影廊廻   作:とろとろ 106106

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ヒグラシの回廊


逢魔時

 

 

 

ハルは見知らぬ廊下を歩いていた。

 

こつ。こつ。

 

乾いた音がハルが歩くたびになった。学校の廊下を歩くのとは少し違う、木のきしむ音が混じった古い建物に独特の足音。

 

床は思っていたよりもしっかりしていて、町の廃屋みたいに抜ける心配はなさそうだった。積もった埃がハルの足音に合わせてふわふわ舞う。

 

横を見ると、格子から漏れた光がハルの目に飛び込んでくる。それがまぶしくてハルは目を細めた。目に入る橙色の光は落ち着くなつかしい感じがする。この光に当たるとぽかぽかして温かい。

 

 

夜には決して感じられない太陽の温かみだ。

 

 

それを、ハルの影が右から左へ飲み込むように黒く飲み込んでいく。壁に影が映ると、表面の凹凸にハルの影がぐにゃりと踊った。

何でもないことなのに、ハルはちょっと面白いとおもった。

 

ハルが先へ進むと踊っていた壁が急になくなって、影法師は床へまっすぐに背を伸ばす。

 

 

分かれ道だ。

 

これで何度目だろう。

 

 

この回廊は根っこのように広がった廊下と、それにくっついた沢山の部屋が組み合わさってできているようだった。回廊は気まぐれに、無秩序に広がっていて一度迷い込んだら二度と出られないように作られているみたいだ。

 

 

蜘蛛の巣みたいに。

 

 

ハルは分かれ道の横を通ってまっすぐ進んだ。特に理由はなかった。たぶん、どっちに進んでもかわらないと思ったからだ。

 

左に続いていた窓が途切れて、また黄土色のつまらない土壁が顔を見せる。奥に進むほど光が届かなくなっていって、どんどん暗くなっていく。目を向けると廊下の先で、淀んだ暗闇がハルを待ち構えていた。

 

ハルは、それがちょっぴり怖い。

 

でもそれがハルには不思議だった。

わたしはまっくらな夜を歩いてきたのに、なんでこの場所の暗がりはこんなに怖いんだろう?

 

──図書館、廃工場、廃墟、林のゴミ捨て場、ダム、そして夜の神社。ハルは()()()以降も、夜を幾夜も廻ってきた。怪異のうろつく、あの町の夜を。

 

何度も怖い目にあったし、何度もおばけに追いかけられた。その時の恐怖はいいようがない。

もちろん今でも暗闇は十分こわい。でも、はじめて夜を廻ったときよりはだいぶ慣れたつもりだった。

 

 

でもここの闇はなんだかハルには慣れなかった。夜の湿った暗闇とはちょっと違う独特な暗闇の感じ。例えば、おかしのハッカが入っているものか、入っていないものか、ハンバーガーのピクルスが入っているかどうか───────そのくらいの違い。

 

でもそれくらいの違いでもハルにとって気持ち悪い。ある日、家族と友達がそっくりな別人に入れ替わってしまったような、そんな感じの気持ち悪さだ。

 

見知った闇が、はじめて会った他人みたいに思えてくる。

 

ハルは先へ進むのがちょっと嫌になって、橙色に満ちた後ろを振り返ってみる。

その時足から延びる影法師が、向かう先の廊下の闇と溶けあっているのが見えた。

それで、分かった。

 

 

───影なんだ

 

 

この場所の暗闇は、夜の闇じゃなくて影なんだ

わたしは夜を歩くのは慣れているけど、影を歩くのは慣れてないんだ

 

夜の暗闇とは違う。黄昏に太陽から逃げるみたいに家と家の隙間に溜まった暗がりが、集まってできているような暗がりだ。

だからわたしはこんなに不安になるのかな。

 

 

「チャコ……」

 

 

なんだかさびしくなって、思わず声がもれた。

 

 

「さびしいよ…」

 

 

もしかすると、わたしが不安になるのは回廊の橙色があの日の夕日の色と似ているからかな?ユイがいなくなってしまった、あの日の、夕日の、あのひかりの色。

 

