影廊廻   作:とろとろ 106106

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ハルは二次創作上、よく隻腕だとされていますが正しくは左手だけないみたいですね(小説版の記述)。腕はあるみたいです。



ヒグラシの回廊 /走り回る徘徊者

 

 

 

湿った闇の中、私は一人膝丈まで浸かる水を割り、懐中電灯の薄明を頼りに進む。

 

あのヒグラシの声の満ちる回廊と変わり、この骸降り積もる渓谷は見通しがよく、道が少ない。

それゆえ道に迷うことはなく、順調に探索を進めることができた。

 

歩けば歩くほど、確実に先に進んでいるという実感がある。

 

「誘導されている」とも考えられたが、私には先へ進むしか()()()()

 

先ほどから足元に積もる骸の数が増えてきた。骸の山の中には私の背丈に迫る物も存在する

おそらくここが彼岸、死した者たちが流れつく渓谷の最奥だろう。

奥から流れる霜風が首すじを吹きつけ、思わず身震いがした。

 

私は水中に沈む名も無き死者たちを踏みつけながら先へ進む。

 

骸達が重圧に喘ぐ。

 

しばらくすると亡骸に埋もれた洞穴を抜け、空洞へ出た。水面から顔を出した骸の山の上に、若い女性が横たわっている。高校生くらいだろうか。彼女の年相応の染み一つない肌は血の気通わぬ不気味な土色に染まり、投げ出された四肢は海岸に打ち上げられた腐りかけの魚のように水膨が波打っていた。

 

その土色の屍の隣に、金色の鍵と古いカメラが置かれている。

 

 

 

意味が、有気(ありげ)

 

 

 

嫌な予感がするが、これ以外私に進む道はない。

私は心中に覗く影を振り払い、

 

 

 

カメラと鍵を手に

 

とった。

 

 

 

 

 

『         』 

 

 

 

 

 

 

 

鳥の鳴声のような甲高い音が渓谷に響く。

 

何百もの断末魔を貼り合わせたような音だった。

そして、それに応えるように、

 

 

 

 

 

 

 

 

赤いヒトガタが骸の海から浮かぶように現れた。

        

 

 

音にならない声を「それ」は発し、

 

 

 

憎悪の標的を、

 

 

定めた。

 

 

 

 

 

おぞましい殺気が近づいてくる─────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ドドドドドドドドド 

 

「うわぁ───っ!!」

 

ハルは突っ込んできた巨大な能面を横っ飛びで回避した。それはいうなれば、野球のヘッドスライディング。着地の際にハルは強く胸を打ったが、いまはそれに構っている暇はない。すぐに立ち直り、異形の存在に向き合う。

 

 

まっ黒い、巨体があった。一瞬見た時はただ大きな能面が突っ込んできただけだと思った。

──でもそれは違った。

その黒いからだが闇に溶け込んで、その巨体が廊下をほとんど埋め、からだの輪郭があやふやになっていたからそう見えただけだった。それはかたちを持っていた。

 

黒い粘土の山に手足をてきとうに生やして能面をはり付けた、そんなかたちをしている。

そのタコみたいに多い足で、床と壁を蹴って騒々しくこの回廊を走り回るのだろう。

 

見ると勢い余って奥に突っ込んだようで、先ほどまで前にあった襖が無残な姿で転がっていた。おばけはガレキにはさまったのか、もがいている。

 

廊下にあったガレキは、このおばけがやったんだ

 

ハルはそのことを察すると顔を青くする。

木の扉をばらばらに砕いてしまうほどのちからだ。華奢なハルがくらったら、間違いなく死んでしまう!

 

ハルがこれからどうしようか悩んでいると、おばけがガレキを引きちぎり、拘束から脱出した。ばきばきと木材のひしゃげる音がなる。

 

おばけは周りを見渡し、ハルを見つけると────また突っ込んできた。

ハルは経験からある程度軌道を予測して、また横っ飛びで回避した。再びおばけが勢い余って、奥の襖に突入する。部屋の中の家具が押しつぶされる音がした。

どうやらこのおばけと破壊はセットで存在しているようだ。

 

あんまり狙いはよくないのかな

 

ハルはそう分析した。かわすのは容易らしい。

しかし、ハルは子どもだ。体力は少ないし、運動も苦手。延々とこの横っ飛びの回避はできない。現にハルは息が切れかけていた。なんとか撒く方法を考えなくては。

 

