蔵の中の失楽   作:nazario

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剥落の裏の白③

戦士の付けた機器を通じて巨大な蛇の映像が送られてきてから、広間は騒然としていた。

「蛇? 高山に蛇なんていたのか?」「あれは尋常のものではありません。おそらくは洞窟から来た魔物が変異したものかと」「だが、形が同じなら弱点も同じはずでは? おい狩人、蛇はどうやって狩るのだ」「あんな食い物にもならない細長い獣なんて狩るかよ、気持ち悪い。それを言うなら、にょろにょろに詳しい奴はあんたの身内にいるんじゃねえのか?」「……ジョカがいれば、何か助言をくれたかもしれないのに……」

しかし、そのほとんどは混乱と恐怖を形にしただけで、未知の存在に立ち向かう戦士に伝えるべきことではない。

 

タクナは眉の間を抑えながら、何度目か分からない舌打ちを漏らす。

(くそっ、こんなことなら光学機器(カメラ)なんか持たせるんじゃなかったぜ……)

戦士の道行きを見守り、時に助言を届けていたはずの祈り人たちは、今や混乱状態だ。わずかでも都で待つ辛さを軽減できればと持たせた通信機が、かえって皆の不安を煽ってしまっている。

いっそ何も知らなければ戦士たちを心の底から信じて祈ることもできたのに、異様な敵の姿をこの目で見てしまった今では、戦士たちの無事を信じることさえできそうにない。

何かがあったときに備えて、想定外のことが起こった時のために。安全を祈ったはずの言葉は、タクナ自身の不安の裏返しだった。そして今、実際に『想定外』が現れた段になって、タクナはどんなに目を逸らしても恐れからは逃れられないことを思い知った。

(あんなでかい化け物、どう考えても勝てるわけがない……! 侵略者の巨人兵だって一口で呑んじまいそうな大きさじゃねえか……戦士がいくら強いと言っても、あれじゃ勝負にもなりやしねえ……)

 

だが、タクナは顔を上げる。ただしそれは立ち向かう敵の姿を見定めるためではなく、この混乱を多少なりとも聞いているはずの戦士に激励を飛ばすためでもない。

タクナの瞳は、自らと同じように考えている人間を探すために動いていた。そして映像を見守る群衆からいくぶん離れたところで、その少女は迷う人々の視線を待ち構えていた。

「……聞こえるかしら、戦士様?」

よく通るマルキアの声に、巨大な蛇に釘付けにされていた祈り人たちが振り向く。あるものは不安げに、あるものは縋るような目で。

「ウルを集める鼠たちの住処。それを食らう化け物の存在。その二つが明らかになっただけで、今回の探索の目的は十分に果たされたわ。だから今すぐ都に戻って……」

戻って、無事を確かめさせてくれ。それこそが、タクナの心が求めていた言葉だった。

しかし少女の甘い言葉を、獣のような叫びが引き裂いた。

「ふざけんな! そんなの認めてたまるか!」

呆然とマルキアを見つめていたタクナの手から、通信機が奪われる。イメラは瘦せこけた顔の中で二つの輝きだけを爛々と光らせていた。

「そいつがネズミどもの親玉なんだろ!? 戦士様、そいつをぶっ殺して、腹かっさばいて、生き血を絞り尽くして大地に返してくれよ! そうすれば全部終わるんだ、皆目を覚ますんだ! そうだろ!?」

 

戸惑う人々の中にも、イメラの切羽詰まった慟哭に頷くものは確かにいた。

言葉を途中で遮られたマルキアは、さして困った様子も見せずに肩を竦める。

「……私がいくら説得したところで、聞き入れてくださるつもりはなさそうね」

「当たり前だ! なんで敵が目の前にいるのにおめおめ逃げ帰らなきゃなんねえんだ!」

「この都の未来のためよ。勝ち目がない戦いで戦士を失うなんて愚の骨頂……あら、ごめんなさい。足し引きも分からない人にこんなことを言っても分かるはずがないわね」

「……手下頼みの森のガキが調子に乗るなよ。てめえの頭をかち割って中身をお仲間の朝ごはんにしてやってもいいんだぜ」

背後に控える女が前に出ようとするのを。マルキアは目の動きだけで制した。

 

「これでも私はね、あなた方とも仲良くやっていきたいと思っているのよ? だから、この場にいるもので決を採りましょうか。戦士たちに一時撤退を伝えるべきだと思うものは挙手を」

マルキアはたっぷりと時間をかけて広間を見回した。その結果は、誰の目にも明らかだった。

「……そう。分かったわ。これがこの都の総意なら、私だって従いますとも」

数十名が集まる広間の中で、挙げられた手は半数にも及ばなかった。

「……本当だろうな? お得意の口裏合わせなんかに訴えるつもりじゃないだろうな」

「いいえ。でも、しっかりと覚えておくといいわ。今手を挙げていた者の顔ぶれを。手の数ではなく、その持ち主たちがどんな力を持つものだったかを……」

イメラははっとした顔で手を下げる人々を見る。きまり悪そうに、あるいは堂々とした顔つきで手を下ろすのは、渓谷の祈禱師と星読みの女、それに高山の占い師。

超常の力を持つものたちの意見を、自分たちが退けた。その事実は、戦士たちに巨大な蛇との戦いを強いると決めた祈り人たちの団結感を挫くには十分だった。

「……それでは、私は病人たちの看病に戻るわ。何かあったら報告してちょうだい」

満足そうに微笑むと、マルキアは悠々と広間を去っていった。

 

 

集落へと続く廊下に、二人分の足音が響く。

マルキアの後に付くクラウレは、苛々と爪を噛んでいた。

「マルキア様のお考えに背くとは許せませんね、あの愚民どもめ。私が何人か脅して、意見を変えさせましょうか」

「いいのよ。あえて手を挙げにくいように誘導したのだから、あの結果は当然のこと。そもそも、私の狙いはこの場を支配することではないもの。極端なことを言えば、戦士が生きて帰ってこまいが私は構わないのだから」

マルキアは振り返ることすらせずに応じる。

「ラルクとかいう祈禱師と気弱そうな星読みの娘は必ず乗ってくると思っていたけど……他にも占い師たちが撤退派だと表明してくれたのは僥倖だったわ。元から未知の敵の出現に混乱していたのに、あの雰囲気では狩人たちもろくな助言はできないでしょう。あとは戦士たちの頑張り次第だけど……果たしてあの化け物相手に、どこまで牙を立てられるかしらね?」

「……マルキア様は、戦士たちがこのまま死ねばいいと思っているのですか?」

わずかに低まったクラウレの言葉を、マルキアは朗らかと言ってもいいくらいの温度で笑い飛ばす。

「まさか。でも、このままでは最悪の場合も想定しなくてはいけないかもしれないわね。不慮の事態を想定しておけば、混乱のなかで主導権を握ることは容易だわ……」

嘯く少女の口元は、笑みの形に歪んでいた。クラウレは背の産毛が炙られるような感覚を覚える。しかし同時に、自らの唇も間違いなく喜悦を表しているのだと知っていた。

 

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