【完結】空の記憶   作:西条

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第32話 最後の優勝者

 爆風に耐え切れず、足が地面から離れた。慌てて空気をクッションのような柔らかいものに変え、地面に叩きつけられる直前で勢いを殺す。

 

「──っは、やっぱり強いな、ライ先輩……!」

 

 ぼくは()()()で呟いた。

 

「この人混みは、ライ先輩にとっては最も苦手な場所の筈……こんなに大勢の思考が頭に流れ込んでくるんだもの。ぼくには考えも付かないけど……でも、あの人なら、これだけたくさんの観客から、ぼくを見ている人の考えだけを抽出することも可能なんだろうなぁ。たとえライ先輩の目に映らなくとも、ぼくの一挙一動は見抜かれていると思った方がいい。それならせめて──その集中を乱したい」

 

 せめてもの抵抗として、彼の思考にノイズを走らせる。

 何だっていい、悪足掻きで構わない。自分に出来る限りのことを全てやり遂げたい。

 全部やり切って、そして──勝ちたい。

 

 ぼくとライ先輩の間にあった煙が徐々に薄れていく。注意深く杖を構え、目の前をじっと見据えた。

 やがて、ライ先輩の姿が見えてくる。ぼくと同じように杖を構えたまま、こちらの出方をじっと窺っている。

 煙が完全に消え去っても、ぼくらはしばらくの間、同じ姿勢で睨み合っていた。

 

 互いに相手の隙を探し、また同時に自らの隙を消していく。どちらも攻めあぐねたこの時間は、あまりに動きのないぼくらに観客が痺れを切らしてざわつき始めても尚、継続していた。

 

「……っ、凄いなぁ、ホンット……」

 

 全く動いていないのに、緊張で全身から汗が吹き出る。身じろぎ一つできないほどの緊張感。杖先どころか目線すらも動かせない。先に動いた方が負けるなんて、そんなことを定められているかのように。

 恐ろしいまでの威圧感、怖いまでの集中力で、ライ先輩はじっとぼくを見つめる。まるで、獲物に飛びかかる寸前、呼吸どころか気配すらも殺す獣のようだと思った。

 

 ──だけど、やられっぱなしではいられない。

 ぼくだって、持ち得る全ての集中力でライ先輩の一挙一動を見逃さぬよう目を凝らす。杖を握る、力の篭った指先も。こちらをじっと見つめる、濃い茶色の瞳の動きも。呼吸のたびに微かに動く肩も、全てを見逃さない。僅かな、針の穴ほどに僅かな隙を探す。

 

 ──それにしても、服がやけに重たいな。

 着慣れていない正装だからだろうか。杖を掲げている左腕も、じんわりと痺れてきたような感覚がある。目を凝らし過ぎたか、徐々に目も霞んできた。頭の中が段々とぼんやりとしてきて、何だか──瞼が重たい──……

 

「────っ!」

 

 そこで、ハッと我に返った。

 反射的に杖を振り、バックステップで数歩下がる。フツン、と何かが切れるような音が聞こえると同時に、視界も脳内もクリアになった。

 

「あっぶなー……」

 

 ()()()()()()()かと思った。

 魔法というものは、火を起こしたり攻撃をしたりといった、直接目に見えるものばかりではない。むしろその逆──精神に影響を及ぼす魔法、こちらの方が圧倒的に多いのだ。

 心を読む魔法、元気になる魔法、記憶を消す魔法、そして──これを一度でも使えばアズカバンで終身刑になるという、相手を操る服従の魔法。

 

 ライ先輩が今使ったのは、恐らく相手の眠気を誘う魔法だろう。ぼくに悟られることなく魔法を使ってみせることなど、ライ先輩にとっては容易だろうから。

 

 しかし今、魔法を解除するために動いたことで、ぼくとライ先輩との間にあった均衡は崩れた。それを見逃すライ先輩ではない。

 赤い閃光がぼくに向かってくるのを慌てて打ち消す。それからは術の打ち合いとなった。

 

 息つく間もなく魔法を繰り出し、相殺し、避ける。瞬きする暇さえ与えてはもらえない。先程とは真逆の試合展開となった。

 ぼくはジリジリと後ろに後ずさる。反対に、ライ先輩は一歩ずつ近付いてきた。足を動かすタイミングはほぼ同じだというのに、ぼくらの間の距離は徐々に縮まっていくのは……ひとえに足の長さの差だろう。ちょっと悲しいけれど。

 

