【完結】空の記憶   作:西条

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第10話 崩壊し始める世界

 その日は朝からザワザワと騒がしかった。

 朝食の席では数人の生徒が泣きながら先生方に連れて行かれる姿が見られたし、低学年の生徒は中庭などでいつも通り楽しそうに遊んでいたものの、事情を知っている上級生は誰しもがあちらこちらで固まり囁き合っている。

 

 その理由は明白だった。

 日刊預言者新聞で一面にデカデカと載せられた『マッキノン一族、全滅!?』との見出し。

 

「マッキノン家は魔法界の名家だ……グリフィンドール側の筆頭として、先陣切って闇側と闘ってきた。彼らの親族もホグワーツには多い……」

 

 リィフは物憂げな表情で呟いた。

 

「これは……荒れるぞ」

 

 

 

 

 

『マッキノン一族全滅』は、それから長く尾を引いた。ホグワーツ以上に安全な場所はそうそうないだろうに、それでも何人もの生徒が親元に帰ってくるようふくろう便を受け取ったそうだ。先生方も忙しそうに飛び回っている姿をよく見かけた。

 

 学校中が、何か見えない、けれども大きくて抗いがたいものに引っ掻き回されているようで──それでいてぼくだけが、それに取り残されているようだった。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 九月一日。今日は待ちに待ったホグワーツの新学期だ。

 魔法省の車でキングズ・クロス駅まで送ってもらい、九と四分の三番線を潜り抜けた先にあるのは、昔から変わらないホグワーツ特急だ。深紅の車体は何度見ても惚れ惚れするほど美しい。

 

 モリーおばさんはウィーズリー家の子全員にキスをした後、ハーマイオニーにキスし、ぼくとハリーの頬にもキスをした。ハリーなんて照れて顔が真っ赤になってしまっている。

 

「そりゃ君もだろ、アキ!」

 

 全く、うるさいったらありゃしない。

 おばさんが子供達にサンドイッチを配っている間、アーサーおじさんが小声でハリーを呼んだ。一緒に振り返ったぼくの顔を見たアーサーおじさんは、少しだけ視線を彷徨わせた後「あー、アキも、そうだな……来て欲しい」と頷く。

 

「君達が出発する前に、どうしても言っておかなければならないことがある──」

「おじさん、いいんです。僕ら、もう知っています」

 

 緊張した面持ちのアーサーおじさんの言葉を遮り、ハリーは言った。

 

「知っている? どうしてまた」とおじさんが驚いた表情で尋ねる。

「僕ら……あの、おじさんとおばさんが昨日の夜話しているのを、聞いてしまったんです。あの、ごめんなさい……」

「すみません、ちょっと、出来心で……」

 

 ぼくとハリーは揃って謝罪した。

 

「出来ることなら、君達にそんな知らせ方をしたくはなかった」

「いいえ──これで良かったんです、本当に。これで、おじさんはファッジ大臣との約束を破らずに済むし、僕らは何が起こっているのかが分かったんですから」

 

 きっぱりと言うハリーに、アーサーおじさんは眉を下げる。

 

「ハリー、きっと怖いだろうね……」

「怖くありません。……本当です」

 

 一拍間が空いたのは、おじさんが信じられないとでも言いたげな目をしたからだろう。

 

「僕、強がってるんじゃありません。でも真面目に考えて、シリウス・ブラックがヴォルデモートより手強いなんてこと、ありえないでしょう?」

 

『ヴォルデモート』の名を聞きおじさんは一瞬怯んだものの、すぐさま子供を心配する大人の眼差しに戻った。

 

「ハリー。君はファッジが考えているより、なんと言うか、ずっと肝が据わっている。そのことは私も知っていた。君が怖がっていないのは、私としても勿論嬉しい。しかしだ──」

「アーサー! アーサー、何してらっしゃるの? もう出てしまいますよ!」

 

 モリーおばさんの呼び声。「モリー母さん、ハリーとアキは今行くよ!」とアーサーおじさんは答えながらも、ぼくとハリーの顔を交互に覗き込んだ。

 

「いいかね、約束してくれ……」

「僕が大人しくして、城の外に出ないってことですか?」

 

 ハリーは憂鬱そうだ。そういう規則だのなんだのに縛られるのを嫌う辺り、ジェームズとよく似ている。

 

「それだけじゃない。いいか……二人ともだ。私に誓ってくれ。ブラックを探したりしないって」

 

