【完結】空の記憶   作:西条

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第21話 喧嘩

「アリス、見つけた」

 

 ホグワーツに無数に存在する小部屋、その中でも奥まった、ひょっとすると見落としてしまうような場所、そこの扉を開いて、ぼくは微笑んだ。

 

「久しぶりだね」

「……っ、…………」

 

 ぼくがドアを開けると同時に、寝転がっていたベッドから一瞬で身体を起こしたアリスは、ぼくに掛ける言葉を探していたようだが、どうやら丁度いい言葉が見当たらなかったようだった。

 顔を少し歪めると、ため息をついて髪を乱暴にぐしゃぐしゃと掻く。

 そして手に持っていた本をバンと閉じると、ぼくを睨みつけた。

 

「何の用だ」

「まぁまぁ、そう怒りなさんなって」

 

 本棚が部屋の壁を覆い尽くすように設置してあり、それに入りきれなくなった本が辺りにバラバラと散らばっている。それに、シングルベッドが一つ。小さいながらも窓まである。

 

「それにしても、よくこんな優良物件見つけたじゃん。ちょっと狭いけどさ、ぼくもここに住んじゃおうかなー」

「ふざけんな。……はっ」

 

 アリスは凄みのある笑みを浮かべた。本を奥に押しやると、座ったまま顎を上げ、ぼくを見上げる。

 

「俺を連れ戻しに来たのか?」

「うん、それもあるんだけどね」

「じゃあ、何の用だ」

 

 目を細め、ぼくはアリスを見下ろした。

 両手を頭の後ろで組むと、意地悪く笑みを浮かべる。

 

「ケンカしに来たんだ」

 

 アリスがその言葉の意味を理解するより早く、ぼくは動いていた。

 驚いた時の目の見開き方は、リィフとそっくりだ。表情の作り方が違うのは性格のせいだろうが、顔のパーツの一つ一つは非常に似通っている。

 

 目前に迫っていたぼくの右拳を、寸前の所でアリスは左手で受け止めた。

 そのまま手首を掴まれるが、それを利用して両足でアリスの腹に蹴りを入れる。

 

 ぼくの軽い、それでも全体重を乗せた蹴りに、さすがにアリスもぼくの手首を掴む力が緩んだ。

 すかさず振りほどくと同時に、逆に奴の手首を掴み返す。

 手足のリーチがアリスと全然違うぼくにとって、遠距離戦は非常に不利だ。逆にこの距離まで近付けば、そうそう暴れることは出来ないだろう。

 空いた左手で拳を作り、もう一度あいつの無駄に整った鼻筋目掛けて殴りかかる。

 

 しかしぼくの左拳は、アリスがふっと首を横に倒して避けたため、あえなく宙を切った。

 そこを逃すような奴ではない、ぼくのネクタイごとぼくの胸倉を、ぼくが掴んでいる方の手で掴むと、身体をぐっと反転させる。

 全身が空中に浮いていたぼくの身体は、力づくでアリスに引っ張られ、ベッドで背中をしこたま打った。

 

「…………っ」

 

 このベッド、寮のに比べるまでもなくクソ固ぇ! 木箱にシーツと毛布掛けただけなんじゃないの? 

 さすが空き部屋クオリティ、などと考えるまでもなく、アリスは杖を抜こうとしていたぼくの左手を押さえていた。

 右手もそのまま押さえつけられ、ぼくはふぅと身体から力を抜く。

 

 杖を自ら手放した。

 床に杖の転がる軽い音が聞こえる。

 

 お見事、としか言いようがない。

 ここまでで占めて15秒か、いくらなんでもぼくショボいだろ。

 

「……どういうつもりだ、アキ」

 

 鋭い眼光で、アリスはぼくを睨みつけた。

 対照的にぼくは余裕げに笑ってみせる。

 

「だから、ケンカだよケンカ。ぼくでも、アリスに蹴りくらいは食らわせることが出来るんだね」

「馬鹿野郎、お前なんかに本気出す奴がどこにいんだ。……そして、お前もな」

 

 アリスの目線が、ぼくから床に転がった杖へと動いた。

 

