目を固く瞑ると、肌色の渦巻きや極彩色の稲妻が見えてくる。ウルを集めて練るのは、その奇妙な模様を見えない指で掴み、縒っていくようなものだ。
「っ……!」
頭の後ろで、ヤアヤが息を呑む音が聞こえた。けれど、アスは振り向かずに集中を続ける。
ユウムナが何をするつもりなのか、分からないわけがない。あんな思いつめた顔で戦いに行くような奴じゃないのに。
でも、皆で帰ると約束したんだ。だったら、もう信じるしかない。あいつを、自分を、仲間たちを。
「合図は!?」
「まだだ、まだ何も……」
メクティコやナタリの声も、いつになく焦っている。まだ信じているんだ。何もかもうまくいって、笑って帰れる未来を。
アスの耳元には、タクナが作った通信機がある。吹っ飛ばされた時に壊れてしまったとはいえ、都とのつながりを感じさせてくれるものを身に付けていたかった。
ユウムナの
だが、もしこの洞窟の中の光景を祈り人が見ていたら、どうなるだろうか。
いつもの狩りだったら、皆それぞれのやり方で戦士を鼓舞してくれる。
踊るもの、歌うもの、叫ぶもの。
しかし、ユウムナが飲まれるところを見てしまったら、きっと皆の姿は揃うだろう。
ただ見守ることしかできないという事実に打ちひしがれるように膝をつき。
震える指を抑えるように、もう片方の手で抑え込む。
そうして作った拳を額に当て、固く固く目を瞑る。眼前の絶望的な光景から、ただ逃げるように。
アスが今まさに、そうしているように。
(お願いだよ、ユウムナ……どうか無事で……!)
強く願いながら、アスはウルを練り上げていく。合図があったら、いつでも攻撃に転じられるように。
アスを除く五人の戦士の五対の瞳は、ユウムナからの合図を待って白銀の大蛇を見つめている。息が詰まるような沈黙の中で、不意に何かが聞こえた気がした。それは、夜明けに降る雨みたいな、虫のさざめきみたいな音だった。
『あ……ょ……』
壊れたはずの機械が、何かを告げている。ざあざあと流れる音が、人の声の輪郭をとった。
「!? ユウムナ!?」
周囲の戦士がばっと振り返る気配がした。アスは目を閉じたまま、壊れたはずの機械から聞こえる音に集中する。すべての感覚を耳に集中させると、雑音まじりの声はじょじょに明確な形になり始めた。
『なんで……ちょう……が……んなところに……。ああ、飲み込ま……ちゃったんだ。じゃあ、あたしと同じだね』
これは幻か、それとも神がきまぐれに起こした奇跡なのか。その疑問に答えるものはどこにもいない。だが、確かにアスの左耳には、ユウムナの声が届いていた。
『お前もついてないね、蛇の腹の中身が死に場所になるなんて。……まあ、派手に送り出してやるから、一緒に行こうか』
「……っ」
噛みしめた奥歯がぎり、と鳴った。同時にかき集めていた集中力が飛び散りそうになり、強く拳を握り直す。
ユウムナは、死を覚悟している。みんなで帰るなんて言ったくせに、初めから自分だけが犠牲になるつもりだったんだ。本当のことを言ったら、戦士が反対すると分かっていたから。
爪が食い込む痛みで、アスは自分を引き締める。今やることは、できることは、たった一つしかないんだ。
耳元でささやく声に、ため息がひとつ混じった。
『……馬鹿だよね。あたし、自分が死ぬってなってからようやく、怖くなってる。今までいっぱい見てきたのに。生贄になるひとも、自分で殺した人も』
まるで、誰かと焚火でも囲みながら話しているようだった。ユウムナの声は穏やかで、恨みや恐怖はちっとも感じられない。
『みんな、神様のところにいるんだよね。多分怒ってるだろうな。悔しいだろうな。やりたいことも残したいことも、きっとたくさんあったはずだよね。……あたしにもあるもん』