 距離が迫れば迫るほど、術を弾くための時間が短くなる。それに焦れて、ぼくは次の足を心なしか大きく後ろに踏み込んだ──それが仇となった。

 

「…………っ!?」

 

 何ともお恥ずかしい話ではあるが──気が急いたせいか、ぼくはローブの後ろ裾を踏んでしまったのだ。

 しかも悪いことに、目の前のライ先輩に全ての意識を集中させていたため、反応が一歩遅れてしまった。気付いた時にはもう、体勢を自力で立て直せないほどだった。

 

 あぁ、やってしまった。

 そう悟った、その瞬間。

 

 ──確かに聞こえた気がした。確かに見えた気がした。

 重たい鎖が、弾け飛ぶ様子が。

 

 パァンッと、頭の奥で音がする。粉々に砕かれた、手足に繋げられていた青銅の鎖が、スローモーションで目の前を通り過ぎていく。

 それは、今まで感じたことのない感覚だった。

 

 例えるなら、そう──今まで閉じ込められていたことにすら気付いていなかった部屋の窓が開け放たれ、見たこともない景色が外へと広がっていることに、初めて気が付いた時のような。

 ほんの小さな変化だけれども、確実に自分の人生を変えることが分かっている──そんな確信を抱かせるような。

 

「────ぁ」

 

 尻餅をついて、ハッと我に返った。今が魔法魔術大会の決勝であることも、ライ先輩と戦っていたことも、すっかり意識の外だった。

 ぼくのこんなにも大きな隙を、ライ先輩が見逃す筈はないだろう。今更ながら、ぼくは慌てて杖を握り直す。

 

 ──がしかし、予想に反してライ先輩は何も仕掛けて来てはいなかった。むしろ一層注意深く、ぼくの様子を窺っている。

 ……どうしてだろう? 先程までは、隙があればすぐさま飛びかかって来そうな勢いだったのに……。

 

 後輩のぼくに気を遣ったのか? 尻餅をついた相手には魔法を掛けないというフェアプレイ精神の現れか?

 でも、そんな雰囲気じゃない。なんだか、さっきよりもピリピリしているというか──さっきよりもぼくを警戒しているような……心なしか、ぼくらの距離も先程より開いている気がするし。

 

 何にせよ、いつまでも座り込んだままでは恥ずかしい。何百人もの観客が見ているのだ。セブルスやリリー、それに悪戯仕掛人にも笑われてしまう。

 ぼくは慌てて立ち上がって──杖を持つ手に僅かな違和感を覚えた。

 

「ん?」

 

 しかし杖に視線を落とすも、特に変化はないようにも見える。指で触って確かめたが、木の細かなささくれもない、いつも通りの自分の杖だ。

 気のせい、だろうか……。

 

 ライ先輩は、相変わらずこちらの出方を窺っている。どうやら向こうから仕掛ける気はないようだ。ならばこちらから、と杖を振ったその瞬間────

 今まで感じたこともない熱量が、自分自身の杖先から噴き出たのを感じた。

 

 一瞬後、轟音とも称すべき爆発音が大広間に響く。爆風に煽られ、ぼくは僅かによろめいた。女子生徒の悲鳴が木霊する。

 驚いたのはぼくも同じだ。ぼくの放つ爆破魔法は、ここまで威力が強いものだったか?

 

 ──いいや違う、とぼくは即座に首を振る。この大広間中を揺るがすほどの威力なんてなかった筈だ──ならば何故?

 魔力の暴走……ではないことは分かる。魔力が暴走した時特有の、弾ける火花が見当たらないから。これは、言わば────

 

「呪文の威力が──倍増してる?」

 

 ぼくとライ先輩の間に流れていた煙が晴れてきた。あれほどの威力の爆破魔法すらも防いでしまえるほど練度の高い防護魔法を操れるとは、流石はライ先輩だ。怪我一つ、焼き焦げ一つないまま、ぼくを鋭く見返している。

 

 そんなライ先輩が──動いた。杖を振り、魔法を繰り出そうとする。

 ぼくはライ先輩の杖の動きを読んで次の魔法を予測した。先輩が杖から魔法を繰り出した瞬間、対応するべくこちらも魔法を繰り出す。

 

 魔力が杖から溢れ出した瞬間、またも同じ感覚がぼくを襲った。

 ぼくが放った呪文はライ先輩の魔法を打ち消すだけでなく、その魔法さえも飲み込んでライ先輩に襲い掛かる。ぼくの呪文を間一髪で避けたライ先輩は、しかしそこでぐらりと体勢を崩した。

