ガンダムビルドダイバーズ ブレイヴガールフラグメント 作:守次 奏
誰かの身体に触れるというのは、経験のないことだった。
綾乃は抱き上げた優奈を敷き詰められたバスマットの上に座らせると、家で使っているものと同タイプの蛇口を右側に捻ってシャワーから水が出てくるのを指先で確かめる。
正直にいってしまえば、色々な意味で情緒が限界だったし今も緊張で身体が強張っているような、そういう感触があるのはわかっていた。
水を噴き出していたシャワーがお湯に変わっていくのを確かめながら、落ち着けとばかりに、これはあくまでも優奈が困っているからだと、友達同士だから普通のことだと、綾乃は自分に言い聞かせる。
「……お湯、かけるわよ」
「ありがとう、一条さん……えへへ」
優奈の身体は傷だらけだったけれど、それを不思議と醜いとは感じなかった。
膝から先がない両足だけじゃなく、ガラス片が食い込んで傷付いたのであろう引きつった傷跡たちはどうしたって消すことのできない、戻ることのできない過去と共に優奈の身体へと刻まれていた。
だが綾乃にはそれがどこか、聖なるものであるように感じられて、同時にその一つ一つに跪き、慈しみを分け与えたくなるような衝動に駆られる。
傷のことを差し引いても、優奈の身体は綺麗だった。
無駄毛という無駄毛がなくて、アンダーヘアもかなり薄い優奈のそれはおそらく生まれつきの賜物なのだろう。
手入れが最小限で済むというのはちょっとだけ羨ましかったし、自分の体毛もそこまで濃い方ではなく、薄い方に分類されるのだとわかっていても、完璧な、ともすれば子供のそれと変わらないような状態を優奈がこの歳になっても維持できているというのは、やっぱりちょっとだけ嫉妬じみた想いを抱かせるのだ。
いつも使っているのであろう桃色のボディタオルに、ハンドソープを二回ほどプッシュすると、綾乃はそこにシャワーを当てて泡立てていく。
意図していたのかそうでないのかはともかくとしても、こうして友人の一糸纏わぬ姿を見るというのはなんだかちょっと変な気持ちで、同時に自分もまた同じ姿を優奈の前に晒しているのだと考えると、どんなに思考を横道に逸らしたって、脊髄から伝った熱が脳の中心を焦がしていくような、なんとも言い知れない感覚を抱いてしまう。
「……その、身体洗うけど……大丈夫?」
「あ、えっと……ひ、一人でもできるけど、その……せっかくだから、って言い方も変だよね! で、でも、一条さんに洗ってほしいかなぁって、えへへ……」
「……そ、そう……力加減とかを間違えてたら遠慮なく言って」
そうはいっても、本気でがしがしと優奈の皮膚を削り取るような勢いでタオルを当てるわけではない。
無心でもこもこと泡を立てていたそれを優奈の背中にそっと這わせると、綾乃はそこから伝わってくる熱と柔らかさに、目が眩んでしまいそうになる。
綺麗だ。そして、触れてしまえばそこから崩れてしまうんじゃないかと思えるくらいに繊細で、脆いもののように思えて、伸ばした綾乃の手つきは自然にぷるぷると震え出す。
「……そ、その……変じゃ、ないかな。わたしの身体……」
──脚がないのはわかってるけど、傷とか、いっぱい残ってるから。
優奈は上目遣いで背後の綾乃を振り返ると、拒絶への恐れに瞳を潤ませて、同時に曝け出された、傷一つない親友の身体を一瞥する。
綾乃が優奈のことを羨ましく思うように、優奈もまた、傷一つなく、そして鍛錬を重ねたことで引き締まった綾乃の身体が羨ましかったのだ。
寸胴だから、と綾乃は謙遜しているけれど、確かに胸こそ自分と比べて膨らんでいなくても、すらりと伸びた脚はモデルか何かをやってても遜色がないくらいに綺麗で、ちょっとだけ大きいお尻まわりも、太っているのではなく、筋肉と脂肪の均整が取れていて、きゅっと上向きに引き締まったヒップラインは、これで謙遜なんかした日には世の中の女性の大半を敵に回すんじゃないかと思えるくらいに理想的なものだった。
