描写はキスとハグくらいです。
ご確認のほどよろしくお願いします。
総意は決まった。ユバの民は得体の知れないネズミによって疫病が広がる状況を静観することを良しとせず、その元凶を絶つために高山を捜索することを選択した。
しかし、都の外には相も変わらず死の風が吹いている。どんなに気焔を上げても、祈り人が戦士に同行することはできない。捜索の任を負うのは、七人の戦士たちだけだ。
その代わりと言うように、夕暮れに戦士たちが出立の準備をするのに合わせて、都を上げた宴が開かれた。といっても、住人の半数以上が眠りの病に倒れている中では豪奢な振る舞いができるわけもない。広間で大きなかがり火を焚き、その周りを囲むだけだ。それでも、強く揺らめく炎の熱を浴びることで、戦士と祈り人たちの心は一つになっていた。
普段の宴とは異なる静かで張り詰めた雰囲気は、勝ち筋の見えない戦の前にはむしろちょうどよいのかもしれない。賑やかな歓声の代わりに火の粉が舞う音を聞きながら、ユウムナはそんなことを考えていた。
いつも呑気なアスが、あんな大演説を打つとは思わなかった。戦士だけではない、この場に集まっていた祈り人たちだって、皆期待に満ちた眼差しをアスに向けていた。今だってかがり火の向こうに見えるアスは、祈り人から代わる代わる手を握られたり声をかけられたりで休まる暇もなさそうだ。
けれど、自分たちの行く先は決して明るいものではないことをユウムナは知っている。あの大崩落の日から、この世界に満ちていたウルは減少していく一方だ。たとえ病を運んでいるネズミを絶やしたとしても、根本的な解決にはならない。
そのことに気づいているのは、恐らくユウムナだけではない。あのラルクという祈祷師を始め、ウルの扱いに長けたものであればこの世界に終わりが近づいていることは多かれ少なかれ理解しているはずだ。だとすれば、自分たちが送り出されようとしているこの戦いに、果たして意味はあるのか――。
「戦士様、よろしいですか?」
暗いところに沈み続けていく思考は、穏やかで控えめな声に遮られた。
振り向くと、小さな籠を持ったディンシャが立っていた。
「あの……お怪我はありませんか」
「怪我? なんのことー?」
ユウムナは首を傾げる。侵略者とも魔獣ともしばらく戦っていないんだから、怪我なんてしようと思ってもできない。そもそもユバの戦士は頑健さも回復力も並外れているのだから、戦いで負った傷だって放っておけば治ると言うのに。
けれどディンシャはためらいがちに、けれどはっきりと答える。
「……ファルマさんがあなたを病の原因だと宣言した時のことです。あの時、多くの人から石をぶつけられたでしょう。額がまだ赤くなっています。これは高山の薬草で作った膏薬です。お使いください」
「いいよー、そんなの。見た目はともかく、痛みは全然残ってないしー」
だがディンシャは返事を待たずに動いていた。薄く柔らかい膏薬をユウムナの額に貼りつけ、上から亜麻布を巻いていく。
かすり傷程度の怪我に対する必要以上に丁寧な手つきは、こういった行為が不慣れなのだろうかと感じさせた。処置が終わったユウムナの額に、ディンシャは亜麻布の上から指で触れる。
「……あなたが石で打たれたのは、私のせいです。ファルマさんが公表した考えは、私が言い出したことでした。本来であればもう少し証拠を集めるつもりでしたが、そんなことは言い訳にもなりません……。もしあの侵略者がネズミを持ってきていなければ、きっと間違った考えがこの都に蔓延していたでしょう。私は自らの思い込みでユバの戦士を病のもと呼ばわりして、危険にさらしたのです」
「ううん、ディンシャちゃんの考えは間違ってなんかないよ」
首を小さく横に振って、ユウムナは額に触れていた指から逃げる。
問われなければ、言うつもりはなかったことだ。しかし、ディンシャが自らに責任を感じているというのなら、ユウムナは己の行いを説明する必要があるだろう。
「あの時のあたしさ、皆の前に連れていかれたけど、縛られても口を塞がれてもなかったよね。違うって言おうと思えば、いくらでも言えたんだよ。でも、そうしなかった」
反論しようとするディンシャを視線だけで止めて、ユウムナはゆっくりと話し出す。
