ガンダムビルドダイバーズ ブレイヴガールフラグメント   作:守次 奏

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定番のお泊まり回なので初投稿です。


第四十六話「心はその彩を放つ」

 降り頻る雨の中、綾乃と優奈は互いの存在を、そこにある、まだ一つの名前のある形を成すには少しだけ遠い感情を確かめ合うかのように抱きしめあっていた。

 だが、そんなことをしていたら、当然の如く濡れ鼠になる。

 もうもうと空を覆う灰色の雲は未だに都心を離れる気配がなく、打ち据えるような雨が二人を濡らし、そこに積もった不理解と断絶を洗い流すかのように注ぎ続ける、などといえば聞こえはいいのだろうが、実際は傘も放り捨てた綾乃が車椅子の上で涙を流す優奈と公衆の面前であんな愛の告白じみたやりとりをしながら抱き合っているに過ぎない。

 五分、十分。どれだけ経ったのかはわからないが、ずっと抱き合い続けていれば、悲しみに暮れる気持ちもいつしか綻んでくるわけで、そうした後に残された少しの冷静さが、今の状況を深刻に物語る。

 主に吐瀉物に塗れた制服。主に全身ずぶ濡れで、風呂にでも入らなければ風邪をひきそうな濡れ鼠状態。

 それにも関わらず傘を捨てて抱き合っていた自分たちは、確かにそれが必要なことだったとはいえ、勢いに任せすぎたと、綾乃も優奈も赤面して、道行く人々からのどこか冷ややかな、何をしているんだこいつらは、といわんばかりの不躾な視線に肩を竦める。

 

「……あ、あはは……なんだかわたしたち、注目の的だね……」

「……ええ、そうね……」

 

 どうせなら見せつけてやろうかしら、と口走る勇気はまだ持っていない。

 困ったように笑う優奈に同意を示して立ち上がると、綾乃は沿道に放り捨てていたビニール傘を拾って今更それを頭上に掲げるが、水をたっぷりと吸った制服が肌に張り付いている今、果たしてその行為にどれだけの意味があるかと問われれば、全くもって存在しないというのか正しいのだろう。

 雨の中、傘もささずに踊る人間がいても良くて、自由とはそういうものだとどこかの誰かが言っていた気がするが、雨の中で踊るのは自由でも、その結果としてずぶ濡れになるのとはトレードオフだ。

 一応、駅までの帰り道で一悶着あっただけのことだからこのまま何事もなかったかのように歩いていけば家まで帰れるのだろうが、それはそれでなんとなく気まずいような、むしろ自分の方が今の優奈から離れていいのだろうかと、少しだけその心にもたれかかっているのを自覚して、綾乃は懐から取り出した扇子を開いて顔を覆った。

 それでも、優奈を放っておけないのは確かなことだ。

 GBNを辞める、という話は解決したものの、彼女がそこまで思い詰めることになった原因は根本的に解決していない。

 なんなら自分と同じくあられもない姿の優奈を一人で家に帰すのも忍びないような、そんな気もする。

 別に自分が奇異な視線で見られること自体は構わないが、優奈がそんな目で見られているのを想像すると、どうしてかむかっ腹が立つのだ。

 そんな具合に一人で目を白黒させて、鉄面皮なりの百面相を披露している綾乃の心情をよそに、優奈は頬を染めたまま、もじもじと両手の指先を合わせて、一つの言葉を喉の辺りに詰まらせていた。

 綾乃が自分のことを友達だと言ってくれたのはきっと嘘なんかじゃなくて、本気だとわかるぐらいに、いっそ何事にも本気すぎる綾乃だからこそ今もああでもないこうでもないと四苦八苦していることは、変な言い方でこそあるものの、嬉しかった。

 中学最速のスプリンターにしてステイヤーだった春日優奈じゃなくても、両足が義足で、歩くこともままならない自分でも、綾乃は好きだと言ってくれたし、今もこうして心配してくれている。

 ビニール傘だけは優奈の頭上に掲げたまま、せっかくの扇子が雨に濡れてしまうというのにどこか気恥ずかしげに顔を隠している綾乃は、いつも通りといえばいつも通りなのに、なんだかおかしくて、そして。