自分はどうなのだろうと考えると、やっぱり胸だって中途半端に膨らんだちんちくりんで、お尻周りに関しては綾乃と比べたらちょっと考えたくもない。
それなのに、なんだかどぎまぎと、明らかに緊張が伝わってくる様子で背中をそっと擦ってくれている綾乃がなんだかおかしくて、そして愛おしくて、優奈は自然に口元が綻ぶのを感じていた。
恥じらいと共に投げかけられた、あまりにも唐突な問いかけに綾乃はしばらく優奈の背中を摩りながらもその思考回路はオーバーヒートを起こしていて、改めてまじまじと見つめてみれば、適度に丸みを帯びているその身体はやっぱり、綺麗だという感想しか浮かんでこなくて。
「……変じゃないわ。むしろ、その……変な意味はないけど、綺麗よ、すごく」
どこまでも単純な言葉に還元されてしまう自分の語彙力を呪いながらも綾乃は、慈しむように少しずつ脇の下、そして臍の辺りから肩にかけてのラインを丁寧になぞりながら、優奈の問いにぼそぼそと語尾を掠れさせながらもそう答える。
その途中で触れた胸の柔らかな感触は、不可抗力だとわかっていても、同性だとわかっていても、なんだかどぎまぎするもので、自分のそれを試しに触ってみれば悲しい気持ちにしかならないのだから、百の言葉で繕うよりも、ありのままにその全てを「綺麗」と評することが、優奈には一番似合っているような気がした。
優奈の全身にまとわりついた泡をシャワーでそっと流しながら、あらぬ方向に飛んでいってしまいそうな自分の思考も流れていかないものかと綾乃は静かに溜息をつく。
裸の付き合いとはいうけれど、恥ずかしいものは恥ずかしいし、どぎまぎするものはどぎまぎする。
それでも、きっと自分の力が必要だったからこそ優奈はSOSを素直に出してくれたのだろう。
触れてしまった、優奈の柔らかな身体の感触がリフレインしてくるのを振り切るように、綾乃は小さく頭を左右に振ると、こほん、と小さく息をついて、できるだけ平静に、何事もなかったかのように咳払いをして問いかける。
「ごめんなさい、タオル借りてもいいかしら?」
「大丈夫だよ、一条さん! あっ」
「どうしたの、優奈?」
「えっと……せっかくだから、わたしも一条さんの背中流してみようかなって、えへへ」
風呂場の片隅に押しやられていたバスチェアを指差すと、優奈は頬を赤らめながらそう提案する。
確かにバスチェアに腰掛けていれば、優奈でも背中くらいは流せるだろう。
と、いうより、優奈が言った通り背中だけ流せば済む話で、全身を洗う必要はなかったのでは、と、今更自分のしでかしたことに、綾乃は頭上から湯気を吹き出して卒倒してしまいそうになるが、覆水盆に返らずとはいったもので、やってしまったものはどうしようもない。
「……そ、そうね……折角だから、お願いするわ」
「本当? えへへ、ありがとう、一条さん! よーし、気合入れて頑張らなきゃ!」
「……背中の皮は剥がさないでね?」
拳を高く突き上げて気合を入れる優奈に微かな不安を感じながらも、綾乃はバスチェアをマットの上に乗せるとそこに腰掛けて、優奈が再び泡立てたボディタオルで自分の背中を擦る、少しだけくすぐったい感触に身を任せる。
気合の割に優奈の手つきは丁寧で、背中の皮が剥がれる心配はなくなったものの、やっぱりこうして親友の前で一糸も纏わぬ姿を晒し、あまつさえ身体を洗ってもらっているという状況にはどうしたって慣れないもので。
ばくばくと心臓が早鐘を打つのを認めながら、その鼓動が優奈に伝わっていなければいいと、変な意味に捉えられかねないからと、どこか祈るような気持ちで目を伏せていた、その時だった。
「……ひゃ……っ……!?」
「あ、ご、ごめんなさい! 一条さん、わたしの前も洗ってくれたから、わたしもそうしよう、って思って……」
「だ、大丈夫よ、優奈。びっくりしただけだから……」
