ガンダムビルドダイバーズ ブレイヴガールフラグメント 作:守次 奏
草木も眠る丑三つ時、という言い回しは科学の灯が二十四時間この地上を照らすようになっても残されているように、夜というのは人類にとって根源的な恐怖の象徴だ。
視覚に大きく依存する人類にとって「見えない」ことを恐れるのは自然なことだといえるし、幽霊の正体見たり、という格言が罷り通ったのは、見えないものを「見て」暴き出したからだともいえよう。
つまるところ、月明かりに照らされた、このMSサイズに拡大されている、天の橋立をモデルとしたのであろう大橋を舞台に繰り広げられている戦いにおいて、男は「見えない」その攻撃に対して根源的な恐怖を抱いているということだった。
GBN、その巨大な橋がかかるジャパン・エリアにおいては、約一年ほど前に、「MS斬りの悪魔」と渾名されるダイバーが名を馳せた時期が存在しているのは有名な話だ。
辻斬りのようにフリーバトル申請を行って、太刀一本で数多の新鋭や強豪を切り伏せてきたそのダイバーは、後に新進気鋭のフォース「ビルドライジング」の門戸を叩くことになり、辻斬りの噂も同時に途絶えたのであるが、何の因果か、男──ダイバーネーム「ブッシ」が戦っているのは、一年前に途絶えたはずの噂を体現するような相手だった。
──MS斬りの悪魔が蘇った。
あり得るはずのないその噂がジャパン・エリアを駆け巡り、ひいては掲示板などでも散見されるようになったのは、ちょうど四月に差し掛かってからのことだ。
この件について「MS斬りの悪魔」ご本人である「アズキ」は関与していないと「ビルドライジング」からリーダーである「ケイ」を通して声明が出されているため、彼女の模倣犯か何かがまた辻斬りを始めているのではないか、と推察されているが、興味に惹かれて月明かりの照らすその橋におびき寄せられたダイバーは、ほとんどがロビーに強制送還される結末を辿ることになったとは、ブッシもまた知っている。
だが、それでもそこに戦いがあるのなら飛び込んでみたいと思うのもダイバーの性というものだ。
それに、自分ならば大丈夫だという慢心が、ブッシになかったとはいえない。
ガンダム・キマリスヴィダールから取り回しの難しいドリルランスをオミットし、レアアロイの太刀一本に武装を絞った機体を操るブッシだったが、そのナノラミネートアーマーには無数の刀疵が刻まれて、左手は脱落、そして、発射装置がないため意味を成していないとはいえ、特殊KPS弾が格納されたシールドも両方が無惨に切り捨てられている。
「な、なんだ……? なんなんだ、お前は……?」
──月下の辻斬り。
いつしかそんな二つ名で呼ばれるようになっていたその「敵」を前にして、ブッシはわなわなと震える声でそう問いかける。
今まで、猛者たちと刀を交えた経験がないわけではない。
Cランクという、このGBNにおいてはスタート地点とされている場所から一歩踏み出したBランクにブッシ自身は位置しているため、バトランダム・ミッションのような無差別マッチにも足を踏み入れたことがあるし、歯こそ立たなかったものの、並居る強豪たちと戦ってきた。
だが、そんな彼から見てもこの「月下の辻斬り」は異常だ。
見えない。
根源的な恐怖にして、今彼が立ち竦んでいるその理由を一言にまとめるのならばただそれに尽きる。
剣術──と呼べるほど大層なものではないとしても、戦い方というのには個々人の癖が必ず現れるものだ。
例えば同じキマリスヴィダールに乗っていても、ドリルランスとダインスレイヴを活用するダイバーがいる一方で、ブッシのように敢えて太刀一本に武装を絞り込むダイバーもまた存在している。
だからこそ、刃を交えるうちに「このダイバーは何を考えて戦っているのか」というのは感覚的に掴めるものなのだが、今目の前にいる「月下の辻斬り」からはそういうものがまるで見えてこないのだ。
『……』
