【完結】空の記憶   作:西条

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第30話 感覚

「なぁ、このまま小部屋に行くだろ?」

 

 そうシリウスが声を掛けてきたのは、レイブンクローとグリフィンドールが唯一合同な授業、闇の魔術に対する防衛術が終わった時のことだった。

 

 闇の魔術に対する防衛術の授業は、本日最後の授業だ。

 それから夕食までは一時間そこら時間がある。

 腕時計を確認して「うん、いいよ」とぼくは頷いた。

 

「ジェームズたちは?」

「ジェームズは日直。リーマスは図書館で、ピーターは忘れ物して寮に戻ってる」

「あぁ、なるほどね」

 

 雑談を交わしながら、ぼくらは二人で廊下を歩く。

 放課後となった廊下は中々人通りが激しい。

 その中で擦れ違う女子生徒は結構な確率でシリウスをはっとした顔つきで見つめており、改めてこいつって顔いいんだなぁと感じさせた。

 それはいいんだけどさ、シリウスを見た後隣にいるぼくを見て顔色変えるの止めてくれませんかね。彼女か? みたいな疑いの顔。全然違うっての。傷つくねぇ。

 

 その時、隣をすっと通り過ぎた影があった。セブルスだ。

 先輩か同級生か分からないが、スリザリンの寮の人と一緒にいる。

 思わず振り返ったぼくに釣られて、シリウスも顔を後ろに向けた。

 

「ふん……スネイプか」

「……セブルス」

 

 行くぞ、とばかりにシリウスがぼくの肩を小突く。

 ちょっと俯いて、ぼくはシリウスの後ろを付いて行った。

 

「何だ? あいつとケンカでもしてんのか?」

「……別に。ただ……最近話せてないだけ」

 

 ふぅん、と、シリウスはただ相槌を打った。そしてふと呟く。

 

「放っておけばいいんだ、あんな奴」

「……でも」

「放っておけばいいんだよ、秋」

 

 廊下を曲がった。普段使われている教室と何ら関係のない教室ばかりが並んでいるため、人気はない。

 

「放っておくわけにもいかないよ」

「じゃあ、どうするんだ?」

 

 そう尋ねられ、言葉に詰まった。

 ぼくは一体、どうしたいんだろう。

 セブルスに一体、どうして欲しいんだろう。

 

 シリウスは合言葉を唱え、小部屋の扉を開ける。その後ろに従って入った。

 円卓に腰掛けたシリウス、その対角に座る。

 しばらく黙っていたぼくらだったが、ふとシリウスが口を開いた。

 

「スネイプが変わった理由が知りたいのか?」

 

 ぼくは顔を上げた。

 以前、ピーターが言った言葉が蘇る。

 

「……秋は、ヴォルデモートがスリザリンの支持を受けている理由、分からない?」

 

「理由……」

「残念だが、理由なんてないってのが俺の考えだけどな」

 

 シリウスは足を組むと、両腕を頭の後ろに回して、椅子に体重を預けた。

 

「感覚の違いは生まれ育った環境で決まるモンだ。話しても無駄だよ」

「無駄って……」

「無駄だよ。感覚なんてモンは理屈じゃない。理詰めで話して通じるモンじゃない。秋、君は感覚的に、スネイプに違和感があんだろ? それがどういう理由なんか、わかんねぇんだろ? つまりそれは、君とスネイプの感覚が根本的に違うってことだ」

「…………」

「感覚は、ほとんどが育った環境に依存する。自らが生まれ育った世界に違和感を抱く人間なんて……凄く、少ないんだ」

 

 ふと、シリウスが切なげな眼差しをした。一瞬垣間見えた表情に、ぼくは驚く。

 目を凝らしてもう一度その表情を探すも、それはすぐさま隠れて見えなくなった。

 

「セブルス・スネイプ。入学した段階で既に、上級生をも上回る、闇の魔術に関する知識を持っていた男」

 

 顔を上げたときには、シリウスの瞳にはいつも通りの、真っ直ぐな光が宿っていた。

 

「所詮はスリザリン生だ。俺達とは分かり合えない存在だ。人殺しのヴォルデモートを是とし肯定する。そんな奴を俺は、仲間とは思わない」

 

 

「秋。俺は、セブルス・スネイプを認めない」

 

 

 椅子を引きずる音が聞こえた。続いて足音も。扉が閉まる音。

 全ての音が消えてから、ぼくは息をついて、固く目を閉じた。

 両手で顔を包み込む。

 

 ぼくの世界は、ぼくの意志とは無関係に、その形を変えようとしていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 秘密の部屋へと続いているパイプを滑り落ち、地下にあるどの教室よりも深い場所、湖の底よりも深いんじゃないかと思われる場所に着地した僕は、辺りを見回した。

 先に行かせたロックハートは、きっとヌメヌメの地面に叩きつけられたのだろう、全身ベトベトの無残な姿で突っ立っている。

 ロンとアリスが落ちてくるのを待ってから、僕たちは杖の明かりを頼りに歩き始めた。

 

「みんな、いいかい。何かが動く気配を感じたら、すぐ目をつぶるんだ……」

 

 地面に落ちているのは小動物の死骸ばかり。

 それももう骨になっているものばかりで、アキやジニーがどうなっているのかを考えるのもおぞましかった。

 