 ──とても、愛おしくて。

 遠回りをしない思考回路であるからこそ、その名前に行き当たった優奈はかあっと、頬から耳まで熱が駆け抜けていくのを感じていた。

 ああ、そうだ。そういうことだったんだ。

 自分の中に最初からあったのに、気づかないフリをし続けて、蓋をし続けていたその想いの名前も文字も、たった二言口に出してみれば驚くほどにシンプルなのに、どうしてもその手前で踏みとどまってしまう、そんな感情。

 ざあざあと雨は止むどころか叩きつけるような勢いを増して、ビニール傘の傾斜では受け止め切ることのできない水滴が綾乃の肩を濡らし、そして優奈にも降り注ぐ。

 想いだとか気恥ずかしさだとか、そういう青臭いあれこれは置いておくとしても、このまま立っていれば確実に風邪を引く。

 それだけは確信できた。

 だからこそ、優奈は慌てたように、ショートしかけている思考回路から言葉を探して導き出すと、少しだけ噛みながらも、結論として出した答えにして一つの提案を、綾乃へと持ちかける。

 

「……い、一条さん!」

「……どうしたの、優奈?」

「そ、その……えっと! 一条さんが良ければ、今日、うちに泊まっていきませんか!?」

 

 優奈の記憶が正しければ、綾乃の家は自分のそれとは反対方向にあって、確か数駅分だけ距離が長かったはずだ。

 都会の数駅分なんて誤差だとしても、そこから郊外の住宅地までは結構な距離を歩く必要があるため、それならばと、どこかそれをお題目として利用するかのように、優奈は勇気を振り絞って、喉の辺りにつかえていた言葉を吐き出しきった。

 いきなりなんて、嫌われたりしないだろうか。

 まだ、傷だらけのまま剥き出しになった硝子の心は過去の痛みに怯えるけれど、そんな心配なんかする必要がないとばかりに、空が落ちてくるはずなんてないとばかりに、綾乃は小さく微笑むと、濡れた扇子を閉じて懐にしまいながら、同じように頬を染めて優奈へと答えを返す。

 

「……え、ええ……その、優奈が良ければ、だけど」

 

 綾乃としてもその提案は渡りに船だった。

 もっと一緒に優奈といたい。それはそれとして雨の中で立ち竦んでいれば風邪を引く。その両方が一気に解決できるのだからそれしかない、と、どこか言い訳のように自分へと言い聞かせながら、綾乃は少しずつ語尾を小さく縮こまらせながらも、優奈からのお誘いに乗ることにした。

 そうなると母や与一に、父に外泊の許可を取る必要が出てくるのだが──

 

「……悪いことをするのも、高校生の醍醐味よね」

「一条さん?」

「なんでもないわ。行きましょう、優奈。このままじゃ……そう、風邪をひいてしまうから」

 

 何食わぬ顔でスマートフォンの電源を切ると、後日彩奈から手酷い説教を喰らうことを覚悟しつつも、その結果とトレードオフである自由を、優奈とのお泊まり会という魅力的で刹那的な答えを選んで、綾乃はビニール傘を畳む。

 そして降り頻る雨に濡れるまま、再び優奈の車椅子、そのバックサポートから伸びるハンドルを握って、駅まで歩き出していく。

 ばくばくと拍動する心臓の鼓動は、叩きつけるような雨のBPMとよく似ていて、髪を濡らし、服を肌に貼り付ける不快ささえなければ、どっちがどっちなのかさえ曖昧に溶け合って、わからなくなってしまいそうだった。

 友達の家に泊まるなんて、女子高生のやること。珍しくもない。

 言い訳のように、お題目のように脳裏で何度そう繰り返しても、どこか縋り付くように上目遣いで自分を見つめてきた優奈の視線が、そして雨に濡れそぼって、どこか鬱屈とした雰囲気を漂わせながらも決してそこから失われることのない愛らしさが、目蓋の裏に焼き付いて離れない。

 これは特別な感情なのだろうか。それとも、いつしか失われていく、一過性の熱に──それこそ夏風邪のようなものに過ぎないのだろうか。

 考えてみても、まだその答えはわからない。

 何故ならまだ、綾乃はその入り口に立ったばかりなのだから。

 それでも、ただ。

 ただ、例え間違いであったとしても、消えることのないものであればいいと──時と共に押し流される「正しさ」であってほしくはないと、綾乃は一人、雨雲の向こうに隠された星々にそう願い続けるのだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 誰の帰りも待っていない家だ、というのが、失礼でこそあるものの、優奈の家へと足を踏み入れた綾乃の感触だった。

