【完結】空の記憶   作:西条

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第31話 唯一の君の弱み

 穏やかな昼下がりの休日。まだ真冬とは思えないほどに青く高く澄み切った空は、数ヶ月に数回のご褒美、ホグスミート行きに相応しい、麗らかな日だった。

 

「リリー、セブルス、早く行こうっ!」

 

 振り返って誘うと、「ちょっと待ってよ、秋!」と、二人が笑顔で駆けてくる。そんななんでもないことが嬉しくて、ぼくは笑った。

 こうして三人で遊ぶのも、随分久しぶりだ。

 最近の息詰まる日常を打破するために、ぼくが二人を呼んだのだ。

 そう、これは紛れも無くぼくの意志。

 ぼくが、この二人と一緒にいたいと望んだ、証拠。

 

「早く早くと君は急かすがね、秋。一体君は今からどこに行こうとしてるんだ? 僕らに見せたいものでもあるのかい?」

「それは、えっと……」

 

 セブルスが肩を竦めながら尋ねるのに、思わず口ごもった。

 すかさずリリーがフォローする。

 

「じゃあ私、ティーカップ専門店に行きたいわ。大きいカップから小さいカップ、色とりどりより取り見取りのお店なのよね? 今なら一つ買うと、カエルの卵が付いてくるんですって。素敵よね」

「リリー、君のセンスについて今更どうこう言うのは僕は随分昔から諦めてはいたんだけどね、黙っておくのは僕の気分的にも許せないから言っておこう。君はおかしい」

「あら? 私からすれば、まるでピクシー妖精向けとも言わんばかりの小さな、虫眼鏡を使わなきゃ読めないほど字もちっちゃい本を、まるで最愛の男性から贈られた精緻な細工が施された宝石を眺めるように熱心に見る人の方が、相当おかしく感じられますがね」

「ぼくからすれば、二人とも相当おかしいよ」

 

 ため息をついて、でも久しぶりの懐かしい感覚に、そっと微笑んだ。

 なんだ。昔となんら変わりがないじゃないか。

 変わったのかと思った。危惧した。恐怖した。

 でも実際は、ぼくたちの関係には、何の変わりもなかった。

 昔と同じ――二人がぼくを受け入れてくれた時と同じ、暖かな雰囲気。

 

 変わらない日常を、ぼくは望んだ。

 変わらない時を、ぼくは望んだ。

 変わらない関係を、ぼくが望んだ。

 ずっと、このままの穏やかな時間が、ずっとずっと続きますように。

 永遠に。

 ぼくが、願った。

 

 変わらないものなんてないと気付くのは、もう少し先のことだったから。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

「う、ん……」

 

 頭が酷く重い。ズキズキと心臓の鼓動に合わせて痛む頭に、ぼんやりと意識が覚醒する。

 次に感じたのは、冷たい頬。どうやら硬く冷たい地面に横たわっているらしい。

 薄く目を開けると、辺りは何だか薄暗かった。

 どうしてぼくはこんなところにいるんだろう? 

 ぼんやりと考えて――意識を失う直前のことを思い出し、慌ててぼくは飛び起きた。衝撃で頭がズキンと鈍く痛む。

 

「いった……」

 

 左手で頭を押さえた。とそこで声をかけられ、ぼくは地面に腰をついたまま振り返る。

 

「やあ、やっとお目覚めかい」

「……君は……」

 

 一人の少年だった。歳は大体15、6といったところだろうか。

 短い黒髪に、スリザリンカラーの制服をきっちりその身に纏っている。

 ぼくをじっと見据えるその顔は、ぞっとするくらいに整っていて、ぼくは生まれて初めて、男に対して『美しい』という形容を感じた。

 

「ひょっとして、君が『トム・リドル』なのかい?」

「そういう君は『幣原秋』じゃないようだけど」

 

 リドルの輪郭がぼやけている。まるで、記憶の中の世界のようだ。

 いや――実際、その通りなのだろう。

 

「……あぁ、そうだ。ぼくは『アキ・ポッター』。ハリー・ポッターの弟だ」

「ふぅん、アキ ・ポッター、ね……ハリー・ポッターの弟、アキ・ポッター。『幣原秋』と比べるまでもなく、全くの無名の名前だね」

 

 クスクスとリドルは笑った。しかし目は少しもニコリともせずに、ぴったりぼくを見据えている。

 

「君は日記とあまり接点を持とうとしなかったからね、時間のズレに気付くのは、結構最近だった。最後に秘密の部屋が開かれて50年、直の息子がまだホグワーツにいるわけないものね。幣原秋。幣原秋。幣原秋。幣原直と、アキナ・エンディーネの子供。まさか彼が、闇祓いになって未来の僕の前に立ち塞がることになるとは、思いもしていなかったよ。よりにもよって直の息子が、僕の前に! 中々傑作な話だと思わないか? 親友の息子は僕の敵でしたってね!!」

 

 リドルはそのまま、何が面白いのか天を仰いで哄笑した。甲高い、奇妙な声だった。

 ぼくは黙ってリドルを見つめる。

 やがて笑い止んだ彼は、酷く冷たい目でぼくを見た。その目に怯みそうになるも、ぐっと堪えて口を開く。

 

「トム・リドル。君が、マグル生まれ襲撃事件の犯人だ」

 

