「なんだよー、アスちゃん。あたしより暗い顔しないでよねー?」
「だって、ユウムナ……!」
「周りを見なよ、アスちゃん。洞窟の中なのに、こんなに明るいのって不思議だねー」
ユウムナはしゃがみ込み、ぎこちない動きで光る草を抜き取った。
宙に摘まみ上げられた草は、細い根を泳がせるようにゆっくりと左右に揺れている。もちろんそれは、ユウムナが動かしているのではない。草自体が、蛇のように動いているのだ。
「あは、やっぱりこれ、草じゃないよねー。なんだろ、新しい生き物? あの蛇の子供? 持ち帰ったら都の皆は驚くだろうと思わない?」
「……ユウムナ」
「細くて、柔らかくて、脆いなー……」
小さな指が草の両端をつまみ、ぷちっと二つにねじ切った。ゆらゆらと動いていた細い草が、切られた瞬間動きを止めてぐったりと垂れ下がる。
「ねえ、アスちゃん。この洞窟の中、契りの神殿に似てると思わない?」
「……え?」
「新しい命が生まれてくる、そのちょっとだけ前の時間。ウルの種類は違うけど、この静かで気持ちいい雰囲気はそっくりだと思うんだー」
ユウムナの鼻先で、息が白く凍っている。洞窟の底は酷く寒い。早朝でも夜更けでもうっすらと温かな空気が漂う契りの神殿とは、むしろ対照的だ。
だがアスは、ユウムナの言葉を否定できなかった。ゆっくりと蠢く草たちに囲まれていると、なんだか落ち着かなくて誰かの手を握りたくなってくる。それは確かに、契りの神殿で新たな戦士の誕生を待つ瞬間と通じるものがあった。
「たぶん、ここから始まるんだよ」
「……何が?」
ユウムナはアスの相槌さえ求めていないようだった。片腕と引き換えに知ったことを、淡々と読み上げている。そう言われれば信じてしまいそうなほどのよどみなさだった。
「新しい神様と新しい生き物が作る、次の世界だよ。ウルを使い果たしたあたしたちの代わりが生まれてくるんだ」
枯れた花が新芽の養分となるように。獣の死体を小さな虫が食い荒らすように。弱った虫の体を破ってキノコが生えてくるみたいに。
生命は――ありとあらゆる命をかたどるウルは、形を変えながらゆっくりと世界を巡っている。もちろんユバの戦士だってその大きな輪の中にいる。
だけど。そんなこと、分かっていたつもりだけど。
「……俺たちにゃ、もう未来はないって言いたいのかよ」
低い呻きが聞こえる。頭を押さえつつ立ち上がったナタリの目は、ふらふらと揺れながらも激しい感情を宿していた。
「あの化け蛇も……クソ鼠どもも……気味悪いこの雑草も……クソくらえだっつうの……!」
「……」
悪態を吐き出すと同時に、ナタリはがくんと前につんのめる。その体をチカオトルの太い腕が支えた。
目を覚ましたのか、という安堵の声は戦士の誰からも上がらない。洞窟の冷気と光る草の生暖かい感触が、呼吸をするたびに気力を奪っていくようだった。
(……例えば)
声に出さないまま、アスは考える。
例えばどうにかあの蛇を倒したとして、ユバの都はもとに戻るのだろうか。ネズミに奪われたウルは、すでに大蛇の腹に消えてしまっている。眠っている人々が目を覚ます保証なんてどこにもない。誰も口にはしないけど、本当は諦めてるんじゃないか。
(もし、この先に希望がないなら――)
今ここにいる戦士たちには、二つの道がある。一つは、満身創痍ながら蛇に戦いを挑み、無残に散っていくこと。まともに動ける戦士さえ半分に満たない状況であの大蛇に勝つなんて、どんな奇跡が起こっても不可能だろう。
もう一つは、ここが引き際だと判断し、都に引き返すこと。アスの耳に付けた通信機が生きていれば、きっと祈り人はそうしろと勧めただろう。
「……っ」
アスはその道の先に待つものを想像し、静かに奥歯を噛む。眠り続ける人々。足りない食事。新しい命は産まれず、誰もが老いていくだけの暮らし。そのどれからも目を背けず、滅びに抗い続けることはできるだろうか。
戦えば、明日は開けると思っていた。何もしないまま立ち止まるのは嫌だった。だから泣くだけのナーダを弱虫だと言った。他の祈り人の前で偉そうに演説を打ち、他の戦士たちとこの場所へやってきた。
だけど、たどり着いた先にアスたちの未来はなかった。すでにもう次の世界は始まっていて、出番を終えた役者は早く引っ込めと訴えられている。巻き込んだ仲間も傷を負い、もうどうすることもできない。
ならば、ゆっくりとここで滅びを待つべきなのかもしれない。温かな草に生命力を奪われながら、少しずつ衰えていく。それこそが、もっとも苦痛が少なく、穏やかな未来なのだ。ナーダは、ラルクは、他の占い師たちは、こうなることを知っていたのだろう――。
「……ごめん」
アスは小さく、吐息に混ぜて呟く。閉じたまぶたの裏には、様々な人の顔が浮かんでいた。
「アスちゃん」
肩に小さな手が置かれた。そうだ。ユウムナにも謝らなくちゃ。腕を失ったのは僕のせいだ。この後死んで神様のところに行くときも、腕が欠けたままだったらどうしよう。僕の腕を切って代わりに差し出せば、ユウムナの腕は返してもらえないだろうか。
「ねえ、アスちゃん」
ユウムナはもう一度アスの名前を呼ぶと、手の力を強めた。細い指が肩に食い込む。
「どうしよう、ユウムナ……僕、こんなことになって、どうすれば……」
一度弱音を吐き出すと、声が情けないほどに震え始める。体も冷え切って歯の根が合わなくなる。あのベーゼの毛皮はどこに行っただろう。せっかく預かったのに、戦いの途中でなくしてしまった。僕なんかがもらわなければ、今頃も誰かの身体を温めてくれただろうに。
「全部、僕のせいだ……! 」
「うん、そうかもねー。じゃあ、これからどうする?」
「これから……?」
耳に入った言葉を、ただ繰り返す。見上げたユウムナの顔は、白い光を受けてぼんやりと輝いている。
「あたしたちは傷だらけだし、都の皆とも話はできない。あの蛇はめちゃくちゃ強くて、よく分からない草が生えてる。でも、あたしたちはまだ死んでないよ」
「……」
例えば、他の戦士がそう言ったら。空元気とも言えるような勇ましさに、アスの気持ちは余計に臆病になって引っ込んでいただろう。命があるうちに、どうにか都に引き返すべきだと。自分で選ぶのではなく、流されるままに行く道を決めていたに違いない。
それが誰よりも大きな傷を負ったユウムナの言葉だからこそ、アスの心は少し前に動く。
「……まだ戦うつもりなの、そんな体で」
「こんな体、だからだよ。アスちゃん、それに他の皆も、よっく聞いてね。
「っ……!」
冷たい洞窟の中に、ユウムナのはっきりした声が響く。それを六人分の息を呑む音が追いかける。
「でも……」
「あたしに任せて。絶対上手くやるから」
ユウムナは笑う。唇の端を吊り上げ、どこまでも強気に。
アスはその笑顔に励まされながらも、同時に言いようのない不安を感じていた。