 トンネルのカーブの先に、何やら大きく丸いものがあった。

 思わず足を止めると、皆も立ち止まる。

 

「ハリー、あそこに何かある……」

 

 ロンが震える声で、ぼくの肩をギュッと掴んだ。

 とそこでアリスが、明かりを点す杖を上げ、左手はポケットに突っ込んだまま、すっと歩み寄る。

 そんな平然としたアリスの姿に仰天するも、小さな声で「アリス、気をつけて……!」と言った。

 

「ただの抜け殻だ。命は宿っていない。しかしこれは……驚いたな」

 

 アリスがその物体を照らし出すのに、恐る恐る近付いた。

 近付いてやっと分かる、これは巨大な蛇の抜け殻だ。

 鮮やかな緑色の鱗が、抜け殻だというのに、明かりに反射してキラキラと、その存在を主張している。

 脱皮した蛇は、ゆうに6メートルはあるだろう。

 

「なんてこった」

 

 ロンが恐怖に満ちた声で呟いた。

 きっとこれはバジリスクの抜け殻だ。バジリスクとはこんなに大きい蛇なのか。

 バジリスクは対象の目を見て殺す、なら目さえ見なければいい、そう思っていたが、こんなに大きいと簡単に噛み砕かれてしまう。

 戦えっこない。

 

 それにしてもアリスは、恐怖を感じることはないのだろうか。興味深そうにバジリスクの抜け殻を見つめている。

 まぁアキの一番の友人なのだ、普通の性格はしていないだろう。

 そう失礼なことを考えていた時、後ろでドサッという音が聞こえた。

 振り返ると、ロックハートが腰を抜かしている。随分遅いタイミングだ、抜け殻を見てしばらく放心状態だったのだろうか。

 

「立て」

 

 ロンがロックハートに杖を向け、きつい口調で言った。以前、アキに修理してもらったロンの杖。

 スペロテープでぐるぐる巻きで、アキに直してもらった直後はともかく、もう今となってはまともな呪文なんて掛からないんだと、嘆いてたっけ。

 

 ロックハートはゆっくりと立ち上がると――なんと、ロンに飛び掛り、殴り倒した。

 思わず息を呑む。ぱっとロンに駆け寄ろうとしたが、アリスの方が早かった。

 しかしそれよりも早く、ロックハートはロンの杖を奪うと鋭くアリスに向ける。

 アリスは瞬時に立ち止まると、僕を庇うように右手を横に伸ばした。

 

 ロックハートは肩で息をしながら立ち上がる。

 顔には今までのような笑顔が戻っていた。

 

「坊やたち、お遊びはこれでおしまいだ! 私はこの皮を少し学校に持って帰り、二人を救うには遅過ぎたとみんなに言おう。君たち三人はズタズタになった無残な死骸を見て、哀れにも気が狂ったと言おう。さあ、記憶に別れを告げるがいい!」

 

 ロックハートはロンの杖を頭上にかざし、叫んだ。

 

「オブリビエイト!」

 

 杖は小型爆弾並みに爆発した。トンネルの天井が崩れ、岩がバラバラと音を立てて落ちてくる。

 僕は頭を覆って後ろに逃げた。そのまま隠れてやりすごす。

 

 轟音が鳴り止み、土煙が収まった時には、僕はたった一人でそこにいて、岩の塊が僕らを阻んでいた。

 

「ロン! アリス! 大丈夫か? ロン!」

「ここだよ!」

 

 岩と岩の隙間から、かろうじて声が聞こえた。

 ほっと安心して、胸を撫で下ろす。

 

「僕は大丈夫だ。フィスナーも。でもこっちのバカはダメだ……杖で吹っ飛ばされた」

 

 僕は岩に手を触れた。ちょっとの力じゃビクともしない。

 

「さあ、どうする? こっちからは行けないよ。何年も掛かってしまう……」

 

 手近にあった岩を掴み、岩の塊に突き立てる。しかし岩の表面を細かい砂粒に変えるだけだった。

 魔法で砕くか? でもこんな巨大なもの、砕いたことなんてない。

 アキじゃないんだ、初めてでそう上手くいくとは思えない。僕にはアキのような魔法の才能はない。

 かと言ってこのままじゃ、ただ時間が過ぎていくだけ――。

 首筋を汗が伝った。手の甲で拭うと、立ち上がる。

 

「ロン、アリス。そこで待ってて。ロックハートと一緒に待っていて。僕が先に進む。一時間経って戻らなかったら……」

 

 そこで言葉に詰まった。ロンが言葉を返す。

 

「僕は少しでもここの岩石を取り崩してみるよ。そうすれば君が――帰りにここを通れる。だからハリー――」

 

 ロンは、その台詞の後に何を続けるつもりだったのだろう。聞きたくなかった。

 だからロンの声に被せるように「それじゃ、また後でね」と言った。

 

「アキの兄貴」

 

 背を向けた僕に、静かな声が届いた。アリス・フィスナーの声だ。

 思わず振り返る。

 

「必ず、二人を連れて戻って来いよ」

 

 脳裏に、アリスの精悍な顔が浮かんだ。両手で顔を覆い――そして鋭く息を吐いて、両手を離す。

 

 そうだ。僕は。

 僕は、アキ・ポッターの兄だ。

 僕が、アキを助けるんだ。

 

 覚悟は、決まった。

 同時に、足の震えも、止まった。

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