Re:上から目線の魔術師の異世界生活   作:npd writer

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皆様、お久しぶりです。

実は私、国家資格の勉強に励んでおりまして、中々書く時間を確保できず、このような時期まで更新が遅れてしまいました。

なんだかんだでドクターストレンジMoMも公開されてしまい、気づけばもうディズニープラスで配信されているとか……!
時の流れって早いものですね。感想は後書きの方で、では本編を!


四十六話 絶望に抗う賭け

ヴィルヘルムにとって、とある少女との逢瀬の日々は、彼にとって忘れ得ぬものだった。

 

 

ある日の朝に偶然出会った赤髪の美しい一人の少女。彼女とはそれ以来、休暇を得て開発区画へ足を運べば、必ずと言っていいほど顔を合わせていた。今日も、彼女は彼より早くその場所に辿り着き、ひとり静かに風を浴びながら花畑を眺めている。

 

「花、好きになった?」

 

ヴィルヘルムが近付いていたことに気付いた少女は、いつものように耳に残る鈴音のような声で聞いてきた。

 

その問いに無言で首を横に振った彼は、彼女の存在など忘れたように剣を振ることに没頭する。

汗を流し、思考の中の殺し合いに沈み、終えて顔を上げれば、いまだその場に留まる彼女の姿がある。

 

「ずいぶんと、お前は暇していやがるんだな」

 

口から思わず出てしまった皮肉の声。だがそれも、常に笑みを返してくる彼女との慣例だ。

 

 

 

 

時が経つにつれ、少しずつだが会話をする時間は少しずつ増えていった。

剣を振ったあとだけだった会話が、剣を振る前にも少し交わされるようになり、剣を振ったあとの会話も少しだけ伸びたのだ。

次第に、その場所に足を運ぶ時間が早くなり、時には少女よりも先に均した地面の上に足を踏み、「あ、今日は早いんだ」と悔しげに少女が言うのに笑みが浮かぶぐらいの情動を得るようになっていた。

 

――名前の交換をしたのは、そうして出会って三カ月ほどたったある日のこと。

 

テレシア、と名乗った少女は「今さらだね」と小さく舌を出す。名乗った彼女に名乗り返し、「今までは花女って頭で呼んでた」と返していたことを話した彼に、彼女は可愛らしく頬を膨らませた。

互いの名前を知るようになって、少しだけお互いの深いところに踏み込むようになったと彼は思う。

それまで、差し障りのない言葉のやり取りだったものが、その質を次第に変えていく。

 

ある日のこと。なぜ剣を振るのか、とテレシアに聞かれた。ヴィルヘルムは思い悩むこともなく、それしかないからだと答えた。

 

軍に所属する限りは血生臭い日々が続いていく。

亜人との戦争は激化の一途をたどり、魔法を掻い潜って相手の懐に潜り込み、股下から顎までを掻っ捌く作業が淡々と繰り返される。

地を駆け、風を破り、敵陣に飛び込んで大将首を跳ね飛ばす。首を突き刺した剣を片手に自陣に戻り、畏怖と畏敬が入り混じる賞賛を受け、息を吐く。

 

彼の手は血で穢れていく。この生き方しか己は生きられないのかと、自問自答する日さえあった。

そんな時、戦場の足下、血に濡れながらも風に揺れる花を踏まないようにしている自分がいることに、いつしか気付く。

 

 

 

「花、好きになった?」

 

「ーーいや、嫌いだな」

 

「どうして、剣を振るの?」

 

「俺にはこれしかないからだ」

 

テレシアとのお決まりのやり取り――花について話すとき、ヴィルヘルムは笑みすら浮かべて応じることができた。しかし、剣について話すとき、いつしか決まり切った文句を口にすることに苦痛を覚えていることに彼の心が痛む。

 

(なぜ、剣を振るうのか)

 

それしかない、と思考停止してきた日々を思う。真剣に、その問いかけに対する答えを探し始めて、ヴィルヘルムは一番最初に剣を握った日までの記憶の道を辿る。

幼少期、ヴィルヘルムの手の中で血を浴びることもなく、曇りない刀身を輝かせていた剣を見上げ、小さな掌には大きすぎる剣に光を映し、なにを思ったのか。

 

 

答えの出ない思考の渦をさまよったまま、今日もいつもの場所に足を運んだ。

 

足取りは重く、向かう先に待ち受けるものと相対するのが彼にとっては憂鬱だった。

これほどに頭を悩ませるのは生まれて初めてかもしれない。なにも考えずに済むからこそ、剣を振り続けてきたのではなかったか、と短絡的な答えを得かけて、

 

