Re:上から目線の魔術師の異世界生活 作:npd writer
モービウスにムーンナイト、巷ではファンタスティック・ビーストにコナン、そして1ヶ月後にはドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネスが公開を控えています。
いやー、楽しみですねえ〜。
白鯨が切り札の一つである「霧」の放出を実行してなお、戦況は討伐隊の優勢で進んでいた。
本来であれば、体から放出される無数の霧が街道を覆い尽くすとともに、それに身を隠し討伐隊の目を眩まそうとしていたにも関わらず、白鯨の作戦は見事に失敗したのだ。
白鯨の思惑を打ち砕いたのは、誰であろうストレンジの風を操る魔術だ。手から放たれる波動によって風を起こすこの魔術は、嵐を沈め激流を操るのが本来の使い道なのだが、それを応用し今回の白鯨の霧にも使用したのだ。
彼の手から放たれる波動によって送り込まれた風が霧を捉え、風の柱の中に霧を抑え込んでいく。その光景に討伐隊の面々は、鬨の声を上げ再び白鯨に向かって立ち向かっていった。
四度目の魔鉱石による砲撃が、固まる白鯨に直撃しヴィルヘルムやリカードに率いられた軍団が再び白鯨に喰らいつく。
ストレンジのサポートがなくとも超人的な身体能力を持つヴィルヘルムや、跳躍力に優れたライガーを乗りこなすリカード達は、自力で白鯨まで飛ぶと剣を白鯨の体に突き刺し、そして切り刻んでいく。
「まさかあの厄介な霧まで操るとは!誰にも出来ないことをやってのけたその力、まさに「至高」でしょうな!」
「全くや!やっぱ噂に漏れず、中々にええ腕しとるな!お嬢がこの光景を見とったら、喉から手出るほど欲しがるはずや!」
白鯨の体を全速力で駆け抜けるヴィルヘルムと、ライガーに乗りながら彼に並走するリカードは、頭部から尾にかけてを一直線に切り刻みながら進んでいく。
特にヴィルヘルムは、ストレンジの魔術に動揺し、一瞬の隙を生んだ白鯨の体を獰猛な笑みを浮かべがながら切り裂いていった。
「どうした、あの方の魔術に魅了でもされたか?だとしたら実に結構!そのまま体を晒し、遠慮なく切り刻まれていくといい!」
「すっげえ!あの霧を抑え込みやがったぞ!」
「……信じられません。あの量の霧をどうやって……?あの竜巻のような魔術、あれを発動するだけでもかなりのマナを消費するはず……」
白鯨の鼻先を回って攪拌する作業を続けるスバルとレム。ストレンジの魔術に眼前に見て、興奮冷めないスバルはずっとストレンジと、彼が操る白鯨の霧から目を離せずにいる一方、地竜の縄を握るレムは時折ストレンジに目を向けてはあり得ないと言わんばかりの驚きの表情で見つめていた。
「ドクター様はエミリア様のようにマナを操ることを得意としている……?だとしても、大量のマナを酷使し続ければハーフエルフのエミリア様は兎も角、人間であるドクター様のゲートは崩壊するはず。しかも、既に魔術を行使してもなおーー」
「レム?大丈夫か?」
「い、いえ、なんでもありませんスバルくん。今は白鯨との闘いに集中すべきですね」
縄を握りながら何やらブツブツと自問自答しているレムを心配になったスバルが声をかけた。すぐに笑顔になったレムは勢いよく手綱を引き、地竜を勢いよく走らせた。レムの言っていたことを聞き取れなかったスバルだが、白鯨の霧を取り込み続けるストレンジの魔術の許容限界がそろそろ近づいていることも認識していた。
「白鯨の霧を操るってことは、相当MPを削ってるはずだ。だとしたら、いくら魔術に優れたドクターでも限界が来る。魔術が解かれれば、竜巻の中に閉じ込められている霧が一気にこの戦場に流れることになって、俺たちは霧の中に閉じ込められることになる。それまでに短期決戦で済ませなきゃ行けないってことか……!」
「はい。……ですが、それまで白鯨が待ってくれるか」
現在、白鯨はストレンジの魔術によって霧が封じ込まれ、その隙を突く形で切り掛かったヴィルヘルムやリカードらによって体を蹂躙されている真っ最中だ。だが、400年も討伐されずに世界を恐怖に陥れてきた白鯨がこの程度でやられるはずがない。恐らく早めに次の一手を打ってくるはずだ。
「頼むぜドクター、もう少しだけ踏ん張ってくれよ……!」
白鯨の霧を抑え込むストレンジだが、その表情は険しいものがあった。元々、嵐を沈める効果がある「ワトゥームの風」の力は強大であるが故、行使者の消耗も大きく、加えて白鯨の隙を突く形で攻撃するヴィルヘルムやリカード、討伐隊の副隊長を務めるコンラッドの攻撃以外、他の討伐隊の面々の攻撃が届きにくく与えられるダメージが少ないことから、彼らの攻撃タイミングを作り続けるため、余計に長く魔術を維持しなくてはならなくなっていた。
彼の表情は次第に厳しくなり、それは近くで戦っているクルシュにも伝わっていた。
(ドクターの魔術の限界も近い。やはり、あれだけの霧を閉じ込めるには限界があるということか。だとすれば早期に決着を図る以外道はないが……現状の戦力では決定的なダメージを与えられる者は限られている。どうするか)