「俺を沈めたかったんなら、最初から魔法を使えばいい。お前に魔法を使われたら、俺は勝てないよ。でも、お前はそうしなかった。……何故だ?」

「だから、最初から言ってるだろ。君とケンカをしに来たんだって。……ま、このザマだけどね」

 

 ぼくは弱い。魔法が使えなかったら、ただの非力なガキそのものだ。

 

「どうしてここが分かった?」

「そういうことをぼくに訊くの?」

 

 意地悪く言うと、アリスはため息をついた。それもそうだと思ったのかもしれない。

 

「何の用だ」

「こうでもしないと、君はぼくの言葉を聞いてくれないと思ってね。そろそろ追いかけっこも疲れたんだ。この辺りで捕まっとくのも一つの手じゃないかな」

 

 しかし、他人にマウントポジションというか、こういう位置に陣取られると、相当落ち着かないな……。

 両手拘束されてる状態だし、尚更。

 

「まぁ、この状態でも簡単な魔法くらいは掛けられるんだけどね」

 

 呟いて、指を鳴らす。と同時に、開きっぱなしのドアがバタンと音を立てて閉まった。

 アリスはちらりとそちらに目を遣ったが、ぼくを黙って見下ろした。

 

「さて、アリス。舞台は整った。役者は二人だけだけど、この狭い部屋には丁度いい。話し合いを、始めようか」

「……勝手に舞台作って、勝手に役者に仕立てあげてんじゃねぇよ……」

「舞台を降りないの?」

「降りないんじゃない、降りれないんだ。ドア閉めたのはお前の魔法だろ」

「ドアは確かに閉めたけど、カギを掛けたとは誰も言ってないよ。案外、ドアノブを捻ったら普通に開くのかも」

「お前の戯言には惑わされねぇ」

「つれないなぁ」

 

 小さく笑った。

 と、アリスは眉を寄せ、呟く。

 

「親父のことだろ」

「…………」

「無駄だ。俺と親父が、この先どうこうなることは有り得ない。俺達家族は、もう終わってしまってんだ、3年前に」

「……君の事情は、ある程度知ってるつもりだ」

 

 静かに答えた。っ、と、アリスは息を呑む。

 この体勢だと、アリスの表情は丸見えだ。

 わずかに眉を顰めた感じも、奥歯を噛み締めたことも、全部分かる。

 

「……あぁ、マルフォイとお嬢様か」

「正解。無断で聞いて悪かったとは、思ってるよ」

「嘘つけ。……まぁ、それなら話は早いな。てか、なら、どうしてそれで、話を聞いた時点で諦めないんだよ、馬鹿な奴」

「馬鹿な奴とは、失礼だなぁ」

「俺はあいつを許さない。母さんを殺したのは、あいつだよ。その思いが俺の中から消えることも、薄まることもない」

「……そうだね。君の父親も、同じようなことを言っていた。君に憎まれて恨まれて責められて当然だ、って……でもさ、アリス」

 

 ごめんね、アリス。

 君は触れられたくないところだろうけれど。

 あえてそこを、ぼくは訊こう。

 君がずっと目を逸らし続けてきたことを、ぼくは、君に突きつける。

 

「君は本当は、君の父親を憎んだり恨んだりはしてないだろう?」

 

 それを聞いたアリスは、瞬時に凄まじい形相をした。

 眉を寄せ歯を食いしばって、今自分は何を耳にしたのか分からない、そんな表情で。

 ぼくの両腕を拘束している手に、ぎゅっと力が入ったのが分かった。

 息遣い。呼吸が荒くなったのも分かる。

 

 手を出す寸前、キレる間際、そんなギリギリの表情をしていながらも、アリスはぼくに殴りかかってはこなかった。

 そりゃそうだ。ぼくを殴ったら、全てを認めてしまう。

 ぼくの言葉を、肯定することになるのだから。

 

(……殴られる覚悟は、あったのだけれど)

 

 犠牲なしに、何かを得ることなんて出来ない。

 それが他人のものだったりしたら、尚更。

 

「確かに三年前は憎んでいただろう、恨んでいただろう。責めていただろう。でも、今は違うんじゃないの? 三年前よりも格段に理解力も判断力もついた今なら――理解してるんだろ? お父さんの行動の意味くらい」

 

