両手いっぱいに白い花を抱え、ナーダは集落への帰り道を歩く。一歩進むたびにこぼれてしまう花びらを拾いながらなので、歩みは決して早くはない。
けれど、そろそろ急がないと本当に日が暮れてしまう。
できる限りの早歩きを続けて、ナーダはようやく集落の広場にたどり着いた。まだ明るい日の下では、男たちは薪を割ったり、女たちは繕い物をしたり、それぞれの仕事を果たしている。
その中で話し込んでいた二人の女性は、ナーダを見つけて声をかけた。
「やあ、ナーダ。ずいぶんな大荷物だな」
「まあ、綺麗なお花ですね! それ、渓谷の植物ですか?」
眼鏡をかけている小柄な女性は、スーラ・レイ。渓谷の若き研究者だ。淡々とした話ぶりで冷静な判断を得意とするが、時々抜けたところがあるのがかわいらしい。
その隣の長髪の物柔らかな女性はキサラだ。普段は草原の集落に暮らしているので、今日は何かの用で渓谷の集落を訪ねてきたのだろう。スーラと話しているということは、学術的な用件だろうか。
「スーラ、それにキサラもいたんですね。良ければこれ、受け取ってください。渓谷のこの時期に咲く花で、花弁を数日干して煎じれば香りのよいお茶になります」
「そうなんですね、ありがとうございます!」
「うん、この花のお茶は味も良いんだ。でも、簡単に採れる場所には生えてくれないんだよな。遠出してきたのか?」
「ええ、戦士様に連れて行っていただいて……」
と、アスと出かけてきたことを話すと、二人は嬉しそうに相槌を打ってくれた。
戦禍の中にあっても、他人の恋愛話を聞くのは楽しいものだ。
もしかしたら、こんな状況だからこそ娯楽を求めているのかもしれない。
「まったく、随分のろけられてしまったな。仲が良くて羨ましいことだ」
「わ、私と戦士様は、そんなのじゃ……」
ナーダが赤面しながらスーラの言葉を否定しようとしたところで、口を挟まずに笑顔で頷いているだけのキサラに気がついた。
「すみません、二人のお話し中に割り込んでしまって……キサラ、何かスーラに用があるのでしょう?」
「いえ、ちょうど話し終わったところだったんです。それに、ナーダさんのお話を聞くのが楽しかったものですから」
「そうだ、さっきの話だが、ナーダに聞いてみたらどうだ? 真面目な奴だし、向いてるんじゃないか」
「……はい?」
スーラから水を向けられると、キサラは嬉しそうに指先を合わせて話し始めた。
「ナーダさんもご存じの通り、私はリムセ村で子供たちの指南役をやっているのですが、相手が私だけではあの子たちも退屈してしまうのではないかと思いまして……そこで、渓谷の皆さんに先生になっていただけないかとお願いに来たのです」
「せ、先生に?」
「ええ、もちろん祈り人の任務が重なったらそちらを優先していただきます。でも、最近は侵略者もあまり来ないようですし……ほら、島からはアロイさんが協力してくださってるんです」
とキサラが指す方を見ると、笑いながら逃げる子供たちと、それをふらふらと追いかける水色の髪の女性が見えた。
「こら~、せっかく島の伝統料理を教えてやってるんだから、話を聞けよ~×××ども~」
「あははは! アロイさん、いつにもましてチャケ臭いっす! そんな走りじゃアチキは絶対に捕まえらんないっすよ!」
「タラコナ、てめえあんまり調子に乗ると……うぷっ!? うっ、うげええぇ、おえっ……」
「うわー! だ、大丈夫っすかアロイさん! 誰か、水持ってきてー!」
島の料理人アロイは、ナーダの語彙ではとても表現できないような悪態をついていたかと思うと、二日酔いのせいか唐突にうずくまって嘔吐してしまう。駆けまわっていた子供たちは、アロイがえづきだすと一転して背中をさすったり水を飲ませたり、甲斐甲斐しく世話を焼き始めた。
騒がしくも微笑ましい、思いやりに満ちた光景だ。
「アロイさんには、料理道具の使い方や食材の選び方なんかを教えてもらってるんです。魚の捌き方なんて島の子じゃなければ知る機会も少ないから、子供たちも興味を持って聞いてくれてます」
「魚料理なんて知らなくても、渓谷では生きていけるがな。とはいえ、必要以上の知識を学べるのは、生活に余裕がある証拠だ。侵略者が何を企んでるか知らないが、ずっとこのまま来ないでくれればいい」
スーラは眼鏡の奥の目を細め、子供たちの様子を微笑ましそうに眺めていた。
向学心の豊かな彼女にしてみれば、学びの場が子供たちに開かれるのは、諸手を挙げて歓迎すべきことなのだろう。
「では、スーラも教師役を引き受けるのですか? 面白そうですね、どんな授業をするのですか?」
「……いや、私は断らせてもらったんだ。力になりたいのは山々なんだが、師匠の体調がな……」
ナーダの問いかけに対し、スーラはゆるりと首を横に振る。
「ダリアさんのお加減、まだ良くならないんですか?」
「……体の怪我はたいしたことないんだが、心の回復が追い付いてないんだ。食事もあまり取らないし、最近は一日中ぼうっとしていることが多い」
ダリアは、先日の大崩落の最も深部にいた祈り人だ。少女のような風貌ながら優れた研究者だったが、瘴気を強く浴びてしまったのもあって、今はまともな会話もままならない状況だ。
「医者も見てくれてるとはいえ、あまり師匠を一人にしたくないんだ。すまないな、キサラ。せっかく誘ってくれたのに」
「いえいえ、こちらこそ大変な時にすみません。ダリアさんが落ち着いたら、ぜひ教室に遊びに来てくださいね。気分転換くらいの軽い気持ちでもいいですから」
「ああ、そうするよ。ディンシャにも教室のことは言っておく。あいつも研究者だから、意外と興味を示すかもしれないしな。私よりも師匠の看病をする時間が長いから、気も滅入ってるだろうし」
「はい、ありがとうございます!」
提案を断られたのにも関わらず、キサラの表情は明るかった。その笑顔のまま、ナーダにも優しく微笑みかける。
「ナーダさんも、良ければ一度教室を見に来てください。今日みたいに渓谷にお邪魔することも増えると思うので」
「ええ、もちろん」
それからしばらく他愛のない話をした後、キサラは子供たちを呼び集めて帰っていた。アロイに肩を貸しながら草原の集落まで歩くのは相当に骨が折れると思うが、キサラは集落を出る最後の時まで笑顔のままだった。肩にかかる重みも、足元にまとわりつく子供たちの声も、何もかもが楽しくて仕方ないというように。
ナーダは幾分軽くなった花を袂に持ちながら、いつもの癖で空を見上げる。
昼過ぎに集落に戻ってからずいぶんと話し込んでいたはずなのに、まだ太陽はあんなに高いところにある。
雲を透かす白い光が、自分たちにゆっくりと流れる時間を与えてくれているように思えた。