霧を捉える竜巻は、取り込む霧の量と共に次第に拡大しており、魔術を維持するストレンジの表情の険しさが増しているのは、拡大する竜巻を魔術で維持することが厳しくなっているためだ。
ふと、正面に対峙する白鯨の体が竜巻によって覆い隠されたその時ーー、
「退避だ!今すぐこの場から全員離れろ!」
魔術を展開していたストレンジの怒号が戦場に響いた。彼の叫ぶような尋常ではない声に即座に反応したのは彼の後方で指揮を執るクルシュと、白鯨の体を切り裂いていたヴィルヘルムだ。
言い知れぬ不穏な気配、そして事態が大きく変化することを本能で察したクルシュは直ちに退避の号令を出そうとする。
「総員、退避ーー」
「見ろ!白鯨の体が!」
討伐隊の誰かの声に一同が顔を上げたその瞬間、白鯨の体が膨らんだかと思えば、白鯨の大地を揺るがす咆哮と共に白鯨の全身から、霧が勢いよく噴き出した。
「ぬっ!霧の一斉噴射か!」
「いかん!退避や!退避しろーー!」
白鯨の異常をすぐ近くで感じ取ったヴィルヘルムとリカードは霧の噴射直前の体の膨らみに気づくと、急いで白鯨の体から飛び降り地上へ降下した。リカードの号令で白鯨に飛びついていた他の傭兵団の面々も飛び降りるが、そのコンマ1秒遅れる形で噴き出した霧の噴射が彼らを襲った。
それと同時に白鯨は口膣から霧のブレスを勢いよくストレンジ達のいる前面へ吐き出された。白鯨の渾身たる一撃は、「ワトゥームの風」によって作られた竜巻を貫通し、霧を通り抜ける形でストレンジやクルシュ達を直撃した。
クルシュらは咄嗟に退避行動するも、逃げきれなかった何人かは白鯨のブレスに巻き込まれる。
そしてストレンジは、彼自身は盾を生成し白鯨の攻撃はやり過ごすも、波動を送り込む「ワトゥームの風」が白鯨の邪魔によって解かれてしまったことで竜巻が消失し、中に閉じ込められていた霧が一気に解放されることになった。
魔術による制御を失った霧は瞬時に、周囲一帯を埋め尽くし始める。それまで明るかった空や周りの景色は厚い霧に覆われていき、夜払いの効果も薄くなっていった。また、周囲は霧のせいで視界が一気に狭まり、ろくに仲間の状況も確認できなくない。
ここに、討伐隊に白鯨討伐の難易度が一気に上がることを指し示したのだ。一方、反撃に成功した白鯨は霧の中にその巨大な身を隠し、討伐隊の視界から姿を消すことに成功する。
「やべ!霧が……ッ!」
金切り声を発しながら、同時にストレンジに隙を生ませた白鯨の無数の口から「霧」を吐き散らされる。街道の広範囲にわたり、空から降り積もる霧の浸食が世界を侵し、その視界を徐々に徐々に白みがかったものへ塗り替えていった。
今まで抑え込まれていた「霧」の魔獣の本領発揮がついに始まった。街道に霧が満ち、視界が覆われて個々の連携が噛み合わなくなる。なにより、その白い体は見上げるほどの巨躯でありながら、霧が生む白い海の中に溶け込むように消えていくのだ。
「くそっ!想像よりも早く仕掛けてきたか!」
「――スバルくん、レムに命を預けてください!!」
空を睨みながら語気を強めるスバルの前で、身を前に傾けるレムが叫ぶ。スバルはそれに対する答えとして、前に座る彼女の腰に深々と身を沈めて抱き着いた。
地竜がレムの素早い手綱さばきに従って身を回し、地を削りながら疾走を開始。白鯨がストレンジの魔術を無理矢理解き、戦闘状態に入ったとなれば反撃は必至。当然、負傷者が出ることは避けられない。
「多分ドクターは生きてるだろうけど、他の討伐隊の面々はーー!」
「――総員、退避!!!」
霧の向こう側から怒号が響き、白い闇に飛び込もうとしていたこちらを牽制する。聞こえた声は聞き間違いようのないクルシュの声だ。なにを、とスバルが顔を上げようとするより早く、
「うお!?」
一瞬の判断で地竜の進行方向を変え、遠心力に振り回される身が左へ移動する。その右を――濃密な質量を伴う霧が一気に吹き抜ける。先程、ストレンジの魔術を強引に解かせることに成功した白鯨が続けて第二射を行ったことで、目を封じられ逃げ場を失った討伐隊は次々とその攻撃に遭っていた。
押し寄せる霧の範囲は視界を覆うほどで、回避が一瞬でも遅れれば地竜もろともにスバルたちを呑み込んでいたことは間違いない。
霧は撫でた平原の地面を溶かすように抉り、その進路上のものを根こそぎ腹に収めて文字通りに霧散している。
もしもアレを浴びていれば、この世のどこでもないところへ消されていただろう。
「これがマジもんの「霧」……ッ」
白鯨の恐ろしさについて、事前に討伐隊のブリーフィングで知らされた幾つかの内容。そのひとつが、この破壊を伴う「霧」の威力だ。
白鯨の口腔より放出される霧は二種類あり、ひとつは純粋に視界を覆い、自身の行動範囲を拡大させるための拡散型の霧。そしてもうひとつが、たった今、目の前でごっそりと大地を消失させた消滅型の霧だ。