そう思うと急に不安になってくる。ユイの次に、わたしはチャコもなくしちゃうのかな…

この夕焼けの色は、なにかをなくしてしまう、そんな予兆なのかな…

 

あたまのうえの青いリボンが、ハルの気持ちに合わせる様にくしゃりとしょげた。

 

 

 

 

 

 

──その時だった。

 

向かう廊下の奥の方から鈴の音が聞こえた。廊下に淀んだ影をざわりと揺らす、不気味な鈴の音。

 

ハルはすぐに音のなった方を見ると、遠くのロウソクの火が、おびえるように点滅を繰り返している。鈴の音は一定の感覚を空けながらこちらへ近づいてきていた。

ハルはまばたきも忘れて、廊下の奥をじっと見る。

 

 

ロウソクの火が、叫ぶみたいに激しく揺れて、

 

 

揺れて、

 

 

揺れて、

 

 

 

 

 

───完全に消えた。

 

──なにかが、こちらへ近づいてくる。

 

 

ハルは近くにあった扉を開けて小部屋のなかへ飛び込んだ。中へ入ると大きな木箱があったので、ハルはそれによりかかるようにして身を隠す。

 

からだの大きい、おとなにはできない隠れ方だ。廊下から見てもハルがいるとはわからないだろう。

 

ハルは一息ついた後、足元を照らす懐中電灯の明かりを消した。

おばけのなかには光に反応するおばけもいる。明かりをつけたままだと見つかっちゃうかも───そう考えての行動だ。これはあの夜の経験から学んだことでもある。

 

そしてそれは実際正しかった。

 

 

ぎぃ、ぎぃ。

 

 

鈴の音はどんどん近づいてくる。それといっしょに床を踏む、きしんだ音も聞こえ始めた。鈴の音を鳴らすなにかは、少なくともふたつの足をもっているらしい。

 

今更心臓が激しく鼓動を始める。あの夜にも何度も経験した、いのちのあかし。汗が噴き出してきて、からだの震えが止まらない。息が途切れて喉の奥から空気が漏れた。それに加えて視界が赤く染まってゆく。

 

なにかが近づいてくる感覚。

 

暗闇には慣れても、この感覚はぜったいに慣れないものだった。

 

鈴の音が近い。

廊下を歩くなにかは確実に部屋の前にいる。

 

ハルがにげこんだ部屋には廊下へ通じる窓がある。部屋の中に誰かいないか、廊下から確かめられるように作られたような窓。あちらがのぞけば、こちらが見える。

 

だから逆に言うと、ハルがこちらからのぞけば、廊下を歩く()()()を見れる。

 

「………」

 

冷や汗がハルの首筋をたらりと流れる。

見たくはない。なにより顔を出したら見つかるかもしれないし、見つかった後のことは考えたくもない。

 

でも、相手のことを知ることでなにかがわかるかもしれない。逃げるときに役立つなにか。

 

ハルはそんな希望をもって─────顔半分を箱から出して窓の外をのぞいた。

 

 

 

 

 

 

 

────見たことのないおばけだった。

 

内臓みたいな、真っ赤な着物を着た女のひとの形をしている。腰まで届く長い髪の毛を伸ばしていて、手に持った神楽鈴を機械のように、歩くたびに打ち鳴らす。

 

何より特徴的なのは顔を覆い隠す、女の顔をした能面だった。

 

かぶった面は微笑んだ表情をしているけれど、ハルがその表情から読み取った感情はぜんぜん違った。

 

 

無。

それだけ。

 

 

ひとの微笑みの表情を、感情を知らないプラスチックがひとの真似をしているようだった。その微笑みとその表情から受ける印象の()()()()()が、ハルにとって恐ろしい。

 

シャン

 

おばけが鈴を鳴らした。

 

シャン

 

また、鳴らした。

 

ハルは響く鈴の音が、おなかのなかに注がれたような感覚を覚えた。異物の侵入に、おなかの奥からすっぱいものが喉にこみ上げてくるのを感じる。冷や汗が肌にぶわりと浮き上がった。

