ガンダムビルドダイバーズ ブレイヴガールフラグメント 作:守次 奏
恋をしてしまったんだな、と、そう思った。
優奈の家での突発的お泊まり会から三日後、優奈が提案してメグから日時が指定されたオフ会の朝に起きて、一番に考えることが、飽きもせずにその二文字だった自分に、綾乃は少しだけ呆れて苦笑する。
朝起きて乾燥している唇を指先でなぞれば、そこにはまだミントを効かせたカクテルの香りにも似た初恋の味が残っているような気がして、歯磨き粉が残っているのに買い替えたのだってそういうことだと振り返って、やっぱり自分はウブで単純なのだろうと自嘲する吐息が、朝の気怠さに溶けて消えていく。
優奈から見せてもらった、これまた突発的に発生したオフ会の詳細はざっくばらんとしていて、アリスバーニングの後継機となる機体のカスタマイズなり購入なりを兼ねるために、今日の十一時にガンダムベースシーサイド店のエールストライク立像前で集合、ということぐらいしか書かれていない。
とはいっても、元々ガンプラのカスタマイズに当たってメグたちからも意見が聞きたいという優奈の提案からして、ふわっとしているのだから、それも仕方ないだろう。
ただ、予定がみっちりと詰め込まれて、何時から何時までガンダムベースシーサイド店に滞在してそこから先はどうして、どこで食事をして何時に解散、などと決められているよりは、予定に柔軟性があった方が綾乃としてもやりやすかったのだから、そこに問題はない。
寝ぼけ眼を擦って洗面台の前に立つと、ごしごしとミント味が強い歯磨き粉を乗せたブラシで歯を磨きながら、茫洋と綾乃は考える。
アリスバーニングの強化プランもさながら、これから自分と優奈はどういう顔をして会えばいいのだろうかと、今まで曖昧に形を作っていただけの結び目がきっちりと蝶々を描いたことで、わからなくなることもある。
優奈との関係がぎくしゃくしているなどということはなく、昨日も一昨日もメッセージアプリを通じた長電話をしていたし、多分今日も駅で出会えば結び目ができる前と同じような調子で話もできるのだろう。
でも、それでいいのかと、そう思う時がちょうど今のようにふと訪れるのだ。
優奈は自分にとって特別な存在で、特別だからこそ接し方も特別なものじゃなければいけないのだろうか、だとか、そもそも特別とはどういうことなのかと、ぐるぐると巡る思考は初恋の勢いを制御できずに目を回してしまいそうになる。
「何やら迷っている様子だな、綾乃」
「……与一兄様、いらしたのですか」
「うむ、血が出かねないぐらい歯を磨いていてはかえって逆効果だぞ」
「……返す言葉もありません」
ちょうど、与一も今起きたのだろう。
いつもの袴と和服という時代に逆行するようなファッションに、大柄なその身を包んで、散切り頭を櫛で整えながら、すっかり恋に浮かれて色々なことがおざなりになってしまっている綾乃へと至極真っ当なアドバイスを送る。
迷っている。与一の指摘は紛れもない事実で、どうにもやるせない気持ちに綾乃の心は音を立ててずぶずぶと思考の沼に沈み込んでいく。
覚悟は決まって、確かめ合ったはずなのに、お互いのことを全部知ったとはいえなくたって、ある程度は歩み寄れたはずなのに、かえって遠ざかったような気分になる。
それを人はきっと、恋煩いとかそんな名前で呼ぶのだろう。
そんな一語で片付けられるようなことでも、他人からすればどうでもいいと一蹴されることであっても、今の綾乃当人には深刻な問題なのだからどうしようもない──
などと、堂々巡りを続ける思考の沼に、綾乃が首まで浸かりかけていた瞬間だった。
殺気が迸り、防衛本能がびくりと背筋を強張らせる。
何事かと目を見開けば、そこには与一が先ほどまで髪の毛を整えていた櫛を綾乃の首元へと突き出している姿があった。
「ふむ……やはり乱れているな、綾乃」
普段のお前であれば容易に察知できたことだぞ、と与一は珍しく表情を険しいものにして、小さくうむ、と唸り声を上げる。
「……っ、申し訳ありません、与一兄様……」
「いやなに。おれにはお前がどんな理由で迷いを抱いているかは知らぬし、踏み込むつもりもないのだがな。兄としてお節介をさせてもらっただけよ」
「お節介、ですか?」
