蔵の中の失楽   作:nazario

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花の影の災厄⑤

眠りの病はゆっくりと、しかし確実に都全体を覆い始めていた。何よりも厄介だったのは、彼らがまるっきり眠っているだけではないということだった。

自ら目を覚ますことはないが、無理に口をこじ開ければ食事をとらせることはできる。声をかけても反応はないが、ぼんやりと目を開くことはある。いわば、極端に動きの悪い病人のような存在だ。病の原因が何かは分からなくても、ただ弱ってく相手を無下にすることはできない。それぞれの集落では、一部の人手を眠りの病に罹ったものの世話に当てるようになった。その分、普段は畑仕事や木の実集めをしている人員が減るのは当然のことだ。

だが、食物の備蓄はどこの集落にも平等に、そして豊富にあるわけではなかった。ユバの都に、これまで出会ったこともない敵の牙が忍び寄っていた。その名は、飢餓と貧困という。

 

 

「お願いします、これ、今年で一番出来がいいタパパなんです! これとその木の実を交換してくれれば……!」

「うぅ……でもぉ……」

 

プリトナがぱっと大きく広げたのは、一枚の薄手の布だ。海沿いの島でしか手に入らない染料で染められたそれはタパパと呼ばれ、美しく丈夫な衣服の材料として人気が高い。その評判は島の民の中だけにとどまらず、民族を越えた交易の際にも価値が高い。

しかし、タパパを差し出された森の民の少女は、その見事な模様にも顔を輝かせない。プリトナは一瞬打ちひしがれたような表情を浮かべるが、すぐに取ってつけたように笑いながら別のものを取り出す。

 

「だ、だったらこっちはどうですか? うちの村で採れた、とっておきの真珠です! 首飾りにしても耳飾りでも映えますよ! こんな質が良いの、いつもだったらこんな取引には出せないんです……あなたの綺麗な目にもぴったりで……」

「ごめんなさい、なのぉ……」

 

森の娘ジョカは籠を胸の前で抱えたまま、力なく首を振る。その中にある木の実は、籠の大きさに比べたら悲しくなるくらいのわずかな量だった。

けれど、たったこれだけを集めるのにもジョカは半日森の中を歩き回ったのだ。

ジョカが視線を落としたのを見て、プリトナは笑う。もちろん冗談を聞いたわけではなく、目の前の相手に媚びるために。

 

「ち、違うんです、全部寄越せなんて言いたいわけじゃなくて……ただ、うちにはもう、皆に食べさせてあげられるものがなくて……このままじゃ、ばあちゃんが……」

「で、でも、あたしだってお腹減ってるのぉ……マルキアからの配給だけだと、この子たちまで食べさせてあげられないのぉ……」

「そ、そんな……」

 

ジョカにとっては、いつも一緒にいる蛇たちは自分の家族と言っても過言ではない。しかし、マルキアにとってはそんなことは考慮の埒外だった。マルキアが取り仕切る食料の配給は、きっちりと成人女性一人分しか配られない。ただでさえ少ないその取り分を蛇に分け与えているせいで、ジョカはしばらく空腹で眠れない夜を過ごしていた。

ジョカが明確に否定の意思を示すと、プリトナは今度こそはっきりと落胆の色を浮かべる。快活な島の少女らしからぬ暗い表情に、ジョカは思わず言葉をかける。

 

「あ、あたしには分けられる分はないけど、他の人なら何か持ってるかも、なのぉ……良かったら、案内するのぉ……」

「……ううん、もうそっちには断られてきた後なんです。よその民の面倒まで見てる余裕なんかないって、はっきり言われちゃいました……」

 

プリトナは呟くように答えながら、無意識に右肩を抑える。先ほど森の集落を去るときにぶつけられた石は、笛職人の少女の華奢な肩に大きな青あざを作っていた。

よそ者がいきなり食料を分けてくれなんて、厚かましいお願いをしたのがいけないんだ。自分たちの生活を守ることに必死なだけで、誰も悪くないんだ。もちろん、私だって間違ってない。自分と身動きの取れない祖母のために、できることはなんだってしなくちゃ。

そうやって自分を慰めようとすればするほど惨めな気分は強まって、プリトナも黙り込んでしまう。

 

そんな気まずい沈黙は、幼い少女の甘い声で中断された。

 

「あら、ジョカ。今日の採集はもう終わったはずよ? 私、あなたに追加をお願いしたかしら?」

「ま、マルキア……!」

マルキアと呼ばれた少女は、二人に向かってあどけなく微笑んだ。この年端もいかない少女が、否、少女の姿をした毒婦こそが、現在の森の民を実質的に支配しているのだ。

 

眠りの病が大々的に広がる前、ごく初期の段階に、マルキアは自らをあがめる“教団“の構成員を各戸の看病に向かわせた。教団は元から薬学に精通している集団であり、看病の申し出自体は唐突ではあるが決して迷惑ではなかった。ただでさえ働き手が倒れて人手不足になる中で、専門知識を持った教団の手助けは多くの住人にとってはまさに天の救いであった。

理由のない善行について怪しむものもいたが、教団は自分たちの教義を押し付けることもせず、献身的に看病に尽くした。それをきっかけに、閉鎖的に暮らしていた教団は、短期間で集落全体の生活に溶け込んでいった。

いよいよ集落の半数ほどが眠りに落ち、自治が機能しなくなった頃、マルキアは森の集落の食糧庫の管理を申し出た。最初からこれが狙いだったのかと気づいたところで、もう遅い。自分たちの生命を教団に握られると分かっていても、彼女に逆らえる力を持つものは森の民にはすでにいなかった。

 

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