1.
菊花隊は、このアインクラッドにおける唯一の治安維持ギルドだ。
元々ゲーム内に法律など無いが、それでも一定数のマナーと言うものは存在する。ましてやHPが無くなれば現実世界でも死ぬこの世界では、秩序と言うものは大きな意味を成す。
「それで、ダインさんは何で
第11層。タフトの街にある菊花隊の本部では、リーダーであるスグルが1人の男性と対面する様に座っている。
「そりゃ、治安維持部隊って憧れるじゃん?俺、そう言うの好きなんだよねー。秩序を守る為に動く組織って言うの?他のMMOでもそう言う事やってたしー」
スグルの質問に対し、対面している男はなんとも軽く、浅はかな回答をする。それを聞いたスグルは少し眉を顰めた。
「憧れるじゃん、ねぇ……他のMMOでもそう言う事やってたらしいけど、具体的に菊花隊がどんな事やってるかって、知ってる?」
「?、何って、治安維持活動だろ?悪い奴が居たらそいつらを問答無用で捕まえて、監獄エリアにぶち込む。サイコーのギルドじゃん」
男のその返しに、こりゃダメだとスグルは眉間に手を当てる仕草をする。
「はぁ……」
そして大きく一つため息をつくと、前に乗り出す様にして机の上で手を組んだ。
「一つ勘違いしてる様だから言っておく。ウチを勧善懲悪のギルドだとか、正義の味方だとかそんな風に思ってるのなら、菊花隊に入るのはよした方がいい」
「な、なんでだよ」
スグルの雰囲気が急に変わり、男の方もタジタジとなる。
「質問に質問で返す様で悪いが、菊花隊の最大の敵って、なんだと思う?」
「そ、そりゃ、犯罪者ギルドだろ。オレンジとか、レッドとかの」
「そうだ。もしそいつらと対峙した時、君は彼らと渡り合えるか?」
「もちろん!俺のレベルは52。そんじゃそこらのプレイヤーとはスキルが違うって訳よ」
男の回答を聞いて、スグルは更に顔を顰めた。
「………やっぱり、君は
「だから何でだよ!!」
自分の思い通りに事が運ばないのが癪に障るのか、男は大声を張り上げる。しかしスグルはそれに乗っかることは無く、再び大きくため息をついた。
「それだよ。君、基本的に他の人を見下す癖があるだろ?」
「え?」
男にはその自覚が無いのか、素っ頓狂な返事を返す。
「『悪い奴が居たらそいつらを捕まえて問答無用で監獄エリアにぶち込む』、『そんじゃそこらのプレイヤーとはスキルが違う』。ウチには合わないと言われて逆上する。今までの自分の発言と言動を思い返してみろ」
「………………」
全くの図星。男は言葉を失ってしまう。しかしスグルはトドメとばかりに言葉を続ける。
「そんな考え方で治安維持を任せられると思うか?オレンジやレッドはあの手この手で俺たちを煽って来る。それに耐えられるだけの精神性が君にあるとは、俺には到底思えないよ」
「……………」
遂には男は俯いて言葉を発しなくなってしまった。スグルに正論を突きつけられて相当ショックを受けている様子だ。
「……以上。まあ今回は縁が無かったと言う事だ。君は君で精一杯この世界で生き抜いてくれ」
突き放す様にスグルがそう言うと、小さく「……チッ」とだけ舌打ちを返し、態とらしく扉を乱雑に開けて部屋から出て行った。
____コンコンっ______
すると、入れ替わる様に扉の音がノックされる。
「どうぞ」
短くスグルがそう言うと、再び扉が開かれる。童顔の顔立ちと目元まで隠れた髪。書類を持って入ってきたのは幹部の1人、ユーシだった。
「ロクでも無いのが来ましたか」
閉めた扉を再度見つめながら、何処か他人事の様にユーシはそう言う。
「聞いてたのか?」
「ええ、少し。無礼も無礼。隊長にあんな態度取る奴なんかこっちからごめんです」
淡々と、扉の向こうの男に向かって吐き捨てる様にそう言うにユーシ。対してスグルは苦笑いになる。
「俺に対しての態度とかはどうでもいいんだがな。……まああの調子だといずれにせよ