 靴まで濡れそぼったことでたっぷりと水を吸ったニーソックスを脱いで、玄関のマットで濡れた足を軽く拭いながら見詰める春日家の内部は、優奈に合わせたバリアフリー化が施されている以外にこれといって変わったところはないが、そこにあるべき「何か」が抜け落ちていると、そんな欠落を綾乃に感じさせる。

 もうずっと帰ることのない誰かを待ち続けているような哀しみが、必要最低限を満たしただけの生活の気配に乗って、綾乃の鼻腔を塩辛く刺激していく。

 優奈はきっと、寂しかったのだろう。

 父親を失って、母も今は優奈を養うために夜遅くまで働くことが珍しくないという春日家は、確かに誰の帰りも待ってはいなくて、優奈から聞かされた話では、母親は今日職場に泊まり込みらしい。

 どうして優奈がこんな目に遭わなければならなかったのかと、綾乃は一人、世界という壁に爪を立てるかのように拳を握りしめるが、そんな正義感に燃える彼女とは対照的に、濡れそぼった服を脱いでいく優奈は頬を真っ赤に染めて、その言葉を言うか言わないかで迷っていた。

 

「……え、えっと……一条さん……」

「……どうしたの、優奈?」

「そ、そのですね……えっと、ふつつつかもの? 者ですが、じゃなくて、その……」

「不束者、ね。それでその……少し落ち着いて。私は急いでないから」

 

 どことなく落ち着かない様子で目をぐるぐると回している優奈を宥めるように綾乃はそっと肩に手を置いて、じっとその赤みがかかった瞳を覗き込みながら言ったものの、それが余計に優奈を混乱させてしまう。

 ──だめだよ、卑怯すぎるよ、一条さん。

 声には出さず、心の中で優奈は叫ぶ。

 綾乃がとった行動は無意識なもので、視線を合わせたのだって自分に配慮してくれただけのことだというのに、こんなにも胸の高鳴りが止まらない。

 それでも、二つの理由で優奈は形になることを躊躇っているその言葉を口に出さなければいけなかった。

 

「……え、えっと……その……わたしを、お風呂に入れてくれますか……?」

「お風呂……?」

「……え、えっと……勿論、迷惑じゃなければなんだけど……その、わたし、一人じゃ入れないから……えへへ」

 

 綾乃と一緒にお風呂に入りたい、という気持ちと、一人では満足に入浴することもできない、という事情。

 その二つが綯い交ぜになって、優奈はうっすらと眦に涙を浮かべながら、恥ずかしさと、そして申し訳なさにぽたり、と涙の雫を零す。

 

「……わかったわ」

「……一条、さん……?」

「どうすればいいかは教えてちょうだい。その……私、初めてだから」

 

 きっと綾乃は、正義感が誰よりも強いのだろう。

 時折何かを見失ったかのように、何かを諦めたように物事を斜に構えて見ているところはあるものの、根本的にはあの勉強会で出会った彼女の兄のように、背筋に一本の芯が通った、そして心の中に抱いた「正しさ」に従う気高さを持っている人間が、一条綾乃という少女なのだ。

 それでも気恥ずかしさは紛らわせないのか、綾乃も頬を真っ赤に染めていたものの、真っ直ぐに自分を見据える瞳は、さながら救世主のようで。

 

「……やっぱり、ずるいよ。一条さん……」

「?、何か言ったかしら、優奈?」

「う、ううん! なんでもない! えっと、お風呂沸かして!」

『承知いたしました。お風呂を沸かします』

 

 思わず漏れ出てしまっていた言葉を誤魔化すかのように玄関先で家電の操作を統括しているスマートスピーカーに喋りかけると、機械はその機能を果たして、浴室へと供給されるガスが、浴槽に溜まっていた水を温める。

 本当なら、ちゃんと洗ってお湯を入れ替えなければいけないのだけれど、今は緊急事態だし、それは夜に、心苦しいけれど綾乃にお願いしてなんとかしてもらうしかない。

 少なくとも風邪を引くよりはマシなはずだ、と、優奈は自分に言い聞かせるように、頭の中で何度も繰り返しながら車椅子を移動させ、一階のリビングと隣り合った寝室に設置されたクローゼットから、手早くタオルと着替えを取り出して、綾乃へと手渡す。

 