攻撃手段として白鯨が利用するのが後者であり、その霧の恐ろしさはストレンジの魔術でも防ぐことが難しい威力と甚大な被害はもちろんだが、真の脅威は別のところにある。
「――――せぇい!!」
気合い一閃、勇ましい声が霧の彼方から届き、次の瞬間に視界を覆っていた霧が打ち払われる。
晴れた視界の向こう、地竜の背に立つクルシュが剣を握った腕を振り切った姿勢でいた。加護の応用で、充満した霧を切り裂いて視界を確保したのだ。
彼女は汗の張り付いた額を乱暴に拭い、走る地竜の背に腰を落とすと周囲を見回す。その彼女を目印としたように、散り散りになっていた討伐隊が集まってくると、その先頭を走る面々にクルシュが口を開き、
「――何人がやられた?」
「我が隊の隊員数は十三名――二人、足りませぬ」
「……誰がやられた」
「わかりませぬ……!」
クルシュの問いかけにコンラッドが応じ、続く問いかけに首を振る。隊員の数を把握しているであろうコンラッドが、それでもなお脱落した隊員の素姓がわからないと言うのだから。
「こちらは十四名、一名が脱落」
「五名が不明です、申し訳ありません! 位置深く、霧を避けられませんでしだ……!」
同様の報告が他から次々と上がり、いずれの小隊長も消えた仲間の名前が出てこない。
その異常事態こそが、白鯨の操る「霧」の本当に恐ろしい部分だ。
「これが……消滅の霧……!!」
文字通り、「霧」を浴びて消失した存在は、その存在ごと世界から消えてしまう。
誰が消失してしまったのか、事実は残っても誰の記憶にもそれは残っていない。クルシュが討伐隊の各小隊を、ぴったり十五名ずつに揃えた真意はそこにあった。
「霧」を浴びて小隊が欠員した場合、誰がやられたのかすらもはや分からない。その欠けた事実だけは認識するために、小隊の数は揃えられている。
「なんで……俺だけが、覚えてる……」
にも関わらず、スバルはその疑いようのない現実を口にした。白鯨によってこの世から存在自体が消されたのにも関わらず、彼だけが消された人々の存在を確固に覚えていたのだ。世界の理から外れたように、一人覚えていることにスバルは疑問を思わざるを得ない。
「霧にもぐられた以上、奴がどこからまた消しに来るかは分からない。密集しているのも下策だ。――散開し、霧払いの結晶石を使うぞ」
集合する討伐隊の面々を見回し、クルシュが手短に話し合いを区切る。全員がそれに首肯するのを見届けながら、スバルはその場にヴィルヘルムやリカード、それにストレンジらの姿がないことに気付いて目を見張った。
――まさか、あの三人までも消失したのではあるまいか。
「戻ったか、ヴィルヘルム」
が、そんな彼の内心の戦慄は、霧の向こうから姿を現した影に否定される。
濃霧の奥から、地竜の背で血に濡れる剣を振るうヴィルヘルムと、彼の背後にいるライガーの群れが姿を現した。白鯨の体に取り付いて戦っていたが故に、かえって被害を少なくこの場に帰還していたのだ。そして、上空からもマントを靡かせたストレンジが降下してきた。彼も、白鯨の奇襲を受けたとはいえ、攻撃直前に察知し魔術を展開して防御したことで、消滅の霧の攻撃を凌ぎきっていた。
「先走り過ぎました。――被害の程は?」
「合わせて十二名……小隊の半分が消滅した形だ。倒れた者達の名誉すら、もはや正しく守ることは叶わない」
消失は文字通り、存在の抹消。それは例え、「至高の魔術師」であろうと逃れられない運命だ。誰の記憶にも残らない人々が、そこにいたのだろうという空白だけ残る。
そこにそれまであったはずの絆や想い、愛はどこへ消えるのか。
「厄介な霧が出てしもたな。霧払いの結晶石の数は心もとない。……ストレンジはん、この霧を払えるような魔法はあるかい?」
「ああ。元々、「ワトゥームの風」は嵐を沈めるための魔術だ。この周辺の霧なら、問題なく払えるだろう。だが、白鯨の居場所を見つけ出すことまでは出来ない。あとは、人の目だけが頼りだ」
「ドクターのその魔術は霧を払うだけでいい。恐らくもう一度、同じだけの集中攻撃が通れば地に落ちるはずだ。姿を見失っている以上、奇襲を避ける意味でもここが使いどころだろう」
クルシュの言葉に全員が無言で肯定を表明。それらを受けて彼女が頷き、
「ここからが正念場だ! 白鯨に我らの攻撃が通じるのは卿らの手の中に残る手応えが証明している! 確かに奴は強大だ。得体が知れぬ。我らの死は最悪、誰の記憶にも残らぬかもしれぬ。だが!」
カルステン家の宝剣を空にかざすクルシュが声を高らかに叫ぶ。
「墓標に名を残せなかった死者のためにも、この先の世界で霧の脅威にさらされるだろう弱者のためにも、我らは犠牲を払おうとも奴を討つ――ついてこい!!」
「――――おお!!」
各々が武器を空に掲げて、一斉に快哉を叫ぶ。
すさまじい士気の高まりが霧を震わせ、沈みかけた戦意に着火して猛らせる。
