「リィフ、起きてる?」
毛布を頭まですっぽり被って丸まっているリィフに、ぼくは声をかけた。
「……秋?」
「うん、ぼくだよ」
にっこり微笑む。やがてもぞもぞと毛布から身体を覗かせたリィフは、ひどくバツの悪そうな顔でキョロキョロとあたりを見渡した。
「大丈夫だよ、誰もいない」
「先輩とか……どう言ってた? 僕のせいで、試合負けちゃって……」
「誰もリィフのこと、責めたりなんてしないよ」
本当? と尋ねるリィフの瞳が、不安げに揺れていた。しっかりと目を見て「本当だよ」と言ってあげる。
「リィフはリィフなりに、一生懸命頑張ってる。頑張ってる人を笑ったり責めたりする人なんて、誰もいないよ」
「……っでも、君だって分かってるんだろ。僕が全然、普段の調子を出せてないこと」
肩を震わせながら、リィフが呟いた。ぼくは静かに首を傾げ「……そうだね、うん。新学期が始まってから、ずっとだね」と言い、リィフの言葉を待つ。
「……理由はね、分かってるんだ」
そう言って、リィフはぽつぽつと話し始めた。
両親からずっと掛けられ続けている期待のこと。
それを裏切られなくて、家でも気を緩めることが出来ないこと。
魔法族のみの家系であるという『名門』という重圧に、重苦しさを感じていること。
「ずっと、ずっと……父と母は僕に言い続けていた。『文武両道であれ』と……昔はね、でも頑張れた。僕が頑張って結果を出せば、皆が喜んでくれるから。でもね……最近、疲れちゃって。上手く身体に力が入らなくなっちゃったんだ」
特に、今この雰囲気だから、尚更……ね。
そう付け足したリィフは、しかし笑ってみせた。
「……ごめんね、秋。急にこんな話されても、困るだけだったよね。……ごめんね、ねぇ、そろそろ夕食の時間だよ。ご飯食べに行こっか」
「あ……リィフ」
ぼくからそそくさと離れようとしたリィフの手を、ぼくは咄嗟に掴んだ。ぼくよりも一回りは大きな、でもまだ幼い手。
この手で、この身体で、君は一体どんな大きなものを支えようとしているんだろう?
そう考えると、胸につっかえていた言葉はするりと零れ落ちた。
「君のおかげで、ぼくはここにいるんだ」
両手で、リィフの冷たい手を握り締める。
「君がいなかったら、きっとぼくはこうして寮の人と仲良くなることも出来なかった。ぼくはずっと1人で……もう絶対誰も傷つけたくなくって、きっと誰とも友達になれないままだった……ありがとう、リィフ」
そう、こうして人の手を握ることも、人に触れられることも、ずっと怖いままだった。
自分の持ってる力が、怖くて怖くて。自分に余る力が、恐ろしくて恐ろしくて。
そんなぼくを優しく誘ってくれたのは、リィフ、君なんだよ。
上手く言葉にならない気持ちを、両手に込める。
きっと伝わってくれると、信じて。
「……秋。好きな子はいるかい?」
「え?」
目を細め微笑むリィフに、首を傾げる。「いないけど……どうして?」と尋ねた。
「僕はね、小さい頃からずっと好きな子がいるんだ。家が近くて、まぁその子の家には遊びに行ったことはないんだけど……公園でね、よく見かけてた。あまり走り回ったりしないで、1人でブランコを小さく揺らしてるような子なんだ。すごく細くて白くて、ぎゅっと抱きしめたら壊れちゃうんじゃないかと思うくらい、儚げな女の子なんだけどね……すっごく好きなんだ、ずっと」
でもね、とリィフは目を伏せた。
「ぼくがその子を好きだという想いは、誰からも許されないんだ。多分この想いが報われても、きっと僕にはあの子を幸せにすることは出来ない。ねぇ秋……この恋はさ、諦めた方がいいのかな?」
少し考えて、ぼくはリィフの頭をぽんと撫でた。驚いたように、リィフがぼくを見上げる。ぼくは立ったまま、リィフはベッドに座り込んでるからこそ為せる技なんだよね。それにしてもリィフの頭を撫でるのは初めてだ。
「リィフが幸せになる方を選べばいいんだよ、そういうのは」
ぼくには難しすぎて、その辺りのことはよく分からないけれど。
でも、これだけは分かるんだ。
君は、幸せになるべき人だって。
君の笑顔を見るだけで、ぼくは幸せな気分になれるんだから。
「……ありがとう、秋」
ほらね。
ぼくは今、心の底から幸せなんだ。
◇ ◆ ◇
アリスが父親と仲直り、というか、まぁ何とかなったのかな、という間に、ハリー達も何やらごたごたしていたらしい。
ちょくちょく様子を見に行っていたポリジュース薬が仕上がり、ハリーとロンがスリザリン寮に忍び込みに行ったり、ハーマイオニーに猫耳や尻尾が生えたり(いや、こうして文字で見ると笑えるけど、実際全然笑い事じゃなかったんだからね!)マートルが何やら日記みたいなものをぶつけられて泣き喚いて廊下を水浸しにしてフィルチが怒ったりと、色々あった。
そうだ、忘れちゃならないのがクリスマスだ。アクアからプレゼントが来たのだ。もう一度言おう、アクアからプレゼントが来たのだ!
