3
一夏はテキストとにらめっこをしながら山田先生の話を聞くも、その内容を十分の一も理解できていなかった。
(駄目だ。まったく分からん。こんな事ならちゃんと読んでおくんだったなぁ)
一夏はIS学園に入学が決定してから今の今まで事前の学習をしていなかった。
それが仇となったのか、山田先生の丁寧な解説にも関わらず、ベースとなる知識がないために授業が理解できていなかった。
「織斑君、何かありますか? 質問があったら聞いてくださいね。なにせ私は先生ですから」
山田先生は笑顔で一夏に接した。しかし、一夏は全くもって分かっていない。
一夏はゆっくりと小さく手を上げた。
「はい、織斑君!」
山田先生はまた笑顔で一夏を当てる。
「ほとんど全部分かりません……」
そんな一夏に驚く山田先生。焦りながら他に分からない生徒はいますかと尋ねるが、誰一人と分からない人がいなかった。
それもそのはず。
彼女達はISの操縦者になりたいからこの学園に来ているのだ。必読として配られたISについての基本知識の本の内容は当たり前のように頭に入っているだろう。
千冬はそんな一夏にある確認を取る。
「織斑、入学前の参考書は読んだか?」
「えっと、あの分厚いやつですか?」
「そうだ。必読と書いてあっただろう」
「あ~すみません。まったくもって読んでいません……」
その瞬間、千冬は一夏の頬に手に持っていた出席名簿で叩き、鈍い音が教室内に響き渡る。
だが、一夏も元々こんな学校には入学するつもりはなかったので、しょうがないといったらしょうがないだろう。ただ“郷に入れば郷に従え”という言葉もあるように、この学園に入ってしまったからには、この必読の参考書を覚えなくてはならないのは当然の事だった。
「今からその参考書をもう一冊渡す。今すぐに読んで一週間以内に覚えろ、この馬鹿者が!」
「いや! 一週間であの厚さはちょっと……」
「やれと言っている!」
と千冬は一夏を一夏を睨んだ。とても良い目力を持っており、畏怖を感じさせた。
「あ、は、はい」
一夏自身もこればっかりは自分が悪いと分かっているので黙って千冬の言葉に従う。
そして授業は再開し、山田先生が教科書を開くよう指示したのだが、その瞬間チャイムが鳴ってしまい、授業の終了を示した。
「じゃあ今回はここまでだ。では織斑」
「はい! 分かっています!」
一夏はわざとらしく大げさに返事を返す。
千冬は少し微笑んだかと思うと千冬と山田先生は教室から出て行く。
授業は終わり休み時間、春樹は一夏に話しかけた。
「あの参考書、読んでなかったのかよ」
「仕方がねえだろ。あの時の俺はあんな状態だったんだから」
「ま、そうだよな。じゃあ俺が少し教えてやるよ」
「本当か? ありがとうな、春樹」
するとある女子生徒が話しかけてきた。
縦ロールの長い金髪に透き通った碧眼。いかにもお嬢様、といった態度。
さしずめ、ヨーロッパの方の人だろうか。
「ちょっとよろしくて?」
『ん?』
一夏と春樹は二人揃ってその女子生徒の声に同時に反応した。
「まあ、なんですのそのお返事は! ちょっと失礼じゃありませんこと?」
一夏は見るからに嫌そうな顔をしてしまった。
この女を一夏は知っている。
セシリア・オルコット。
イギリスの代表候補生であり、ブルー・ティアーズという専用機を所持している。
一夏にとって、一番関わりたくない存在だ。代表候補生というものは――。
「なんですかその表情は? あなたねぇ、事前に前に配布されたのテキストは読まず、分からないという理由で授業の進行を妨害する。みんなに迷惑をかけているという意識はないのですか!?」
「それは俺だって同じだよ……訳の分からない事に巻き込まれて、無理やりここに連れてこられて、本当は俺もここに来たくなかったよ! 本当は違う学校で楽しくするはずだった。なのに――」
「――あなたは!!」
一夏の悲痛な叫び声を遮るようにしてセシリアは言う。
「あなたは……その訳の分からない理由で入学した馬鹿な男の為に、IS学園に入学できなかった人の気持ちを踏みにじっているのですよ! それでも、あなたはここに来たくなかったという理由でこのままでいるおつもりですか!?」
一夏は何も言い返せなかった。言い返せない自分が悔しかった。
だから逃げ出す。
ここに居たくない気持ちでいっぱいになったからだ。
