イメラはディンシャの喉元に刃を突き付けたまま、低く問い質す。
「……お前、嘘ついてるだろ。眠り病を防ぐ方法も治す方法もないなんて、そんなことがあるわけがない。この集落を見ていれば、そのくらいは分かる」
「なぜ、そう思うんですか」
「草原に比べたら、起きてる奴が多すぎる。しかも、その辺を歩いている中には老人や子供の姿だって目につく。若者以外は壊滅状態のライカ村に比べたら、あり得ねえ風景だ」
「……」
ディンシャは小さく唾を飲み込む。イメラには、粗暴な物言いと振る舞いを打ち消してなお有り余るほどの鋭い直観があった。
これがただ因縁をつけてくるだけのごろつきなら、適当にごまかして帰すことができただろう。しかし、高山の状況をこの短時間で的確に把握されているのであれば、安易な嘘はかえって彼女の猜疑心を強めかねない。
「黙るなよ、お坊ちゃん。何か隠したいことがあるって言ってるのと……っ、同じだぜ」
小刀を握る手が、わずかに滑る。イメラはそれでも強気な態度を崩さないが、彼女の体力が限界に近いのは間違いないらしい。
(どうする? ナンディが戻ってくるまで時間を稼げれば、二人がかりで抑え込めるか? いや、あんな優しい子に手荒な真似はさせられない……けれど、こんなに気が立っている人が納得するような説明なんて、私には……あの仮説はまだ検証段階だ。あれに頼らず高山の罹患状況に何か理屈を見出さなければ……)
考えれば考えるほど頭はから回るばかりで、ディンシャの目は無意識に救いを求めてさまよいだす。
「……おい、今どこを見た? 隣の部屋……そうか、そこにファルマがいるんだな?」
「っ!」
迂闊だった。熟練の狩人が、追いつめられた獲物の動きを見逃すはずがないのに。
イメラはディンシャの視線だけで行き先を察知し、鋭く息を吐きながら笑う。
「ちょうどいい、お前じゃ埒が明かねえと思ってたところだ。ファルマがいるなら、詳しい話はそっちから……」
「や、やめてください! ファルマさんはようやく休みをとれたところなんです!」
思わず声を上げたところで、イメラの推察を肯定したようなものだと後悔する。しかし、こんな危険な人物を弱っているファルマに会わせるわけにはいかない。喉元に冷たい刃を感じながら、ディンシャの思考はさらに空回りを重ねていく。
(どうする、どうすればいい? ファルマさんに頼らず、私だけでこの状況を切り抜けるには……でも、今渡せるものなんて、例の仮説くらいしか……!)
「急にでかい声だすなよ。もうお前への用は済んだから、逃げてもいいぜ。それともなんだ? 素直に何かを話す気になったか?」
ディンシャを解放するような言葉とは裏腹に、イメラは突き付けた刃をおろすことはない。
見定めているのだ。細い細い逃げ道を提示された鼠が、どうやって手の内に逃げ込んでくるのかを。
「さっきから、あんたの目がふらふら動いてるのがよく見えるぜ。オレを言いくるめるために餌を差し出すかどうか、迷ってるんだろ? 喉を掻っ捌かれそうになってるのにファルマには頼りたくないなんて、ずいぶん余裕じゃねえか。あんたみたいな臆病な奴が騒ぎもせずにじっと考えてるんだから、何か隠してることがあるんだ……そうだろ?」
ディンシャは恐怖を覚える。自ら命の危険に対してではなく、この女狩人の並外れた洞察力に。
それと同時に、胸の中にはわずかに期待が芽生えていた。あの仮説を見せれば、彼女の聡明さは何かを導き出してくれるかもしれない。
「で、でもあれは、まだ検証もできていない段階で……こんな不確かな情報を話すわけには……!」
イメラ相手に取り繕うことは諦めているが、それでも誰彼構わず広げて見せられるほど、ディンシャの自説は易しいものではない。それに加えて、軽々に話すわけにはいかない事情もあるのだ。
あの仮説が事実だとするなら、このユバの都の構造自体が揺らぎかねないものなのだから。
イメラにそんなディンシャの逡巡が伝わるはずもなく、煮え切らない態度に耐えかねた舌打ちが聞こえた。
「かったるいこと言ってんじゃねえよ! いいか、俺はお願いをしてるんじゃないんだ。ここで何かを持って帰らなきゃ、あいつらに顔向けが……」
喉元の刃が不意に小さく動き、ディンシャの皮膚に糸のように細く血がにじんだ。イメラは自分の手元が意図せず傷を作ったことに苛立ちを隠さず、再度舌を鳴らした。
「もう分かっただろ、この刀だって脅しじゃねえ。無暗にあんたを傷つけたくはないが、薬が手に入るならオレはどんな罪に問われようが構わないんだ。それが分からないんなら、もっと痛い目に会わせるしかないぞ」
「そ、そんなこと言われても……」
「もういい、やめろ」
着火寸前の二人のやり取りを中断させたのは、女の落ち着いた声だった。
二人の背後の部屋から出てきたファルマは、寝起き姿で髪を下ろしたまま、壁にもたれかかる。
「ありがとうな、ディンシャ。おかげで少しは頭がすっきりした。お前の書いた説もしっかり読ませてもらった。確かに検証不足ではあるが、この病が広がるのを防止できる可能性はあるかもしれないな」
「ファルマさん、それは……!」
「イメラ、だったな。久しぶりの挨拶がこれとは、草原の民には変わった文化があるんだな。お前の気持ちは分かったから、そろそろディンシャを解放してくれないか」
「……分かるだと?」
イメラはディンシャの身体を突き飛ばすと、小刀を構えてファルマに向き直った。
「お前に何が……食い物にも働き手にも困ってねえ、お前らに何が分かるっていうんだよ!」
「状況は違っても、この病にどうにかして立ち向かいたい、皆を救いたいという気持ちは同じはずだ。お前は違うのか?」
刃物を突き付けられているにも関わらず、ファルマの態度に怯えたところは一切ない。イメラは険しく眉をしかめるが、ファルマはその視線を正面から受け止めるように口角を上げた。
「字は読めるか、イメラ。お前に見せたいものがある。分からないなら私が読み上げるから、聞いてから信じるか判断してくれ」
「でもファルマさん、それはあまりに時期尚早です! 説を裏付ける証拠だってまだ不十分なのに……」
「だが、もう限界だ。万人が納得するまで論拠になるものを探していたら、都全体が疲弊してつぶれてしまう。こうやって乗り込んでくるくらい気概がある奴がいるうちに、一度皆を集めて話がしたいんだ」
「……集める、だと?」
イメラの怪訝そうな声に、ファルマはしっかりと頷いた。
「ああ、高山と草原だけじゃない。この都で動ける人間、可能なら全てに伝えたいんだ。眠りの病の感染源が何か……いや、誰なのかを」