 いつになく真剣な顔のアーサーおじさんに、ぼくらは思わず「「えっ?」」と同時に声を揃えた。

 

「二人とも、約束してくれ。どんなことがあっても……」

「ハリーを殺そうとしている人を、何でぼくらの方から探したりするんですか?」

「誓ってくれ。君達が何を聞こうと──」

「アーサー、早く!」

 

 モリーおばさんが叫んでいる。慌ててハリーがぼくの手を掴んだ。ハリーと共に駆け出すも、逆側の手をアーサーおじさんに掴まれ、ぼくは振り返る。

 

「アキ、頼む。ハリーを、ハリーを守ってくれ──」

 

 その言葉を、ぼくはずっと前に聞いたことがあるような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 その後、なんとかギリギリホグワーツ特急に乗り込んだぼくらは、空いたコンパートメントを探して通路を歩いていた。

 途中アリスやレイブンクロー三年男子が集まっているコンパートメントを見つけ飛び込みたい衝動に襲われたものの、今もずっとハリーが、ぼくの手を強く強く、それはもうちょっと指先がひんやりしてきたくらいに強く握り締めているので叶わない。

 

 ぼくらは列車の最後尾で、ようやく空いたコンパートメントを見つけることができた。空いていると言っても完全な空席という訳じゃなく、一人の先客が既にいたのだけれど。

 その男性は窓側の席にもたれかかり、それはもう気持ちよさそうに眠っていた。髪の毛に白いものが混じり始めており、どう見ても生徒には見えない。

 

「この人、誰だと思う?」

「ルーピン先生」

 

 ロンの疑問にハーマイオニーが即答した。え、と目を瞬かせたロンの隣で、ぼくもそっと目を瞠る。

 

「どうして知ってるんだ?」

「カバンに書いてあるわ」

 

 ハーマイオニーが指差したのは、男性の頭上にある荷物棚に置かれた小さな旅行カバンだった。片隅に『R・J・ルーピン教授』と剥がれかけの文字が押してある。

 

 リーマス・ジョン・ルーピン。

 シリウスに続き──君までも出てくるのか、リーマス。

 

「ちょっ、ちょっとアキ、そんな先生の顔を覗き込んだらダメでしょ、起きてしまうわ、わわっ、前髪を掻き上げてもダメだって! コラッ、顔を触らない! 座っていなさい、アキ!」

「ハーマイオニー、君ってお姉さん気質だよね。どうして一人っ子なんだい?」

「ロンは兄妹がたくさんいるのに、どうしてそう気が利かないのかしら?」

「あ、いや、ちょっと……懐かしくて……じゃなくて、懐かしの友人によく似てて」

 

 うん、間違いない。この頬の傷は、幣原秋の友人であるリーマス・ルーピンのものだ。

 それから更に傷が増えているようだけど……それに、セブルスやリィフと同い年であるにもかかわらず、白髪の数がべらぼうに多いんだけど……大丈夫かな。

 

「一体何を教えるんだろ?」

「決まってるじゃない。空いてるのは一つしかないでしょ?『闇の魔術に対する防衛術』よ」

「ま、この人がちゃんと教えられるならいいけどね。強力な呪いを掛けられたら一発で参っちまうように見えないか?」

 

 ──いや、そんなことはない。

 リーマスの父親は、確か闇の生物の専門家だった。グリフィンドールとレイブンクロー合同の授業である闇の魔術に対する防衛術では、時としてジェームズをも凌ぐ素晴らしい成績を残していたじゃないか。

 

 よいしょとリーマスの隣に腰掛けたロンは、好奇心で瞳をキラキラと輝かせながらハリーを見た。

 

「そう言えば、さっきうちのパパと何を話してたんだい?」

「そうだった。あのさ……」

 

 そうしてハリーは、ウィーズリー夫妻の言い合いのことや先程アーサーおじさんから受けた警告について、二人に語って聞かせた。僅かな沈黙が流れた後、ハーマイオニーはゆっくりと口を開いた。

 

「シリウス・ブラックが脱獄したのは、あなたを狙うためですって? あぁ、ハリー……ほんとに、ほんとに気を付けなきゃ。自分からわざわざトラブルに飛び込んで行ったりしないでね。ね、ハリー」

「僕、自分から飛び込んで行ったりするもんか。いつもトラブルの方が飛び込んで来るんだ」

 

 さてどうだろう。どっこいどっこいな気もするが?