そこまで言うと椅子に寄っ掛かり、天を仰ぐ様な仕草を見せるスグル。
「はぁ……久しぶりに大ハズレを引いたよ」
「レベルは高かったんですがね」
ユーシから出た"レベル"と言う言葉に、スグルは少々眉を顰める。
「そっちは正直どうでも良い。むしろレベルが高ければ高いほどああ言う手合いは増えるからな」
「そう言う奴ほど勘違いしてるのが多いですから」
当たり前かの様に、しかし皮肉っぽくそう言うユーシ。
この世界では、レベルの数字に盲目になるプレイヤーは多い。確かにレベルが上がれば、プレイヤーとしては強くなる。モンスターも簡単に狩れる様になるし、周りから羨望の眼差しを受けることもある。そうすると、"自分は強いからなんでもまかり通る"と勘違いするプレイヤーが出てくるのだ。
そんなプレイヤーがごまんと居る中から、中身が伴ったプレイヤーを見分けなければならない。
「本当、人を集めるのは大変だとつくづく思うよ」
苦笑いを浮かべ、困った様にそう言うスグル。
菊花隊が抱えている一つの問題。それは人材不足だった。
現在アインクラッドでクリアされた層は36層。そしてクリアされた層が増えれば増えるほど、相対的に警備をカバーするエリアが増えると言うことだ。それに伴って菊花隊の人数も必然的に増やさなければならない。
しかしいざ面談と銘打って蓋を開けてみれば、ああ言う手合いばかり。
レベルは高いが、中身はすっからかん。
そんな人材しかいない事実に、スグルは心の中で大いに嘆いていた。
「……僕は、今ままで良いと思いますが。下手に人を増やして隊の質が下がるのはごめんです」
少し顔を顰めてユーシはそう言う。彼はあまり菊花隊の人数が増える事をよく思っていない様だ。
「そう言うな。いずれにせよこのまま攻略が進めば人は足らなくなる。それに人の質を高めるのは俺らの仕事だぞ?ユーシ。お前は若いが周りが見える人間だ。人を育てるのもお前の役割なのを忘れるな」
諭す様にスグルがそう言うと、やりにくそうにユーシは頬を掻く。
「………そう言うのは苦手です」
「ははっ、まあその時は当たって砕けろだ」
人を育てると言うのは、生半可な人間には出来ない。しかしスグルは目の前の若い青年にはそれが出来ると確信していた。
「……因みにあと何人ぐらい必要なんすか?」
話題を逸らす様ににユーシがそう聞くと、途端に難しい顔に変わるスグル。
「………5人は欲しい」
「……現実的な数字では無いですね」
たった5人。それでも遠すぎる数字に感じた。
2.
「フゥー………」
1人ポツンと残された部屋で、スグルはタバコを一本味わう。
現実世界だと喫煙所などと言う狭苦しい牢獄まで出向かなければならなかったが、この世界ではその必要は無い。
目の前の書類を全て終えた、この時間がスグルは好きだった。
仕事を終えての、至福のひと時。この感覚は現実のものと同じだ。ふと外を見ると、今日は月が綺麗に見えた。アインクラッドの気象設定によれば今日は満月だ。
「……外で吸ってみるか……」
まやかしの世界なのは言うまでも無いが、偶にはそのまやかしに心を預けてもいいかも知れない。そんな気持ちで、スグルは屋上へと向かって行った。
「……ん?」
屋上に行くと1人、月を見ている人間が居た。月明かりの逆光でシルエットしか見えないが、制服は菊花隊の物を着ている。ゆっくりと、スグルはその人影に近づく。
「なんだ、ユーリーか」
「……あ、先輩」
話しかけられて、ユーリーもスグルの存在に気付く。
「珍しいな。今日は非番だろ?」
「あはは。今日は月が良く見えますからねぇー。街に寄った帰りにここでお月見をしようと思いまして」
いつも通りの笑顔を浮かべて、ユーリーはそう返す。対してスグルは以外そうな表情を見せる。この世界で月見をしようなんて人間が自分以外に居るとは思わなかった様だ。
「なんだ、お前もか」