一つ型が見えてきたと思えば次の瞬間には構えを変えて、別な型から繰り出される一撃が襲い、それを躱したかと思えば機体を強引な制動によって立て直して、更なる一撃をお見舞いしてくる。
相手の武装に変わったところは何もない。
自分と同じく、太刀一本……ガンダムアストレイレッドフレームが標準装備としている「ガーベラストレート」のみを得物とした「月下の辻斬り」は、その一振りだけで、一角のダイバーであるはずのブッシをここまで翻弄してきたのだ。
『拙は……探しているのです』
「な、何を……っ!」
吹き抜ける颪のような一撃を何とか回避し、続く一撃を太刀で受け止めながら、その太刀筋とは対照的に、迷いが含まれている言葉を呟く「月下の辻斬り」へとブッシは問い返す。
戦いに迷いを持ち込めば、それは負け筋を引くことに繋がる。
詠み人知らずの言葉だが、迷いはやがて判断を曇らせて、じわりじわりと真綿で首を絞めるかのように敗北へと引き摺り込まれていくというのは、ブッシもまた経験則としてわかっていた。
だが、この女は、「月下の辻斬り」は、迷いの中にあって尚、完璧な、否、完璧すぎるほどに多種多様な型からの斬撃を繰り出している。
それがどれだけ異質なことか。
そして、それ故に「何を考えているか」がわからないということのなんと不気味なことか。
ブッシは返す刀で何とか斬撃の嵐を受け止めながら、渇望と迷いが、そして明晰と混迷が入り混じるその、整然としながらも混沌とした矛盾を体現するような太刀筋を、恐れと共に受け止め続ける。
さりとて、守ってばかりではどうにもならず、守勢に回らされているという時点で勝ちの目が薄くなっているというのは、ブッシもまた理解していることだ。
だからこそ、ここで逆転の布石を打たなければならない。
対峙する「月下の辻斬り」の意表を突くように、ブッシは膝部分のドリルニーを展開すると、刀を捨てて蹴りかかった。
だが、それさえも最初から予測していたように、「月下の辻斬り」は受け流しの型を取ると、何ということもなくその一撃を捌いてみせる。
『拙にとっての武とは……剣の道とは……』
「何を……言ってるんだ……?」
ここまでの技量を持ち合わせていながら尚、答えを探し続けているというのは求道者としては珍しくないのだろうが、一つ一つの型が完成されている「月下の辻斬り」がそのような言葉を口にすること自体、ブッシにとっては信じられないことだった。
達人にでも訊けばいい、と答えることもできるのだろうが、目の前にいる敵はその達人たる領域まで足を踏み入れているのだ。
ならば、Bランクであるとはいえ一介のダイバーに過ぎない彼がその答えを持ち合わせているはずがあるだろうか。
好奇心でフリーバトル申請を受けたことを悔やむ内に、ブッシを包み込む仮想にして鋼鉄の機体は鮮やかな一太刀によって斬り捨てられ、テクスチャの塵へと消えていく。
そして、挑戦者を切り捨てて尚、「彼女」が満たされることはない。
『拙は……ただ剣士になりたいのに、何故この胸は虚なのでしょう……』
刀を鞘に納めながら、彼女──「月下の辻斬り」は大きな白いリボンで飾られた、その長い黒髪を掻き上げて一つ、溜息を零す。
確かに今戦っていたダイバーは実力こそ自分に及ばなかったのかもしれない。
それでも、彼は剣士だった。
最後は奇策に走ったとはいえ、太刀一本で鳴らしてBランクまで上がってきた相手なのだ。
ブッシが弱かったわけでは決してない。
そしてその戦い方は、いわば「型」は戦いの中で磨き上げられた、他でもない彼自身のものに他ならなくて。
ふぅ、と、小さく一つ溜息を零して、「月下の辻斬り」は機体を橋桁へと寄り掛からせる。
次なる挑戦者を待つために。
そして、自らの中で決して満たされることのない渇きを癒すために。
彼女は今日も月明かりの下で、剣を交えるための相手を、さながら恋人との逢瀬を控えているかのように待ちわびるのだった。
