何度目かも分からないため息をつこうとしたその時、近くの里山に採集に行ったはずの若者の一人が戻ってきた。
また手ぶらで戻ってきた報告を聞くのかと人々の表情が沈む中、彼女は――イメラは、臆することなく小屋に入り、背負っていた袋を下ろした。
「……野菜がある。ラタキの……畑を作ってたやつの、家から持ってきた」
「え……野菜……!?」
イメラの口から出た言葉に、村人はにわかに色めき立つ。近頃口にできているものと言ったら、保存の効く芋か干し豆ばかりだ。それでも量を食べられるだけ恵まれているのかもしれないが、毎日同じものばかりではやはり気分も滅入ってくる。薄茶色の煮込みの中に、味のいい野菜が入っていればと何度思ったことだろう。
「すごい、どのくらいあるんですか!? 皆に行きわたるくらいあればいいんですけど……」
「そりゃ無理だな。だが、ここにいる奴らで分けるぐらいならどうにかなりそうだ」
イメラはどっかりと腰を下ろして胡坐をかくと、すぐ横にずだ袋を放り出す。少量ではあるが確かに中身の詰まった重い音に、周囲の目が釘付けになっている。
「一、二……ざっと十人ちょいか。だったら一人あたま三日分くらいにゃなるだろ。俺の分は最後でいいから、適当に分け前を決めてくれ」
「ちょっと待ってください!」
イメラの投げやりな言い方に、キサラは口を挟まずにはいられなかった。
「ほ、本当にここにいる者だけで分けるつもりなんですか!? あなたの思いやりは分かりますが、こういうものはまずは病人に……」
「……思いやり? はっ、ずいぶん笑えること言ってくれるじゃねえか」
イメラは鋭く攻撃的に息を吐くと、キサラを強くにらみつけた。
「んなきれいごと言ってる場合かよ! 動けもしねえ病人どもにいくら飯を回したって、あいつらが何をしてくれるんだ!? とにかく、俺たちが食って動かなくちゃどうにもなんねえだろ! 俺だって、俺だってなあ……!」
声と同時に拳を振り上げたところで、イメラは結局その手を力なく下ろす。
「助けたい奴はいっぱいいるんだよ……だけど、あいつらが目覚める前に俺らが倒れたら、本当にこの都はお終いじゃねえか……俺だって、こんなふうにみみっちく食い物を奪い合うのなんて御免なんだよ……」
硬く握った拳で、イメラは自身の膝を打つ。そして目の前に立つキサラよりもさらに遠くを見つめるような暗い瞳で、独り言のようにつぶやいた。
「……俺がいつか死ぬときは、生贄になって誇り高く死ぬんだと思ってた。どんなに辛い目にあっても、最後には神様のもとで戦士として眠れるんだって信じてたから、泥を啜ってでも生き延びてきたのに……その先に待ってる終わりがこんなに惨めなら、いっそ侵略者に殺されてた方が……」
「やめなさい!」
「……っ!」
キサラが珍しく大きな声を上げて、イメラははっとしたように口をつぐむ。だが、その言葉の続きを言わなくとも、周囲にはその気持ちが伝わってしまっていた。キサラの顔に浮かんでいるのも、イメラに対する怒りよりも苦悩の色が濃い。
もとより武闘派の気質が強いライカ村の中でも、イメラは特に実力のある狩人だ。獣相手のみならず、侵略者との戦いでも戦えない村人を守るために善戦していた。一度は侵略者に捕らえられていたが、捕まってからも抵抗を続けていたイメラは、決して彼らに敗北したとは思っていないだろう。
そんな誇り高い女狩人の口から、侵略者に殺された方がましだったという言葉が出た。それほどに、ユバの都の現況は多くの者にとって耐え難いものだった。
とはいえ、さすがにイメラが言いかけたことにはっきりと同調するものはいなかった。その代わりに、誰かが疲れた声でこうつぶやく。
「……まだ分からねえのか、この病に効く薬は」
「……薬? 気付け薬の類なんて、ずいぶん前に使い切っちまったよ。新しいのを作らせようにも、スルカはもうとっくに眠ってるでしょう。ルルちゃんを置いて、気楽なもんだ」
「いや、薬は草原だけのものとは限らんだろう……ほら、以前来た高山の医者を覚えてないか?」
誰とも知れぬその声に、イメラははっと反応する。
