【完結】空の記憶   作:西条

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第29話 連れ去られた少年

 ぼく、幣原秋は今、ちょっとだけ困っていた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「…………くしゅんっ」

「ふぁっ! …………」

 

 ぼくがくしゃみをすると、驚いたように彼、ピーター・ペディグリューは身を震わせた。どちらからともなく顔を見合い、「ごめん」と小さく呟く。

 そして、再び流れる沈黙。

 

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

 

 なんというか……すんごく、重たい……。

 

 悪戯仕掛人の小部屋で、ぼくとピーターは二人っきりで、重たい沈黙の時間を過ごしていた。

 普段はうるさいジェームズやシリウスが好き勝手に喋るから、沈黙というものを感じたことがなかったが、ピーターと二人っきりだとこれが相当くる。

 ぼくも普段はあまり相手に話を振らない方だが、ピーターも中々の無口さんだ。

 出会ってから今までで一年間と少しくらい経つが、それでも中々砕けてはくれないようだ。

 お互いを挟む、壁が分厚い。

 今でも、ぼくが身じろぎをするたびに、びくっと肩を震わせてる。

 何だかちょっと寂しい。

 

「ジェームズ達……遅いね」

「そうだね……」

 

 沈黙を埋めるかのように言い合うも、また沈黙。

 そんな気まずい沈黙を破ったのは、驚くべきことにピーターだった。

 

「……ねぇ、秋」

 

 急に名前を呼ばれ、ぼくは少し目を見張った。

 そして優しく微笑んで「何? ピーター」と尋ねる。

 

「君は今の学校について、どう思う?」

 

 ぼくは笑顔を引っ込めた。

 今の学校。ピーターの言葉が意味するものとは、つまり。

 

「……居心地はちょっと、悪くなったよね」

 

 ぴりぴりとした、妙な緊張感。理由もよく分からぬ重たい雰囲気。

 接しがたくなった、スリザリン寮所属の友人。

 

 ヴォルデモートとは何者だ? 

 どうしてセブルスは彼を支持するんだ? 

 分からないことだらけで、少し気分が悪い。

 

「……秋は、ヴォルデモートがスリザリンの支持を受けている理由、分からない?」

「理由……」

 

 ぼくの目を覗き込むようにして、ピーターが訊いた。

 薄い色の瞳をしっかり見つめることが出来なくて、ぼくは目を逸らす。

 

「ヴォルデモートはね、時代の象徴なんだ」

「時代の?」

「象徴。……彼はね」

 

 

「魔法使いの英雄になるよ」

 

 

「…………」

「……それがいい意味か、悪い意味かはともかくとしてね」

 

 そう言って、ピーターはぼくから目を離した。ピーターが椅子に座り直したのを区切りに、ぼくもふぅ、と息を吐いて、左手で顔を覆った。

 

 バタバタッ、と慌しい靴音が、部屋の外から聞こえる。

 やがてドアが乱暴に開いて、「やあやあ君たち集まりかいっ!」とジェームズの楽しげな声が部屋に響いた。

 

「全く、ジェームズ遅いよ! シリウスも!」

「悪い悪い、マクゴナガルに捕まっちゃってさ」

「授業で先生のテーブルをラクダに変えちゃったりするからだよ!」

「マクゴナガルのあの顔と来たら」

 

 途端に騒がしくなった部屋に、ぼくは微笑んだ。

 顔を覆っていた左手を外して、「ぼくも見てみたかったなぁ、そんな状況」と笑う。

 

「面白かったぜ! じゃあ今度もう一回、マクゴナガルに何か仕掛けようか」

「だから毎回罰掃除が絶えないんだよ、二人とも。リーマスは?」

「今日は体調悪いんだって。医務室で寝てるよ」

「そう、じゃあ後でお見舞いに行きたいな」

 

 談笑しながら、ちらりと横目でピーターを見た。

 ピーターも横目で、ぼくを見ていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

「生徒が、しかも二人も、怪物に連れ去られました。『秘密の部屋』そのものの中へです」

「誰ですか?」

 

 マクゴナガルに、呆然としたような声でマダム・フーチが尋ねた。

 

「どの子ですか?」

「ジニー・ウィーズリーと、もう一人――レイブンクローのアキ・ポッターです」

 

 隣で、ロンがへなへなと崩れ落ちた。

 僕は今聞いたことが信じられなくて、どこか現実味がないような気がして、その後のマクゴナガルの声を聞いていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 やっと、職員室で先ほど盗み聞きした話が実感として湧いてきたのは、グリフィンドールの談話室の片隅で、ロン、フレッド、ジョージたちと一緒に黙って座っていたときのことだった。

 アキが、連れ去られた? 