その行動がどれだけ子供じみてようが、惨めだろうが関係なかった。
彼はただ走り去る。
「おい一夏!!」
箒は叫ぶが、一夏は止まらなかった。
そんな彼を見てセシリアは鼻で笑う。
「ふん。あんなのがIS学園にいるとは……困ったものですわねぇ。えっと、あなたは葵春樹さん、でしたか?」
「そうだけど、何かなオルコットさん?」
「あなたはマトモそうですわね。お友達なのでしょう? 追いかけて慰めてあげたらどうかしら?」
彼女はそれだけ言って自分の席へと戻っていく。
そして、春樹は一夏を追いかける。
彼が一人になろうとして行こうと思うところなど、入学して間もない今なら決まっている。おそらく屋上だろう。
階段を必死に駆け上がる春樹。
だが、その息はまったくもって切れる様子などなかった。
(まったく、手のかかる弟だなぁ)
屋上に出る扉を開くと、雲一つない青空が広がっていた。
「ビンゴ。やっぱりここだったか一夏」
彼はフェンスの網目に指を入れて握りしめていた。
今の一夏に変なことを言えば、このままフェンスを引きちぎりそうな雰囲気を醸し出している。
「おい一夏、教室に戻るぞ。すぐに次の授業が始まる」
「春樹、俺さ」
「なんだ?」
「俺はどうしたらいいんだ? あんな情けない姿を教室でさらけ出して、挙句の果てに同い年の女子に説教なんかされちまって……」
一夏は涙を流す。それは悔しすぎる故だ。
男として女にあんなことを言われるだなんて屈辱だった。
どうにか見返してやりたいが、自分にはそんな力が全くない。ISの知識なんてろくにない。今までISを避けてきたのだから当たり前だった。
本当は、ISになんか関わりたくなかった。仕方がなくここに来ただけなのだ。
ただ、それで終わらせてはいけない。あのセシリア・オルコットが言った通り、この学園に来たくても自分たちのせいで来れなかった人が二人いるのは確かである。
だから、自分はこれから何をしたらいいのだろう。
ここに来れなかった女の子のためにその人の分まで頑張ればいいのか?
それとも、こんな自分は逃避行した方がいいのだろうか。
様々な考えが頭の中を駆け巡る中、春樹は言う。
「見返してやるんだ」
「え?」
「あのセシリア・オルコットっていう奴を見返すしかない。だから、そのためにもお前は他の生徒より遅れた分を取り返すしかないだろうさ。千冬姉ちゃんは一週間でテキストを覚えろって言ってたけど、三日だ。三日で基本を……いや、応用まで覚えるんだ。そして、お前の努力を認めさせるんだよ」
その言葉の数々は、一夏にもう一度やる気を起こさせるのに十分なものだった。
とてもまっすぐで、分かりやすい道。だが、それがいい。変に難しく考える必要なんてなかった。あんな事を言われたのだから、見返してやればいい。
どうしてそんな簡単な考えを持てなかったのだろうと、一夏は思った。
「分かった! じゃあ、見返してやろうぜ。俺の本気を見せてやる。あのセシリア・オルコットとかいう奴をな!」
「おう、その意気だ!」
二人は笑い合う。血のつながった兄弟ではないが、そんなものは時間というものが埋めてくれた。
だから、この二人が笑い合っている光景は、まるで仲のいい兄弟のようであった。
4
放課後になり、一夏は春樹という家庭教師の下でテキストと格闘していた。
彼のノートにはびっちし文字と図が書き込まれて、それが何枚もあるところを見ると、どれだけ頑張っていたかが分かる。
それから何時間も春樹の指導は続いた。
現時刻は夜の一一時。
そろそろ本気で疲れてきた頃。休憩を何回もはさんだからといっても、これだけ勉強し続けたらさすがに嫌になってくる。
「今日はこんなもんか。じゃあ、最後に復習でもしてみるか」
春樹のスパルタ講義によって、一夏の頭の中にはISの知識がたんまりと詰め込まれており、数時間前の一夏と今の一夏は違う。
その証明を、春樹が出す復習問題でやってやろうではないか、と一夏は意気込む。
「じゃあ、まずは基本中の基本。ISは世代によってその開発コンセプトが違う。その内容をすべて答えよ」
「ふ……そんな問題なんか、簡単すぎてあくびが出ちまうぜ」
ただ単に眠くてあくびが出そうなのは秘密である。
「第一世代は、ISそのものを完成させようとした雛形のこと。第二世代はそのISに後付の武装を色々と取り付けて運用しようとしたものだ。えっと……イコライザによる多様化、だっけか?」