「綾乃。一条二刀流の……否。もっといえば、武の心得とは、常在戦場の構えにこそある。何があったとしても、いつも通りでいること……それを忘れてはならぬぞ」
──変わっていいこともあれば、変わらなくていいこともあるのだからな。
はっはっは、と、豪快に笑うと与一は歯ブラシを手に取って、自分が使っている歯磨き粉を絞り出し、綾乃からすればそれこそ血が出そうな勢いで豪快に歯を磨き出す。
要するに、何かあったとしても変に気負う必要はないと、与一は言いたいのだろう。
正直なところ、確かに舞い上がって、空回っている節はあった。
恋だの愛だの、そう呼ばないにしたって二人で紡ぎあげた関係の形は、二人でいないと前に進まないわけで、綾乃一人があれこれと考えていたってそれは空転を続けるだけで、どうしようもないことなのだ。
相も変わらず、自分の心の内側を見透かしたかのような与一の言葉へ、背丈の差以上に大きなものを感じながら、ありがとうございます、と小さく礼を返し、綾乃は軽めの化粧を済ませて洗面所を出る。
もしも優奈が変わってほしいと自分に求めるのなら、その時は最大限に努力をすればいいし、そのままでいいというなら、今まで通りの関係性からちょっとだけ踏み込んだ場所に留まればいい。
少しだけ肩の荷が下りたような気分を抱き、綾乃はほのかな桃色がついたリップグロスを引いた唇を舌先で軽くなぞるのだった。
◇◆◇
「あ、綾乃さんだ! おーい!」
ガンダムベースシーサイドベース店の方の出口で、という曖昧な待ち合わせをして家を出た綾乃は、果たして自分よりも早く出発していたらしい優奈の姿を見て、遅かっただろうかと駆け出していく。
機嫌がいい時の犬のように大きく手を振っている優奈にはなんだか尻尾が見えるような気がして、微かに頬が緩むが、遅刻であることには変わりない。
一応、スマートフォンに視線を落として時間を確認すれば、集合予定よりも三十分以上も早い時間だったのだがそこはそれ、綾乃としては優奈を待たせてしまったことに一抹の罪悪感を抱かずにはいられなかったのだ。
「ごめんなさい、優奈。待たせたかしら」
「ううん、わたしも一本前の電車で来たばっかりだから!」
楽しみだから早起きしすぎちゃった、と、優奈は照れ臭そうに後ろ髪を掻く。
なんだか優奈らしい理由だと、綾乃はその仕草に思わず口元が綻ぶのを感じていた。
「でも、待ったことは待ったでしょう。ごめんなさい」
「大丈夫だよ、綾乃さん! むしろ綾乃さんがいつ来てくれるかなって待ってるの、わくわくしたから!」
「優奈……」
伸ばすか伸ばさないかを躊躇っていた綾乃の手をごく自然にとって、頬を擦り寄せながら優奈はそっとはにかんでみせる。
元気だけが取り柄だと、優奈はそう強がっていたけれど、本当はもっと甘えたがりなのかもしれない。
知らないことがまた一つ増えて、知っていることになって重なり合っていく感覚に身を委ねながら、周囲の目も気にすることなく、頬をほんのり朱に染めて、頬を擦り寄せる優奈の温度に綾乃もまた、溺れるようにそっと目を伏せる。
柔らかくて、温かくて、多分これが恋の輪郭に触れた感触なのかもしれない。
そっと屈み込んではにかむ優奈に視線を合わせれば、そこにはいつもどこかで意地を張っていたような強張りはなく、ふにゃふにゃと蕩けたように微笑んでいる彼女の──そう、文字通り「彼女」の姿に綾乃もまた、胸の奥が綿飴で締め付けられているかのような感覚を抱いていた。
とはいえ、パブリックスペースでいかにも初恋同士です、なんてことを続けているわけにもいかない。
これが二人でのデートならしばらくこんな時間に浸っていたのだろうけれど、今日の目的はあくまで「ビルドフラグメンツ」としてのオフ会だ。
とりあえずは優奈が心ゆくまで自分の手の感触を堪能するまで待ってから、綾乃は車椅子のバックサポートから伸びるハンドルに手をかけて、通い慣れたガンダムベースシーサイドベース店への道を歩んでいく。
「えへへ、綾乃さんの手って、綺麗だよね」
「そうかしら」
木剣を振り続けてきた手は豆が破れたりといったことは日常茶飯事で、すっかり柔らかさを失ってしまったと思い込んでいたけれど、優奈からすればそれもまた「綺麗」に映るらしい。
