蔵の中の失楽   作:nazario

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花の影の災厄⑦

「いい? 今私たちを苦しめているのは眠りの病ではないの。たかだか流行り病なら、侵略者に生まれ故郷を略奪されつくしても立ち上がってきた私たちは負けない。むしろ、逆境から立ち上がるために連帯を強めることだってできるわ」

 

チカオトルを生徒に見立てて、マルキアは訳知り顔でつらつらと語る。そのまま任せていれば日暮れまで続きそうなほど滑らかに進む話に、チカオトルはなんとか口を挟む。

 

「だが、現状はそうではないだろう。この都に暮らす誰もが暗い顔をして、先ほどのように内輪揉めだって散見される」

「だから、本当にまずいのはそこなのよ。敵に踏みにじられても前を向けたのは、この大地にウルの恵みがあったから。私たちが傷を癒し、糧を食み、明日を信じることができたのは、すべてウルのおかげよ。けれど、今やユバの大地からはウルが消えかけているわ。ウルは万物の源なのだから、当然作物や家畜の実りにも影響してくる。その結果が、あなたがさっき見た惨状よ。飽きずに魔物退治を繰り返す戦士の皆様の目には、きちんと現実が映っているかしら? 神のためとか勝利のためだとか、大層なお題目だけでは飢えも渇きも満たせないわ」

 

チカオトルは長い話を聞くのが苦手だ。長くしゃべるのは、もっと苦手だ。何も考えていないわけではないが、自分は戦士に生まれたのだから、ごちゃごちゃと考えるよりも戦うのが本分だと思っていた。勝つために戦い、役目が終われば死ぬ。それ以上のことは、生きていく上では無駄でしかない。

だが、マルキアの不吉な話は聞き流すべきではないと本能が告げていた。彼女が語る内容が真実であることを、チカオトルも実感しているからだろう。今都にいる祈り人たちは、誰を見ても一様に腹を空かせ、疲れた顔をしている。

 

「きっと、ウルの枯渇を察しているのは私だけじゃないわ。なのに話がさほど広まっていないのは、精霊さえも衰えているから。そもそも、崩落に巻き込まれて消えた精霊はどのくらいいたかしら? フラワシやイグナだけじゃない、草原も島も高山も、失ったものは多かったはずでしょう? ウルの流れを見て、それを統べる存在が失われているのよ。今まで通りにやっていけるはずがないじゃない」

「……だが、しばらくすればウルだって戻ってくる」

「分からない人ね。そんな根拠がどこにあるの? あったとして、それをどうやって皆に信じさせるのかしら? ……ねえ戦士様、私たちを本当に苦しめているのは、病気じゃなくて食料をはじめとしたあらゆる資源の不足なの。今は単なる不満程度でとどまってるけど、この先に何があるのか……まだ理解できない?」

「……この上、さらなる凶事が起きると言いたいのか」

「起きるのではなく、私たちがそれを望むのよ。生きるべきものとそうでない者の間に、新たな線を引くために」

 

森の民はマルキアに食糧事情を支配されているため、切り詰めた生活を余儀なくされているものの、酷い飢餓は起こっていない。だが、元から周囲の資源に乏しく農耕の習慣もない島の民は、プリトナのようにほとんど全員が困窮状態に陥っている。

もともと、ユバの都の人口は戦士と祈り人合わせても三十もいかないほどでしかなかった。そこから新たに戦士が生まれ、侵略者から奪還した祈り人が増え、今では百人を超える住人がいる。食料生産に大して過剰気味の人口でもどうにかやっていたのは、マルキアの言う通りウルの恵みがあったことと、生贄の儀式があったからだ。

生贄は命を神に捧げて超常の力を得る神聖な儀式であって、決して口減らしのためにあったわけではない。だが、結果として都の人口を増えすぎないように抑制する効果があったのは否めない。

無用な混乱を防ぐために停止している生贄を、マルキアは復活させようというのだろうか。ただ食料を行きわたらせるためにという、浅ましい目的のために。

チカオトルは無言のまま、マルキアを強くにらみつける。けれど少女は、戦士の険しいまなざしをものともせずに嫣然と微笑んだ。

 

「……ふふ。戦士であるあなたには、きっと一生分からないでしょうね。お腹が減るとか病気で動けなくなるって、とっても惨めなことなのよ。それこそ、死にたくなるくらい」

チカオトルはユバの戦士だ。食わずとも飢えず、傷ついても病むことのない頑健な肉体を神から授かっている。だから、今プリトナやジョカが直面している苦痛を体感することは絶対にない。マルキアが言う、死にたくなるほどの惨めさを理解することも。

 

「あなたたちが犠牲者を決めたくないなら、私がやってあ、げ、る。その気になったら、いつでも呼んでちょうだい?」

 

腕を伸ばしてちょんとチカオトルの胸をつつくと、マルキアは踊るように身をひるがえす。そして、仮面の女を連れて森の奥へと消えていった。

チカオトルはその小さな背中を見送った後、初めて自分が知らず拳を固く握っていたことに気がついた。少女と話していた時間はわずかだったはずなのに、侵略者を相手に一晩中戦った時よりもずっと濃く、重い疲労感が体に残されていた。

 

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