明るい橙の火が照らす広間を、アスはゆっくりと見渡す。我の強いユバの戦士たちは、皆思い思いに出立の前夜を過ごしているようだ。
渓谷の狩人たちに取り囲まれたヤアヤは、自身に期待の眼を向ける彼らを一人ずつ抱きしめていた。その中には、いつかヤアヤに頼んで訓練を行っていたダダ・ナウルの姿もあった。
「頑張ってね、戦士様。あたし、一生懸命お祈りするから」
「あはは、気張り過ぎて倒れんなよ! 戻ったらまた鍛え直してやるからな!」
「た、倒れたりなんかしないよ! 戦士様こそ転んだりしないでよね!」
ケトは中心から離れたところでビシャールと並んで座り、黙って夜空に弾ける火の粉を見つめている。二人の間に言葉はなく、けれど肩を寄せ合って同じ方へ視線を向けていた。
「……あなた、前に私が見てた戦士様に少しだけ似てます」
「そうか」
「ええ。そういう口下手なところが、本当にそっくりです」
チカオトルはさりげなく人目に付かないところを選び、不機嫌そうに唇を尖らせているマルキアの指先に口づけていた。
「あなたは話の分かる戦士だと思ってたのに、結局は他の戦闘人形と一緒ね。言っておくけど、私と信者たちにかかれば、あなたたちの支配なんていつでもひっくり返せるのよ? そうしない私の情け深さに感謝しておくことね」
「ああ、感謝しよう。これでいいか」
「ちょっと、何を……! ん、もう……勝手な人ね!」
姿が見えないメクティコは、眠り込んだままのキャキャやシャウキの顔を見に行くと言い残していた。
「俺が様子見たからって病気が良くなるわけじゃねえけどな。……俺はうるせえとこにいるより、辛気臭え場所でじっとしてる方がいいんだよ。付きまとってくるチビどもがいない分、気合が入りそうだぜ」
*
アスは自分の頬に触れて、妙な疲れ方をしてるな、とため息をついた。
この宴の間に、あまりに大勢の人に話しかけられたせいだ。自分が旗振りなんて柄じゃないし、そうなる必要もないとは思う。それでも皆の前で偉そうなことを言った責任は感じていたから、アスは自分を慕ってくれる人たちと言葉を交わし、そうでない人にも話しかけた。だが、宴が終わるころになっても、待ち人が訪れることはなかった。
篝火がゆっくりと勢いを失って、夜の闇が広がっていく。いくぶん弱くなった炎が照らす範囲に、目当ての人物はいない。
広間から離れた木々の隙間を探して目を動かすと、暗闇の中にほのかに光るものを見た。
葉の落ちた枝が月に照らされ、複雑な模様を地面に落としている。その影に閉じ込められるようにして、ナーダは立っていた。
アスは無意識のうちに息を詰めながら、ナーダに歩み寄る。篝火を囲んで皆で話していたときの賑やかさなんて、一瞬で忘れてしまった。
「……来ないでください」
しかし、十分な距離に近づく前に拒絶された。
「ナーダ」
呼びかけても、ナーダは黙って首を横に振るばかりだ。構わず、アスは歩みを続ける。
「やめてください、戦士様……私に近づかないで」
アスに聞く気がないのを感じ取ったのか、ナーダは言葉でけん制するのをやめて走りだした。乾いた草を踏み分ける二人分の足音と、衣服が風に翻る音だけが聞こえる。
「ナーダ、ねえナーダ……逃げないで、ナーダ」
月明かりだけが頼りでは目の前の姿さえ見失ってしまいそうで、アスは馬鹿みたいに名前を呼ぶ。
「来ないで……放っておいてください!」
答えるナーダの声には、涙が混じっていた。思わず伸ばしたアスの手が、華奢な肩に届いた。力の限り引き寄せようと思ったところで、足がもつれる。
「……っ!」
すぐに起き上がれなかったのは怪我をしたからじゃなくて、こんな時まで格好がつかない自分が情けなかったからだ。いくら大勢の前で胸を張って威張ってみたところで、アスがちびでのろまで手足も短いのには変わりないのだと突き付けられたみたいだ。