「じゃあ、先輩も?……へぇ、見かけによらずロマンチストなんすね」
「揶揄うな。お前こそ意外だな」
「む、女の子はいつだってロマンチックですよー」
いつもの軽口を叩き合いながら、スグルはユーリーの隣まで足を進める。
そして、2人して見惚れる様に月を見上げた。
「………こんなに綺麗なのに、現実じゃ無いんすよねー……」
そんな事を呟いたのは、ユーリーの方だった。何処か羨ましがる様な、寂しがる様な、悲しむ様な、何とも言えない表情をしている。
「………お前らしくも無い」
同じく月を見ながらスグルはそう返す。
この世界ではあまり弱みを見せなかったユーリーだが、今日は様子が違う。
「………今日、昼にアスナちゃんと遊んだんすよ」
「へぇ、またか」
スグルがまたかと言った様に、菊花隊が参加した29層のボス攻略後、ユーリーとアスナは個人的に交流を持つ様になっていた。
元々女性の少ないこの世界。互いに仲良くなるには時間は掛からなかった。そしてその過程で、アスナからよく相談も受ける様になっていた。ユーリーがβテスターなのも相まってか、ユーリーとアスナは良き先輩後輩の様な間柄になっていた。
「やっぱりあの子、まだちょっと焦ってる様で。今日だって『今の間にも、私たちの現実での世界が失われているって』考え込んだ表情で相談して来たんす。あの時は考え過ぎだって言ったんすけどね」
少し俯き、考え込む様に呟くユーリー。
「……後でよくよく考えると、アタシだってこの世界に慣れて来てる感覚があるなって」
そこまで言って、ユーリーは再度月を見上げる。
「いつしか現実よりも綺麗なこの月が、アタシ達の日常になってしまうんじゃないかなーって」
もう、この世界にいる事が日常的になりつつある。
いつしか、"神崎"と呼ばれるより、"ユーリー"と呼ばれる事の方を自然と受け入れてしまう。そんな気持ち悪さと葛藤しているのが、今の彼女だ。
「………だから、ここに来たのか?」
「まあ、そんなところっすかね?」
口調は軽いが心底困った様な表情を浮かべ、ユーリーはそう返す。
現実と虚構の境目が曖昧になっているのが、今の"神崎由里子"だ。
しかし、"四条優"は違った。
「……俺は、やっぱりどこまで行ってもここは現実じゃ無いと思うよ」
そんな彼女の気持ちに応える様に、同じく月を見据えながらスグルはそう言い放つ。
「……やっぱすごいっすね、先輩は」
少し羨ましがる様な口調で、ユーリーはそう返す。
「神崎、お前はこの世界の何が一番都合が良いと思う?」
「……どう言う事っすか?」
質問の意図が分からず、質問に疑問で返すユーリー。そしてスグルはその表情を、月からユーリーへと移す。
「俺は、現実の痛みや苦しみが無い事だと思う」
「あ……」
そこまでスグルが言うと、何か察した様な表情を見せるユーリー。
「例えば一日中モンスターの狩りをしても、次の日筋肉痛にはならないだろう?ダメージを受けてもその場の違和感はあるが、アイテムを使えば一瞬で回復する。まるで攻撃された場所は何も無かったかの様に」
他にも色々ある。食べなければ餓死する。走れば息が切れる。ものを食べたら小便や大便が出る。
そんな生きる上での不都合が、この世界には存在しない。
「だから、この世界では俺たちは生きてないんだ。生きるって事は、もっと不便だから。そこを省略してこの世界で"生きている"だなんて、俺は口が裂けても言えない」
「………そうっすね」
ゲームシステムによって、生きる上での不都合が省略されている。
だからこそ、スグルはこの世界がまやかしであると断言出来る。
「……やっぱ、先輩は強いっすね」
どこまで経験を重ねれば、この人の様に芯のある強さを手に入れる事が出来るのだろうか。そんな感情を込めて、ユーリーはそう言う。
警視庁の中でも"カミソリ"と呼ばれる程の男。
その本質は、この芯の強さにあるのかも知れない。