そう考えるハルにお構いなしに、またおばけが突っ込んできた。ハルはそれを見切って、ある程度軌道の予想を付ける。

小回りも、あまり効かないみたい

また、ハルは横っ飛びで回避した、

 

 

 

 

 

 

 

が、思わぬ事故が発生した。

 

「ぶっ⁉」

 

おばけが蹴り飛ばした襖がハルの顔面を直撃した。

幸い、蹴り飛ばされたというよりは押し出された、くらいの速さの襖だったので大事には至らなかったが、なすすべなくハルは襖の下敷きになってしまう。ハルは襖の下で痛みにもだえた。

 

「いたいよぉ……」

 

目の奥から涙が押しよせるが、ハルは我慢する。

弱虫なハルに限らず普通の子どもならみんな泣いてしまうような痛みだったが、今はそれどころじゃない。ハルはすぐに起き上がろうとしたが、足が動かなかった。

ぎょっとして足元を見ると、いっしょに飛ばされてきたガレキがハルの右足を挟んでいた。くつにも挟まっていて、簡単に抜けそうにない。

すぐに、とらないと。

 

ドドドドドドドドド

 

足を抜こうとするハルの背後からせわしない足音が、破壊と共に迫ってきた。また、あのおばけが突進してきたのだろう。すぐに逃げなければいけない。

しかしハルは足を挟まれて動けない。

 

い、いやだ………

 

ドドドドドドドドド

 

すぐそばに迫る足音。

ハルは死を覚悟した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドドドドドドドドド

 

しかし、おばけはハルが下敷きになっている襖の隣を通過した。当然ハルにはなんの被害もない。あれっ、と思い、ハルは襖と畳のすきまからおばけをのぞいてみる。

 

おばけはハルのいる部屋のひとつ向こうの部屋の中を荒らしまわっていた。あらゆるものが破壊されガレキと化していく。

 

バァン!バァン!バキッ!!メキメキ………

 

家具たちが悲鳴を上げる。おばけは何かを探す様に、執拗に彼らを蹴りまわしていた。

 

───わたしをさがしているんだ。

 

ハルはそう感じた。どうやら走るのが速いせいで、あまりまわりは見えていないらしい。襖の下にいるハルを簡単に見失った。

 

でも、それは解決になっていなかった。一時的に見失っただけで撒いたわけではない。

あの速さで探されたらすぐに見つかるか、気づかれなくても索敵中に轢き殺されてしまうだろう。

 

すぐにここから離れないと

 

でも見つからずにここから出るのは至難の業だ。並みか、それ以下の足しか持たないハルが走っても、見つからずにおばけの探索範囲の外に出るのは不可能だ。

だから、なにかで気を引く必要がある。

 

でも、わたしそんなものもってないよ………

 

ハルが持っているのは、小石、10円玉………どれも音でおばけの気を引くものだ。

でも音が小さすぎる。小さい音ではあの騒がしい足音にかき消されて、おばけには聞こえないだろう。紙飛行機は投げるのに隙が大きすぎる。

 

なにか別のものが必要だ。

 

ハルがようやく足をガレキから引き抜くと、その足のあたりになにかが落ちているのに気がついた。右手をのばしてそれをとってみる。

 

それは赤い紙で巻かれた棒状のものがたくさんつながっているもの─────爆竹だった。どうやら砕かれたタンスの中身がここに飛ばされてきたらしい。

 

───Kさんがいってたものだ!

 

とハルはすぐにわかった。これのひもに火をつけると、大きな音が鳴る………らしい。

ハルには身遠な昔の玩具だが、なんとなく使い方はわかる。幸い近くに倒れた燭台があった。このロウソクの火を使えば爆竹を鳴らすことができるだろう。

 

ハルはおばけの動きを見計らって、襖の下から手をだして爆竹に火をつける。ひもが白い煙を出しながら、赤い爆竹に近づいてゆく。

 

──いっ、いつ投げればいいんだろう………?

 

それはわからなかったけど、ハルは走り回るおばけが背を向けた瞬間に、思い切って爆竹を放り投げた。放たれた爆竹は見事な放物線を描き、壁の格子を抜けて壁向こうの廊下に着地する。

 

 

 

───バチバチバチバチッ!!!!