 そう。全てはそこに帰着する。

 三年前は納得出来なかったことが、今では受け入れることが出来る、そこの違い。

 リィフはそこに気が付いてないだけだ。

 

 子供は――成長するのだ。

 それも、大人の想像以上に早く、急激に。

 

「……違う」

「……じゃあ、どうして君は、そんな顔をしているの?」

「違う」

「君は、逃げてるだけじゃないのか? お父さんと向き合うことを避けてるだけじゃないのか」

「違う!」

 

 ぼくの左手首から手を放すと、そのままアリスは右手でベッドを殴りつけた。

 シーツの下の固い木箱らしきものが、ミシッと音を立てて軋む。

 ……いや、軋んだだけか? シーツで分からないけど、多分破損してそう。

 それくらいの勢いはあった。

 

「……何様のつもりだよ、お前。人の家庭事情引っ掻き回して、楽しいか。あ?」

 

 低い声で、アリスは凄んだ。

 今までに見たことがないような最強に凶悪な面で、ぼくを睨む。

 

「お前のそういうところ、前からうざってぇって思ってたんだよ。そんなお節介必要ねぇんだっつてんだろ。他人の問題に口出してんじゃねぇよ」

「……お節介、そうだろうね」

「自覚があんなら放っといてくれよ。大体、何で俺にそう絡んでくるんだ。お前は友達だって沢山いる、つるむ相手だっていくらでもいるだろ。俺と一緒にいる必要なんてどこにもない」

 

 言葉で、全身で。

 アリスはぼくを拒絶する。

 それはきっと、本心から出た言葉なのだろう。

 

 ぼくの胸倉を、アリスはぐっと掴み上げた。

 顔を近付け、凄みを効かせた瞳で睨みつける。

 

「これ以上、俺に関わるな」

 

 アリスはぼくから手を離すと、すっと身体を引いた。しかし逃さず、ぼくはアリスのネクタイをむんずと掴む。

 あいつはしっかりとネクタイを締めることがないので、ずっと前から掴みやすそうだなと思っていたのだ。

 

「ぼくの話はまだ終わってない」

「俺は話すことなんてない」

「正直ぼくも、何から話そうかと思案してるところなんだけどね。あーもうやだやだ、筋金入りのコミュ障ぼっちに『どうしてお前は俺と仲良くしてくれるんだ』と尋ねられた気分だよ。あながち間違ってもないよね」

「……なんだと……?」

「そんなの決まってる。君と一緒にいる理由なんて、一つしかない」

 

 真っ直ぐにぼくは、アリスを見つめる。

 

「君と一緒にいると、楽しい。それだけだ」

 

 碧の瞳。アリスの瞳の形は、リィフとよく似ている。

 

「それ以外に理由なんてあると思う? 君と一緒だと楽しいから、ぼくは君といたいんだ。面白い奴だと思ったから、ぼくは君と友達になったんだ。それ以外に特別なことは何も無い」

 

 瞳の色は、リィフの方が若干明るめだ。

 僅かな違いすらも見分けられるほど、ぼくはこいつの近くにいた。

 

「……アリス」

 

 あぁ、駄目だ。

 どうしても、この感情は出てきてしまうのか。

 友情などという美しい言葉で飾り立ててはみたけれども、この感情は、決して消えないのか。

 

「ぼくは……君が羨ましい」

 

 アリスとリィフの問題を放っておけないのも。

 わざわざ首を突っ込んでしまうのも。

 認めたくはないけれど、どうしてもこの気持ちは表に出てきてしまう。

 

「親がいる君が、羨ましい」

 

 アリスの家族は、一般的に見れば特殊な部類で、崩壊寸前のものだけれど。

 そんなものでも、ぼくは『家族』が羨ましい。

 

 アリスだけじゃない。

 夏休みに泊まったロンの家だって、ハーマイオニーの家だってドラコの家だって――

 

 どんな家族にも、ぼくは羨みの気持ちを消すことは出来ない。

 

 ずっと、ハリーと二人きりだった。

 物心ついてずっと、ハリーと二人だった。

 伯父さんや伯母さんは、家族らしいことなど何一つしてくれなかったし――何年彼らと一緒にいても、彼らがぼくらを家族と認めてくれる日は来ないのだと思う。

 