綾乃はハンドルを握る自分の手を見下ろして、そんなことを考える。
自分ではそうだと思えないようなものでも、優奈が言ってくれるならそれは真実に塗り替えられるような気がして、やっぱり恋は盲目なんだと、そういったものだと綾乃は自嘲するようにふっ、と息を吐く。
どんなにクールに振る舞おうとしても、いつも通り冷静な一条綾乃でいようとしても、優奈はその壁を崩して剥き出しの心に触れてくるのだから、末恐ろしい。
とはいえそれが甘えたかった時期に甘えられなかった反動だと考えれば、受け止めるにも相応の覚悟や決意が求められる。
優奈の隣に立つために。優奈にとって、「特別」な、恋人であるために。
きっとそう気負ってしまうことが悪い癖なのだろうけれど、と自嘲しながら、他愛もない言葉を交わして歩いているうちに、ランドマークとなっている、エールストライク立像の輪郭がはっきりと綾乃の視界に現れてくる。
「メグとの待ち合わせまではまだ時間があるわね」
「それじゃあ、何して待つのがいいかな? しりとり?」
「悪くないわね、取り敢えずはお膝下まで行ってみましょう」
もしかしたら自分たちより早く来ている可能性も否定できない以上、善は急げだ。
飛ばすわよ、と、優奈に声をかけて、少し早足で車椅子を押しながら、綾乃たちは休日でごった返す人の波を縫って、十八メートルサイズで再現されたエールストライク、その立像の足元に辿り着いた。
「とりあえず……メグと似た人は見当たらないわね」
周囲を見渡しても、夏だということもあってフライトジャケット姿の人間は見当たらないし、小麦色に焼けた肌の女性という条件で絞り込んでも、道行く人にそれらしき特徴は見つけられない。
まだ到着していないのだろうと、断定して、綾乃が同じように周囲を一望していた優奈としりとりをしようとした、その時だった。
「あの……もしかして、『ビルドフラグメンツ』のお二人ですか?」
白いワンピースに身を包んで、豊かな胸元に対照的な黒いリボンを飾った黒髪の女性が、綾乃たちの姿を認めると、穏やかな物腰でそう問いかけてくる。
綾乃と優奈は、見知らぬ女性からの声に思わず顔を見合わせていた。
確かに自分たちは「ビルドフラグメンツ」だが、名前が売れているのは配信者としてのメグであって、自分たちはエキストラぐらいにしかすぎないと思っていたのだが──などと、硬直しながら考え込んでいた矢先のことだった。
女性が肘にかけていた鞄の中から、ひょっこりと1/144サイズのガンプラに相当するマテリアルボディ──ELダイバーが現実において活動するための躯体が顔を出して、優奈と綾乃を一瞥する。
女性の顔に見覚えはなくとも、その顔には見覚えがあった。
当たり前だ。忘れろと言われたって忘れることのできない、仲間のものなのだから。
「……もしかして、メグ?」
「はい。私、メグ──琴吹恵です。こっちはカグヤ」
「お久しぶりです、リアルでははじめまして。アヤノさん、ユーナさん」
前髪をぱっつんと切りそろえてカチューシャを載せ、垂れ目の優しげな雰囲気を放っているメグ──恵は、GBNでの姿とはあまりにもかけ離れていて、綾乃と優奈は思わず顔を見合わせていたものの、ロールプレイを行うダイバーなど珍しくない以上、驚くのも失礼かと、わざとらしく咳払いをして襟元を正す。
「こほんっ……ごめんなさい、GBNでの印象と、その……」
「違ったから、驚きましたか? ふふっ、私、これでも元演劇部なんです」
「なるほど! だからGBNだとギャル、って感じなんですね!」
「ええ、その通りです。ユーナさん。それとも、こっちでも砕けた喋り方がいいですか?」
「……いいえ。それが貴女のリアルなら、それは尊重されるべきことよ。ええと……」
「ふふ、恵でいいですよ、アヤノさん。お二人のことについても聞かせてくださいね」
モビルドールカグヤを鞄から覗かせながら、いかにも「清楚」の二文字を形にしたような笑みを浮かべて、恵は綾乃へとそう呼びかけた。
確かに自分たちはまだ、互いのことをほとんど知らないに等しい。
綾乃と優奈は大分事情が違うものの、カグヤと恵に関してはリアルでは初対面だ。