もうそれから一週間、天にも昇るかのような気持ちだった。一応ぼくからも通販で取り寄せたブレスレットをプレゼントしたのだが、まさかアクアからもらえるとは思っていなかった。
『面白かったので、アキにも読んで欲しいと思ったの』と書かれた手紙に(一生保存版だ)一冊の小説(内容は、「え、アクアこんな本読むの!? うっそ!」と思わせてくるような痛快アクションコメディだった。どこまでギャップを狙う気なんだどこまでぼくを萌えさせれば気が済むんだああ!!)だったので、とりあえず本は通販で同じものを取り寄せて、アクアから貰った本は観賞用としてずっと綺麗なままで取っておこうと思っている。
アリスに「キモい」とかなりあっさりばっさり切り捨てられたが、ぼくは負けない。
そんなぼくにはバレンタインなんてものは結構あっさりと過ぎていって(風の噂で、ハリーが大変だったというのは聞いた。詳しくは教えてもらえなかったが。……何があったんだろう)、ロックハートが大広間を悪趣味にもコッテコテのバレンタイン色に染めてスネイプ教授やフリットウィック先生が軽く巻き添えを食っていたり、なんか誰々がプレゼントもらったーだの誰々が付き合うことになったーだのそういう甘ったるい話を聞いたりだのしたその日の夜、ハリーから例の羊皮紙で連絡が来た。
既にぼくはベッドの中でもう半ば夢見心地にうとうとしていたのだけれど、ハリーに呼ばれたとなっちゃ寝ておけない。
眠い目を擦りながらも机に向かい、羽根ペンとインクを出すと「何?」と書いた。
『夜遅くにごめん、寝てた?』
「うん、寝てた。どうしたの?」
『起こしてごめんね。ちょっと前、日記を拾ったって話をしたの、覚えてる?』
「あぁ、マートルのいる三階の女子トイレでしょ? 覚えてるよ」
『その日記で今日、発見があったんだ』
「発見?」
『あの日記は、君が作ったこの羊皮紙とおんなじような造りになってる。日記の中の『記憶』と、話が出来るんだ』
思わず、羽根ペンを持つ手が止まった。
そんなことが出来るのか? と、しばし考え込む。
『アキ?』
「あぁ、ごめん。続けて」
その技術は、こんな羊皮紙のものなんかと比じゃないくらい、とても高度なものだ。あの日記に、そんな魔力が秘められていた? でも、何のために……。
『この日記の持ち主だった彼の名前は、トム・リドル。……そこで、僕は聞いたんだ、秘密の部屋の真相を……』
そこでハリーは、リドルが見せてくれた風景のことを語ってくれた。
秘密の部屋に閉じ込められていたと思われる大きなクモを、ハグリッドがこっそり外に出していたこと……。
「……でも、ハグリッドは犯人じゃないよ。秘密の部屋なんて開けてない、それは濡れ衣だ」
先日リィフに言われた言葉を、思い出した。
ハグリッドはスリザリンの後継者じゃない、本当の犯人は例のあの人……『ヴォルデモート卿』なのだと教えてくれた。
このことはハリーには言うのが憚られて、全然言っていない。
『うん、僕もハグリッドが犯人な訳ないと思ってる。だから、アキに客観的に話を聞きたいんだ』
ハリーの言葉が真剣みを帯びてきたことに気付いて、ぼくはハリーの言葉の続きをじっと待った。
『アキ。明日君に、この日記の一部分を渡したいんだ。君の目で、君自身で、リドルの言葉を聞いて欲しい。そして、判断して欲しい。僕だけじゃ判断しきれないから、アキと一緒に考えたい』
◇ ◆ ◇
次の日、ハリーからもらった日記帳の数ページを手にしたまま、ぼくはどうしたものかと迷っていた。
今日空いた時間いっぱい使って図書館でトム・リドルの日記の仕組みを調べていたのだが、これといった収穫は得られなかった。
迷った末に、ぼくは羽根ペンを手に取った。インクをつけ、ちょっと考えてから「初めまして、リドル」と書き込む。
『初めまして。あなたはどなたですか?』
すると、すぐに返事が来た。なるほど、ハリーがぼくの羊皮紙に似ているというのもよく分かる。ちょっと違うけれども似たような文字の浮かび上がり方だ。
でもぼくの羊皮紙と違うのは、受取人がいるかいないかの違い。これは受取人というよりもむしろ、羊皮紙自体が返事をしているような……
否。
羊皮紙に誰かが乗り移っているような。
『どうされました?』
ぼくからの返事がなかなか来ないことを不審に思ったらしく、リドルが急かすように尋ねてきた。慌てて羽根ペンをインク壷に浸し、書き出す。
「あ……ぼくは」
そこで、何故かすっと手が、意図しない風に動いた。
「ぼくは幣原秋です」
そう書き終わると同時に、インクは紙に吸い込まれるように消えていく。そんな自分に驚愕した。
だってそうだろう、名前を名乗ろうとしたら、意図せずに違う人物を名乗ってしまったのだから。
確かに幣原はぼくにとって一番身近な存在だけど、名前を間違えたことなんて今まで一回もないのに……。
「あっ、いや、ぼくは……」
『幣原!? 幣原って、じゃあもしかして、親戚に幣原直とかいたりするの!?』
走り書きのような、本人の興奮を表すような文字に、名前を訂正しようとしていた手が止まる。
これは……。
「……うん、父親だよ。知ってるの?」
代わりにそう書くと、返事はすぐに返ってきた。
丁寧で整っていて、本人の几帳面そうな性格を如実に現している筆跡は、僅かに面影を残す程度までに乱れて、でもそれがまた、不思議と気持ちが伝わってくる一つの要因となっていた。
嬉しそうに走り書きされた文字には。
『うん。僕の、友達なんだ』
そんな言葉が、刻まれていた。