 

 

と、遅れて大きな連続する破裂音とはじける光が壁の向こうに発生し始めた。

ハルは大きな音にぎょっとしたけど、そのすぐ後に()()()()()()()()()()()が通って行ったので悲鳴を上げるのは我慢した。

 

一応、うまくはいったようだ。

 

ハルは襖の裏から出ると、爆竹とは反対側の廊下へ駆け出した。

今、おばけは爆竹に夢中になっている。走って足音を立てても気づかれないだろう───そう思っての行動だった。ハルは一刻も早く、ここから離れたかった。

 

廊下にはむちゃくちゃに家具の残骸が転がっている。ハルもそうなる()()だ。

悪いけど、ハルは被害者たちを踏みつけながら走った。ハルの容赦ない死体蹴りに、ガレキたちは悲鳴を上げる。

 

しばらく進むと木扉が現れた。普通の大きさの扉、おとなが普通に使うぐらいの大きさだ。

 

 

───でも、あの巨体を持つおばけはとても入れそうになかった。

ハルはそう考えると、ここに隠れることに決めた。急いで木扉へ駆け寄る。

 

 

────首元から垂れる()()()()()()()懐中電灯を、大きく振り回しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドドドドドドドドド

 

背中に、視線。

…なんだかさっきも、同じことがあった気がする

 

振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───そこに能面をつけた巨体が迫ってきていた。

 

真っ黒に歪んだうでが、ハルに向かって伸びる。

 

 

ハルは床を蹴って、飛んだ。

 

 

 

 

 

 

ォン!!!!

 

それは肉がぶつかったとするのには、あまりにも重々しい音だった。

おばけが壁に激突した衝撃で部屋全体が大きく揺れる。部屋にあった家具が、一瞬宙に浮いた。埃が舞い、部屋の中が煙幕をはったように白い煙に包まれる。何も見えない白煙の中で、声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

「………げほっ、…うぅ…いたいよぉ………」

 

ハルは生きていた。

とっさに出した捨て身のヘッドダイブが、ハルのいのちを救った。

あと少しでハルに、黒い手が触れそうな─────ほんとうに紙一重の回避だった。ハルは強く胸をうって、肺の空気が全部出ていってしまったような感覚を覚える。

心臓が破れてしまったみたいに胸が痛い。涙が不思議と出てこない、からだの芯からの痛みだ。

 

ハルは悶えながらもおばけのほうを見る。

おばけは部屋の入口で、その巨体がつっかえて入れないようだった。からだ中に生えた歪なうでを、意地悪くハルへ向けて伸ばしているがハルにはまったく届かない。

 

───もう、だいじょうぶ

 

ハルは糸が切れた人形みたいに倒れこんだ。これ以上追えないとわかったら、おばけはあきらめて何処かへ行ってくれる───。

 

ハルはそう思っていた。ハルの町のおばけはほとんどがそうだったからだ。隠れれば、おばけが来れないところまで行けば、もうおばけは追いかけてこない。

 

一部例外はいるけれど、それがハルの町のおばけのルールだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───だからハルは、ここは安全だと思ってしまった。

 

ここは影の回廊、ハルの町とは違う。

もちろん、おばけもそうだった。

 

 

……メキっ

 

 

耳に届いた不穏な音に、ハルは顔を上げる。そこでハルは信じられないものを見た。

 

「えっ?」

 

おばけが身を部屋に()()()()()()()。扉の(ふち)がひしゃげ、少しづつ、土の壁が崩れてゆく。土煙が立ち上り、のばされたうでがハルに近づいてくる。

 

…ベキベキベキッ!

 

「む…むりだよ!入らないって!」

 

走り回る徘徊者はハルをあきらめてはいなかった。

部屋の扉に入れないから、なんだ。だったら扉を自分の入口になるように作り変えてしまえばいい─────そう思っているようだった。

 

───こいつは、壁をこわすつもりだ

 

ハルはおばけの意図に気づいた。すぐに逃げないと。

でも足は痛みと疲れで、うんともすんともいわない。ハルはもう、ほんとうに動けなかった。

 

ハルは絶望を感じた。

部屋の壁が徐々にきしみ始める。それといっしょに、ひときわ大きなヒビが表面を走った。ベキベキという不気味な破壊音がなるにつれて、壁から竹が飛び出してくる。

 

………メキメキッ

 

おばけが、いっそう身を押し込んだ。

 

バキボキボキッ………!