続けてストレンジが、先程と同じように手首に三本の魔法陣を出現させ、今度は左手の上で右手を複数回回し始める。そして左手の上にある程度波動が溜まったのを確認した彼は、それを一気に上空に解き放った。
「霧が、晴れる――!!」
オレンジ色の波動が周囲の空間を伝わると、霧は巻き上げられるように上空に上がっていく。波動が霧を押し上げ、周囲を覆っていた霧を徐々に遠ざけた。だが、平原の四方を覆い尽くした霧全てを払うことができたわけではない。
周囲の霧を払い、視界確保すら難儀にした状態を解消したに過ぎない。が、それだけでも十分な効果だ。
「ドクターの魔術でも霧全部を消すには足りない、か」
「代わりに、こちらの魔法には影響ありません。レムも万全です」
小さく拳を固めるレムが、額の上にある角を光らせてそう答える。彼女を取り巻くマナが満ちる感覚を肌に味わい、スバルはレムが再び魔力を練り始めていることに顎を引いて、
「――っしゃぁ! ビビってられねぇ。ここまでなんの役にも立ってねぇんだ。そろそろ俺らの出番といこうじゃねぇか!」
「はい! 行きます!」
地竜の首下で手綱が鳴り、嘶きに合わせて揺れが弾む。
走り出す地竜の背中でレムの腰に掴まり、霧の薄れた頭上を白鯨を求めて視線をさまよわせる。
クルシュの号令で再び上空に舞い上がったストレンジや、地竜に乗る他の討伐隊もそれぞれ散開しながら巨躯を探して視線を走らせ、いつ戦端が切られるかわからない緊張感の中、白鯨の出現に備える。
白鯨の出現が依然わからない。それは戦いが始まる前の、深淵の闇の中で白鯨の出現を待ち構えていたときの感覚にも似ていて、
「――霧」
嫌な予感がクルシュ、ストレンジ、そしてスバルの脳裏に走った。
スバルやクルシュにとってその予感にこれと言った根拠があったわけではない。様々な原因やこれまでの事象を含めて、その不安は降って湧いたのだ。
一方、ストレンジにとって、予想した勝利へと辿り着く過程において、彼らの前に立ち塞がるであろう攻撃に警戒を強めていた。
精神耐性の強いストレンジやスバルは兎も角、他の面々に、白鯨の精神を蝕む攻撃に耐えられるかは天性の問題であり、どうこうできる問題ではない。来るであろう攻撃に念のため、防御用の魔法盾を展開しようとしたその時ーー、
「――――ッ!!!」
霧の薄まったリーファウス街道に、高い高い咆哮が響き渡る方が速かった。
そして、狂気が伝染し始める。
最初に異変が生じたのは、スバルの隣を並走していた地竜の一団だ。
甲高い咆哮はそれまでの白鯨のものと違い、低く大気を鳴動させるものではなく、鼓膜を尖った爪でメチャクチャに掻き毟るような不快感を伴っていた。
背中に鳥肌が浮かぶような音の暴力にスバルが喉を鳴らし、レムすらも体を強張らせる中、ふいにスバルはその異変に気付く。
「おい! どうした!?」
隣や後ろを走る地竜から、バタバタと騎乗者が振り落とされているのだ。
異変に気付いたレムが地竜をUターンさせ、騎手を失って右往左往する地竜の中を抜けて、スバルは転落した男たちのところへ向かう。
「大丈夫か!? 落馬するとただのケガじゃ済まねぇって……」
その負傷の度合いを憂慮して声をかけ、スバルは言葉を思わず途切れさせる。彼らの状態が、負傷の深度をうかがうといった次元になかったからだ。
泡を吹き、白目を剥いて痙攣している者、呻き声を上げて涎を垂らし、必死に自分の腕を掻き毟って血を流す者、痛みに耐えるように歯が砕けるまで食い縛り、頭を地面に打ち付ける者がいる。
正に狂気に苛まれた地獄絵図がそこに広がっていた。
「これは……どうなってんだッ!?」
「精神に、直接……マナ酔いに似ていますけど、もっと悪質な……!ひどい……!」
額に手をやりそう答える少なからず害を受けているのか、苦しい表情をしている。
その言葉にスバルは「マナ酔い……」と小さく口にして、それからハッと顔を上げると周囲を――霧を見やり、
「まさか、この霧の効果か……!?」
視界を埋め尽くすほどの霧で敵勢を取り囲み、回避不能の状態から全体異常魔法。その威力は予想を凌駕する凄まじいものだ。
被害を受けたのがスバルたちの周り数名であるとは思えない。事実、視界に届く限りを見渡せば、あちこちの一団も同じように足を止めている。
「純粋な火力では勝てないと踏んだでの精神への攻撃か。単純に突っ込むだけの能無しと思っていたが、厄介だが多少の知恵は持っているようだ」
「ドクター!そっちも無事だったんだな!」
「ああ、……なるほど、精神が図太い人間は大丈夫なようだな」
「それはドクターにも言えてるっての。それよりも、この攻撃には耐性のある奴とない奴がいるんだな。俺もなにも感じねぇけど」
「レムは過剰なマナの密度で少し……今、落ち着きます」
降りてきたストレンジは何ともないのか、スバルと同じく平然と辺りを見回している。だが、その表情には楽観的なものは一切ない。
苦しんでいたレムは、深呼吸で落ち着くとスバルは地竜から降り霧の影響下にある彼らの下へ。せめて、自傷行為だけでも止めさせようとするが、