「――ねぇ、ヴィルヘルム」

 

先にその場所にいた少女がこちらを振り返り、微笑みながら名前を呼んだ。

 

――魂を揺さぶられる感覚。

 

ああ、まただ。

また、足が止まり、込み上げてくるものが堪え切れなくなる。

ふいの自覚がヴィルヘルムの全身に襲いかかり、その体を押し潰そうとしてきた。

 

無心で剣を振ることに全てをなげうつことで、思考停止して置き去りにしてきたあらゆるものが噴き出してきた。

理由なんてわからない。切っ掛けも定かではないのだ。それはずっと、張り詰めていた堤防を切りかけていて、ふいにこの瞬間に限界を迎えたのだ。

 

なぜ剣を振るうのか。

なぜ、剣を振り始めたのか。

 

剣の輝きに、その力強さに、刃として生きることの潔さに、己は憧れた。

それもある。が、始まりは違っていたはずでーー、

 

「兄さんたちのできないことを、俺はできなきゃいけない」

 

剣を振ることにとんと疎い兄たちだった。

それでも、彼らは彼らなりに家を守ろうとしていたから、そんな兄たちの役に立ちたくて、違う方法で守るやり方を探そうとして。

そうして、剣の輝きと力強さに魅了されたのではなかったか。

 

 

「花は、好きになった?」

 

「……嫌いじゃ、ない」

 

「どうして、剣を振るの?」

 

「俺にはこれしか……守る方法を思いつかなかったからだ」

 

 

 

それ以降、そのお決まりのやり取りが交わされることはなくなった。

その代わり、彼から話題を振ることが多くなった。

剣を振りにいくよりも、テレシアと話にいくことを目的としている彼がいた。

無心で剣を振るはずだった場所は、足りない頭を回転させて、剣ではなく話題を振る場所へと変わっていっていた。

 

戦場での「剣鬼」の振舞いが変わり始めたのも、この頃からだった。

それまで、いかに早く相手の懐に飛び込み、どれだけ多くの敵の命を刈り取るか。そればかりを考えて動いていた彼の体は、いつしかいかに味方に損害を出さずに戦えるか、という方向へとシフトしていった。

息の根を止めることよりも戦闘不能を優先し、深追いより味方の援護に回ることの方が多くなる。自然、周囲の見る目が変わり始めた。

 

声をかけられることも、彼から声をかけることも多くなる。

それまでまったく無縁であった騎士叙勲の話が出て、それを受けることに少しばかりの打算が考えられるようにもなった。

それなりに名誉があった方が、下心にも箔がつくと。

 

「叙勲の話が出て、騎士になった」

 

「そう、おめでとう。一歩、夢に近づいたじゃない」

 

「夢?」

 

「守るために剣を握ったんでしょう? 騎士は、誰かを守る人のことですもの」

 

その守りたいものの中に、その笑顔が焼き付けられた気がした。

 

 

 

 

 

また時は流れる。

騎士としての立場を得て、軍内で接する人間が増えてくると、自然と情報も入り始める。亜人との内戦は深刻化する一方で、いくつもの戦線で一進一退を繰り返し続けている。ヴィルヘルムもまた、勝ち戦ばかりでなく負け戦をいくつも経験した。

そのたび、剣の届く範囲だけでも守ろうと足掻き、届かないことに悔しい思いを噛みしめる日々が続いた。

 

 

そんな時、トリアス家の領地に内戦の火が燃え移ったことが耳に入った。

 

国土の東部を起点として始まった内紛は拡大し、その広がった北方への取っ掛かりの一部が、トリアス家の領地にまでわずか届いたということだった。

 

命令はなかった。与えられた騎士としての立場を、所属する王国軍に対する忠節を忘れていないのであれば、勝手な行動は許されなかった。

だが、初めて剣を握ったときの思いを再び胸に抱いていたヴィルヘルムに、それらのしがらみはなんの意味も持たなかった。

 

駆けつけた懐かしの領地は、すでに敵方の侵攻に大半を奪い尽くされたあとだった。

五年以上も前に置き去りにした光景が、見慣れていた景色が色褪せていく現実を前に、ヴィルヘルムは剣を抜き、声を上げ、血霧の中に飛び込んでいった。

 

敵を切り倒し、屍を踏み越えて、喉が嗄れるほどに叫び、返り血を浴びる。

剣に生き、剣で生かし、剣にしか生きる意味を見出せない男の戦いがあった。

 