 

壁が悲鳴を上げ、入口が()()()()()()()()()

のばされる無数のうでが、さらに近づきハル目がけて殺到する。

 

メキメキ………ッ

 

少し間をおいたあと、

おばけは思い切り、からだを部屋へ押し込んだ。

 

バァンッ!!

 

壁が、決壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────徘徊者うえの、天井とともに。

 

上空から大量のガレキが、おばけに向かって降り注ぐ。

それをくらいながらも、徘徊者はハルへ向けて手をのばすが───

 

 

ドォン!!!!ベキベキベキッ!バキッ………ギィッ………

 

 

 

 

 

 

 

 

───ハルへ伸ばした手は、届くことなく。

走り回る徘徊者は崩落した天井のガレキにつぶされてペシャンコになった。天井を支える柱ごと壁を壊したのだから、当然の結果だった。

 

潰されたあとも、ガレキの隙間から恨めし気にハルへ数本のうでが伸びていたが─────それも糸が切れたように力が抜け、床に落ちる。

 

走り回る徘徊者は完全に沈黙した。

回廊に静寂が戻る。

 

今度こそ逃走劇の終焉だった。ハルは大の字になって床に転がる。

ハルはもう、指先ひとつ動かせないくらい疲れていた。

 

た、たすかった………

 

いいあらわせないほどの安堵がハルの心を包む。今回の追走劇は、()()()を含めても上から数えられるくらい、恐ろしいものだった。そしてそれ相応の疲労がハルを襲ってくる。

海の底にいるようにからだが重くて、息がくるしい。

 

そんな状態で横になっていると、なんだか眠くなってきて────

 

───ハルはそのまま眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「最初に言っておく。君となれ合うつもりは無い。」

 

男は背を向けながらそう言い放った

 

私はあの後、赤いヒトガタに追跡され骸流しの渓谷を彷徨った。幾たびもの危機を切り抜け逃げ延びたが、逃奔の最後、行き止まりにぶつかってしまった。道に立ちふさがるガレキになすすべなく、私は追い込まれてしまう。私の背後から流れ込む赤い瘴気が奴の位置を知らせていた

 

すぐ、後ろに奴がいる。退路を完全に塞がれいよいよ覚悟を決めたが、この男が梯子を降ろし私に退路を開いてくれた。彼は私の命の恩人だ…

 

しかし、その恩人から初めに放たれたのは強い拒絶の言葉だった。……どういうことだろうか

 

「ただ君に聞きたいことがあっただけだ。」

 

と彼は続けて言った。思わず私は身構えると、彼は左手で上着の内ポケットを探り、銀色のライターを取り出した。周囲の蝋燭の暖光が銀色の表面をなめる

 

───あの、ライターは、

 

「……このライターに見覚えは?」

 

その鈍色に輝くライターに、私はひどく見覚えがあった。あれは亡き祖母から貰い受けた、戦前に行方不明になったと聞いた祖父の物だ。私の愛用の品で、ここに迷い込んだ時も明かりとして使っていたが、急流に呑まれた時になくしてしまっていた

 

しかし、それを彼が拾ってくれていたようだ

……なぜ彼は自分の物でもないはずのライターを拾い、私にそんな事を聞くのだろうか

質問の意図が読めないが、恩人に聞かれた物は答えなければならない。私は彼に、

 

祖父の形見だ、返してくれ

 

とだけ短く答えた

 

「………そうか。」

 

と、彼も短く返した。しかし、その短い返答の中には彼の深い慟哭と、憂い──黄昏に町を飲み込む山のような、巨大な暗い影が含まれているように感じられた

 

「もう無くすなよ。」

 

彼は私に振り向きライターを投げ渡した。急なことだったが、なんとか放物線を描くライターを受け止める

 

乱暴に扱わないでくれ───、そう言いかけた私の思考は停止した

 

「どうした、俺の顔が気になるか?」

 

─────振り向いた彼の顔には、回廊の徘徊者の物と同じ不気味な能面が貼り付いていた。無機質な能面の微笑みが私を見詰める。その微笑の奥より覗く、表情をうかがうことはできない。…この男は何者なのだろうか?

 

そう思う私の心中が表情に出てしまったのか、彼は少し気まずそうにして顔を背けた。

 

「…呪いのようなものだ。()()に会えば、君にもすぐにわかる。」

 

彼女とはなんだ?