「おい! それ以上はやめろ! 傷が……うお!」
「あああ! あひひひああああ!」
止めようと腕を差し伸べたスバルだが、その二の腕あたりを手加減なしに引っ掻かれる。肉が浅く抉られる痛みに呻き、スバルはとっさに飛び退いて距離を取った。
男はそれ以上追わずに自身への攻撃を再開し始めた。血が散り、すすり泣くような声が連鎖する。
「これはかなりヤバいんじゃねぇのか? 下手すると死ぬまでやめないぞ、これ!」
「スバルくん! 傷は!?」
「ちびっと泣きそうに痛いけど大したことない! それより、これをどうにかしないとみんな自滅しちまう!どうにかならないか?」
気を落ち着けたレムにそう聞くが、彼女は地で悶える騎士たちを見ると難しい顔で首を横に振り、
「残念ですが、レムの治療では効果はどこまであるか……。単純な外傷だけならともかく、ゲートを通して直接内側に干渉しています。ここまで強力なマナ汚染は、フェリックス様ぐらいの腕がないと……」
「そもそも、この精神汚染ってどれぐらいレジストできてんだ? こっちは俺とレム、それにドクター以外はほぼ全滅だぞ!?」
スバルたちと同じ方向に向かっていた一隊はほぼ壊滅――小隊長と二名だけが無事の様子で、スバルたちと同じように自傷する仲間を止めようと躍起になっている。十名ほどの半数以上が汚染されたとなると、その効果の程は、
「肝心のフェリスが汚染食らってたら完全に詰みだぞ、どうする……」
「ーーここは、私に任せろ」
不味い状況に顔を顰めるスバルの背後から、ゆっくりと歩み寄っていたストレンジが語りかけた。振り返ると、彼の右手には複雑な紋様が描かれた魔法円が浮かんでおり、何やら特殊な魔術を準備している。
「ドクター、それは?」
「「セラトムの魔法陣」。人の精神を強制的に安定化させ、対象を眠らせることのできる魔術だ。白鯨の気味が悪い霧にも対抗できるだろう。これを使って今、発狂状態にある兵士たちを眠らせる」
そう言い、ストレンジは自身の周囲を囲うように魔法陣を出現させると手を上下左右規則性に動かす。それと共に魔法陣は輝き始め、周囲を橙色に照らし始める。
「動けるものは負傷者を大樹の根に! 多少の実力行使はやむを得ん!」
ストレンジの魔術が展開される傍ら、濃霧の向こうでクルシュの声が上がり、応じる声も立て続けに聞こえる。彼女は汚染の影響を受けていないらしいが、それでも事態を収めるのに懸命になっているのが声から分かる。
全体攻撃の指示の直後の方針転換だ。歯がゆい感情が声ににじみ出ているのが伝わり、スバルは即座に戦闘不能状態に追い込むでもない白鯨のやり口に怒りすら抱く。
「殺すよりケガ人出す方が戦線を崩壊させやすいってのは聞いたことあるが……それを怪物がやりやがるかよ……!」
「フェリス様は無事のようです。あの方の治療が全体に回れば、少なくとも汚染の効果は剥がせるはずですが……」
口ごもるレムの言いたいことはスバルにもわかる。
重要なのはそれでフェリスや、今正に負傷者の狂気を止めようとしているストレンジの手が塞がってしまうことと、負傷者を回収するために手が割かれること。そしてなにより――、
「時間が足りない。フェリスの治療が全員に回るまで、そしてドクターの魔術が完成するまでの間、ずっと無防備に鯨の攻撃を待ってるわけにはいかねぇぞ」
「最悪、白鯨は集まったこちらを丸ごと霧で呑み込むかもしれません。そこまで知能があるとは思いたくありませんが……この状況を作ってきた以上、楽観は」
「本能でやらかしてきてる可能性もあるが……いや、どっちにしろ、野生の狩りのやり方は舐めてかかれねぇ」
危険覚悟でクルシュは討伐隊をまとめ、フェリスに治させる覚悟だ。当然、ストレンジも魔法陣を完成させられれば、負傷者の運搬は他の者に任せることですぐに現場に戻ってこれる。
だが、それまでの時間稼ぎになにかしらの打開策を放たなければならないことは誰もが理解している。
「――ふぅ」
スバルは息を深く吐き、肺の中を空っぽにする。限界まで酸素を体から取り除くと、自然と窮屈になる胸の中――心臓の鼓動がゆっくりと、確かなリズムを刻んでいるのが自分でわかった。
意外なほど、落ち着いているの自分。いつだって状況に流されるままで、目の前の事態に翻弄されては、スバルの心情を反映するかのように鼓動は暴走を繰り返していたものだ。
それがどうして今、決断を前にこれほど落ち着けているのか。
「……借り物でも、勇気は勇気ってことか」
胸を叩き、スバルは大きく息を吸い込む。一度止めて、目をつむり、それから息を吐きながら目を開く。前を向く。正面、地竜に乗るレムがスバルを見下ろしている。
彼がなにを言うのか、なにを望むのか、待ち望むように。
「レム、一番危ないところに付き合ってくれ」
「はい。――どこまででも」
スバルの頼みにレムは躊躇なく、微笑みすら浮かべて受け入れた。それを受けてスバルは地竜に駆け寄り、その背に飛ぶようにまたがると、地に残って暴れる仲間たちを制する騎士たちへ、