 

ハルは胸に手を当てて早まる鼓動を押さえつける。心臓の音すら出さないように。

心臓があんまり激しくあばれるので、ハルはのどから心臓が飛び出すのではないかと思った。

 

 

はやく、はやくどこかへいってよ……

 

 

ハルは願った。

 

鈴のおばけはゆっくりと廊下を進んでゆく。能面の奥からのぞく目が、怪しく光っているのを見て、ハルはひっと短い悲鳴を上げる。

 

鈴のおばけはそれに気づかず部屋の前を素通りしていく。そしてそのまま前へ進んでいって────奥の暗がりに呑まれていった。

 

あとに残るのは鈴の音だけ。でもその鈴の音も気が付くと聞こえなくなっていた。ロウソクの火が再び灯り、ヒグラシの声が再び回廊に満ちる。高鳴っていた心臓も落ち着きを取り戻し、にじんでいた視界も、もう元に戻っていた。

 

ハルは耳を立てて他になにもいないか確かめた後、隠れていた箱の影から身をさらした。回廊をうろつく、なにかの気配はもう残っていない。

 

 

もう、だいじょうぶ。

 

 

ハルは思わずため息をついてその場にとすん、としりもちをついた。

幼いからだに、疲れが一気に押し寄せてくる。

 

「こわかった」

 

ハルはどこか他人事のようにつぶやいた。

しかし、そこは夜廻に慣れたもの、すぐにあのおばけのことについて考え始める。

 

──みたことのない、感じのおばけだったな

 

ハルの町にはおばけがたくさんいる。ひとつ目の化け犬、駐車場を逆さまに泳ぐ巨大な金魚、意志をもった落書き、しわくちゃの老人みたいな、地面を這う赤ちゃんのおばけ、激しく振動しながら迫ってくるなにか、毛むくじゃらの顔に虫の足が生えたような、よくわからないものまで────あらゆる怪異をハルは見てきた。

 

 

でも、今見た「鈴のおばけ」は今まで見てきたおばけたちと何だか違う感じかした。

妖怪でもない、ひとでもない。ちょうどそのあいだみたいな感じだ。

 

ここのおばけはわたしの町のおばけとはちょっと違うな、ハルはそう思った。

 

いずれにせよ、周りにもう怪しい気配はない。立ちあがって懐中電灯の明かりをつけたハルは、ふと部屋の端に置かれたタンスの引き出しから、緑色の光があふれているのに気が付いた。

 

お日様みたいに温かい、どこか安心できるような不思議なひかり。

ハルは街灯に魅せられる夜虫のように、そのひかりへ近づいていく。そのひかりに不思議と警戒心はなかった。タンスの前に立って、そのままハルは手をかけて引き出しを引いた。

 

 

そこに、緑色の勾玉があった。

 

ハルの手のひらにちょうど収まるくらいの大きさ。手のひらにのせてみると、ほんのりと温かい。それが燐光を放ってハルの顔をほんのりと照らす。引き出しの隙間からもれていた緑のひかりは、この勾玉が放つ光によるものだった。

 

ハルは右手にのせた勾玉をぎゅっと握りしめる。

この勾玉は、この回廊では重要なものになる───そう、感じた。

 

ハルは手に握った勾玉をナップサックに入れると、扉を開けて廊下へ出る。廊下に満ちるヒグラシの声がいっせいにハルを出迎えた。

 

かなかな、かなかな、ヒグラシたちはハルに構わず、好き勝手にないている。

 

ハルはそのなきごえに背を向けて前に進み始めた。影が待ち構える、廊下の奥へと。

 

影の()()()をくぐると、暗闇がハルの肌にべっとりと張り付いてくる。この回廊にいるかぎり、影はハルから離れてはくれないだろう。

 

 

───なんだか、少し長くなるかもしれない旅になりそうだな

 

 

 

ハルはそう思った。

 

進む先の闇は深い。

 

 

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