マルキアが語った不吉な予言通り、不穏な雰囲気はすぐに都全体を暗く覆っていく。終わりの見えない病との戦いに、祈り人の顔は少しずつ荒んでいった。
強いものにも弱いものにも、老いも若いも、一切の区別なく眠りは訪れる。起きられるものは、眠りの病に侵されたものの面倒を見なければならない。すでに半分ほどに減ってしまった人数で、衣服や寝具の洗濯、身体の清拭、そして何よりも大事な食事の世話を行う。ほとんど成果がはないといっても、食料の採集だって行わなければ飢えてしまう。日の出てる間は誰もが働きづめで、厳めしい武器も華やかな楽器もすっかり埃をかぶっていた。
そうして一日を終え、疲れて寝床に入った後でも、果たして自分は明日の朝日が拝めるのだろうかと怯えなければならない。そして目覚めると、わずかな安堵とともにまた眠りそこなったと失望する。そんな日々を重ねていく中で、少しずつ人々の精神は摩耗していった。
キサラは背後の粗末な小屋を見て、そっとため息をつく。本来ならば復興し始めた学校の倉庫として使う予定だった土地に、急ごしらえで作った集会所。その中にいるのは、うつろな目をして座り込んだ若者たちだった。ふだんの儀礼や行事で人々が集まっていた広場には、病人と看護者が寝泊まりしている。このあばら屋は、動ける人間がその日の作業などを話し合うための場所だった。
連日の作業に追われて疲れ切っている彼女たちを「動ける」と評して良いものかは疑問だが。
キサラは豆を莢から出していた手を止め、背後の様子を探る。あばら屋を作った余りでどうにか葺いた屋根の下で同じ作業に当たっているのは、キサラと同じくまだ年の若い女性が多い。その中には、リムセ村だけでなく、ウタリ村やライカ村の顔ぶれも入り混じっている。
どの村でも人が次々と病に倒れているため、集まって作業をした方が効率が良いということになったのだ。草原の民はもとより民族間での交流も多く、協力関係を築くこと自体に抵抗は少なかった。
平時であればお互いの暮らしについてなど楽しい雑談がひっきりなしに交わされているであろう顔ぶれなのに、今は皆、黙々と手を動かしている。
眠りの病に倒れる者は、風邪や通常の流行り病と同じく老人や子供が多かった。必然、働き手として駆り出されるのは体力がある若者たちということになる。
そこまでは、誰もが納得がいく話だ。困った時には助け合うのが当たり前で、とうの若者たちだって、言いつけられる仕事に文句を言うのは表面だけで、労働力として頼られていること自体は誇らしく思っていたはずだ。
けれど、単純作業に終わりがないとなると話が違ってくる。祭りも宴もない状況がいつまで続くのかと長に問うても、答えは帰ってこない。
それでも、崩落で消えたイトラの代わりにルクルが指示を出しているだけ、リムセ村は恵まれている方だ。隣のライカ村は、その長さえ病に倒れている。
指導体系が乱れれば、仕事の割り振りもおおざっぱになっていく。それに加えて、最も重要な食料の採集と病人の看病は、ある程度知識や経験がある者でないと難しく、必然的にできる者が限られてくる。
いくら頼りにされていると言われても、毎日辛い作業を課されていては面白くない。しかし、食料集めもままならない現在では、満足に報酬を渡すこともできない。結果、よく働く者ほど、自分たちだけが割を喰っているのではないかと感じ始める。誰も口には出さずとも、そんな暗い空気が集落全体を覆っていた。
キサラはほんの少しだけ唇を噛むと、止まっていた手を再び動かし始める。
暗いことばかり考えていたって仕方がない。とにかく、自分たちが働かなければ未来はないのだ。せっかく平和な日々を掴みかけたのだから、石にかじりついても泥水をすすっても、この苦難を乗り越えてみせないと。
こんな時にいつも頭に浮かぶのは、教室に通う子供たちの楽しそうな笑い声と元気な姿だ。あの日々を取り戻すまで、あとどのくらいの夜を数えればいいのだろうか。
頑張ろうと決めたはずなのに、この先のことを思うとどうしても手が震えてしまう。
キサラの生徒たちがほとんど眠りの病に倒れていたのは、幸運だ。こんな情けない姿、生徒には見せられないから。
子供たちにはいつも、助け合えばなんだってできると教えてきた。けれど、助け合っても駄目だったなら、どうすればいいんだろう。
この日々の先に、きっと問いの答えはある。だが、それが明るいものなのかどうかは、誰にも断言することはできない。