「俺とレムが白鯨を引きつける。その間にあんたらはフェリスの治療を受けてくれ。大丈夫そうな奴らはフェリスに預けたあと、合流してくれ!」
「引きつける!? いったい、どうやって……」
「こうやるんだよ」
疑惑の声を上げる老兵に笑いかけ、スバルは息を吸い込んで喉を開け、
「――聞こえる奴らは耳を塞げ!! それどころじゃない奴らはそのままで!!」
全力の発声が霧の中に響き渡る。
そのスバルの怒号をレムは心地よさげに聞き、それから両耳に手を当てる。手近なところにいた騎士たちも慌てて耳を塞ぎ、おそらくはスバルの声が届くところにいた討伐隊の面々も同じように耳を塞いだはずだ。
作戦前のブリーフィングで、スバルが頼み込んだ通りに。
「――俺は「死にーー」
それを口にする瞬間、湧き上がる恐怖がスバルの心胆を絡め取る。目論見が外れて、もしもあの黒い魔手が周囲の仲間に、目の前のレムに手を伸ばすようなことがあれば――。
「愛してる」
それは耳元で囁きかけられるような、弱々しい小さなか細い声。しかし、そこに込められた胸を震わせるような、熱のこもった情は何か。
思わず目の端に涙が浮かぶような、そんな情動をスバルは堪えられない。遠のく声の影を追い、今すぐにそれを腕の中に抱き止めたい衝動に駆られる。
愛おしさが全身を埋め尽くす圧倒的な熱の中、意識は真っ白に燃え上がり――、
「――戻っっって、きた!」
刹那の邂逅の後、スバルの意識は現実世界へ覚醒する。
寸前までスバルの意識を支配していた感覚が遠ざかり、そこでどんな感慨を得ていたのかも思い出せなくなる。ただ、覚悟していたはずの激痛が訪れなかったような、そんな不可思議な感覚だけが残る。それでもーー、
「レム、どうだ。俺から魔女の臭いは……」
「はい、臭いです!」
「狙い通りだけど言い方悪くねぇ!?」
レムのお墨付きを受けて、釈然としないながらも狙いは成就。スバルは拳を固めて周りを見渡し、
「俺たちはすぐにここを離れる! なるたけ根の近くには寄らないようにするから、クルシュたちとうまく落ち合ってくれ!」
「わ、わかった! 武運を祈る!」
「お互いにな!」
送り出され、スバルが肩を叩くとレムが地竜を走らせる。恐らく、彼の体からは新鮮な魔女の残り香がこれまで以上に漂い始めるはずである。
それが、どれほどの効果を持つのか。
また、時を同じくて魔法陣が完成したのか、ストレンジが両手を勢いよく上空に展開された魔法陣に突き出すと同時に、更に魔法陣の輝きが増し始める。そして、一段と明るい光が辺り一体を覆ったと思えば、円状の魔法陣は四方に向けて一気に広がっていった。
「おお、ドクターの魔術も完成したっぽいな。それで、ジャガーノートのときを思い出すと、森全体をカバーくらいの効果があったけど今回はどうだ……正直、未知数なんだが――!?」
前進していた地竜がなにかに気付いたように鋭く首をもたげ、そのまま自身の判断で一気に旋回――遠心力に吹っ飛ばされそうになるスバルが「うげぇ!」と悲鳴を上げ、慌てて目の前のレムを縋るようにかき抱き、
「なにが……ッ」
「白鯨です!!」
密着するレムが叫ぶ真横を、ふいに霧を突き破って巨大な口腔が姿を現す。間一髪、進路上から外れていたスバルたちを避け、わずか左を滑るようにゆく白鯨の顎が大地を咀嚼し、途上にあった草原を丸呑みにしていく。
岩肌のような頑健な外皮をかすめるように駆け抜け、真横を抜けるスバルたちの背後で顎を持ち上げた白鯨が口内のものを一気に胃に下す。
それから魔獣はその咀嚼に狙いのものがまじっていないのを確認し、その巨体を翻すと、全力で遠ざかるスバルたちの方へとその首を向けた。
そして、咆哮が追いかけてくる。
「うおおおおおお!?」
彼らの背後から迫ってくる圧倒的な質量によるプレッシャー。
押し潰されそうな圧迫感に背を追われながら、叫ぶスバルを乗せた地竜が懸命に大地を蹴る。しかし、追い縋る白鯨の速度は尋常ではない。
山のような巨体で空を泳がせ、風を追い越すような勢いで距離が一気に詰まる。
ぐんぐんと、世界を呑み下す勢いで白鯨が近づく。その鼻面がすぐ間近に、息遣いが背中にまで届くような距離まで来てーー、
「ウルヒューマ!!」
レムの詠唱に呼応して、三本の氷の槍が大地から一斉に突き出してくる。
それは狙い違わず、スバルたちを追っていた白鯨を真下から穿ち、その固い外皮の中でも比較的柔らかい下腹へ命中――串刺しにして動きを止めようとする。
だが、
「なんで!止まらねぇ――――!!」
槍百本を束ねたような太さの氷槍が根元からへし折られ、甲高い音を立てて結晶が砕け散る音が鳴り響く。破壊と同時に氷槍はマナへと還元され、傷口を塞ぐものを失った白鯨の傷口から血が噴出するが、その動きに停滞はない。
あれほど負傷し、血を流し、それでも精彩を欠かない耐久力の果てはどこにあるのか。
「ジャガーノートのときと違って、こっちゃタイマンじゃねぇんだよ!!」