膨らみというよりは突起という表現が相応しい自分の平たい胸の上をタオルが滑っていく感触に、綾乃は思わず素っ頓狂な声をあげる。
背中だけでよかったのに、わざわざ前も洗ってくれる辺り優奈は律儀だというか礼儀正しいというか、そもそもそれだって自分がする必要のないことまでしていたからで。
完全に正常さを失った思考回路がああでもないこうでもないと、目の前にある想いから目を逸らす言い訳を繰り返していたものの、綾乃はどこかでもっと触れていてほしいような、誰でもない優奈にだからこそ触れてほしいと願い続けていることには気付いていた。
ぞくり、と粟立つ背筋を駆け抜ける電流は、きっと桜色をしているのだろう。
そんな具合に変な気分と妙なテンションに駆られながらも、心は弾むどころか、親友を相手にそんなことを考えてしまっている自分に対して失望するような、沈み込むような気持ちでいっぱいだった。
「一条さんの身体って、すっごく綺麗だね」
「……言ったでしょう、私なんて寸胴よ。綺麗じゃないわ」
「ううん、違うよ。わたしだってちんちくりんなのに、ぼろぼろなのに、一条さんは綺麗って言ってくれたから……わたしも、一条さんがどんなに違うって否定しても、綺麗だって言い続けるよ!」
隣の芝はなんとやらと昔の人間はよくいったものだと、綾乃は優奈の、例え綾乃本人がそう言っていたとしても認めないとばかりに強情な姿勢に苦笑しつつも、多分それは自分のやってきたことの、かけた言葉の裏返しなのだな、と、心でそう理解する。
ざあざあと、降り頻る雨のように流れるシャワーの水音を聞きながら、綾乃は先に髪を洗って、優奈のそれを丁寧に洗い流しながら、自分とはちょっとだけ違うその髪質に、改めて自分と切り離された他人の存在を強く感じ取っていた。
当たり前だけど自分は自分で、当たり前だけど優奈は優奈で。
長い髪を頭の上で結えると、綾乃は優奈をそっと抱きかかえて、優奈一人でも出入りがしやすい形状のバスタブに足を踏み入れる。
「大丈夫? わたし、重くないかな?」
「大丈夫よ。それに私、そこそこ鍛えてるから」
「……それって、わたしが重いってこと?」
「……なんでそうなるのよ」
そんな他愛もない言葉を交わしながら浸かる四十一度のお湯は、雨に濡れて冷え切っていた身体の芯まで温めてくれるような心地よさだった。
開け放った炭酸飲料のボトルから気が抜けていくように、数秒前の些細な言い争いなんてすぐにどうでもよくなって、頬が綻ぶ。
それは優奈も同じで、浴槽の中で向かい合わせになった綾乃たちは自然と密着する姿勢になっていたものの、それでどうこうと考えるより先に、お湯の温かさに、いつだって沸かせば入れる文明の利器の力に、すっかり頬が緩み切っていた。
「ふぅ……やっぱりお風呂っていいなぁ……ありがとう、一条さん。わたし一人だと、どうしても色々大変だから……」
「ううん。気にしないで、優奈。その……私、友達と一緒にお風呂入ったのなんて、初めてだから」
綾乃は小学校や中学校の頃の修学旅行で、同年代の女子と温泉に入るという経験はしたことこそあるものの、そこには「友達」の二文字が欠落している。
だからこんな風に誰かと背中を流し合うこともなければ、その感触にどぎまぎしてみたり、頭を過ぎる煩悩に四苦八苦してみたりといったことはなかったわけで。
本当に、優奈が「はじめて」なのだと思うと、嬉しいような、そしてふにゃふにゃと、訳も分からないまま頬が綻んでいくような、不思議な感情が心を満たして、表情として溢れ出ていくようだった。
「……そっか、わたし、一条さんのはじめてなんだ」
「……事実だけれど、誤解を招く言い方はやめなさい」
もっとも、このバスルームには綾乃と優奈の二人しかいない以上、誤解も何もないのだろうがそこはそれ、照れ隠しと綯い交ぜになった複雑な気持ちが、向かい合う優奈から綾乃の視線を逸らさせる。
「……誤解じゃなくても、いいのに」