 

「彼女は…冷酷で残忍な化物だ。この世界から出る方法を知るとしたら、彼女だけだろう。普段は道が閉ざされていて会うことができないが…君ならば話が違う。」

 

 

 

「──ついてこい。」

 

彼は背を向け、前に歩き始めた

私も、それに続いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「………うん?」

 

 

────眠っていた意識が、少しずつ浮かび上がってくる。

 

ハルは埃だらけの床から体を起こして目を開いた。からだのあちこちが痛い。

 

───なんだか、前にも同じことがあったような気がする………

 

ハルが立ちあがると、目の前に大量のガレキの山が積み重なっていた。そのガレキの山から、得体の知れない黒い手が飛び出している。

ハルはそれを見て、眠る前の出来事を思い出し始めた。

 

 

わたし、おばけに追いかけられて……そのあと、この部屋で寝ちゃったんだ………

 

 

ハルは無防備に部屋で寝てしまっていたが、そもそも部屋の出入り口がガレキで塞がっているので、他の徘徊者は入ってこれず襲われなかったようだ。

ハルはからだについた埃を払いながら立ちあがった。くたくただけど、動けないほどではない。眠ったおかげで少しだけだが、歩けるくらいにはハルの体力は回復していた。

 

ハルは改めて入口をふさぐガレキの山を見てみる。

よくわからない、あらゆる木材が積みあがっていた。尖った角材が山から突き出ていて、とても登れるものではない。串刺しにされてしまいそうだ。

 

「どうしよう………?」

 

ハルは困ってしまった。

小部屋に通じているのはこの出入り口だけだ。ここを塞がれてはおばけが入ってこれないばかりか、ハルもこの部屋から出られない。

 

こんなのじゃ、チャコを探しに行けないよ………

 

でも、出入り口はここしかない。よく見れば山の上のほうに、子どもぐらいの大きさなら通れそうな隙間があった。───あそこを通るしかなさそうだ。

 

 

ハルは覚悟を決めて懐中電灯のスイッチを入れた。

 

静寂を取り戻した回廊が再びハルに牙をむく。

湿った闇が擦り傷だらけの肌にはりついてくる。向かう先は、(やみ)

 

ハルはその闇へ向かって、足を踏み…

 

 

 

 

 

 

───ちゃりん。

 

後ろから、鈴の音がなった。

おばけのもつ、神楽鈴の音ではない。

 

ハルがはっとして振り返ると、そこに道があった。

複数の燭台で明るく照らされた、茜色の廊下。

 

少なくともハルが記憶しているかぎりではそこに道なんてなかった。ただつまらない土の壁があっただけだ。それがいま、当たり前のようにハルに向かって口を開けている。

 

あまりにも不自然だった。まさか回廊までもが、ハルを襲いに来たのだろうか。

 

ハルは離れてその廊下を注意深く観察した。ハルの警戒心は人一倍つよい。

これほどあやしいものに近づくほどハルは無知ではなかった。ハルの警戒心は最大級の警報をならしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

───でも、その廊下の奥にいたものに、ハルの警戒心は吹き飛んでしまった。

 

 

チャコだ。

 

 

少なくとも、ハルはそう思った。

 

廊下からつながる大きな鳥居のある部屋、さらにその先に通じる通路に四足歩行の動物が座っている。後ろにあるロウソクの明かりで塗りつぶされて、姿はよく見えないけれどハルにはそう見えた。

 

たまらなくなってハルは駆け出す。

 

 

 

 

 

 

 

───チャコ、チャコ。

 

 

わたし、がんばったよ。

 

 

こわくて、いたくて、つらかった。

さみしかった。

 

 

でもまた、あえた!

またせちゃって、ごめんね。

 

もう、ひとりじゃないよ。

 

いっしょにかえろう?

