蔵の中の失楽   作:nazario

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剥落の裏の白②

「気味が悪いな」

ケトが解体用の小刀をひらめかせ、道を塞いでいる蔓草を切り払った。柔らかな草が茂る地面はずいぶん歩きやすいが、先ほどの雪道を思い返してどうしても頭が混乱する。

思わず目を落とすと、アスの足元を大きなトカゲが走っていった。

『渓谷のトカゲですね。この辺りではまず見かけない種類です。それに、私が以前見かけたものよりずいぶん大きい気がします。戦士様、右手の植物に顔を向けていただけますか?』

都から通信機を通して呼びかけているのは、ディンシャだろうか。落ち着いた口調だが、学者としての興味が隠しきれていない。

『ああ、やはり……。どうも寺院の周囲では、動植物が巨大化して成長しているようです。大変興味深いので、それらの標本を持ち帰ってきてもらいたいものです』

ため息交じりに状況を分析するディンシャに、別の声が割って入った。

『そんな話してる場合じゃないと思うよぉ。侵略者が捕まえてた例のネズミを解体してみたけど、やっぱりこいつも妙に体がでかいね。ぶくぶく太っているのとは違って、骨格も含めて全体的に大きいんだ。キヒヒ、もしかしたらそのネズミもトカゲも、私たちが知っているのとは別の種類なのかもしれないねぇ。戦士に言うのもおこがましいけど、十分に気を付けて進んでくれよぉ』

機械を通した声でも、その笑い方でチュナだと分かる。アスたちの道行は、思ったよりも多くの祈り人に見守られているようだ。

「うん、分かった」

頷いたところで、アスたちの声は向こうには届かないということを思い出す。

一方的に見られ、声だけが届けられるというのは不便だし、それ以上に気味が悪い。普段の狩りで祈り人に見守られているのとは、やはり違う。何が、というのは言葉にはできないが、とにかく違うのだ。

 

「都の奴らはなんだって?」

アスの独り言――気分としては相槌を打ったつもりだが――を聞きつけて、メクティコが振り返った。ディンシャとチュナからの分析を伝えると、メクティコは長い前髪をかき上げて鼻を鳴らす。

「ふん、そりゃあ役に立ちそうなご助言だ。こいつらが普通のトカゲよりでかいなんて、言われるまでこれっぽっちも気付かなかったぜ。全く俺の眼は節穴もいいところだな」

皮肉っぽいつぶやきに、アスは顔をしかめる。

「そんな言い方ってないだろ。ディンシャだってチュナだって、僕らのことを心配してくれてるんだから」

「心配で奴らの腹が膨れるなら、いくらでもしてほしいもんだがな。俺たちの行動に嘴を突っ込んでくる間は、採集も看病もしていないってことじゃねえか。こっちは俺たちに任せて、あいつらは都を守るって決めたはずだろう? お互いの仕事を果たさなくちゃ、話にならねえ」

冷たく言い捨てると、メクティコは歩調を早めて先頭を行くケトに並んだ。

 

「メクティコちゃん、苛ついてるねー」

追い抜かれたユウムナが苦笑いする。寺院はもう目の前だから、地図を見る必要はもうないらしい。

「メクティコちゃんが仲良くしてた子は、だいたい眠ったきりになってるから。キャキャちゃんとかシャウキちゃんとか、小さい子がご飯もまともに食べれないんだから心配するのも無理ないよねー。もしかしたら、あたしたちの中で一番焦ってるのかも」

「そういうユウムナは落ち着いてるね」

「あたしはほら、戦うしかできないからさー。ごちゃごちゃ考えるのも得意じゃないし?」

そうは言っても、ユウムナだって都の祈り人を気にかけていないわけではないと思う。だが、このネズミ退治に出発してからのユウムナは、都での暗い顔が嘘のように明るく振る舞っている。肝が据わっていると言えば聞こえがいいのだが、アスはその態度に何とはなしに違和感を持っていた。

「……迷いがないな」

二人の話を背中で聞いていたのか、メクティコに追い抜かれたケトがつぶやいた。

「え? ケトちゃん、何か悩みでもあるの? 珍しいねー、いつも即断即決なのに」

「いや、そういうわけでは……」

「じゃあどういうわけ? もしかして、道の話? 寺院はもうすぐじゃん。迷う方が難しいよー?」

ユウムナが無邪気にケトに絡む様子は、普段侵略者を相手にしている時と何ら変わりはない。なのに、アスは言いようのない胸騒ぎを感じていた。

こちらの声が都に聞こえないのは、結果的には良かったのかもしれない。もしアスの口元に通信機がつけられていたら、不安に押し出されるため息が祈り人に届いてしまっていただろうから。