っく、と奇妙な音が聞こえた。それは、ユウムナの嗚咽だった。
『やってきたことが間違いだったなんて、思わない。今だって、このやり方が一番正しいって思ってるよ。でも……ああ、悔しい。悔しいよ、ダリアちゃん……あたしがもっと強かったら……ここにダリアちゃんがいたら……』
膝をかかえてうつむくユウムナの姿が目に浮かぶ。つぶやきを聞いてるだけでも叫びだしてしまいそうだ。なのに、精神は不思議と研ぎ澄まされていく。崖を挟んだ向こう側で蛇に飲み込まれたはずのユウムナが、すぐ隣に座っているように感じるのはなぜだろう。
「――っ」
必要な分の『力』が、十分に高まったのを感じた。そして、それがユウムナに伝わったのも分かった。
『ケトちゃん。メクティコちゃん。ナタリちゃん。チカオトルちゃん。ヤアヤちゃん。……アスちゃん』
その名前を呼ぶ声に、どんな思いが込められているのだろう。
アスは心の中で返事をする。
なんだよ、ユウムナ。深刻そうな顔しちゃって、似合わないよ。
聞こえるはずのないその声が聞こえたみたいに、通信機の向こうから笑い声が届いた。
『……うん。あたしは先に行くから。先に行って、死んじゃった人にみんなの分までごめんなさいって言っておく。だから、みんなはゆっくり来て。誰も生贄にしないで、誰かの犠牲を当たり前にしないで、みんなで戦って……みんなで生きる世界を、創って』
約束する。約束するよ、ユウムナ。アスは何度もうなずいた。
目を閉じていても、そこにいると分かった。闇色の中に浮かぶ一つの黄金に向かって、最後の的を絞る。
思い描くのは、弓の形だ。限界まで引き絞られた弦の、張り詰めた感覚を指に感じる。つがえた指を離したら、この矢はもう二度と戻ってこない。分かっていても、行かせなくちゃいけない。居心地がどんなに良くても、同じ場所に留まり続けることはできないと知っているから。
「ああああぁ――っ!」
喉を枯らすほどに叫びながら、手を離した。練り上げた力の塊が、あの場所に向かって吸い込まれるように飛んでいく。
一瞬、大蛇の身体が卵を飲まされたように膨らんだ。その直後に、轟音と閃光、そしてめちゃくちゃな熱風が押し寄せてくる。
「ぐぅっ!?」
「目を守れ、何か飛んできてる!」
アスの前に、素早くヤアヤとケトが立ちはだかった。
爆風に紛れて飛んできたのは、大蛇の鱗だろうか。反射的に顔を守った腕やむき出しの足の肉をえぐりとっていく。
驚いたことに、胴体をずたずたに穿たれながらも、大蛇にはまだ息があった。痛みに抗うように、半分以上千切れた身体を大きくよじる。
「くそっ、あいつ…」
「上を見ろ、崩れるぞ!」
周りの戦士が何かを叫んでいるのは分かった。だが、アスは苦痛の中で暴れる大蛇をただ見つめていた。腹に空いた大きな穴からは肉の焦げる臭いが漂っている。あいつも生き物なんだ、と今更のように理解した。
無意識に蛇に向かって身を乗り出すと、突然、身体が浮いた感覚がした。
「馬鹿、いつまでぼうっとしてるんだ! 逃げるぞ!」
ヤアヤの脇に抱えられている。それを理解した瞬間、アスは思い切りもがいて抵抗した。
「なんでだよ! まだあいつは生きてるだろ!」
「もう死んだ! 早く逃げるぞ!」
「違う! ユウムナだよ!」
「もう死んだ! 死んだんだよ!」
ヤアヤの声は勇ましく、有無を言わせない強さがある。だが、見上げた目には確かに涙があった。
「嫌だ、一緒に帰るんだ! ユウムナ、ユウムナぁ!」
振動とともに、ぱらぱらと岩壁のかけらが落ちてくる。狂ったように洞窟の壁に体当たりを続ける蛇の姿が、砂埃に隠れて見えなくなっていく。
どんなに必死に叫んでも、もう声は届かない。