「えっと、わたしのお下がりっていうか、わたしの服だけど、一条さんもサイズ的には問題なく着れると思うから……そ、その、下着とか、嫌だったら言ってね?」

 

 両足を切断する大怪我を負ってから、優奈の生活空間と母親の生活空間はそのままそっくり入れ替わる形になった。

 一階のリビングルームと隣り合っている寝室は母のものではなく優奈のものに、そして二階の優奈の部屋だった場所は母のものに。

 だからこそ、寝室は広々としていて、ご丁寧にシングルベッドも二つ並んでいる。

 当たり前だ。本来であれば、父もそこにいたはずだからだ。

 だが、一人で過ごすには、優奈はその広さを持て余していた。

 それでも、今はここに綾乃がいてくれる。

 その事実がただ心強くて、少しだけ優奈は泣いてしまいそうになる。

 優奈から着替えの類を受け取った綾乃は、そんな優奈のぐちゃぐちゃになった心情を知ってか知らずか、受け取った品々を見定めるように眺めていた。

 少なくともブラジャーは自分の胸に対して大きすぎると返却せざるを得なかったものの、下着とパジャマに関しては問題なく着られそうだった。

 ちょうど掌に収まるくらいとはいえ、濡れそぼって身体のラインに貼り付いた制服の上から浮かび上がるその曲線に思わず綾乃はくっ、と小さく溜息をついてしまいたくなるし、彩奈が聞いたら怒り狂うのだろうが、そもそも彼女からしてそうなのだから、生まれ持った遺伝子がそうさせているのだからどうしようもない。

 やがて呑気なメロディと共に無機質な機械音声が、風呂が沸いたということを告げると、綾乃は優奈の車椅子を押して、浴室までひたひたと歩き出す。

 

「……ごめんね、一条さん。わたし、こんなだから……」

「気にしないで。それより優奈、本当にさっき聞いた手順で大丈夫なのよね?」

「うん、義足は自分で外せるから、その……重かったらごめんなさいなんだけど、わたしをお風呂まで運んでくれれば、その、なんとかなるから」

 

 母がいない時はいつもそうしていたように、一人でもなんとか入浴すること自体は不可能ではないものの、その手間は尋常じゃないし、何より肝心の浴槽から出たり入ったり、という工程がとてつもなく辛いのだ。

 綾乃には迷惑をかけるとはわかっていても、抱き抱えてもらって浴槽に入れてもらう方が、風呂からの出入りでもたもたするよりかえって迷惑をかけないから、と、一抹の罪悪感を抱きながら優奈は辿り着いた浴室で、車椅子から降りると、濡れそぼった制服を脱ぎ捨てて、洗濯機の中に放り込む。

 一緒に入浴する都合、どうしてもそうなることは避けられなかったとはいえ、同じように濡れそぼった服や下着を脱ぎ捨てて、生まれたままの姿に帰っていく綾乃のすらりと伸びた手足や、鍛えられたことで引き締まった、丸く大きめのヒップラインに思わず優奈は目を奪われると同時に、ちんちくりんな自分と比較して、少しだけ絶望的な感情を抱く。

 

「……その、まじまじと見ないでもらえると助かるのだけれど……私、寸胴だから……」

「そ、そんなことないよ! 一条さん、腰細いし、脚長くて綺麗だし!」

 

 一体自分は何を言っているのか。

 完全にまじまじと見つめていたことを自白したような言動に、優奈は思わず両手で口を塞いでいたものの、覆水盆に返らずとはいったもので、一度出力されてしまった言葉を取り消すことはできない。

 ぐるぐると目を回す優奈に、綾乃は耳まで真っ赤になりながらもそのどこか子どもっぽさが抜けていない、「元気だけ」を取り柄にしていた頃の優奈からはきっと一歩だけ踏み込んだその言葉に、小さく笑みを浮かべる。

 

「……ありがとう。風邪を引く前に、お風呂入りましょう」

「は、はい! ふつ、不束者ですが……!」

「……それはやめて、私も何かその……変な気分になるから」

「……変な、気分……?」

「なんでもないわ! 優奈も風邪引きたくないでしょう!?」

 

 ──ほら、行くわよ。

 ごにょごにょと、己の中に湧き出そうになってきた煩悩に無理矢理蓋をして重石を乗せるように宣言すると、綾乃は、切断した両脚以外にも細かな傷跡が残る優奈の身体を慈しむように抱き上げて、浴室へと向かっていくのだった。




その彩の名は
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