 一体急にどうして、と疑問を持ちつつも、咄嗟にぼくは杖を振る。

 

 元々無理な体勢だったライ先輩が、新たな追撃を避けられる筈もなく。魔法を初めてまともに食らったライ先輩は、両手を広げた十字の形で空中に縛り付けられた。

 縛り付けられた体勢のまま、ライ先輩はぼくを見た。

 ライ先輩の口元が動く。何か言葉を発したようだったけれど、この距離ではその言葉を聞き取ることはできなかった。

 

 ──でも、その後。

 ライ先輩は目を細め、困ったように微笑んだ。この緊迫した場面にはどこかそぐわない、苦しいものを飲み込むかのような笑顔だった。虚をつかれたぼくは、思わず杖を握っていた手を下ろす。

 

「お前の勝ちだ」

 

 そう言って、ライ先輩は杖を手放した。軽い音を立て、杖が目の前に転がってくる。

 一瞬、ぼくは拾い上げるのを躊躇した。

 

 杖までの距離、およそ三歩分。ぼくはおぼつかない足取りで杖へと歩み寄った。

 観客は固唾を呑んで見守っているようだ。周囲を見渡す余裕はないものの、自分の靴の音以外は呼吸音すら聞こえない。

 

 震える指で、確かに杖を掴み取る。頭上に掲げたところで──爆発、とも言うべき歓声が湧き上がった。

 実際、それは爆発だっただろう。力が抜けてストンと座り込み、やっと周りを見渡せば、大広間中に次から次へと花火が上がっていくのが見えたから。

 広間中が大騒ぎで、先生のアナウンスすらも聞こえない。何だか、全てがぼんやりとしている。

 

「秋」

 

 喧騒の中、しかしライ先輩の声だけははっきりと聞こえた。ぼくは緩慢に顔を向ける。

 ぼくの魔法から既に解放されたライ先輩は、ぼくに近寄り右手を差し出した。おずおずと手を伸ばすと、グイッと握られあっという間に引き上げられる。

 

 自分の両足で立つ感触って、こんなのだったっけ。地面ってこんなにふわふわしてたっけか。

 

「おめでとう」

「あ……」

 

 ライ先輩の言葉で、やっと実感が湧いた。

 ぼくは勝ったんだ。

 ぼくは、この人に勝つことができたんだ。

 

「ありがとう、ございます……」

 

 何故だか涙が込み上げてきた。悲しくもないのに、その水は湧き上がってくる。ぐっと堪えたものの、それでも堪え切れず、咄嗟に左の袖で涙を拭った。

 

 大歓声が聞こえる。ぼくが勝ったことで、大勢の人が喜んでくれている。

 そのことが何よりも嬉しかった。

 

 

 第二一八回魔法魔術大会本戦、決勝戦。

 優勝者──レイブンクロー寮四年生、幣原秋。

 同時に、彼が最後の優勝者となった。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 ──父さんじゃなかった。

 あの姿は、あれは──僕自身、だったんだ。

 

Expecto Patronum(守護霊よ来たれ)!」

 

 呪文を唱えたハリーの杖先から、銀色の動物が噴き出した。こんなにも眩しい守護霊は初めて見た。

 ハリーは目を凝らし、吸魂鬼(ディメンター)に向かって突進していく守護霊が果たして何の動物の姿を象っているかを見ようとする。

 

 次の瞬間、湖の対岸にて眩い光が見えた。逆転時計(タイムターナー)を使う前に自分達が倒れていた辺りだ。そこに、小柄な影が立っている。

 あぁ、恐らく『彼』は────

 

「幣原……秋」

 

 大きなワタリガラスが、翼を広げて飛んでいる。それを追う自らの守護霊は、あれは──牡鹿だ。

 

「プロングズ……父さん」

 

 二体の守護霊の出現に、吸魂鬼(ディメンター)は散り散りになっては暗闇の中へと姿を消した。

 

 

 

 

 

 吸魂鬼(ディメンター)に囲まれ、シリウスとハリー、ハーマイオニーが意識を落とした瞬間、幣原秋は再び目を覚ました。

 

「……連続で外に出てくるのは、負担が大きいな……やっぱり」

 

 吐き気すら込み上げる頭痛を堪える。

 立ち上がった自分を目掛け、吸魂鬼(ディメンター)は我先へと襲い掛かってくる。杖を抜くと静かに唱えた。

 

「──Expecto Patronum(守護霊よ来たれ)

 

 瞬間、杖からは見慣れた銀色のワタリガラスが飛び出してくる。守護霊をじっと見つめていると、ふとかつてのリーマスの声が脳裏に蘇った。

 