 秘密の部屋に? 

 嘘だろ。誰か嘘だと言ってくれよ。

 明日の朝一番のホグワーツ特急で、僕達生徒は帰宅させられるらしい。

 アキは? 

 アキを、ホグワーツに残したまま、僕はダーズリー家に帰らなければいけないというのか? 

 そんな当てもない考えが、頭の中でずっと永遠ぐるぐる回っていた。

 

「ジニーは何か知っていたんだよ、ハリー」

 

 日没後、フレッドとジョージが寝室に上がって行ったその後、職員室の洋服掛けに隠れて以来、初めてロンが口を開いた。

 

「だから連れていかれたんだ。パーシーのバカバカしい何かの話じゃなかったんだ。何か『秘密の部屋』に関することを見つけたんだ。きっとそのせいでジニーは……だって、ジニーは純血だ。他に理由があるはずがない」

 

 じゃあ、アキは? と口を開きかけ、押しとどめた。

 今口を開いたら、何もかもをぶちまけてしまいそうになる。

 辛いのは僕だけじゃないのだ。

 

「ハリーは、アキが連れ去られた理由に心当たりはないの?」

 

 アキが連れ去られる理由。

 理由なんて思い浮かぶ訳もない。

 アキが秘密の部屋に連れ去られる理由なんて、あっていいはずがない。

 アキを、脳裏に思い浮かべた。

 幼い表情を、柔らかな笑顔を、長い黒髪を。

『ハリー』

 僕を呼ぶ、高い声を。

 それだけで、堪らない気持ちになった。

 

「ハリー。ほんのわずかでも可能性があるだろうか。つまり――ジニーやアキがまだ――」

 

 ロンの言葉の意味するところに思い当たって、僕は黙って俯いた。

 秘密の部屋に連れ去られて、二人が生きているとは到底思えない。

 

「そうだ! ロックハートに会いに行くべきじゃないかな? 僕たちの知ってることを教えてやるんだ。それがどこにあるか、僕たちの考えを話して、バジリスクがそこにいるって、教えてあげよう」

 

 ハーマイオニーが残してくれた、秘密の部屋に隠された怪物、バジリスク。

 それを発見したときの午前中の興奮は、今やもう萎びてしまっていた。

 気怠くて、何をするのも億劫だ。

 でも他に案はないことだし、と、僕はロンと一緒に、グリフィンドールの談話室を出ることにした。

 

 もう既に日は落ちて、廊下はもう大分薄暗い。

 いつもは見回りをしている先生方も、今日はきっと色々話し合うことがあるのだろう。

 人の気配が全くしない廊下を、ロンと二人、黙って歩いた。

 

「アキの兄貴っ!」

 

 と、唐突に後ろから声をかけられた。慌てて振り返る。ロンもつられて振り返った。

 僕をこんな呼び方で呼ぶのは、この広いホグワーツ中探しても一人しか見当たらない。

 

「フィスナー……」

 

 驚いたように、ロンが呟いた。足音が高らかに近付いてくる。

 やがて、息を軽く切らせて、アリス・フィスナーは僕らに追いついた。

 

「良かった、捕まえられて……グリフィンドール寮まで行こうと思ってたんだが、道分かんなくてよ。教師の監視厳しくってさ、さっき隙見て抜けてきた」

「えっと、どうして……」

 

 ん? と不思議げに、彼の碧色の瞳が煌めいた。

 左耳で、雪の結晶の形をした銀色のピアスが揺れる。

 

「アキを助けに行くんだろ?」

 

 そう、当然のように問いかけられてーー僕はやっと、目が覚めた。

 頭を思いっきり殴られたような衝撃に、目を見開いたままロンを振り返る。

 ロンもまた、驚いたような、何かを悟ったような、そんな表情をして僕を見返した。

 

 息を呑んで、そしてゆっくりと吐く。

 ぎゅっと目をつぶって、そして目を開けると、アリスを真っ正面から見つめた。

 

「そうだ、行こう」

 

 彷徨っていた目的が――

 今、ストンと、腹に落ち着いた。

 

「アキを、アキとジニーを、助ける」

 

 そう、思いを込めて、言い聞かせるように呟く。

 諦めるな。

 膝をつくな。

 目を伏せるな。

 姿勢を正した。

 しっかりと面を上げて、前を見据えろ。

 もし、僕が秘密の部屋に連れ去られたとして、アキはそこで諦めて、ただただ無力に座り込むだけだろうか? 

