都に着くころには、すでに日が暮れ始めていた。山々の間に沈んでいく太陽が、空を茜色に染めている。
森の集落へ向かうというメクティコと別れ、ユウムナとアスは都の中央、契りの神殿へと足を向ける。
「メクティコ、こんな遅くからに祈り人のところ行ってどうするのかなー?」
「なんかね、キャキャが寝付くときに隣にいないと後で泣かれるんだって」
「本当に仲良しだねー……」
ユウムナはメクティコと違い、特定の祈り人と親しくするつもりはないらしい。アスにはナーダがいるが、こんな時間に訪ねて世話を焼かせることもないだろうと思い、今朝は神殿で過ごすことにしたのだ。
しかし、二人の目論見はすぐに変更を余儀なくされることとなる。
街道へと続く脇道を二人がのんびりと歩いていると、後ろから何やら焦ったような足音が近づいてくる。
ユウムナもアスも、人影を視認するよりも早く、その存在に気付いていた。
わずかな日の光を頼りにほとんど走るような歩調でやってきたのは、高山の医者のファルマだった。こんな時間だというのに、手には彼女の仕事道具である武骨なカバンを提げている。
「ファルマ? どうしたの、そんなに怖い顔して」
「っ! 戦士、すまない。説明している時間はないんだ。無礼な態度だとは思うが、話なら後にしてくれ」
「いや、私たちは別に気にしないよー。何、急いでるのー? 送ってあげよっかー?」
「なんだって? うわぁっ!?」
ファルマが頷くよりも前に、ユウムナはファルマの胴体を抱えて肩に担ぎあげていた。出遅れたアスは、とりあえずファルマのカバンを受け取った。
「そんなに焦ってたらファルマちゃんが転んでけがしちゃいそうだよー。で、どこに行ったらいいのー?」
「こ、こんなことを戦士にさせるなんて……。いや、正直に言えばかなり助かる。悪いが、高山の集落に向かってくれないか」
ファルマに頷くと、さっそくユウムナは走り始める。一人分の重みがかかっているとは思えないほどの軽やかな足取りだ。
「ファルマちゃんの診療所に行ったらいいんだねー?」
「違う。向かうのは、ダリアのところだ」
「ダリア? もう日も暮れてるのに、今から看病?」
思わずアスが口を挟むと、担ぎ上げられたファルマは首をひねってアスの方を向いた。その瞳には焦りだけではなく、不安げな色が宿っていた。
「そうだ。もうダリアは、丸一日目を覚ましていないらしい」
小さな部屋の中には、ダリアのほかに二人の人間が集まっていた。ディンシャとスーラは、ともにダリアの弟子であり、今は彼女の看病を担う研究者だ。
ファルマを送り届けたアスとユウムナも、何か差し迫った事情の気配を察してファルマの診断に同席する。
寝台の上で横たわるダリアは、見守られながら時々小さな声を漏らす。苦しんでいる様子はないが、ファルマがその小さな体に何をしようと、まぶたが持ち上がる気配もない。
「栄養状態は悪くない。脱水か……あるいは、貧血に似ている、かもしれない」
彼女にしては珍しく歯切れの悪い物言いをすると、ファルマは聴診器をダリアの胸から外して手元に何やらを書きつけた。
「かもしれない、というのはどういう意味ですか」
気まずい沈黙を破って硬い声で反駁したのは、ディンシャだった。生真面目な印象の青年は、先ほどから何度も自分の眼鏡に触れたり、くせ毛をかき回してみたり、落ち着かない態度だった。おそらく、ダリアの不調の原因が見えないことに対する不安を、苛立ちで隠しているのだろう。
「まだ断定できる状態ではない。医者として率直に言えば、こんな症状はほとんど見たことがない」
「ほとんど? ということは、前例はあるんですか? 教えて下さい、どんなに容体が悪くても対策が立てられるはずです!」
ディンシャは鋭く言葉尻を捉え、食ってかかるような勢いでファルマに訴える。
ファルマは眉間に一層深いしわを刻むと、ちらりとアスとユウムナに視線を向けた。
何か言葉を求められているのかと思ったが、戦士とは戦うしか能がない生き物だ。こんな場面では役に立つことができるはずもなく、ただ緊迫した空気を固唾を飲んで見守ることしかできない。
二人の反応をどうとらえたのか、ファルマは何事もなかったようにダリアへと視線を戻した。
「この症状にもっとも近いと私が感じたのは、慢性的な栄養失調と多臓器不全……つまり、老衰だ」
「ろ、老衰?」
ファルマの言葉に大きく反応したのは、やはりディンシャだった。
「そんなのあり得ないでしょう、だって師匠はまだ……」
「そうだ。年齢としては、ダリアはまだ子供の範疇にある。だが、皮膚やその他の器官からうかがい知れる内臓の状態は、きわめて不調だ。しかも、施された治療への反応が非常に悪い。その点で、老人同然だと評価せざるをえない」
「老人……」
「それがなぜなのかは分からない。が、単に瘴気の影響であるとは言えないのではないのか、というのが現時点での私の推測だ」
ファルマは険しい表情のまま、一度言葉を切る。
「ただ、根本的な原因は分からないまでも、ダリアに栄養が不足気味なのは間違いない。本人には酷かもしれないが、無理にでも食事はとらせてくれ。それが今できる全てだ」
「……分かりました。でも、一つお願いしてもいいでしょうか」
ディンシャはわずかに声を震わせながら、ファルマを真っすぐ見つめた。
「ファルマさんが調べた師匠の状態の記録を、私にも見せてくれませんか。あなたの診断を軽んじているのではありませんが、私なりに原因を調べてみたいんです」
それを聞いてファルマは少し驚いたように目を開いた後、この部屋を訪れてから初めて表情をやわらげた。
「ああ、学者先生の力を借りれるのは助かるよ。私もリカル……看護助手がいなくて困っていたんだ。記録の見方を説明するから、明日診療所に来てくれないか」
「できるなら今すぐ見せてほしいのですが……」
「いや、今日はもう遅い。私にもあんたにも、多少は休息が必要だ。朝までには記録を見せられるようにまとめておくから、落ち着いたら診療所に来てくれ」
と、ディンシャへいくつか指示を出した後、ファルマは診察道具をまとめてダリアの部屋を去っていった。
アスとユウムナもその雰囲気に乗じて、ダリアが眠る小屋を後にする。外に出るとすでに日はとっぷりと暮れて、雲間からのぞく月だけがぼんやりと光を投げかけていた。
なんだか今日は、色々なことがあった気がする。楽しかったやり取りもたくさんあったはずなのに、今頭を占めているのは単調な疲労感だけだ。激しい戦闘をしていたわけでもないのに、いったいどうしてだろう。
アスがぼうっと考え事をしていると、隣を歩いていたユウムナが不意に足を止めた。その視線の先には、アスたちよりも先に帰ったはずのファルマが立っていた。