「倒すって……どうやって、あんな奴を」
アスの問いかけに、ユウムナは胸を張って答えた。
「あの蛇をおびき出して、弱いところに一撃をぶちかます。メクティコちゃんの考え方をもらってくよー」
名指しされたメクティコは、大きく息を吐く。
「……自由に動ける場所で俺たち全員で殴るのと、動ける奴が半分減ったうえに洞窟に誘い込まれた今じゃ状況が違いすぎる。同じ作戦を使っていいわけねえだろ。馬鹿なのか?」
「そうかなー? 大きく動けないのは相手だって同じだから、狙いを定めるのはむしろ楽になったはずじゃない? あたしたちだって走り回る必要がなくなったんだから、めちゃくちゃ不利になったってことはないよー」
「……だとしても、あいつに攻撃を食らわせる方法は? 使えるものって言ったらこの洞窟くらいしかねえ。どうにか天井を岩ごと落として、俺たちも一緒に生き埋めか? ……はは、案外いい死にざまかもしれねえな」
メクティコは珍しく皮肉っぽさのない笑顔を浮かべた。対照的に、ユウムナは眉間に強く皺を寄せた。
「それは駄目。みんなで生きていくための戦いなんだから、全員で生きて帰らなくちゃ意味がないじゃない……攻撃は、アスちゃんに任せたい」
「……僕に」
ユウムナは頷いて、アスの方に右手を置いた。
「巨人兵を倒すときと一緒だよー。力を溜めて溜めて、いっぱいになったところで蛇の弱点にぶつけてほしい」
「弱点?」
「それはあたしが見つけてくるから、心配しないで。アスちゃんは……あたしが合図を送るまで、術の準備をしてて。合図するから、その瞬間を逃さないで、一番大きいのをぶつけて」
ユウムナの瞳は、揺らめく草の光を受けてきらきらと黄金色に輝いている。アスが頷く前に、その光は逸れていった。
「見つけるって……ユウムナ、まさか一人であいつに挑むつもりなのかい!? そんな体で!」
ヤアヤの怒鳴り声に、ユウムナは苦笑しながら振り返った。アスとの話は、そこで打ち切られた。
「一人で大丈夫だよ。ううん、一人で行く方が絶対良いはず」
「冗談じゃないよ! そんなこと、あんただけに任せられるか!」
「あたしを信じてよー、ヤアヤ姐。今までにあたしが獲物を仕留めそこなったことあった? 逃げ遅れて手傷を負ったことは? 一度もないよね?」
「だから、その体じゃっ……」
「ヤアヤ姐は神様を疑うの? この体は髪の毛一本から足の爪の先まで神様が作ったものなんだから、絶対に大丈夫だよ。ほら、足も動くし頭もちゃんと働いてる。大丈夫だよ」
同じことを二度いうのは、不安や誤魔化しの表れだ。祈り人の誰かがそう言っていたのを、アスは思い出していた。
「くっ……ケト、あんたも何か言ったらどうだい!」
埒が明かないと思ったのか、ヤアヤは苛立った声でケトを引っ張り出す。
ずっと沈黙を保っていた戦士は、ユウムナを見下ろしながら静かに問いかけた。
「……他の者に行かせるつもりはないのか」
ユウムナはアスの問いには答えず、
「……それ、中身は何?」
ケトの胸元に下げられた、小さな布袋を指さした。
「これは……火打石だ。ビシャールから預かった。邪なものは火を嫌うから、魔除けになるのだと」
「そっか。ねえケトちゃん。それ、借りてもいい?」
ケトは少しだけ目を見開く。
「焚火をしてあいつをおびき出したいんだ。火の熱と光と、ウルの力が込められた物を使えば、立派な餌になるよ。だから、たぶん返せないと思うんだけど……」
ユウムナの語尾は小さくしぼんでいく。だが、ケトはしっかりと頷いた。
「分かった。持っていけ」
「ありがと」
アスは二人のやり取りを、妙に静かな気持ちで見ていた。
もう何を言っても、ユウムナが考えを変えることはないだろう。
「……ユウムナ、来い」
チカオトルの声に従い、ユウムナは素直に動く。巨漢から受け取った押し花の束は、火打石と同じく、布袋にしまわれた。ナタリが震える手で差し出したのは、小さなネジとゼンマイだった。それも無言で受け取り、丁重な手つきで納めていく。
ヤアヤは石でできた矢じりを、メクティコは鮮やかな鳥の羽を。他にも、大きなものから小さなものまで、戦士の身からは呆れるほどたくさんの『お守り』が出てきた。
誰かの思いが込められた品々の一つ一つを、ユウムナは愛おしそうな目つきで眺めていた。
この場にいる誰もがすでに覚悟を決めている。動けないのは、アスだけだった。
「……アスちゃん」
ユウムナが困ったように笑っている。自分も何かを渡さなければ。でも、いったい何を? 何て言って渡せばいいんだ?
