「……ぐぅっ!」
全身が強く締め付けられて、思わずユウムナは唸り声を上げる。だが、低い呻きは湿った肉壁に吸い込まれてどこにも届かない。どんなに叫んだところで、誰かが助けにくるわけもないのだが。
ユウムナは歯を食いしばりながら、細い息を繰り返す。そして、全身を圧迫する壁の動きにあらがわないように、むしろその蠕動を使って泳ぐように、奥へ奥へと進んでいく。
大蛇の身体はけた外れに大きい。ならば、そこにつながる喉にもそれなりの太さがあるはずだ。小柄な獲物――例えば、腕を失ったユウムナならば、なんとか通り抜けてしまえるくらいの。
一番の懸念は、喉に入る前にあの牙にかみ砕かれてしまわないかということだった。だから、ぎりぎりを見極めて自ら飛び込むようにして飲み込まれた。何もかもが一発勝負の賭けだったが、ユウムナはどうにか勝ちを拾ったらしい。
「く……うぁっ?」
濡れた狭い道の中でもがいていると、頭の先にほんの少し空気の流れを感じた。どうやら、食道の出口までたどり着いたようだ。ここぞとばかりに力いっぱい蹴り出すと、頭に続いて肩、腰が自由になる。無事な方の手で辺りを掴んで、残りの身体を引き抜いた。と同時に、落下する感覚。
「……っ!」
ばしゃり、と妙に軽やかな水音と、腐った肉を泥水で煮詰めたみたいなひどい臭い。
おそらくここは、大蛇の胃の中だろう。生暖かくまとわりつく水と悪臭は、これまでのどんな戦いでも味わったことのないような最低の感覚だったが、ユウムナはどこか安心してもいた。
(こいつも、腹の中は他の動物と同じなんだ。何かを食らって血肉にすることで生きてるんだ)
だったらきっと、殺せるはずだ。
そこでようやく、口の中の燃えさしを吐き出した。肉壁とよく分からない体液で火はとっくに消えてしまい、舌には焦げの風味だけが残っている。
「あー、まずったなー……どうにか燃え残ってくれないかと思ってたんだけどなー」
さすがに、そこまで都合よくはいかないものか。火種が手元にある状態でここまで来れたら、一番よかったのだけど。
そういえば、”切り札”の方は無事なのだろうか。ユウムナは今更のように慌てて、体に括りつけた包みから、あるものを取り出す。ユウムナがただ一つ、都から持ち込んだもの。それは、灰緑色の土だった。粘土を四角く固めたようなそれは、見た目よりもみっしりと詰まっていて、重い。
「よかった、無事だ……」
とはいえ、これはユウムナが作ったものではないから、こんなに濡らしたり揺らしたりして平気かどうかは分からない。作った当人でさえ、化け物の体内に運ばれるなんて思ってもいないだろうけど。
*
ダリアが眠る部屋から持ち出すならば、これしかないと決めていた。
ダリアの部屋には珍しい生物の標本や綺麗な鉱石が乱雑に配置されていて、宝箱の中みたいだった。その中できらきらと目を輝かせる少女も含めて。
『ねえダリアちゃん、これ何? なんか変な匂いするー』
『あー! ユウムナ、それはいじっちゃダメー!』
この粘土を見かけたのは、ユバの都を眠りが支配するよりも前のことだった。見慣れない物体に触れようとしていたユウムナは、ダリアが珍しく慌てた声を出したことに驚く。
『これはね、すっごい危ないものなんだよ! ちょっと触っただけでも「いーっ」だよー!』
『ふーん、毒餌とか? 全然おいしそうには見えないけどー』
『違う違う、これはねぇ……』
その後の説明は、ユウムナの頭ではよく分からなかった。
ただ、この粘土は自然に採れたものではなく、いくつかの薬や何やらを混ぜ合わせたものだというのは分かった。
『ラズルにいろいろ教えてもらったんだけど、思ったようにはできなかったの。うぅー、難しいよー……』