『君の守護霊はワタリガラスか。じゃあ君の渾名(あだな)は『レイブン』だ。これからもよろしくね、レイブン』

「……ムーニー、パッドフット、ワームテール……プロングズ」

 

 目を伏せた瞬間、何か銀色のものが近寄ってくる。何だろうと視線を向け、秋は思わず息を呑んだ。

 守護霊。それも──銀色の牡鹿だ。

 

「ジェームズ……?」

 

 目を凝らすも、守護霊が眩し過ぎて対岸は窺えない。

 やがて吸魂鬼(ディメンター)を全て追い払った守護霊は、闇夜にふわりと解け消えた。

 

「……いや」

 

 秋は静かに息を吐くと杖を下ろした。

 ……今日一日、様々なことが起こり過ぎた。シリウスのこと、ピーターのこと、秘密の守人のこと。そして──自分自身のこと。

 

 どれだけの時間、湖畔に佇んでいただろうか。誰かがこちらに近寄ってくる足音に、秋は振り返った。

 

「……アキ・ポッター?」

 

 セブルス・スネイプが、こちらを怪訝な眼差しで見つめていた。意識を取り戻したのか。

 しばし、秋もスネイプも黙って見つめ合った。

 

「どうして、アキ・ポッターと君が友情めいたものを作り出せたのか、ぼくは理解に苦しむよ」

 

 冷ややかな声に、スネイプは目を瞠った。

 

「……君は……」

「ぼくは決して君を許さない。だから君も、ぼくを絶対に許さないでくれ」

「…………っ、秋……?」

 

 秋はスネイプを睨みつける。

 

「もう会うこともないだろう。さようなら、セブルス・スネイプ」

「秋? 秋、秋なのかっ!? 秋っ……」

 

 スネイプがこちらに駆け寄ってくる。それを最後まで見ることがないままに、幣原秋は自らの意識を手放した。

 

 

 

 

 

 目が覚めると、そこは医務室のベッドだった。しばらく天井をぼんやりと見つめていたものの、ふと誰かがぼくの左手を握っていたことに気が付いた。

 

 起き上がって見ると、その手はハリーのものだった。ぼくの手をぎゅっと握ったまま、ぼくのシーツに突っ伏して眠っている。

 一体あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。一体何があったのだろう。

 

「……幣原秋だった」

 

 ぼくが、幣原秋だったんだ。

 幣原秋とぼくの繋がりは──何てことはない。ずっと追いかけていた人物は、すぐ傍にいたってことだ。

 ぼくが、気が付かなかっただけで。

 

「……ん、アキ……起きたんだ」

「あ……ハリー」

 

 頭を起こしたハリーは、ふにゃ、と力の抜けた笑みを浮かべた。眼鏡がずれてしまっているので、右手を伸ばして掛け直してやる。

 

「一体、何が起こったの?」

 

 そう尋ねると、ハリーは昨日の出来事を思い出すようにゆっくりと、一つ一つ丁寧にあった出来事を説明してくれた。

 秘密の守人のこと、動物もどき(アニメーガス)のこと。リーマスが狼人間に変身したこと、シリウスが再び捕まったこと、逆転時計(タイムターナー)を使ったこと、守護霊のこと。そして──幣原秋のことも。

 

「……そう、なんだ」

「……ねぇ、アキ」

 

 俯いたぼくに、ハリーはそっと声を掛ける。

 

「君が、本当はぼくの弟じゃなくても関係ないよ。君が気に病む必要は何もない」

「……え? ど──どうしてさ。ぼくはずっと君を騙していたんだよ……アキ・ポッターなんてどこにもいないんだ。ぼくが、幣原秋なんだよ」

「違うよ。君はアキ・ポッターだ。僕の、大好きで最高の弟だ。僕と血が繋がっていなくったって、僕と君が家族だってことに変わりはない」

「……でも」

「アキ。君は僕のことが嫌いなのかい?」

「まさか、そんな筈ないじゃない!」

 

 ぼくは条件反射で大声を上げた。

 

「なら、それでいいんだ。……僕は、君が自分の双子の弟だから、君のことが好きになった訳じゃないんだよ」

 

 ハリーはにっこりと微笑んだ。

 

「君が君だから、僕は君のことが好きになったんだ」

 

 何かを言うことは、できなかった。

 喉の奥に何かがつっかえたようで……一言でも喋ると、何故か涙が零れてしまいそうで────

 ハリーはただ、ずっとぼくの手を握っていてくれていた。

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