「……覚えてるぞ。背の高い女と眼帯をした助手の二人組だったよな?」
以前レキムやイナウケとともに遠出をした際に、侵略者に見つかったことがあった。全面的な戦いにはならなかったが、逃げる際にイメラは足に弾丸を食らってしまった。
ライカ村では、腕に覚えがあるものは戦士を連れずに都の外で狩りをする。当然のことながら、そこでどんな怪我があっても戦士を頼ることはない。だからイメラが足に負った傷も、ウルではなく塗り薬などを用いて癒すつもりだった。
イナウケに肩を借りながら集落に帰ると、たまたまその日は見慣れない二人組が訪れていた。それが高山の医者、ファルマとその助手のリカルだった。
草原にしか生えていない薬草を手に入れるために訪れたという二人は、足を引きずりながら帰ってきたイメラたちを見て驚きながらも手早く治療してくれた。
確かに、あの二人なら草原にはない薬を持っているかもしれない。そうでなくても、何かしらの治療法を思いついてるんじゃないか。
「イメラさん、お医者さんを知ってるんですか!?」
遠くから聞こえた驚きの声は、高く柔らかい少女のものだった。
「あんた……」
「申し遅れました。私、ウタリ村の村長のラムサラと申します」
「それは知って……いや、なんでもない」
言いかけて、イメラは自分の発言を恥じるように口をつぐんだ。
集落は違うとはいえ、同じ都の中で暮らしていれば、村で重要な役割を果たす者の名前は自然と覚えていく。ラムサラがイメラの名を知っていたのも、イナウケの側で儀式についていくことがあったからだろう。イメラも会話こそしたことはないが、ラムサラを遠目に見たことは何度もあった。
だからこそ、今ここでぼろみたいな衣服をまとっているやつれた娘が、高貴な身なりをしていた若き村長だとは思えなかったのだ。
しかし、外見のひどさは自分だって同じようなものだろう。イメラは小さく首を振ると、ラムサラに向かって改めて名乗る。
「ライカ村村長代理のイメラだ。高山の医者……ファルマには以前に怪我を治してもらった恩はあるが、知り合いとは言えない」
「そうなのですね……けれど、どんなに細い糸であっても、私たちはそれにすがるしかありません」
ラムサラは伏せていた視線を上げ、まっすぐにイメラを見つめる。艶のない麻糸のような前髪の隙間から、金の瞳がきらりと光った。
「どうかファルマさんを頼って、この病に打ち勝つ方法を尋ねてはもらえないでしょうか。イメラさんが不在の間のライカ村の皆さんは、このラムサラが責任をもって看病させていただきます」
「……ファルマが治療法を知ってる確証はないんだぞ。仮にあったとしても、あっちだって状況は似たようなもんだろう。余所者と話す余裕がねえって門前払いを食らわされても何らおかしくはねえ」
「存じております。それでも、ここでうずくまっている限りは私たちに希望はないのです」
イメラの素っ気ない口調で返されても、ラムサラの瞳に宿る光は変わらない。むしろ、風に吹かれてさらに勢いを増す炎のように、少女の意思はさらに強く、固くなるように思えた。こういう目をした奴は、自分の言ったことを決して曲げない。それは、イメラもよく知っていることだった。
「分かった。ただし、薬を持ち帰った際にはライカ村のもんが先に使わせてもらう。その代わり、あんたもあんたの村を優先して面倒を見ろ。うちの奴らには、手助け程度で十分だ」
「……分かりました。出立の前に何か必要な支度があれば、申し付けてください。できる限り支援いたします」
頭を下げると、ラムサラはまた人々の中へと戻っていった。ライカ村は後回しでよいと言ったのに、さっそく近くの村人に話しかけている。あの調子では、自分の村とほとんど同じような扱いをすることになるだろう。この緊急時だと言うのに、とんだお人好しだ。
だからこそ、イメラは彼女の期待に応えたいと思った。
ここから高山の集落を目指せば、どんなに急いでも着くのは明日の朝だ。今の体調では、丸二日はかかってしまうかもしれない。
それでも、一刻も早くファルマに会って話をしよう。ラムサラの熱に当てられたように、イメラの胸も熱い鼓動に動かされていた。