「ダリアちゃんが初めて眠り病にかかったとき、ディンシャちゃんもいたよね。あの時のディンシャちゃん、自分でもダリアちゃんの病気を調べたいって言ってたでしょ? 私はね、それがすごく羨ましかったんだ。私は戦士だから、戦いがなければ誰かの役に立つことなんてできない。特に私は変異の戦士だから、本当に戦い以外のことは何もできないんだよ。……それでも、ダリアちゃんに何かをしてあげたかったんだ」
異質な色の髪と瞳を持つユウムナに向けられる視線には、常に畏怖と恐怖が込められている。自分は他の戦士とは違って契る機能さえない体に生まれてきたのだから、それでいいと思っていた。例えばアスがナーダと築いているような温かな関係を自分が持つことは、ありえないと分かっていた。
だがダリアは、ダリアだけは、旺盛な好奇心と天真爛漫な性格に任せ、ユウムナにも臆することなく話しかけてくれていた。
その振る舞いが、どれだけユウムナの心を慰めていたのか。失ってからようやく気づくなんて、自分はとことん愚かだと自嘲する。
「私、ここしばらく花を集めてたんだ。ダリアちゃんのもとに、お見舞いとして持っていくために。……ウルをたっぷり蓄えた花だけを摘んで、ダリアちゃんに捧げてたんだよ。この世界のウルが失われ続けてること、花を摘んだ場所のウルがさらに減ることを分かって、あたしはダリアちゃんの目を覚ますことを選んだの。もしかしたらその時、ディンシャちゃんは花を届けに行くあたしを見かけてたかもしれないね。だから、君の説はやっぱり間違いなんかじゃないよ。ダリアちゃんはともかく、他の集落の皆が倒れたのはあたしのせいかもしれない。……それで目を覚ましたってダリアちゃんが喜んでくれるはずないって、分かってたのにね」
「それは……」
ディンシャはユウムナの告白に、困ったように眉を下げた。戦士のくせに身勝手な行動をするなと糾弾してもいいし、やはり自説は正しかったと胸を張ってもいいのに。どちらも選ばずにただもぞもぞと指先を動かすディンシャを見て、ユウムナは少し頬を緩めた。
「変なこと言っちゃったね。安心して、ちゃんと役目は果たすから。ネズミをやっつけて、皆が目覚められるように手がかりを一つでも見つける。私にできるのなんて、それだけだから」
アスの言う通り、私たちはユバの戦士だ。戦うことが運命で、戦いによってしか誰かの役に立てない。こんな単純なこと、もっと早くに気づいていればよかった。ダリアと話す嬉しさを知る前に。少女の笑顔を想いながら、必死に花を摘む前に。そうすれば、こんな胸の痛みも知らずに済んだのに。
ディンシャは明るく笑うユウムナから目を逸らして、小さくつぶやいた。
「……師匠は、目覚めてあなたがいなければ、きっと悲しみます」
「そんなわけないって。ダリアちゃんのことだから、すぐに新しい発見をしたらそっちに夢中になるよ」
ユウムナはただ事実を言っただけだ。なのに、どうしてディンシャがそんな泣きそうな顔をしているのか分からない。やっぱり私にはお喋りなんて向いてないんだ、と結論付けようとしたその時。
「目を、閉じてください」
また手当をしてくれるのかな、と思ったユウムナは黙ってその通りにした。額に痛みなんてないけど、薬を塗ったり布を巻いたりしてディンシャの気が済むなら、別に文句はない。
だが、長い指が触れたのは思ったのとは違う場所だった。顎が上を向かされたと思ったら、唇に柔らかい感触が触れて、すぐに離れていった。
「こ、これは師匠の分です。師匠がここにいたなら、おそらく、たぶん、こうしていた、のではないかと、推察するのも不可能ではないと、私としては……」
レンズの下の端正な顔が、見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
「……ふふ。それじゃあ何言ってるか分かんないよ」
思わず混ぜっ返してから、ユウムナは自分が本心から笑ったことに驚いた。
ディンシャはさらに顔を赤くした後、大きく深呼吸をしてユウムナに向き直る。
「必ず、生きて帰ってきてください。私はここで、あなたを待っています。あなたに謝罪と感謝を伝えるために」
「……うん。待ってて」
ユウムナは手を伸ばして、ディンシャの眼鏡を奪い取る。二度目の口づけの間に、言葉はなかった。だから、ユウムナはそれを、ディンシャからの激励だと思うことにした。