「そう。イコライザは後付武装の事で、多様化ってのはその名の通り様々な機能を持たせようとする事。様々な武装などを装着して色んな事をさせようとしたけど、しょせんは人間サイズでしかないから沢山の装備は持たせられない。そこで活躍する機能が――」
「量子化だろ? 物体を量子化して収納できるから、ISは多種多様な装備を身に着けることができるんだ」
「その通り。じゃあ、その量子化した物を収納できるポケットの事をなんていう?」
えーと、と腕を組みながら考える一夏。
しばらくして何かを思い出したかのように手のひらを拳でポンと叩いた。
「拡張領域――バススロットだ。その容量は技術力等に左右されるから、各国間で差が出ているんだよな」
「うん。
現にラファール・リヴァイヴというフランスの量産機は、豊富な
「次に第三世代はそこから進化して操縦者のイメージ・インターフェースを利用して、特殊な武装を実装しようとしたもの、だっけ? たしか操縦者のイメージ、脳波を使って武装を扱う技術だったかな」
「あぁ。だけどそれは未だ研究段階のものでしかないけどね」
「あとこれも覚えたぜ。幻の第四世代機は、武装の換装なしで全領域・全局面展開運用能力の獲得を目指した世代だ」
「そんな部分まで覚えたのか。完璧だな一夏。やっぱ、俺の教え方は完璧だったか?」
「なに熱い自画自賛してんだよ! 俺の実力だよ。やれば出来る男なんだよ俺はな」
二人の復習はまだ続く。
「次の問題。形態移行とは何か、説明せよ」
「これも簡単すぎるぜ。まず
「いいねいいね! これも完璧だ!」
「次! ワンオフ・アビリティについて」
「コアそれぞれが発現する特殊な能力の事。たとえば、千冬姉が使っていた零落白夜がそうで、零落白夜の場合、自身の稼働するための電気エネルギーを大量に消費することによって相手のシールドエネルギーを切り裂く特殊な刃へと変化させる。ISによって発現する能力は違う唯一仕様の特殊能力である」
一夏はドヤ顔で答える。よっぽど自分の答えに自信があるのだろう。
それから彼の答えの中に出てきた『シールドエネルギー』だが、これはISを護る防壁である。あらゆる攻撃を跳ね返し、操縦者には傷一つつかないバリアで、この鉄壁のバリアはそのエネルギーがなくなるまで展開される。
これが最強の兵器と言われる理由の一つである。
「じゃあ、これはどうかな? パッシブ・イナーシャル・キャンセラーってのは、慣性の法則を無視できる。つまり、どういうことか分かるか?」
「えーと、あれだろ? 慣性の法則ってのは物体がその運動を続けようとする奴だろ? それを無視できるってことは……。うん? どういうことだ?」
「ふふ……。いいか、一夏。物体が何の力もはたらいていないとき、またはつり合っているとき、静止しているものはずっと静止しているし、運動していたものはそのままの速さで等速直線運動を続ける。これは中学校で習ったよな? じゃあたとえば、その慣性が働いている場面はどんなものが考えられる?」
「うーん、車で急ブレーキをかけたときに前のめりになることとか?」
「そうだな。それは体がそのままの速さで運動しようとするから、座っている位置より前に出ようとしてしまう現象だ。その他にも急ブレーキをかけたとき、車はすぐには止まらないよな? その車の持つ慣性によって等速直線運動をしようとする。だから、それが制動距離となって現れる。それは重いほど長くなる」
「つまり、それを無視できるってことは……どんな重量だろうがスピードだろうが急に止まることが出来るし、操縦者は急加速や急停止、急上昇、急降下の際のGを受けなくてもいい、ってことなのか?」
「その通り。なんだかんだ言ってやっぱり頭いいよなお前」
「勤勉なんだよ」
軽く笑い合う二人。
今日はもう遅いから、続きはまた明日という事となった。
一夏にとって、春樹は頼りになる兄貴のような存在だ。
今日の一件でまたそれを強く意識するようになった。今日の勉強はすごく自分の為になったし、この調子だとクラスの奴らを見返してやることも可能かもしれない。
いや、やってやるのだと一夏は決意する。
なぜなら、このままでは悔しいし、協力してくれた春樹に悪いと思ったからだ。
(春樹、ありがとう。俺は、絶対に見返してやるさ!!)
一夏は就寝の準備を始める。明日の朝は早い。