 

 

 

 

 

 

通り去る足音と共に、橙色の海に波が立つ。

青いリボンが頭の上で踊る。

 

 

ハルはチャコを抱きとめようと、どんどん距離をつめていく。

通り過ぎる、鳥居近くの台座の上にあるものにもハルは気づかない。

 

走って、走って、

 

いざ、チャコを抱き上げようとしたところで、

 

 

 

 

 

「………あれっ?」

 

ハルは気づいた。

──チャコじゃない。

 

 

それは黒猫だった。

鈴をつけた黒猫が回廊奥の廊下でハルを待ち構えていた。

ロウソクに焼かれた輪郭の黒色の中で、金ぴかの双眸がこちらを見つめている。何かを見定めているような、そんな感じの目だ。金色の目のなかでロウソクの光がチロチロ揺れている。

 

ハルは唖然としてしまった。

ずっとチャコだと思っていたものが、チャコではなかったのでハルの頭は少しの間空っぽになってしまう。いいようのない脱力感がハルを襲ってきて、なんだか気が抜けてしまう。

 

しかし、高揚した気分が落ち着いてハルはれいせいになった。

肌に染み付く闇の感覚が生き返って、忘れていた警戒心を思い出す。

 

───そしてハルは前から、ぞっとする視線を感じた。

 

 

 

黒猫の後ろの壁に、真っ赤な般若の面が立てかけてあった。

裂かれた口からおそろしい牙が覗いていて、

角が生えて、目を見開いた、とってもこわい女のひとの顔。

 

────その見開かれた双眸が、目の前にいる黒猫の目と重なって見えた。

 

黒猫がゆっくりと立ちあがる。

その瞬間ハルの警戒心は最大級の警報をならすが、もう遅かった。

 

 

 

──シャンッ

 

 

振り落とされた神楽鈴の音とともに立っていた床の感覚が消える。

 

下を見ると床が消え、奈落がハルへ大きな口を開けていた。ハルは必死に手を伸ばすが意味をなさず、からだが重力に飲み込まれていく。

 

ハルはあの黒猫に誘い込まれたのだ。

この不自然に現れた廊下の入口は、この黒猫が用意したものだろう。この落とし穴もこの黒猫が引き金を引いたに違いない。ハルの人一倍つよい警戒心はそのことを感じさせている。

 

 

 

───でも、ハルの子どもらしい純粋な精神は黒猫に悪意を感じなかった。「殺す」とかの目的とはもっとべつの、純粋な目的がある。そう感じた。

穴の上から見下ろす黒猫の金色がハルを見つめている。

 

その目を見て、やっぱりハルは黒猫が悪い存在であるとは思えなかった。

だからハルは、黒猫に聞いてみることにした。

 

 

 

 

 

 

「きみは、だれ?」

 

「………」

 

 

 

 

質問に答えるものはなく、

 

次の瞬間、ハルは暗黒に食べられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「…そこで止まれ。」

 

彼は切り立った断崖で足を止めた。どうやらここが目的地のようだ。私も立ち止まり、周囲を見渡してみる

 

開いた場所だった。周辺から滝が流れ落ち、湿りながらも心地よい風が顔を撫で、ライタ―の火を揺らめかせる。崖の先には、夜のように昏い、淀んだ湖に浮かぶ館のような建築物が存在しており、それの入口まで案内するように古ぼけた朱塗の鳥居が連なっている

さらにそれを浮かべる昏い水面の上には、無数に浮かぶ蝋燭の暖光が、星屑のように散らばっていた

 

さらに遠くには、蝋燭の明かりが漏れ出る渓谷が見えた。私が進んできた道も、あのどこかにあるのだろうか

 

私がそう考えながら、ふと一歩踏み出すと、彼が一歩後ろへ退いた

 

…先ほどから思うことだが、彼は私を一定の距離より近づけないよう気を払っているらしい。彼は頻繁に後ろを振り返り、私との距離が一定になるよう、歩く速さを調節していた

 

私を警戒しているのだろう。当然だ。この得体の知れぬ回廊では何が起こるかわからない。ついさっき出会った私を信用していないのは道理だ

 

しかし、その警戒の仕方には、少し不自然な所があるように感じられた

彼は私を近づけないようにしている、というよりかは、()()()()()()()()()()ようしているようなのだ

 

 

 

まるで、()()()()()、恐れるように

 

どういうことだろうか

 

何度目かわからない同じ問いが、私の心中に渦巻く

 

ここに来てからわからないことばかりだ

 

謎が、謎を呼ぶ

終わりが見えぬパラドックスのようだ

 

 

「…あの回廊の最奥の部屋で、彼女が君を待っている。直接出口を聞きに行くというなら、止めはしない。」

 

彼が言う彼女とは何なのだろうか。彼から詳しい話を聞けていないが、察するにこの回廊の主のような存在らしい。口ぶりからして彼は彼女に会ったことがあるようだが、一体、どのような人物なのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────だが。」

 

 

瞬間

空気が張り詰めた

 

 

「一つ忠告しておく。奴の口車には絶対に乗るなよ。」

 

…なるほど、一筋縄ではいかないようだ

私は心中に渦巻く疑問を強引に締め出し、心を引き締め決意を新たにする

 

しかし、次の瞬間、

 

 

得体の知れない声が、またも鼓膜を揺らした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンッ!」

 

……犬?