「――――!!」
中指を立てて距離の開いた白鯨を挑発するスバル。白鯨はスバルのその仕草の意味がわからずとも、怒りを感じているかのように口を開いて咆哮を上げる。
その巨体を、
「りぁぁぁぁぁ――ッ!!」
白鯨の頭頂部に開けられたポータルから出現したヴィルヘルムの斬撃が、頭部を縦に割った。
白鯨の頭上真ん中に着地したヴィルヘルムの刃が深々と肉を穿ち、開いた傷口から噴き出す鮮血が血霧を生む。
そして、その血に濡れる白鯨の背の上を目指す二頭のライガー。その背に乗るのは見た目そっくりな愛らしい子猫の獣人――。
「お姉ちゃん、合わせて!」
「いっくぞぉー、ヘータロー!!」
左右から交差するように背に上がったライガー、その背からミミとヘータローの二人が飛び下り、互いに手を取るとヴィルヘルムが作った傷口の上へ。そして、二人は顔を見合わせて同時に口を開くと、
「わ――!」
「は――!!」
直後、白鯨が全身の傷という傷から再度出血し、その巨体を激しく震わせて高度を一気に落とす。
苦しげに悶え、痛みに堪えるような声を上げ、かろうじて墜落を逃れる白鯨。その背からライガーにまたがる双子が飛び下り、息を切らしながら、
「切り札しゅーりょー!」
「団長、お願いします!!」
「おうおう、任せぃ! チビ共が頑張ったんなら、ワイもやらなあかんわなぁ!!」
降りる二人と交代し、大型のライガーが尾の方から白鯨の体によじ登る。
途上の岩肌を大ナタでめくって傷を生みながら、風のように走るリカードのライガーに霧が迫る。
体の上に乗るヴィルヘルムとリカードを狙うのは、白鯨の体に無数に開く口から吐き出される濃霧だ。
速度自体はかわせないほど速くはないが、なにより口の数だけ弾幕が開かれる。苦心するようにリカードのライガーが身をよじり、ヴィルヘルムも素早い身のこなしで霧を避け、大ナタの一撃と剣の斬撃が白鯨の背の上で踊り続ける。
歪な哄笑を上げる口を縦の斬撃が切り潰し、大ナタが口腔の中を蹂躙して機能を叩き潰す。ライガーの爪も微力ながら攻撃を牽制しており、なにより追いついてきた獣人傭兵団の砲筒が、全身に再び魔鉱石による爆撃の攻勢をかけ始めた。
討伐隊の攻撃力に再び押され始める白鯨。その巨体をよじり、口腔が霧を吐くための準備を始めたと見れば、
「レム!!」
スバルの呼びかけよりも早く地竜を巡らせたレムにより、魔女の臭いを漂わせるスバルが白鯨の鼻先を駆け回る。と、それに集中力を乱された白鯨が反射的にスバルたちの方へと首を向け――斬撃に、その目論見を阻まれる。
「――――ッ!!」
「余所見など、つれないことをしてくれるな。私は十四年前からついぞ、貴様に首ったけだというのにっ!」
刺突が白鯨の額に突き刺さり、固い部分にめり込む刃にヴィルヘルムの動きが止まる。が、彼は即座に三本目の剣を見限ると、手放した剣の柄を思い切りに蹴りつけてさらに深々と刃を突き立て、抜き放った五本目の剣を右に持ち、両手の刃で白鯨の頭部を滅多切りにしながら背に向かう。
途上にある口も次々と刃で文字通りに黙らせ、ライガーを縦横無尽に走らせて暴れ回るリカードと合流。犬の顔の獣人は血に酔うような顔つきで楽しげに笑い、
「楽しなってきたわ! 思ったより頑丈やけど、大したことないわ!」
「いや……少々、手応えがなさすぎる」
快哉を上げるリカードに低く応じ、軽いステップを踏みながら背を刻み続けるヴィルヘルムが唇を噛む。
「この程度の魔獣に妻が……剣聖が遅れを取ったとは考え難い。機先を制せたことや、最初の時点の霧で分断されなかったことを考慮しても……」
ヴィルヘルムが刃を振りながら考察する最中、ふいに白鯨が大きく動く。
それまで背に取りつくヴィルヘルムたちを引き剥がそうと、身悶えしていた動きが突如として変化。白鯨はその頭を上へ向けると、一気に高度を上げて空へ向かう。
急激に傾く足場の中、リカードはライガーに指示して器用に岩肌を駆け下り、危険な高度に達する前にどうにか離脱。そして、ヴィルヘルムは、
「降りる前に、もうひとつ貰うぞ――!」
身を回し、軽快な動きで老剣士が巨体の上を跳躍する。
上へ昇る白鯨の体を、下へ飛び込むヴィルヘルムが逆さまに登っていくのだ。体重移動と、刃を突き立てる強引な姿勢制御。長年の経験の蓄積による体さばきで白鯨の体を駆け下り、ヴィルヘルムの斬撃が到達点で大きく縦に振られ――白鯨の背びれのひとつが、いくつもの口を表面に浮かべたそれが根元から吹き飛ぶ。
「――――ッ!!」
白鯨の絶叫を聞きながら、落下するヴィルヘルムだが、地面に着く直前に地竜がその落下地点に滑り込み、彼を背中に乗せるとすぐ様戦線を離脱する。
「ヴィルヘルムさん!!」
「警戒を!何処から来るか分かりません!」
無事を確認しようと声を上げるスバル。ヴィルヘルムは、前方を見たまま警戒を緩めぬよう警告を続けるよう、スバルを促した。
つられて上を見るスバルは、そのはるか上空を泳ぐ白鯨の尾を視界に捉える。