服の裾を強く握ると、白い花びらがはらりと舞い落ちた。どこから落ちてきたかも分からない花弁が、灰色の岩場に夢のように白い彩りをもたらした。思い出したのは、いつかナーダと二人で花を摘みに行ったあの日だった。
あれはどのくらい前のことだっただろうか。平穏な日々はずっと遠く、もう思い出せないほどだ。
あの日から今まで、ずっと服のどこかに引っかかっていたのだろうか。そんなはずはない、と頭では分かっている。山道を登り、走り、吹き飛ばされてここにいるのだから。けれど、そんな奇跡があってもいいのではないかとも思っている。
ユウムナがしゃがみこんで、花弁を拾い上げた。一瞬だけ、その顔から笑みが消えていた。
「んー……これはいいや。薪にするには小さすぎるもんね。アスちゃんが持ってて」
拾い上げた花びらを、アスに押し付ける。
何も言えないまま受け取ったそれを、アスは手の中に強く握りしめた。
「……うん。これだけあれば十分かな。あんまりいっぱいあっても持ちきれないしねー」
集めた品々を布で包み、ヤアヤが両腕が使えないユウムナの背中に括りつける。
「包みが反対側に来るようにしてねー、一人じゃ出せないから」
「……火種はどうやって作るんだい。火打石、その腕じゃ使えないだろ」
「あ、えーっと……」
今更焦った顔を浮かべるユウムナの前に、今度こそアスは立ちはだかる。
「最初の点火だけ、僕が術を使う。その後は、攻撃のために備える……それでいいよね?」
「……うん。アスちゃん、ありがとう」
ユウムナは照れくさそうに笑っていた。その肩を思い切り引き寄せて、首筋に顔を埋めた。
渡せるものなんて何もないから、せめて。
「……帰って来いよ、絶対」
「うん、絶対に」
贈る言葉は、これで正しかったのだろうか。正解がないことは知っている。だけど、誰かからの保証が欲しかった。神様がこの世界を見捨てていなかったら、この願いに答えはあったのだろうか。
*
開けた岩場に座り込んで、ユウムナは矢筒から予備の矢を全て取り出した。片足で支えながら矢を山型に組みあげて、片方の手を挙げる。すると、わずかに光った後に大きな火が生まれた。
ユウムナは、目の前で燃え上がる火をただ見つめていた。それから、纏っていたベーゼの毛皮を引きはがし、炎の中に投げ込む。一瞬だけ火の勢いが弱まり、すぐに燃え上がる。
出発の前の宴で、皆がかがり火を囲んで輪になっていたのを思い出した。
預かった押し花を、羽飾りを、組み紐を次々と投げ込んでいく。火の粉がぱっと散り、込められた想いが熱い舌に舐めとられて、灰に変わっていく。
薄暗い洞窟の中でも、炎の色は美しい。いや、陽の光がないからこそ美しく感じるのだろうか。
炎の動きに合わせるように、岩を割って生える光る草たちはふるふると揺れていた。奇妙な生物の踊りを目で追いながら、ユウムナはただ一つ、小さな包みだけを握りしめている。
これだけは、どうしても燃やしてしまうわけにはいかなかった。
「……あ」
邂逅の瞬間は、音もなく迫っていた。光る草原の向こうから、ゆっくりと大蛇が姿を現す。白銀の鱗が滑らかに大地をこすり、主のための道を開いていく。
どんなに目を見開いても、その巨体の全てを視界に収めることはできない。だから、ユウムナは自然と視線を下げていた。そのまま膝をつき、握った片方だけの拳を胸に当てる。
(……ごめんなさい。あたしは今から、許されないことをします)
守るべき民を見捨て、ともに戦う仲間を欺く。そして、終わりかけの世界に生まれた新しい神様を、この手で殺す。
許しを乞うつもりはない。それでもユウムナは、目の前の巨大な存在に、あるいは何かもっと大きなものに、ただ祈りを捧げた。
大蛇の細い瞳孔は、一かけらの感情も映さない。ただ目の前の獲物を見定めるだけだ。
二つの生命が対峙していたのは、火の粉が何度か弾けるくらいの短い間だけだった。
やがて見分を終えた大蛇が動き出す。その瞬間を寸分たがわず見計らい、ユウムナはかがり火から矢の燃えさしを拾い上げる。
(……あ)
そうしようと思ったところで、片腕がないことを思い出した。まあ、仕方ないか。握った宝物を手放すわけにはいかないし、格好が付かないのはいつものことだ。
わずかに苦笑いを浮かべながら、ユウムナは這いつくばって燃えさしの端をくわえた。頬に感じる熱ささえ、今は心地よかった。
大蛇の口が大きく開き、ユウムナを飲み込まんと迫ってくる。くわえた小さな炎だけが、ユウムナの行く末をわずかに照らしていた。