それも含めて追々話していこう、とばかりに、吹き抜ける夏風に黒髪を靡かせながら、恵は、まだどこか夢心地な綾乃たちを先導するようにガンダムベースシーサイドベース店へと向かっていくのだった。
◇◆◇
「なるほど、アリスバーニングの必殺技に耐えうるカスタマイズ、ですか……」
ガンダムベースシーサイドベース店の工作ブースの一角を借りた綾乃たちは、早速とばかりに優奈が梱包材が詰められているタッパーから取り出したアリスバーニングガンダムを机の上に直立させると、恵はそれをあらゆる角度からじっと眺めて、ふむ、と小さく唸り声を上げる。
「強度と放熱の効率化が課題だと思うのだけれど、強度はフレームの作り込みを徹底すればなんとかなるとして、どう放熱を効率化するかが問題なのよ」
「ですです!」
綾乃は、本来の持ち主である優奈よりも詳しくアリスバーニングが抱えている問題について恵へと、ざっくりとした説明をすると、懐から取り出した扇子で、お手上げだとばかりに眉間を押さえた。
何せ純粋な格闘機に触ったことがない都合、綾乃が手癖でカスタマイズを施せばそれはどうしても汎用機に寄ってしまうわけで、それではアリスバーニングの持ち味を殺してしまうのだからどうしようもない。
恵はしばらく観察を続けた末、シーサイドベース店で購入したキットの箱を鞄から取り出しながら、柔らかい笑みを浮かべて人差し指を立てる。
「それなら……ウイングガンダムゼロ炎とミキシングしてみるのはどうでしょう?」
「ウイング……? ゼロ炎……?」
「私も知らないわね、どういうキットなの?」
いつものようにガンダム知識に疎いところがある優奈はぷすぷすと頭から黒煙を噴き出しかねない勢いで目を白黒させていたが、その名前に関してはある程度ガンダムの知識を持ち合わせている綾乃もまた、聞き覚えがないものだった。
「昔、GPD時代に活躍したファイターの功績を称えて商品化されたレプリカモデルの一つで、優奈さんと同じように『炎』をモチーフにしているガンプラですし、『炎クリスタル』という独自の機構もありますから、相性は悪くないかと」
「なるほど……同系統の機体でミキシングを行うというわけね」
ウイングガンダムゼロ炎が活躍していた時期はちょうどGPDの第七回世界大会と近いところがあったのだが、その頃にゼロ炎を操っていたファイターは在野の英雄といった風情であり、有名になったのは大分後になっての話だったから、綾乃がその存在を知らないのも無理はない。
とはいえ、ゼロ炎がどんなガンプラであっても、似た系列やコンセプトの機体同士を掛け合わせるのはミキシングの王道にして常道だ。
善は急げとばかりに綾乃は立ち上がって、販売ブースの方へと駆け出していく。
「綾乃さん、行っちゃった……」
「ふふ、優奈さんのこと、本当に大事に思ってるんですね。それじゃあ私も……G-フリッパーを新しくするために、頑張らないと」
脇目も振らずに駆け出していった綾乃に苦笑を浮かべながらも、メグはバッグの中からプラ板と、そしてツールボックスを取り出して、今日出がけに家電量販店で購入したばかりの「HG G-セルフ パーフェクトパック装備」の箱を開け、ランナーが梱包されたビニール袋を破る。
「恵、拙は」
「わかってるわ。カグヤの新しい刀も一緒に作るけど……それには綾乃さんにも、優奈さんにも手伝ってもらわないといけないから」
「申し訳ありません、このボディだとできることが少なくて……」
「ううん、カグヤ。私はカグヤがいてくれるだけで十分よ。それだけで、幸せだもの」
だから、気負わないで。
優しく囁きかけて、恵はカグヤの髪の毛に相当するパーツを指先でそっとなぞる。
きっとそこには自分と綾乃の間にあるような思いが横たわっているのだろう。
鈍感な自分でも──否、恋を知ったからこそ、カグヤと恵の間にあるその感情に、優奈は検討をつけられていたのだ。
ミッションは三つ。
一つはアリスバーニングの更なる強化。
二つは新しく、カグヤの刀を作り直すフルスクラッチ。
三つ目は、G-フリッパーの大幅なカスタマイズ。
初めてのオフ会に胸を高鳴らせながら、優奈は頑張るぞ、とばかりに、恵が取り出した刀の設計図を基に、グリッド線が入ったプラ板にその図面を転写してゆくのだった。
めぐりあい偽ギャル