そんな綾乃の姿がおかしいのか、優奈はふっ、と、見たこともないような柔らかな笑みを浮かべて何事かを呟くが、思考回路が大量のノイズで埋め尽くされている綾乃に、その消え入りそうな言葉が届くことはない。
「何か言ったかしら、優奈?」
「……う、ううん! なんでもない! その……えっと、どうやったら、アリスバーニングを一条さんみたいに扱えるのかなって!」
元々GBNにログインするためにはガンプラが必要だから、と又聞きして、慌てて買いに行ったものだったが、ミキシングと実戦を経たことで、今ではすっかり電子の海における相棒としてのポジションを確立しているアリスバーニングをダシにしてしまったことに少しの罪悪感を覚えながらも、優奈はあたふたと大仰な身振り手振りを交えて、そんな言い訳を口にする。
──本当は、綾乃になら、変な意味でとられてもいいのに。
そう言えたら良かったのにな、と、ささくれ立った後悔を抱く優奈の心情を知ってか知らずか、綾乃はふむ、と、細い顎に指をやって小さく考え込む仕草を見せると、現状のアリスバーニングが抱えている問題を脳裏に浮かべる。
現状、アリスバーニングガンダムという機体に大きな問題があるとすればそれは、バーニングバーストシステムの出力に機体が耐え切れていないことだろう。
綾乃のように、という話であればライフルやシールドを持たせるというカスタマイズを施すという方策もあるにはあるが、優奈の射撃の腕が壊滅的なのはよく知っていることだったし、付け焼き刃でビームライフルを持ったからといって一朝一夕にそれを使いこなせるかどうかは別な話だ。
ならば、短所を補うのではなく長所を伸ばす。
それこそが、今の優奈とアリスバーニングに与えられた課題なのかもしれない。
綾乃はあれこれと頭の中でバーニングバーストシステムの反動に耐えうる改造プランを考えてみるが、風呂で思考が鈍っていることもあってか、中々浮かんできてはくれない。
古代の哲人は逆に、風呂に入っていたら革命的なアイディアを閃いて、そのまま街中を駆けずり回っていたらしいが、そんなことをすれば現代社会では即逮捕で留置所行きだ。
などと、どこまでもどうでもいい方向に脱線する己の思考を無理やり元のレールに引き戻して、綾乃は端的に問題そのものだけを優奈へと告げた。
「そうね……優奈の場合は短所を補うのではなく、長所を伸ばす方がいいと思うわ。具体的にはバーニングバーストシステムに耐えられる剛性の確保と、ファンネルを振り切れる機動力の強化。この辺りになると思うわ」
「剛性と……機動性……ふむふむ、なるほど……?」
「その辺りに関してはお風呂から上がったらじっくり話しましょう。ここで話していたらのぼせてしまうわ」
それに、せっかく親友と二人きりで風呂に入っているのだから、今は少しだけGBNのことを忘れても、優奈の傷心を少しでも癒すような話をしても、きっと許されるだろう。
綾乃が不意に浮かべた、柔らかな微笑みにどきり、と胸が高鳴るのを感じながら、なんだかんだで言い訳から出てきたことにも誠実に答えてくれた綾乃の真面目さに、そして髪を上げていることであらわになったうなじに──そんな綾乃と今、抱き合うような形で一糸も纏うことなく向き合っているという事実に、優奈の心臓は一際高く跳ね上がり、一際早く鼓動を刻む。
ああ、そうだ。その感情の名前は、きっと。
自分の赤みがかかった瞳を覗き込む、綾乃の青い瞳に吸い込まれていくような錯覚を感じながら、優奈は無意識に蓋をしていたその想いを、そこにあるべき名前を探り当てる。
「……優奈?」
「……なんでもないです……」
「そう、ならいいんだけど……」
ぶくぶくと水面に半分顔を沈めて泡を吐き出しながら、優奈はとうとう見つけてしまった答えから、そしてどこか素っ頓狂な顔をして自分の瞳を覗き込んでくる綾乃の瞳から、込み上げてくる熱をごまかすように、つい目を逸らしてしまうのだった。
二人、もどかしく縺れ合って