ダリアの説明はほとんど聞き流していたが、その名前はユウムナの耳に引っかかった。
『ラズル? ってことは、これも爆発するのー?』
『ううん、このままじゃしないよ。導火線も雷管もくっついてないもん』
『なんで?』
足りない部分があるなら、付け足せばいいのに。ユウムナは単純にそう思ったのだが、どうもそうはいかないらしい。
『なるべく「がおー!」に作ったから、導火線での着火だとちょっと危なすぎるの。火をつけてから投げたとしても、これが自分から十分離れるまでに爆発に巻き込まれちゃうよ』
『じゃあ、すっごく長い線を使えばいいんじゃない?』
『うー、それだと戦いでは使いづらいんだもん……そこの調節が難しくて、しょぼーんなの……』
ふう、とため息をついて少女は指先で粘土をつついた。ダリアが挫折して落ち込んでいるのは珍しい。
ユウムナはダリアに頬をくっつけて、不思議な色の塊を覗き込む。
『じゃあさ、これ、捨てちゃうの?』
『ううん! しばらくそっとしてたらいい考えが浮かぶかもしれないから、大事に取っておくの!』
それでも、ダリアは自分の失敗作に向かって明るく笑いかけた。
その時、ユウムナはなぜかとても羨ましく感じたのだ。役に立たないものなのに、ダリアの手の中に居場所があるその土くれが。
例えば、自分がうっかり病気でもして、戦士として不具になったら。変異の存在として生まれたユウムナには、戦う以外の能力は与えられていない。だから、武器を持てなくなったら生贄になるしかない。徴を分けた子も、契りを交わした相手もなく、何一つこの世界に残さずに消える。
ユウムナ自身はそのあり方を潔いと思っているけれど、ときどき考えてみたりはするのだ。他の戦士が赤子を抱いているのを見かけた時や、生贄に向かう背中を見つめる眼差しを追う時に。
もし自分が死ぬときに、生贄としての役目以外にできることがあるとしたら、それはなんなのだろう、と。
*
暗闇を手探りで進み、胃液が浅いところを見つけてユウムナは座り込む。片腕で、ダリアの作った爆薬をしっかり抱えながら。
自分で爆薬に火をつけて最期を迎えられるなら上々だと思っていた。だけど、それができなくても構わないのだ。
ユウムナが蛇に飲み込まれるのは、他の戦士も見ている。合図を出したらアスの術を撃ってくれとも伝えてある。
しばらくは様子を見るだろう。アスの準備も必要だろうし。だけど、ある程度時間が経ってもユウムナからの合図らしきものがなければ、きっと戦士たちは大蛇を殺すための行動を起こしてくれる。もしかしたらそれは、大蛇の腹からユウムナを救い出すための動きかもしれないが。
けれど、術であれ武器の攻撃であれ、大きな衝撃が伝われば爆薬はその役目を果たす。戦士の攻撃が届かずとも、大蛇が暴れればそれでよい。ダリアが、あの天才が持て余すほどの威力を持ったこの粘土は、柔らかな内臓を引き裂いて大蛇を死に至らしめるだろう。どんなに化け物じみた生命力を持っていたとしても、ユウムナが必ず神の御許に送り届けてやる。
ただ一つの心残りは、六人の戦士たちのことだ。特にアスには、辛い役目を負わせることになる。どうか、自分のせいだと思わないでほしい。
それを上手く伝えるには時間も言葉も足りなかった。けれど、何かもっと他の言い方があったんじゃないか。もっと言っておくべきことが、伝えなくちゃいけないことがあったんじゃないか。
「……やめよう、考えるのは」
自分に言い聞かせて、ユウムナはぐっと顎を上げる。これ以上余計なことを考えていたら、頭の中のわだかまりや靄が涙になってこぼれてしまいそうだった。
そして、視線を挙げた先で、ユウムナは気づいた。
自分の鼻の頭さえ見えなかった暗闇で、何かが動いた。
それは、黄金色の小さな蝶だった。