凰鈴音はまた新たな仕事、北京の人民大会堂へと出向いていた。
「こんにちは、
「こちらこそ、
彼女は中華人民共和国の女性政治家である劉美帆と挨拶を交わす。
秘書らしき人物がお茶を鈴音と美帆の二人に出す。今は夏ということもあってか、氷の入ったアイスティーで、結露によってコップに滴っている水滴が涼しさを感じさせる。
美帆がそのお茶を一口飲み、話題に入っていく。
「さて、凰さんも大変ね。日本で学んで、そしてこうやって帰省したかと思えば仕事に追われ、正直嫌でしょう?」
「いえ、そんなことは。これも、代表候補生として当然のことです。わたしのこの立場から考えても光栄と思えるほどですよ」
「あらあら、立派なのね。じゃあ、そんな凰さんに聞きたいことがあるの」
あきらかに意味深な事を言おうとするこの態度。鈴音は少し前にも感じた感覚に寒気を感じながらも、黙って彼女の言葉を聞く。
「霧島レポートって、知ってるかしら?」
「霧島……レポート……」
「ええ、いま巷で噂のレポートなんだけども、何か知らないかしら?」
「いえ、そんなレポートは聞いたことないです。そんなにも有名なものなんですか?」
「まぁ、そんなところです。凰さんが知らないのであれば、仕方ありませんね。違う話をしましょうか」
「はい……」
彼女の前にも現れた『霧島レポート』という代物。それが一体何なのか彼女は知らない。
だが、これだけは彼女も分かる。危なっかしいものである――という事だけは。一般人がおいそれと手を出してはいけないものだと、そんな予感しかしないのだ。
「日本のIS学園にいた葵春樹、彼はどんな人物だったのかしら?」
話題を変えると言った美帆が出した言葉は彼の名前だった。
いきなりの事で驚く鈴音。
確かにISを動かすことのできる男性はとても希少で素性を調べる必要があるのは分かる。だけども、なぜ葵春樹だけなのか。なぜ、彼だけの名前がここででてくるのか。
彼女は思う。
葵春樹もその『霧島レポート』という代物と何かしらの関係があるのではないか、と。
何の関連性があるのかは彼女には分からない。そもそも関連性があるかもしれない、という事自体憶測でしかない。だけど、彼女の中にはなぜか確固たる確信あった。だからこそ彼女は質問する。
「春樹ですか? 一夏ではなく?」
「ええ、葵春樹についてわたしは知りたいんです。彼がどんな人物だったのかを」
そう聞かれた鈴音は飽きるくらい説明してきた春樹についての話をする。
だが、そのような事を話しても美帆の表情は柔らかくならない。むしろ余計に険しいものとなっていく。
「凰さん、春樹さんは間違いなく行方不明なのよね?」
「はい、そのはずです。まさか、見つかったんですか?」
「ええ、まさにその通りよ。目撃情報が上がっている。これは間違いないわ」
だけども、鈴音はいまいち納得できなかった。なぜ、政治家の一人でしかない劉美帆がそんな情報を持っているのか、疑問でしかない。それに、霧島レポートだなんて物騒そうな情報も持っている。
鈴音は正直嫌な予感しかしなかった。
「それは……どこで……?」
「イギリス、ロンドンよ」
その国名を聞いて彼女は思う。
(イギリス……!? セシリアのところじゃない!)
春樹は生きている。その可能性がグッと高まった瞬間でもあり、悪寒が走った瞬間でもあった。
なぜ海外にいる?
イギリスに何があるというのだろうか。
彼女は不思議でたまらない。葵春樹が日本ではなく海外にいるということが。
もしかしたら、その『霧島レポート』というものと関連性があるのかもしれない。いや、そうとしか思えなくなった鈴音は意を決して美帆に質問する。
「もしかして、春樹と『霧島レポート』はなにか関連性があるんですか?」
鈴音の質問に、美帆は目を閉じて、一度深呼吸してから言う。
「それは正直分からないわ。でも、日本のIS学園にいた彼がイギリスにいる。ということは、イギリスに何かがあると考えるのが自然。だから、それを確かめるには現地に行くことが得策。そう思わない?」
「は、はい。そう……ですね……」
「ああ、でも安心して。凰さんにイギリスに行ってくれだなんて言わないから」
美帆は笑顔で笑いながら語りかけてくる。鈴音には、それが作っている表情だという事が嫌でも分かってしまう。彼女は、人の表情を読み取る能力に長けているからだ。ほんの一瞬の表情の変化も見逃さない。
彼女は案外、そういった仕事に向いているかもしれない。
本当の言葉と嘘の言葉。それを彼女は表情から読み取ることもできる。
だが、この美帆という人物は強大だ。何が本当で何が嘘なのか、正直分からないのだ。根本的な部分は絶対表に出そうとしない。流石は政治家だろうか――言葉を巧みに操ることに関しては一級品である。
「そこで、中国政府から代表してわたしからあなたに依頼があるわ」
「依頼……ですか?」
中華人民共和国の代表からのお願いである。まさかの言葉に鈴音の気持ちは一歩後ろに下がってしまう。なぜこんなことになってしまうのか。なぜこのような危険なものに首を突っ込まなくてはいけないのか。
「そう、これはとても重要な依頼よ。その内容はまだ未定。でも、重要なのよ。これからわたしたちがやろうとしていることはもう決まっているの。だからその時になったらまた報告するわ」
意味が分からなかった。危険な香りしかしない。
だが、断れないのだ。中国政府直々の依頼であり、代表候補生という身である彼女は、この一大チャンスをモノにしなくてはならない。ここで政府に恩を売っておけば、自分が代表選手になれるのも夢じゃないのだ。
コネがあるなら使うべき。変な正義感に縛られていたら損をするだけだ。彼女はそういう考えの下行動している。美帆の手を握るのもよし、その手を叩いてここから出ていくのもよし。
二者択一。
鈴音は美帆の手を握ることしか考えていない。
だって、この選択にはメリットが多いのだ。
葵春樹に近づけるかもしれない。一夏と箒に近づけるかもしれない。中国代表選手になれるかもしれない。その代償として危険が伴ってくる。
だけども――デメリットなぞ気にせずに鈴音は美帆の手を握った。
「分かりました。その時が来たら、連絡をお願いします」
握手を交わす二人。それぞれが、それぞれを利用する形で終わった今回だが、この選択があのような方向へ転ぶとは、いまの凰鈴音には知る由もなかったのだった。