 絶対違う。

 あいつは動く。

 たった一人でも、僕を助けに、絶対に来てくれる。

 それがたとえ、どんなに危険な道でも。

 

「……僕達は、多分だけど……秘密の部屋の入り口を知ってる。それを今からロックハートに教えてやりに行くところなんだ。ロックハートは秘密の部屋に入ろうとしてるからね。……アリス」

 

 改めて、この少年が、アキの一番の友人であることを感じた。

 そのことに、ちょっとだけ嫉妬した。

 

「君も一緒に来て欲しい。アキが連れ去られた理由もわかるかもしれない」

 

 アリスは、当然とばかりに頷いた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 ロックハートを連れ、三階の女子トイレに向かう。

 杖を『武装解除』され先頭を歩かされているロックハートは震えていたが、可哀想だとはちっとも思わない。

 ロックハートがただの詐欺師のペテン師だってことも発覚したことだしね。

 いやぁ、しかしアリスがいてくれて良かった。ちょっと胸倉掴んで凄んだら、すぐに怯えちゃって。

 まぁ確かに、アリスに脅されたら僕も怯えるかもだけどさ。

 喧嘩慣れしてるからか、脅し方が様になってる。

 本当に同級生か? と疑ってしまうほどだ。

 

 アリスは女子トイレに入ることに抵抗があったようだが、眉を寄せただけで、ごちゃごちゃとうるさいロックハートの背中を蹴り、女子トイレに入って行った。

 

 マートルは、一番奥の小部屋のトイレの水槽に座っていた。

 僕を見るなり、マートルは表情をぱっと明るくさせ、「アラ、あんただったの。今度は何の用?」と尋ねた。

 

「君が死んだときの様子を聞きたいんだ」

 

 マートルは、今までに見たことがないくらいに嬉しそうな顔をした。

 

「オォォォウ、怖かったわ。まさにここだったの。この小部屋で死んだのよ。よく覚えているわ。オリーブ・ホーンビーがわたしのメガネのことをからかったものだから、ここに隠れたの。鍵を掛けて泣いていたら、誰かが入ってきたわ。何か変なことを言ってた。外国語だった、と思うわ。とにかく、いやだったのは、しゃべってるのが男子だったってこと。だから、出ていけ、男子トイレを使えって言うつもりで、鍵を開けて、そして――死んだの」

「どうやって?」

「わからない。覚えているのは、大きな黄色い目玉が二つ。体全体がギュッと金縛りに遭ったみたいで、それからふーっと浮いて……そして、また戻ってきたの。だって、オリーブ・ホーンビーに取っ憑いてやるって固く決めてたから。あぁ、オリーブったら、わたしのメガネを笑ったこと後悔してたわ」

「その目玉、正確に言うとどこで見たの?」

 

 僕が聞くと、マートルは手洗い場のあたりを指差した。

 ロックハート以外の僕らは、急いで手洗い場に近寄ると、目を凝らして隅々まで、何か仕掛けがないかを丹念に探す。

 やがて僕は蛇口の脇に、小さなヘビの形が彫ってあるのに気付いた。

 手を伸ばして蛇口を捻ろうとすると、マートルが楽しげに「その蛇口、壊れっぱなしよ」と言った。

 

「ハリー、何かを言ってみろよ。何かを蛇語で」

「アキの兄貴は蛇語が喋れるのか?」

「僕にも理由なんて分からないんだから、詳しいことは聞かないでよね、二人とも」

 

 そう二人に言って、何を話せばいいのかを考えた。

 

「開け」

 

 そう呟いて二人の方を見ると、どうやら普通に英語だったらしい。本物の蛇に向き合うような気持ちでーー。

 

「開け」

 

 今回は、自分でもはっきりと分かった。

 自分の口から漏れる、まるで蛇の息遣いのようなシューシューという奇妙な音。

 次の瞬間、手洗い場が動き出した。

 やがて――

 

「ここが『秘密の部屋』……」

 

 50年間閉ざされていた、秘密の部屋が姿を現した。

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