「……」
そのままつっぷしていると、ためらいながら足音が戻ってくる。
「……大丈夫か、って聞いてくれないの?」
いくぶん離れたところで、ナーダの足は止まる。
「聞きません。あなたは強い人ですから、私の心配なんて不要でしょう」
夜露で濡れた地面が、じっとりと肌にまとわりつく。それでも、なんだか意地になって顔を上げられなかった。
「……他の皆は色々してくれたのに。心配だけじゃなくて、励ましとか、お祈りとか、他にもいろいろ」
「知ってます。……ずっとあなたを、見てましたから」
「うん、僕も気づいてた。それで、ナーダはどう思ったの?」
「私は……」
ナーダが口ごもっている間に手早く立ち上がって、正面から向き合う。だが、うつむいている少女と視線はぶつからない。
アスはナーダの答えをじっと待つ。虫の声も聞こえないほど、静かな夜だった。
「……行かないでください」
ようやく絞り出されたその声には、悲痛な響きがあった。
「私は、怖いんです。この先の未来に、恐ろしいことが起こるのが。今でさえ辛いことばかりなのに、もっと大きな悲しみがやってくるとしたら、私はもう耐えられません……あなたを、失いたくないんです……!」
「……でも、このまま都に閉じこもっているんじゃ駄目なんだよ。ナーダも分かってるでしょ?」
「だとしても、あなたが戦いに行かなくてもいいじゃないですか! こんなに体も小さくて、華奢なのに……」
「……うん、そうかもね。でも、僕は戦士だ。弱っちくてものろまでも、それが戦わない理由にならない」
頬に違和感を感じて、拳で拭う。手には大きな泥の塊がついていた。擦ったから、かえって汚れを広げてしまっただろうか。でも、そんなことは気にならない。
「ねえ、ナーダ。前に僕が言ったこと覚えてる? 占いをができない、未来を見るのが怖いって泣いてた時、ナーダは弱くなんかないって言ったよね。今でも僕はそう思ってるよ。でも、自分が強いか弱いかを最後に決めるのはナーダだ。僕は戦士だから、ナーダと同じ立場でものを言うことはできない。だから、違う言い方をする」
「……」
うまく伝わるだろうか。いや、理解されなくても構いはしない。ナーダがそれを信じない、信じたくないというなら、アスは自らの行動で証明するまでだ。
「弱いのも怖いのも、否定するつもりはないよ。でも、それを逃げる理由にしないで。ナーダが怯えて立ち止まるための言い訳にしないで」
少し高いところにある襟首をつかんで、思い切りナーダに顔を近づけた。菫色の虹彩が怯えて縮こまっているのが見える。
「僕の言ってることが分かるか、ナーダ・シウ! 恐怖がお前の眼を塞ぐなら、その耳に聞かせてやる。言葉でも分からないなら、暗闇も突き破るくらいの光を僕が見せてやる! だから、お前も戦うんだ。弱くても、震えていても、どんなにみっともなくても! 戦え! お前自身の戦いを!」
肩を強く押さえつけ、無理やり目線を合わせた。ナーダがぎゅっと目を閉じたのを確認して、アスも静かにまぶたを閉じる。
そして次の瞬間、全力を込めて額を打ち付けた。
「つっ……!」
閉じた目の奥に、火花が散る。手加減なしでやったから、お互いに骨まで痺れそうな痛みを感じているだろう。
それでも、アスは無理やりに笑顔を作る。
「気合入った?」
「……い、痛いくらいに」
ナーダの瞳に、涙の膜が張っている。けれど、怯えた目をした少女が涙をこぼすことはなかった。
「うん、ちょっとはいい面になったじゃん」
あえて乱暴な言い方をして、アスはまぶしそうに目を細める。
東の空が、うっすらと青く明け始めていた。
出発の時は、もうすぐだ。