アスが目覚めた時には、すでに外はだいぶ明るくなっていた。日の出とともに起きるのが当然だった生活が、最近は眠気に任せてぼんやりと過ごすことが多くなっている。
なにせ、時間を持て余して仕方ないのだ。侵略者は一向に姿を見せないし、洞窟からの魔物の出現も減ってきているのだから。
「戦士様、今日もいい天気……ではないですけど、穏やかないい朝ですね。この後は、どちらへお出かけですか?」
「どちらへって……特に何も決めてないなぁ」
ナーダに髪をとかされながら、あくび交じりにアスは答える。
ユバの戦士は、生まれ持った素質で能力の全てが決まる。優れたしるしを持って生まれれば努力をせずとも頑健であり、そうでなければどんなに努力しても能力は伸びない。ゆえに、鍛錬の必要は一切ない。
だから、毎日討伐がない日が続くと、本当にやるべきことがない。一日や二日ならともかく、それ以上の時間がアスに与えられるのは初めてのことだった。
「良かったら、私と一緒にキサラさんのところへ行きませんか?」
「へ? ナーダ、キサラと仲良かったっけ?」
「実は最近、彼女に頼まれごとをされてまして……」
ナーダはなぜか、少し照れるように指先を胸の前で合わせている。
「先生の真似事をしている……なんて言ったら、戦士様は笑いますか?」
「せんせい……ってことは、何か教えるの?」
「ええ。占いは少し難しすぎるので、星や雲の読み方を。簡単な兆候をいくつか覚えれば、子供でも明日の天気くらいは予測がつくようになりますから」
「へえ、そうなんだ」
相槌を打っている間に身支度は終わり、アスはそのままナーダに連れられて集落の外れ、少し開けた広場へと向かう。
すでにそこには、キサラに連れられた子供たちが集まっていた。
「あ、ナーダだ! 今日も曇りだね、昨日言ってたの大当たりだ!」
「あれ、戦士様もいるの? 一緒にお勉強する?」
「馬っ鹿だなー、戦士様が勉強なんてするわけないだろ!」
ナーダの顔を見るなり、子供たちは笑顔を浮かべて口々に話し始める。これでは寡黙なナーダは手綱を取るのにも苦労するだろうと思われたが、ナーダは慣れた様子で軽く手を打ち鳴らす。
「ほらほら、お喋りはそこまでです。今日もあいにくの曇り空なので、雲の種類は後にして星座の勉強を進めましょうか。昨日はどこまで話したか覚えてますか、シャウキ?」
「え? えーっと……なんだっけ」
「はいはい、あたし分かるよ! 島の精霊と森の精霊が喧嘩して、どっちが足が速いかかけっこをするんだよね!」
「その通りです。森の精霊は先に走り出して、島の精霊が背中を追いかけます。日暮れごろに上がってくる二つの星が、森の精霊の瞳で……」
子供たちのきらきらとした眼差しを一心に浴びながら、ナーダは星座の由来についての解説を始める。元から人前で話すのには慣れているのだろうが、子供相手でも分かりやすく、さらに退屈させないように工夫しているのがよく分かった。
アスは子供たちの後ろで、頬杖をついて教室の様子を眺める。子供たちは特に疑問も挟まずに聞いているから、この精霊の話はよく知られているものなのだろう。だが、生まれてこの方ずっと戦いの中にいたアスにとっては、どれも初めて聞く話だ。
滑らかに進んでいく物語を聞くともなく聞いていると、キサラに小さく声をかけられた。
「戦士様、退屈ではありませんか?」
「ううん、面白いよ。でも、なんていうか……すごく、不思議な感じがする」
「不思議、ですか」
「なんて言えばいいのかな。ナーダもみんなも楽しそうなのはいいんだけど、こうやってゆっくり誰かの話を聞くなんて初めてだから……こんなにのんびりしてていいのかなって思うよ」
なんだか、少し気持ち悪い感じ。自分の心に浮かんでいた言葉は、さすがに口に出さなかった。アスだってこの状況に水を差したいわけではないが、なんとなく胸の中の靄が晴れない。
しかし、キサラはアスの憂鬱を拭い去るように、にっこりと微笑んだ。
「戦士様はご存じないでしょうけど、侵略者が来る前はよくあった風景なんですよ。今みたいに異なる民族との交流は盛んではなかったので、もっと小規模な教室でしたけど。こうして何かを教えられる場があるのは、私にとっては穏やかな日の象徴です」
「……ふうん」
「もう一度教室を開く時は、侵略者を打ちのめしてこの大地から追放してからだと思っていました。けれど、神の思し召しか精霊の導きか、その日は思ったよりも早く訪れてくれました」
穏やかなキサラの声に、アスの中の靄が導かれて少しずつ形をとっていく。
「……そっか。まだ戦いが終わってないのに、こんなことしてるから変な感じなんだ」
「おそらくは、そうなのでしょう。私たちは今まで、崩れる足元に取り残されないために、ずっと走り続けていたようなものです。その崩落が止まったからと言って、急に立ち止まれはしないでしょう。戦いがない日々を不安に感じるのは当然です」
そこでキサラは言葉を切り、アスの頭をそっと撫でた。武器なんて一度も持ったことないみたいな柔らかな手のひらから、キサラの体温が伝わってくる。
「それでもいいんです。何かが急に良くなるわけじゃないけど、これ以上悪くなることもない。こんな日々を、平和と呼ぶのは間違いではないと思うんです」
「……へいわ、かぁ」
「ええ。戦士様も考えてみたらどうでしょうか、何かご自身がやりたいことを」
「うーん、全然思いつかないけど……そもそも、僕にそんなのあるのかな」
「無ければ探せばいいんですよ。こうやって誰かの話を聞いているだけで、何かを思いつくかもしれませんよ?」
キサラは目を細めてアスに慈愛の視線を向ける。まるで自分が幼い子供になったみたいで、なんだかくすぐったい気持ちだった。
照れ隠しのつもりでちょっと眉をしかめて、アスは立ち上がる。
「……とりあえず、座って話を聞くのはもういいかな。ナーダの話は面白いけど、僕の先生には向かなそうだよ」
「あら、そうですか。また気が変わったら、いつでも来てくださいね。私の授業もお見せしたいです」
「うん、また今度ね」
「よい師と出会えることをお祈りしてますね」
キサラは中座しようというアスを引き留める様子もなく、丁寧に頭を下げた。
まだ講義を続けているナーダに目だけで別れを告げ、アスは子供たちに背を向けて歩き出す。とはいえ、どこへ行くかはまったく決まっていない。
「どうしようかなぁ……。ナーダだったら、占いで決めるのかなぁ……」
しかし、空を見上げたところでアスの目に映るのは、太陽を覆いつくすような白い雲ばかりだった。