 

「ハリーを殺そうとしている狂人だぜ。自分からのこのこ会いにいくバカがいるかい? ブラックがどうやってアズカバンから逃げたのか、誰にも分からない。これまで脱獄した者は誰もいない。しかもブラックは一番厳しい監視を受けていたんだ」

 

 ──誰かがシリウス・ブラックのことを話すたびに、心が暗く沈んでいく気分にもなる。

 

 毎回毎回、信じられないとさえ思う。

 だって、あのシリウスだ。ジェームズと双子のように仲が良かったんだぞ。そんな彼が闇側に寝返り、友人をヴォルデモートに売り飛ばしたなんて。

 

 それに……ピーターの話も。シリウスはピーターを弟のように可愛がっていた。……まぁ、可愛がってんのか苛めてんのかよく分かんなくなる時もあったけれども、あれはきっとシリウスなりに可愛がってたんだろう。

 それなのに……。

 

 

 ──まさか、シリウスが──

 ──一人の魔法使いと、十二人のマグルを、しかも大通りのど真ん中で────

 

 

 魔法警察が一人の人間を取り囲んでいる。気が触れたような笑い声は、通りの隅々にまで響き渡っていた。

 その人間に杖を突きつけ、ぼくは言う。

 

『魔法省魔法法執行部闇祓い局第一班副班長、幣原秋が命じる。……杖を捨てろ』

『案外サマになってんじゃねぇか、秋。威圧感が増した』

『聞こえなかったのか? 杖を捨てろ。従わないなら、殺す』

『シリウス・ブラック。君をアズカバンの看守に引き渡す。抵抗する素振りを見せたら、迷わず殺すからそのつもりでいてくれ』

 

 ──あぁ、やはり、あの時────

 

『ハリーを、守ってくれ……』

 

「あの時、殺しておけばよかったんだ……」

 

「アキっ!?」

 

 唐突に身体を揺さぶられ、ぼくは我に返った。

 ハリーはぼくの肩を掴んだまま、心配そうにぼくを見つめている。ハーマイオニーとロンも、ぼくを案じるような眼差しを浮かべていた。

 

「あ……ごめん、ちょっとウトウトしてて……寝惚<ねぼ>けてたみたいだ」

 

 ふにゃりと笑ってみせると、ハリーは力が抜けたような顔をした。それでもまだまだ心配そうに「大丈夫?」とぼくの頭をそっと撫でる。

「大丈夫。……ぼく、寝惚けて何か喋ってた?」

 

 少し(おど)けて問いかけた。ハリーはちょっと躊躇した後「その……あの時殺しておけばよかったんだって、物騒なことを……」と歯切れ悪く呟く。

 

「あはは、ちょっと夢でさ、昔のことを思い出しちゃって……ほらハリー、昔大きなイモリを庭で見つけたことがあっただろう? 弱ってたし可哀想だからってそのまま放置してたらさ、次の日開いてた窓から家の中に忍び込んじゃって、ペチュニアおばさんが大騒ぎしたやつ」

「あぁ、アレね……何故か理不尽な難癖つけられて、三日間物置に閉じ込められたやつか……」

 

 ハリーが遠い目をした。いやぁ、あれは辛かったなぁ……理不尽ここに極まれり。

 

 ……しかし、今のはきっと、幣原秋の記憶──なのだろう。断片しか見ることができなかったものの、リィフから聞いた情景と重なる部分があった。

 シリウスに杖を向けた幣原は、一体どんな気持ちだったのだろう。

 かつて友人だった者に杖を向けるのは、一体どんな気分なのだろう────

 

 その後、ハーマイオニーがペットショップで買ったという大きな猫を見せてもらったり(ぼくの魔力にも大騒ぎをしない、肝の据わった猫で感嘆した)、ドラコ達が来て即座に帰ったりといろいろあったものの、ぼくらは概ね和やかにコンパートメントでの時を過ごしていた。

 

 雨が降り出し、外の景色が闇色に染まりゆく。後もうすぐでホグワーツに到着するだろうというところで──

 汽車は、何故かその場で停車した。

 

「何で停まるんだ?」

 

 扉から一番近いハリーが、通路に首を突き出して様子を窺う。すぐに顔を戻したハリーは「皆、不思議そうな顔をしてるよ」と首を傾げた。

 

 その時、何の前触れも無く照明が一斉に消えた。周囲からも悲鳴が上がる。

 いきなり真っ暗になったものだから、コンパートメントの中でもちょっとした騒ぎが起きていた。

 