◇◆◇
「一条さん一条さん!」
昼休みという時間帯は、少なくともこの学校に通う一部の学生にとっては戦争のようなものだ。
四限目の国語教師が授業の終了を告げると同時に起立し、頭を下げたかと思えば教室のドアを目掛けて猛ダッシュしていく男女は、購買における菓子パン争奪戦へと身を投じる猛者たちである。
教室から他の場所へと安全に移動したいなら、少なくともそんな彼ら彼女らが廊下を駆け抜けていくのを待ってからでないといけない、というのは、手弁当を持ち込む綾乃にとっては非常に煩わしいことだった。
そしてそれは、隣のクラスから車椅子でわざわざ迎えにきてくれる優奈にとっても同じことなのかもしれない。
もっとも、露骨に機嫌が悪い自分とは違って、にこにこと向日葵のような笑顔を浮かべている優奈は違うのかもしれないが。
今朝、与一に持たせる分も含めて握っていたおにぎりに口をつけながら、綾乃はそんな荒んだ心に優奈の笑顔が染み入っていくような感覚を抱く。
優奈には色々と振り回されてこそいるものの、それもそれで悪くはないと思う感情の出所がどこにあるのかは未だにわからない。
それでも教室の中、一人で苛立ち紛れにおにぎりを齧っていた頃と比べれば、こうして教室を出て誰かと食事を共にするというのは悪くないと、それだけは確かに断言できる。
「どうしたの、優奈?」
手弁当のサンドイッチを膝の上に広げながら、何やら興味を惹かれる出来事でもあったのか、目を輝かせ続けている優奈に向けて、綾乃は静かにそう問い返す。
自分の子供じみた苛立ちなど、ゴミの日にでも捨てておけばいい。
少なくともそう思えるようになった理由に彼女が一枚噛んでいることは確かだろう。
だからこそ、綾乃もまた、紡ぐ言葉に口元を綻ばせているのだ。
「なんだか凄い噂を見つけちゃったんだ! 『月下の辻斬り』だって!」
「月下の……?」
優奈もあれからGBNの内部コンテンツとして設置されている掲示板を覗くようになったのか、スマートフォンの画面に表示されている、阿鼻叫喚というのが相応しい文字列が並ぶ様を綾乃へと提示してくる。
どうやらそこにある文章から見るに、噂の「月下の辻斬り」とやらは深夜におけるジャパン・エリアの大橋に佇み、通る人々に片っ端からフリーバトルの申請を行っている、ということらしい。
一応、それに類するものとしては「MS斬りの悪魔」と呼ばれていたダイバーが同じような手口での無差別フリーバトルを挑んでいたり、「ヒバリ」というダイバーも似たようなことをしていただとか、スレッドにはそんな名前が挙げられていたが、どちらも知らない綾乃にとってはどうでもいい、とまではいかなくとも、そんなダイバーが複数人もいたのか、というのが率直なところだった。
「通りかかる人々に無差別フリーバトルを挑む……でも本人の目的はわかっていない、となると愉快犯の類かしらね」
「うーん、なんだかその『月下の辻斬り』って人も迷ってるとか迷ってないとか、そんな話を聞いたけど……」
「……迷っている?」
てっきりロールプレイとして辻斬りを演じているのだろうと綾乃は思っていたのだが、優奈の話を聞く限りではどうやらその噂の彼女にものっぴきならない事情があるようだ。
迷いながら戦って、尚且つ名前が各所で話題に上がる程度の戦績を残している時点で驚異的だが、何故迷いながら辻斬りなんてことをやっているのかについては、考えれば考えるほどわからなくなってくる。
「うん、なんだかよくわからないけど、『武』ってなんだろうとか、そんなこと言ってるみたいだから、一条さんならわかるかなって!」
きらきらと目を輝かせながら無垢に問いかけてくる優奈には悪いとは思いつつも、「武」とは何かなど、綾乃のように武道を飾った程度の人間がそんな大それた問いに対して答えを出すことなど烏滸がましい、という言葉でも足りないぐらいだ。