 

 

道中に見つけた生物は、もちろんトカゲだけではない。例の白ネズミの姿も、いたるところに見かけている。そのどれもが同じ方向へ、すなわち寺院へ向かっていた。

ここまでは、タクナが追跡したネズミの行動とも一致するところだった。雨風が防げるところを住処にしているのだろう、というのがディンシャの意見だった。

つまり、寺院の中に足を踏み入れればネズミの大群と顔を合わせる可能性がある。

「そうだったら話は早いがな。一匹一匹探して仕留めていくよりも、大元を叩いた方が手がかからねえ」

背の高い木に登って身を隠しながら、戦士たちは寺院を見下ろしていた。青灰色の石を積み上げて造られた寺院は、松明に照らされていれば荘厳な雰囲気を醸していただろう。だが今は、蔓草や枝に覆われて、どことなく窮屈そうな印象だ。間を置かずに出入りするネズミたちは、寺院の威厳なんてかけらも気にしていないだろうが。

「とはいえ、あまりに数が多いようなら手段を考えなくてはならないだろう。場合によっては罠を用いた方がいいかもしれない」

「寺院に傷をつけたらアウララたちがきいきい言いそうだけどなぁ」

「建物なんて、都がもとに戻ればいくらでも直せる。今はネズミどもを始末するのが優先だろうが」

緑の葉の間から顔を出し、チカオトルとナタリが意見を言い合っている。メクティコが二人にいちいち突っかかるのはいつも通りの光景だ。しかし、こういう場に率先して口を出すもう一人が、今は黙り込んでいる。

「……」

寺院に到着してから、ヤアヤはずっとこの調子だ。眉間にしわを寄せたまま、顎に手を当てて難しい顔をしている。

アスはわいわいと議論をかわす男連中に背を向け、幹を伝ってヤアヤの隣へ行く。

 

「ねえヤアヤ姐、どうしたの? 」

「……アス。あんたさ、渓谷の祈り人とつるんでなかったか? ……ああ、あんたと仲がいいのは占い師の嬢ちゃんか。じゃあ分からないかもしれないな」

「な、なんだよ。僕がナーダと仲良かったらどうだって言うの?」

「狩りの話だよ。あんた、侵略者じゃなくて獣を狩ったことはあるか?」

アスの返事を待たず、ヤアヤは続ける。

「あたしはある。ダダやリーザに混じって、渓谷や草原で野生の獣を追っかけて、弓や罠で仕留めるんだ。動物ってのは頭が良くてな、こっちも全力で知恵を絞らないと勝負にならない。だから、狩人ってのはありとあらゆる物事を観察するんだ。獲物の行動、癖、どこで餌を喰ってどこで眠るのか。それを知ってこそ、飛び道具も罠も意味を持つんだ」

そこで言葉を切って、ヤアヤはアスに険しい視線を向けた。

「だからあたしも奴らの足跡なんかを観察していたんだが……なあアス、妙だと思わないかい? どうして寺院の中にあんなにたくさんネズミが入っていくのに、獣の臭いがしないんだ?」

「臭い?」

 

アスが首を傾げたその時、空気が動く音がした。

その気配を察知したのは、戦士の勘、としか言いようがない。

お互いに合図がなくとも、七人の戦士は示し合わせたように息をひそめ、瞬時に木の陰に隠れていた。

次の瞬間、大地が大きく揺れる。アスがいたところから見えたのは、そいつのほんの一部だった。

地を這う巨体。ぬめるような光沢を放つ、白銀の鱗。そして、感情の宿らない、細長い瞳孔。

最も近い言葉で表すなら、それは蛇だった。ただし、その規格外な大きさは、生き物というよりも山や川など、自然そのものに近いように思える。

巨大な蛇は悠々と寺院に近づくと、大きく口を開ける。その中身も不気味なまでに白く、頭部の両側にある瞳だけが血のように紅い。

そして開いた口の中に、誘い込まれるようにネズミが駆け込んでいった。寺院の中から、そして周囲の森から、信じられないほどに多くのネズミが現れ、自ら蛇に飲み込まれていく。

メクティコが漏らした呻きは、おそらく意図してのものではない。意味がないと分かってはいても、口に出さずはいられない。それは間違いなく、戦士たちの総意だった。

「クソ、迂闊だった……! 俺は間抜けだ、何も見えてない節穴野郎だ! どうしてこのネズミどもに、親玉がいるって考えなかったんだ……!」

蛇は真っ赤な瞳で虚空を見たまま、さらに口を開け、別のネズミの群れを飲み込んでいた。

 

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