「一体何が起こったんだ?」

「イタッ! ロン、今の、私の足だったのよ!」

「ごめんね! 何がどうなったか分かる? アイタッ! ごめんね──」

「ネビル? ネビルなのかい?」

「ハリー? 君なの? どうなってるの?」

「分からない。座って──」

「アイタッ! 何か毛深くてぐにゃりとしていて温かいものの上に座ったと思ったら手の甲に鋭いナイフで切り裂かれたような痛みが走ったよ! もしかしてシリウス・ブラックかい?」

「もしかしなくても、きっとクルックシャンクスの仕業だよ、ネビル」

「だあれ?」

「そっちこそだあれ?」

「ジニーなの?」

「ハーマイオニー?」

「何してるの?」

「ロンを探してるの──」

「入って、ここに座れよ」

「ここじゃないよ! ここには僕がいるんだ!」

「アイタッ!」

「ちょっと、これジニーかい? ぼくの足を踏まないでって……」

「あらごめんなさい、その声はアキ?」

「ぼくだと思ったら躊躇なく君は膝の上に座ってくるんだねジニー。驚いたよ」

「静かに!」

 

 突然しわがれ声がした。リーマス……ルーピン先生が目を覚ましたようだ。

 カチリという音の後、灯りがコンパートメントの中を照らし出す。

 

「動かないで……えっ、どうして君の膝の上にリリーのような赤毛の女の子が乗って……ッゴホン! 様子を見て来よう──」

 

 言いながら立ち上がったリーマスは、ゆっくりと扉へと歩み寄った。しかし直後、何者かの手により外側から扉が開かれる。

 

 扉の前には、マントを着た黒い影が立っていた。頭の部分は黒い頭巾のようなもので覆われている。

 その影はガラガラと音を立てて息を吸い込んだ。途端、ぞっとするような冷気が全身をすっぽりと包み込む。

 

 まるで冷凍庫の中に閉じ込められたような気分だ。

 何者かに足首を掴まれ、深い海の底へと引きずり込まれていくような感覚────

 

『そのまま溺れ死ね! この『呪文学の天才児』!』

『フィアンの敵!』

 

 ──カチリ。無邪気で残酷な声がする。

 自分が正しさの側にいると確信し切った傲慢さが、いとも容易く一人の人間を傷付ける。

 足が付かない恐怖。

 溺れて死んでしまうかもという恐れ。

 泣き喚いても伝わらない絶望。

 短い期間だったものの、渦中の時は永遠とも思える時間だった──

 

 ──カチリ。音と共に場面が切り替わる。

 視界に映るのは幣原秋(かれ)の実家だ。

 全ての物が執拗に壊されていて、到底住めたもんじゃない。

 ぐちゃぐちゃな家の中、何かに突き動かされるように、彼は廊下を歩いている。

 ……父さん、母さん。

 書斎の扉に手を掛けた彼は、やがて()()を目の当たりにする。

 ……どうして、父さんと母さんは床に倒れているのだろう。

 ……どうして、息をしていないのだろう。

 ……どうして、心臓が止まっているのだろう──

 

 ──カチリ。

 凍てつくような寒さを感じる。

 吐き気がするほどの絶望が、しんしんとこの身に降り積もる。

『……秋。君は』

『セブルス。もう元へは戻らない。ぼくは……ぼくらは……』

 

 ──カチリ。

 半壊した家と、その上に浮かぶ『闇の印』。

 ……あぁ、あぁ。彼は。

 とっくの昔に気付いていたのだ。

 その両手は、大事なものばかりを取り零すって。

 守ることより、壊すことの方が得意なのだって。

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい』

 背負う罪ばかりが増えていく。眠れない夜が積み重なる。

 それでも必死に歩き続けた。この杖の先に、より()い未来があると信じて。

 歩いて、歩いて、歩いて──歩いた先が、このザマか。

 

 ────カチリ。

 屋上に吹き荒ぶ(ぬる)い風が、彼の髪を粗雑に揺らす。

『──自殺だ。ビルの屋上から、飛び降りた』

 かき混ぜられた記憶の中、(もや)が掛かった自我の中、教授の声が耳元で響く。

 ……ダメだ、幣原。

 自ら命を絶つのは、それだけは──ダメだ。

 君はセブルスやリィフにあんな顔をして欲しくはなかった筈だ。

 ──逃げてんじゃねぇよ、幣原秋!

『さようなら、黒衣の天才よ』

 ぼくの指先は、叫んだ声は、幣原秋には届かない。

 ぼくの視界はそのまま闇に飲み込まれた。

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