 

「……おまえ、ついてきていたのか。」

 

「アンッ!」

 

白と茶の毛並みを持つ子犬……おそらくはポラメニアンだろうか?が、彼の問いに答えるように元気よくひと鳴きすると、彼の足元を時計回りに回り始めた。晴れの日に、飼い主とピクニックに来たかのような、楽し気な足取りだ

 

この子は?

 

「お前と同じく、何処からか迷い込んできたらしい。私もさっきそこで出会った。」

 

子犬は一通り彼の足へ体を擦り付けると、今度は私の方へかけ寄ってきた

 

おい、こら。濡れた服に毛を擦り付けるな

 

「アンッ」

 

「なんだ、そいつが気に入ったのか?」

 

「アンッ!」

 

子犬は返事をするように、彼の方に向いて鳴いた。心なしが、彼も面の下で笑っているように見える

張り詰めた空気が、突然乱入した子犬によって解きほぐされた、

 

だが、その時

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『         』 

 

 

あの「赤いヒトガタ」の叫び声が、暗闇に響き渡った

風が凪ぐ

 

「…あの面無しの怪物はお前を──────いや、『優れた魂』を持つ者を追っているらしい。」

 

彼は厳かな雰囲気で続けるが、魂を吹き飛ばされてしまったように唖然とする私の様子を見たのだろうか、短く舌打ちをした後

 

「…死にたくなかったら早く行け!」

 

と、彼は強い口調で言い放った

彼の檄を受け、一時の大風で消えた心火が再点火された

わたしの決意が、再び力強く燃え上がる

 

…すまない

 

「返事をする暇があるのか?」

 

「アン!」

 

彼が答えると、背後から犬のなき声が聞こえた。振り返ってみると、あの子犬が私の方へ向かって案内をするように、扉の前に立っていた。いつの間に移動したのだろうか

 

「そいつはどうやら、何処かへ案内したいらしい。……勘だが、悪いものではなさそうだ、ついて行ってみたらどうだ?」

 

「アンッ」

 

「私が話せるのはここまでだ。」

 

ああ、わかった

 

彼と別れる前に、私はかねてよりの質問をしてみることにした

 

 

最後に、いいか?

 

「……なんだ。」

 

あなたの名を教えてくれないか?

 

「名前か……」

 

彼は首をもたげ、空を見上げるように、闇が溜まった天蓋を仰ぎ見た。その質問をぶつけた瞬間、彼が独り寂しく暮らす老人のように、急に寂しげな雰囲気を纏い始めた。暫く間を置いた後、重い影が含まれるような大きな息を彼は腹の底から繰り出し、口を開いた

 

「昔、私はK()と呼ばれていた。…………呼んでくれる、仲間は、もういなくなってしまったが…。」

 

…そうか、ありがとう

 

私は簡潔に礼を述べ前を向き、歩き始めた。この話題は深入りすべきではないだろう

しかりとした私の足取りを見たのか、彼の安心したような色の声が響いた

 

「…死ぬなよ。」

 

次の瞬間、背後から彼の気配が消え去った

驚き、振り返るも彼の姿は回廊の闇に溶け込むように消えてしまっていた。そこにいた微かな痕跡すらも見当たらない

 

彼はこの世のものだったのだろうか?

 

「アン」

 

その疑問をせき止めるように、可愛らしいなき声が聞こえた。子犬が、尻尾を振って私を待っている

 

すまん、待たせたな

 

「アンッ」

 

私は子犬と横並びとなり、彼の歩幅に合わせて歩き始めた

 

旅は道連れ、とは言うがこんな場所でこのような珍妙な道連れができるとは思っていなかった

 

ライターの火が、風もないのに大きく揺らめく

灯火が映す私と子犬の二つの影法師が、その根を下ろす足元に曳かれ、朱色の壁を音もなく泳いで行く

 

進む度、闇がますます濃くなっていくのがわかる

 

 

先はまだ、長い

 

 

そう、感じた

 

 

 

 




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