ユバの戦士は、戦う時に策を講じることはない。大概の相手には小手先の工夫など必要ないし、頭を使わなければならないときはその手のことが得意な祈り人が考えるからだ。
弓は遠くから矢をかけ、槌は近くでぶん殴るといった程度の役割分担はある。だが、それだけだ。
だからこそ、大蛇を倒すにあたってメクティコが考えた案は極めて単純なもので、それ故にアスたちの理解も早かった。急ごしらえな作戦ではあるが、きっと上手くいくだろうと思っていた。
そう。思っていたのだ。
編み込んだ髪を振り乱しながら、アスは走る。纏っていたベーゼの毛皮は、いつの間にかどこかに落としてしまった。そんなことに気を取られる暇もなく、アスがさっきまで足を置いていた地面が大きくえぐれる。
「こっちだよ、デカブツ!」
背後から聞こえるヤアヤの声に振り向く余裕はない。だが、迫る気配がわずかに遠ざかったのが分かる。
「走れ、アス! だいぶ近くまで来てるぞ!」
「分かってる……っ!」
先導するケトの鋭いまなざしに意地で応えて、必死で足を前に動かす。二人の助けによってようやく稼いだ少しの距離は、この状況を打開する勝機になるとはとても思えなかった。
*
アスの術で集めたウルを餌に誘い出し、チカオトルたちが寺院の尖塔を倒す。その一撃で、蛇退治を終わらせる。
メクティコが立てたこの作戦には、大きく二つの誤算があった。
最初の誤算は、蛇の素早さだった。
アスが術を放つには、呪文を唱えてウルの力をためる必要がある。それを分かっていたからこそ、ケトとヤアヤが護衛に付いていたのだが。
「えーっと、じゃあ始めるね」
アスは杖を目の前に構え、意識を集中させる。
都の未来がかかってるのだから、慎重にやろう。幸いなことに、ネズミが蓄えてくれたウルが漂っているのを感じる。この分なら、術が小さすぎて餌にならないということはなさそうだ。
深く息を吸い込むのに合わせて、周囲のウルを集める。
(……よし、良い調子だ。このまま、もう少し大きく……)
「おい待て。何か動かなかったか?」
ケトが気づいたその時には、白銀の大蛇はすでに住処の岩穴から這い出していた。
何かを確かめるように二、三度舌を出し入れすると、感情の感じられない瞳を寺院に向ける。
次の瞬間、巨体がくねりながら、猛然と寺院に向かって突進し始めた。
「……っ!? 早すぎるだろ……!」
ナタリとチカオトルは、もちろん尖塔の根元に待機していた。メクティコの合図が出たら、塔を倒して蛇の頭にぶつけるために。
しかし、あの速度を見ればそんな器用な調節ができそうにないのは明らかだった。
「……アス、いったん術を止めろ! 距離を取れ!」
一直線に向かってくる蛇を見て、メクティコがそう判断を下したのは自然なことだった。だが、戦略とは目の前の危機よりも最終的な目的を達成することを主眼におくものだ。戦士たちは戦闘においては優れているものの、戦略については素人同然だった。
メクティコの言葉に従い、アスはウルの収集を止める。警戒態勢を取っていたケトがいち早く飛び出し、群がるネズミを相手していたヤアヤが出遅れた。三人の隊列は、動き出しから崩れていた。
蛇は獲物が逃げ出したのを察知すると進路を変え、身体全体を大きくしならせる。それに合わせて尾が大きく振れたのが、ナタリとチカオトルが立つ尖塔の根元に当たった。たったそれだけで傾いでしまう尖塔のもろさが、二つ目の誤算だった。
「おい、どうすんだよ! こっちに倒れたら意味ないだろ!」
「止めろ! このままでは寺院の本堂が潰れる……!」
計算外の事態でも、チカオトルとナタリの動きは素早かった。ナタリが傾いた尖塔の中ほどまで一息に飛び上がり、反対方向に思い切り蹴りつける。それと同時にチカオトルが槌を支えにすることで、どうにか塔は本堂をそれて倒れた。
だが、それだけだ。作戦の要とも言える攻撃手段は、何の役目も果たさないうちに失われてしまった。
「っ……、作戦変更だ! このままアスを追わせて、崖に誘導するぞ!」
「無理だよっ! 体当たりをかわすので精いっぱいで、方向転換なんかできっこない!」
ユウムナの切羽詰まった叫びは事実だった。前もって立てていた作戦は、すでに瓦解している。それでも、考え直す暇なんてなかった。もし一瞬でも足を止めれば、アスは大蛇の口の中に迎え入れられるだろう。
通信機器は、どうにかまだ耳に付いたままのようだ。だが、そこから聞こえるざわめきが祈り人の声なのか、それとも自分の血が激しく流れる音なのかは分からない。
アスは前もろくに見ないまま、ただ走る。今自分は、寺院を左手にして走っているはずだ。崖に向かうには、どこかで右に曲がる必要がある。
(どうにか曲がったところで……っ!)
自分は急停止して、蛇だけを崖に突っ込ませるなんて芸当はできそうにない。やるとするなら、自分も大蛇と道連れだ。
そうしろと言われたなら、命令に従うしかない。だが、今の都には絶対的な主導者はいないのだ。星も見えない薄闇の中で、自分たちが自分たちを導くしかない。
ユバ様がいれば、こんなことにはならなかったのに。
追い詰められた時こそ、見ないふりをしていた弱い心が喋り出してしまう。
「黙れっ……僕は、僕は……!」
巨大な蛇に追われながら、あるいは追いながら、冷静でいられた者はいなかったのだろう。アスたち三人は迫りくる巨体から逃げることしか考えておらず、メクティコとユウムナ、ナタリとチカオトルはどうにか頭に追いつこうと無我夢中で走っていた。
だから、蛇の尾のことなど、誰も見ていなかったのだ。その長く白い鞭は、いつの間にか一同を射程に捕らえていた。
「……止まった!?」
蛇の異変に気付いたのは、もっとも後ろを走っていたナタリだった。白銀の鱗に覆われた頭を呆然と見上げていると、蛇はお辞儀をするようにゆっくりと頭を下げた。
「なんだこれ……ぐあっ!」
その衝撃は、思いもよらない方向からやってきた。
下げた頭を支点にして、自由になった尾を振り回す。大蛇が行ったのは、ただそれだけだ。規格外だったのは、やはりその体の大きさだ。後続四人が、一息で横凪ぎに振り払われる。それでも勢いは止まらず、気づかず走り続けていたアスたち三人をも鞭の一撃が襲う。
「ぐ、うっ……!?」
全力疾走していたものだから、受け身をとれるはずもなかった。アスは自分の身体が宙に浮かぶのを感じる。
まるで、激痛の中で横向きに落ちているようだった。