をきちんと持っている僕が相応しいと――」
「じゃあさ、純血の家系か、それに近しい家柄の者から当たっていく方が、やっぱり手っ取り早いんじゃない?」
ドラコの話を遮り、ぼくは言った。
「えっと、ロンから聞いた話で、一回聞いただけだから記憶が曖昧なんだけど……魔法界で純粋な魔法族の家系は少なくて、ほんの数家しかないって聞いたんだ。ロンのところのウィーズリー家に、ドラコのマルフォイ家、そしてアクアのベルフェゴール家……で、あと聞いたんだけど、忘れちゃった。何だったっけ……」
記憶を探る。しかしそれより早く、アクアが小さく呟いた。
「……ベンジャミン家と、フィスナー家……」
「あぁそう――フィスナー家?」
フィスナー?
アリスの家か?
でも、ロンがアリスの家を話題に出したのなら、いくら何でもぼくだって覚えているだろう。記憶にないってことは、ロンはフィスナー家については何も触れていない。それなのに、どうして――
「アクア、違うぞ。フィスナー家は最近『混じった』んだ」
「混じった?」
ドラコの言葉に聞き返す。ぼくの反応に驚いたように、ドラコはぼくを見、目を瞬かせた。
「アキ、フィスナーから何も聞いてないのか?」
「何を?」
自分の感情が少し、波打つのが分かった。
果たして、ドラコは何でもないことのように、ぼくに告げる。
「フィスナーの、家の事情」
ドクン、と、血液が身体中を巡る音が、聞こえた。
「……あいつは、家のことを、人にあまり言いたがらないから」
ぼくの言葉に、ドラコは「あぁそっか」と事も無げに頷いた。
「じゃあ何も聞いてないのか? 今学校に来ている、内閣からのお偉いさんが、フィスナーの父親だってことも?」
「あ、いや、その辺は知ってる……けど……」
頭を掻く。その辺りは色々と複雑に絡み合った事情の末、ぼくはリィフ・フィスナーのことを知り得ている。
ドラコはぼくの反応に、少し呆れた風だった。それはぼくに呆れた、というより、アリスに呆れているようだった。
相変わらず、あいつは――というような。
「じゃあ、それ以外は? 例えば……あいつはこの夏休み、遂に一度たりとも家に帰らずにずっと家出を継続していた、とか――」
「何それ……かんっぜんに初耳なんだけど」
そしたら、ぼくが見たダイヤゴン横丁でのアリスとリィフの二人の会話は、久しぶりに再会―ーいや、逃げるアリスにようやっとリィフが追いついた場面での出来事だったのか?
『言い訳をさせてもらうなら、あの時数日、眠っていなくてね。少々イライラしていたんだ』
リィフの言葉が、声が、表情が、蘇る。
『――僕は、ダメな父親だから』
そう切なげに呟いた、あの時は。
「……ドラコ。もし良かったら、アリスのことについて、もっと詳しく聞かせてもらえないかな?」
アリスは嫌がるだろう。もしかすると、嫌われるかもしれない。
あいつにとって家の事情は、ここから伺える限り相当デリケートで、複雑だ。
でも、それでも。
知りたい。
――何のために?
あいつを、助けたいから。
アリスを、リィフを、助けたい。
終わりに向かいつつある家族の仲を、どうか直したいから。
――多分それは、両親共にいないぼくの、どうしようもない願いだったのだろう。
家族には、仲良くして欲しい。
ぼくにはもう、それは叶わないから――
「……結構、長い話になるけれど」
そう前置きして、ドラコは語り始めた。
◇ ◆ ◇
「あー……成る程ね。そういう事情か……」
ドラコの話が終わって、ぼくは小さく息をついた。
「リィフの奴……器用な奴なのに、自分のことになるとてんで不器用になっちゃうんだよなぁ……」
「ん? 誰の話だ、それ?」
「なんでもない」
ドラコに笑顔でかぶりを振って、ぼくは腕を組んだ。
「つまるところ、こりゃホントに擦れ違ってるだけなんだ、この親子は」
「少なくとも、僕らにはそう見える。……が、そんなこと聞いて、どうするつもりだ?」
「ぼくはただ、繋ぎ止めたいだけだよ。フィスナー親子の絆を、ね」
ドラコはちょっと考え込む素振りを見せた。ぼくの言葉に、何か思うところがあったのだろう。
もしくは、何か言おうとして、その言葉を飲み込んだ、か。
「……私はむしろ、家に縛られているのは父親の方だと思うけれど」
「そう……そうだね」
アクアの言葉に、ぼくは静かに頷いた。
「……僕らは、フィスナーに言葉を届かせることは出来なかった」
やがて、ドラコは口を開いた。言葉を選んでいる風だった。
「それは、僕らもあいつに遠慮したからで……思っていることが、ほとんど伝えられなかったからで。……でも、お前なら」
しっかと、ドラコはぼくの目を見つめて、言う。
「かなり自分勝手で、まだ出会って一年くらいなのに、いや、出会って早々フィスナーを振り回せて、文句も何も笑い飛ばせて、傍若無人で、いつでも自信満々で、たまにこっちがビビるくらい無茶苦茶だけど」
「ちょっと、ドラコ、おい」
「お前なら。……フィスナーに言い聞かせることくらい、簡単なんじゃないかって思うよ」
「……当たり前でしょ。ぼくを誰だと思ってるの?」
自信に満ちた表情で。
ぼくは、笑ってみせた。
「アリス・フィスナーの一番の友人、アキ・ポッターだよ?」
「――少々長引いた親子喧嘩の仲裁くらい、お茶の子さいさいだよ」