 ぼくの端的な指摘にも、リドルは動じなかった。

 ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らすと、小さく肩を竦め、歩き出す。

 

「まぁいいや。そうだよ、僕が犯人だ。可哀想で哀れな少女、ジニー・ウィーズリーを操って、ホグワーツを恐怖に陥れた張本人だ。しかし皆、運がいいよねぇ。前回秘密の部屋を開けた時みたいに、一人くらいは死ねば良かったのに」

「何……!?」

「別に驚くことはないだろう? 穢れた血が一人や二人死んだところで、世界は何も変わらないさ」

 

 ぼくは顔を歪めた。吐き捨てるように、呟く。

 

「……最低だな」

「真理だよ」

「どうして君のような人間が、ぼくの父親と友人だったんだ」

 

 その言葉は、リドルには効いたらしい。眉を顰めるとぼくにツカツカと歩み寄り、座り込んだままのぼくの顎を掴んで見下ろした。

 ぼくはリドルと視線を合わせる。

 

「『君の』父親じゃない。『幣原秋の』父親だ」

「どうでもいいよ、そんな細かいことは。それより、父さんが君なんかと友達だとはね。父さんもジニーみたいに操ってたの? それともその綺麗な顔と演技で騙したのかな?」

 

 きゅっと、リドルの赤い瞳が細められた。

 ぼくの顎を掴む手に、力が篭る。

 

「調子に乗るなよ、アキ・ポッター。幣原秋の名前を名乗った偽物くん。直と何の関係も無い君に、直のことを語られたくない」

「……でも、父さんは」

「お前が直を『父さん』と呼ぶな!」

 

 ぼくは黙ってリドルを見つめた。

 この絶体絶命な状況を抜け出す光明が見えた。

 常に冷静なトム・リドル。彼は今まで出会ったどこの誰よりもきっと頭がいい。その彼が唯一動揺し感情的になる相手、幣原秋の父親、幣原直。

 これを使わない手はない。

 

「……君は、幣原直と友人なのかい?」

 

 何を今更、という目で、リドルはぼくを見返した。「だから何だと言うんだ?」と聞き返す。

 

 ぼくは、ふっと笑顔を浮かべた。肩の力を抜き、穏やかにリドルを見る。

 リドルはそんなぼくの反応に、多少なりとも戸惑ったようだった。

 

「ねぇ、いいことを教えてあげようか」

「……何」

 

 一瞬、胸がぎゅっと痛んだ。冷ややかで鋭い痛み。冷たい氷の棘で心臓を刺されたような痛み。

 無視して、ぼくは口を開いた。

 

 

「幣原直と幣原アキナはね、君が殺したんだよ」

 

 

 その言葉を聞いたときのリドルの顔は、何というか……笑えた。

 初めて理解出来ないものにぶち当たったような顔。

 素直に、ぼくは笑みを零す。

 

「……嘘だ」

「うふふ……あはっ、そう思うなら、そう思ってればいいよ。ぼくはこれを、未来の君から聞いたんだ」

 

 図書館に置いてある、日刊預言者新聞のバックナンバーをどれだけ漁っても。

 どの文献を探しても、そんな情報は一言たりとも載ってはいなかったけど。

 

「僕が直を殺す? ……意味が分からないな」

「……未来の君が言うには、それは幣原秋のせいらしいけど」

 

 そういえば、去年ヴォルデモートはぼくに対して『幣原秋』と語りかけてきたな。あれは一体どうしてなんだろう? 

 でも、同一人物であるはずのリドルは、ぼくと幣原秋は別人だと断言したし……まぁいい。

 

 今はそのことが重要なんじゃない。

 不用心にも、ぼくのローブの左ポケットには、ぼくの杖が入っている。ぼくに対する緩みない監視の視線、それが外れるのを、油断なく待った。

 

「未来の……僕」

「そう、未来の君だ。……そうだリドル。ぼくね、ずっと君に聞きたいことがあったんだ」

 

 微笑んで、首を傾げる。

 いつの間にかぼくの顎から、リドルの手は離れていた。

 

 

「君にとって友人というのは、殺しても何の差し支えもないような人のことを指すのかな?」

 

 

 一瞬の動揺、一刹那の隙。それさえあれば、ぼくには十分だ。

 

 杖を引き抜きリドルに向ける。

 オレンジの閃光が杖の先端から迸り、リドルに命中した。リドルの驚いた顔が、閃光に照らされる。

 

「……何っ!?」

 

 しかし驚いたのは、こっちも同じだった。リドルに命中したはずの呪文は、リドルをすり抜け後ろの壁に当たると、てんでばらばらな方向に跳ね返った。

 ぼくが唖然としているうちに、リドルはゆっくりと立ち上がった。

 

「ここは僕の作った夢の世界だよ? アキ。物理的魔法は僕には効かない。僕には実体がないからね。……ふっ、まぁいいや」

 

 薄く笑ったリドルは、既にいつも通りの余裕げな微笑を浮かべていた。

 と、すっとぼくの目の前に右手を突き出す。咄嗟に危険を感じ、地面を転がると、リドルから数メートル離れた地点で立ち上がり、構えた。

 果たして、リドルは言った。

 

「決闘をしようじゃないか、アキ」

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