切り取られた背びれの部分から滴る血が、暴力的な勢いを受けて雨のように降り注ぎ、平原の草を朱色に染める傍ら、無言のヴィルヘルムから戦意は衰えない。
まさかスバルも、このまま白鯨が逃亡するものとは思わないが、上空へ向かった白鯨の狙いは今のところ不明だ。
獣人傭兵団も各々が集まり出し、大樹の根元に集まる負傷者勢の状況が危ぶまれるところだが――。
「なんや、追ってこんのか?」
「ーーくる!」
リカードの呟きを否定するように小さく、空を見上げるヴィルヘルムが呟く。
目を細めて、両手の剣を持ち直す老剣士の姿に全員の警戒心が一気に最大まで引き上げられた。そして、固唾を呑んで動きを待ち――後悔する。
頭上に浮かぶ白鯨の行動など待たず、即座に散開すべきだったのだと。
「――霧が落ちてきやがるぞぉ!!」
声の限りに叫び、もはや無言でレムが地竜を一気に反転させ、戦線を離脱する。
周囲の地竜やライガーも同じように駆け出すが、もはや他のものの無事を確認するために顔を上げている余裕すらない。
――空を一面、覆うような勢いで膨れ上がる「消失の霧」が、彼ら目掛けて落ちてきている。
雲そのものが落ちてくるような長大なそれは、回避するには範囲から逃れる以外にない。岩や木々を盾にしようと、それごと呑み込む破壊の前に抵抗は無力だ。
駆け出し、間に合えと祈りながら走るしかない。
頭上を見上げることすら恐ろしく、音のない終焉が真上から迫る圧迫感だけがある。
懸命に地竜の背にしがみつき、姿勢を低くして限界まで駆け抜け――、
「抜けたか!?」
黒雲の下を抜けたような明るさが差し込み、背後に首を向けるスバルは見た。
霧に押し潰される大地の上、間に合わずに呑まれる複数の影がある。
懸命に、その形相に恐怖と怒りを刻み込んだ人間が、頭から霧に呑まれて消える。
地竜ごと消失し、地面に落ちて霧散する後にはなにも残らない。誰の記憶にも、名前すらも残らない。ただ、スバルだけがその死を覚えているだけで。
「ぅ……あ」
小さく呻き声を漏らすスバルの正面、霧で散り散りにばらけた面々が遠い。
その数も明らかに、先の攻勢のときより数をずいぶん減らしてしまっている。討伐隊の面々はもちろん、獣人傭兵団も無傷とはいかない。
せめて主力だけは、とスバルは視線を巡らせ、
「ヴィル……」
その視線の先には地竜から弾き飛ばされるも、持っていた剣でどうにか勢いを殺して膝と肘を地面につける形のヴィルヘルムの姿があった。彼はたまたま目の前にあった小さな黄色い花ーー出陣前に一人見ていた花畑に咲く花と同じ花ーーを見ていた。
刹那、彼の脳裏に横切るのは青年期であった自分と幼さが残る妻との逢瀬の日々。
だが、それが彼に一瞬の隙を生ませた。
「逃げろ――!!」
「ぬ――!?」
スバルの叫びと、ヴィルヘルムが背後に迫る大口を開いた白鯨が迫っていることに気付いたのはほぼ同時。だが、それはすでに間に合わないタイミングでの反応に過ぎなかった。
音もなく接近した白鯨の口腔が、大地ごとヴィルヘルムを呑み込む。地を削り、五メートル四方の地面が丸ごと抉られ、全て白鯨の口の中だ。
「あ……」
その衝撃的な光景を前に、スバルだけでなくレムすらも驚きに声を失う。
彼の老人の執念を知っていたが故に、その喪失感は尋常ではない。なにより、主戦力が失われる事態に状況は悪化の一途をたどり、
「あかんぞ!!」
と、今度は間近で別の人物の声が上がった。
スバルたちの地竜が横合いから迫っていたリカードの乗るライガーが突っ込んでくる。が、それよりも更に早く移動してきた赤いマントが地竜ごと彼らを吹き飛ばした。
「うおお!?」
苦鳴を上げる地竜ごと地面に倒れ込み、あちこち打ちつけて痛みに顔をしかめる。突然の暴挙の下手人はリカードーー、ではなく見覚えのあるマントだが、その真意を問う前に、
「お、お前は……」
用が済んだと言わんばかりに、スバルとレム、それに地竜を凄い勢いで弾き飛ばした赤マントは、すぐ様その場から離脱していった。あと少し遅ければ白鯨に喰われていたーー、マントが通過した直後に白鯨の大口によってできた巨大な窪みで理解できる。
意図しない所で救われたリカードであるが、状況は更に悪化していた。
三人の目線の先にはーー、
「嘘、だろ……」
振り返り、ヴィルヘルムを地ごと呑み込んだ白鯨が咀嚼を始めているのが見える。
目の前と、背後――見上げた上空にはいまだ、空を陰らせる魚影があり、
――五体の白鯨がその全身の口を震わせ、哄笑を上げて絶望を掻き立てた。
第三の目が開眼した闇ストレンジを見た瞬間、思わずゾッとしました。
あれは……ヤバいです
トミーとビリーが予告編に映っていたり、謎の怪物が現れるし、もう訳分かんねえな、MoMって。
モービウス、見てきました。個人的には初見さん歓迎の作品って感じがしました。
もうちょい、サプライズ要素が欲しかったような気がします。
因みに、初日の新宿に自分は出没してました。気付いた人いるかな?いないよね?(いたら怖い)