 だからこそ、ぼくはアリスが羨ましい。

 壊れてしまいそうな家族だからこそ――絆が断ち切れそうな親子だからこそ。

 

 羨ましいと思い、勿体ないと想う。

 

「自分の家族が終わってるっていうなら――父親なんかいらないっていうなら――ぼくにちょうだいよ」

 

 ぼくがいくら望んでも手に入らないものを――

 勝手に捨てる奴は、見てられない。

 

「――親がいない子どもの気持ちなんか、知らない癖に」

 

 アリスの幼少期を、ドラコとアクアから聞いた。

 それは、ぼくの理想そのもので。

 強く、羨ましいと思った。

 

 ぼくも、親に愛されて育ちたかった。

 君のように。

 幣原秋のように。

 

 優しい父親、朗らかな母親、親子三人で暮らす我が家が、なんと暖かくのどかだったことか。

 その暖かさを、ぼくは知っている。

 知っているからこそ、余計に焦がれる。

 満たされた心を知っているから、満たされたいと思う。

 

 ハリーには言えない、ぼくの心の暗い部分。

 

「ぼくはただ……見てられないだけなんだ。君たちが……ぼくがもうどう頑張っても手に入らないものを、簡単に捨ててしまおうとするのが……それだけなんだよ」

 

 お節介だ、うざったい、他人の問題に口出しするな。

 全部正解だ。言葉もない。全て甘んじて受け入れよう。

 でも、いくら自分が余計なことをしているという自覚があっても、動かなきゃならない時がある。

 ……いや、違う。動かずにはいられない時もある、だ。

 

「アリス……どうか、君のお父さんのことを許してあげて。憎んでも恨んでもない代わりに、君はお父さんを許してない。どうか、決着をつけて欲しい」

 

 最後は、ただのお願いだった。

 

「ちゃんと話し合って……ちゃんと、家族に戻って欲しい」

 

 お願い、アリス。

 そう言うと、アリスは考え込むように目を閉じた。

 やがて大きなため息と共に目を開けると、ぼくに「ネクタイから手ぇ離せ」と、気のない声を掛ける。

 

 ぼくが手を離すと、アリスは起き上がった。

 ぐしゃぐしゃと乱暴に金髪を掻き混ぜるとベッドに腰掛け、頭を抱え再び大きなため息をつく。

 

「俺はもう、この家族は終わりだと思っていた」

 

 やがてぽつりと、アリスは口を開いた。

 

「母さんが死んで、俺は家を出た。そのくだりはマルフォイやアクアから聞いてると思う」

「……うん、知ってるよ」

 

 寝転がったまま、ぼくは呟く。

 アリスはぼくに背を向けたまま続けた。

 

「家を出て、もう親父の元に戻る気はなかった。適当に走ってたら、地下街に出てな……そこである人に出会ったんだ」

 

 アリスは左手で耳に――いや、正確には左耳のピアスに――触れた。

 背を向けてるから、アリスの表情はさっぱり読めない。

 

「奇特な人でな。俺みたいなクソガキを引っ切り無しに気にしてくる、ウザい奴だった。そう、お前みたいな感じだ」

「ぼくみたいなウザい奴って……かなりショックなんですけど」

「わざわざ頼まれてもねぇのに人の事情に首突っ込みたがる、お節介野郎だ。まぁ、お前と一緒だよな」

「ちょっと、アリス、わざと言ってるでしょ。殴るよ?」

「そんな生活にも大分慣れてな……落ち着いてきた時、あの人に言われたんだ」

 

 アリスはどうやらぼくの台詞を無視することに決めたらしい。

 勝手にネタ放り出しやがって、なんて奴だ。

 

「『今は許せねぇだろうけど、いつか親父さんを許してやれ』、『憎んでねぇなら、家に帰れ』――

『家がある奴は羨ましい』とも言われたな」

「…………」

「正直……怒ってねぇかと言われりゃ嘘になる。あいつのあの時の行動は、そりゃ確かに納得いかねぇ。でも――許してやるくらいなら、出来る」

「……ありがとう、アリス」

 

 何でお前が礼を言うんだ、と言って――

 アリス・フィスナーは、久しぶりに、ぼくに笑顔を向けた。

 

「帰るか、寮に」

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