それどころか、与一のような「武」に生きる人間でさえもその答えを持っていないのかもしれないのに、随分と哲学的なことを考えながら辻斬りをしているのだと、綾乃は半ば呆れたように目頭を抑えながら小さく息を吐く。
「……確かに私は武術の嗜みはあるけれど、答えなんて持ってないわ」
「そうなの? うーん……一条さんが持ってないなら、私にもわからないなあ……」
「……と、いうより、簡単に見つかるものではないわ。それでどうして、その『月下の辻斬り』とやらの話題を持ってきたの?」
その辻斬りが答えの見えない問いを抱えながら辻斬りをしているというだけなら、GBNの利用規約に反していない限り見つかるまで好きなだけやればいい。
そうして斬り捨て続けた屍の上で一つの答えを得ることができるかもしれないしできないかもしれない、そんな修羅の道をもしも優奈が歩みたいというのであれば綾乃は止めるかもしれないが、相手は見ず知らずの他人だ。
そこまで温情をかけてやれるほど、綾乃は優しい人間ではない。
ただ、優奈がその話題を持ってきたということは、彼女にも何か目的があるということなのだろう。
漠然とした嫌な予感を胸に抱きつつも、綾乃は優奈へとそう問いかける。
「えっと……なんだか困ってるみたいだから、一条さんならもしかして! って思ったんだけど……違うみたいだし、私も力になれたらなあって! だから今夜、その橋まで行ってみようと思うんだ!」
「……そういうことだと思ったわ」
対して、困った人がいたら放っておけないのが優奈という人間なのだろう。
それが横断歩道で大荷物を抱えて立ち往生しているご年配の人であろうと、GBNで「武とは何か」と迷いながら辻斬りをしている何者かであろうとも、優奈にとっては等しく手を差し伸べるべき存在なのかもしれない。
だが、それは修羅の道だ。
善意や優しさは美徳だとされているが、時にはそれが過ぎれば我が身を蝕む毒となり、或いは返ってくるものが悪意や仇でないとも限らない。
それでもきっと、止めてもきっと──優奈という少女は、行くのだろう。
理由などない、理屈よりも先に走った優しさに身を任せて、或いは何か使命を果たすかのように、朗らかな瞳の奥に一本の芯を宿している彼女を一瞥すれば、すぐにわかることだった。
「……わかったわ、優奈。ただしその『月下の辻斬り』がどんな人かわからない以上、私も同行するわ」
「えっ? いいの、一条さん?」
「ええ、そのつもりよ」
保護者役という面をできるほど、綾乃は長い時間を優奈と過ごしているわけではない。
それでも、優奈と自分の間に何か勘違いや間違いがなければ、友情というものは確かに存在しているはずで、ならそんな情に紐づけられた人が、友人が一人で無茶をしようとしていて、止めても無駄そうなら、それに付き合うのもまた友情の形の一つだろう。
おにぎりをお茶で流し込むと、綾乃は優奈を微かに一瞥する。
──優奈は友達……だと、そう思いたい。
少なくともこうして、昼食を共にする間柄であるのだから。
ずっと一人ぼっちだった中学時代を思い返しながら、綾乃は自ら切り捨てていたとはいえ、そこにあった古傷の痛みを誤魔化すように、引き立った笑いを浮かべてみせた。
「ありがとう! よーし、それじゃ今夜は寝ないように頑張らなくちゃ!」
「……同行すると言った手前でなんだけど、あまり無理はしないでね」
帰ったら新しく発売したエナジードリンク買いに行くんだ、とはしゃぐ優奈を横目に綾乃は、家庭用に必要なコントローラーを買うためのへそくりが足りているかどうかを静かに数えて、その額にそっと溜息をつく。
無駄な出費かもしれない。高い買い物かもしれない。しかし、それもまた一興。
きっと与一がこの場にいたらそう言うのだろうな、と苦笑しながら、綾乃は今日も学校に持ってきたクロスボーンガンダムXPが梱包されたタッパーの詰まった学生鞄をそっと撫でるのだった。
一緒に無茶をするのもまた青春