多勢に無勢であった。援軍もなく、もともとの戦力も脆弱。

そして戦友と轡を並べて戦う戦闘と違い、ヴィルヘルムは単身で引き際も与えられていない。今までいかに、自分だけの力で戦っているつもりになっていたのかを思い知らされながら、ひとつ、またひとつと手傷が増え――動けなくなる。

 

積み上げた屍の上に自身もまた倒れ込む。ヴィルヘルムは目前に死が迫るのを理解した。

長い付き合いであった愛剣が傍らに落ち、指先の引っかかるそれを掴み上げる気力もない。瞼を閉じれば半生が思い出され、そこに剣を振り続けるばかりの己がいる。

 

寂しく、なにもない人生だった、と結論付けそうになる一瞬の光景――その途上に次々と思い浮かぶ人々の顔。

両親が、二人の兄が、領地で共に悪さした悪友が、王国軍で一緒に戦った同僚たちが、次々に思い出され――花を背にするテレシアが、最後に浮かんだ。

 

「死にたく、ない……」

 

剣に生き、剣に死ぬ道こそ本望だったはず。

しかし実際にそうして刃に全てを預ける生き方の果て、望んだはずの終わりを目の前にしたヴィルヘルムを襲ったのは、耐え難い寂寥感のみ。

 

そんな掠れた最後の言葉を、多数の仲間を切り殺された敵兵は許しはしない。

人並み外れて大きな体躯を持つ緑の鱗をした亜人が、手にした大剣をヴィルヘルム目掛けて容赦なく振り下ろす――。

 

「――――」

 

迸った斬撃の美しさは、目に焼き付いて永劫に彼のあらゆる部位に焼き付いた。

 

剣風が吹き荒び、そのたびに亜人族の手足が、首が、胴体が撫で切られる。

どよめきが敵勢に怒涛のように広がるが、駆け抜ける刃の走りの方がそれよりはるか格段に早く、死が量産されていく。

 

眼前で繰り広げられる、まるで悪夢のような光景。

血飛沫が上がり、悲鳴さえ口にすることができず、亜人の命が刈られていく。鮮やかすぎる斬撃は命を奪われた当人にすら、その事実を報せることなく命の灯火を吹き消していくのだ。

それが残酷であるのか慈悲であるのか、もはや誰にもわからない。

わかることがあるとすれば、それはたったひとつだけ。

 

――あの剣の領域には生涯、永遠に届くことのみ。

 

剣を振るものとしての生き方を、そう長くない人生の大半をそれこそ惜しみなく捧げて生きてきた。そんな彼であったればこそ、目の前で容赦なく振られる剣戟の高みがいかほどにあるのか、理解できた。

それが非才の自身には、決して届かない領域であるという事実もまた。

 

ヴィルヘルムの生んだそれが血霧の谷であったとすれば、目の前に広がったそれはまさしく血の海だ。積んだ屍の山の大きさも、比べるべくもない。

トリアス領地に侵攻した亜人族が根絶やしにされるまで、その剣戟は止まらなかった。

 

圧倒的な殺戮を見届け、遅れて到着した仲間たちに担ぎ起こされて、ヴィルヘルムは負傷を治療されながら――その姿から目が離せなかった。

長剣を揺らし、悠然と歩き去る姿。その身に返り血の一滴も浴びていないのを見取り、戦慄がヴィルヘルムの全身を貫いた。

あの場所には永遠に、届かないのだと。

 

「剣聖」の名前を聞かされたのは、王都に戻ってからのことだ。剣鬼ヴィルヘルムの代わりに、剣聖の名前が各地に響き始めた頃と時同じくして。

 

「剣聖」――それは、かつて魔女を斬った伝説の存在。

 

加護のみが今も血に残り、一族に受け継がれ超越者として、この世界(ユニバース)を守り続ける。それが彼らの運命だ。

今代の剣聖の名はそれまで一度も表に出なかったが――それも、このときまでのこと。

 

 

 

傷が癒えて、いつもの場所に足を運べたのは数日後のことだった。

 

愛剣を握りしめて、ゆっくりと地を踏みしめながら、ヴィルヘルムはそこを目指す。

いる、という確信があった。そしてその確信した通り、テレシアは変わらない様子でその場所に座っていた。

 

彼女が振り向くより早く、鞘から剣を引き抜いて飛びかかっていた。

唐竹割りに落ちる刃が彼女の頭を二つにする直前――指先二本で、剣先が挟み止められた。驚嘆が喉を詰まらせ、口の端に笑みが上る。

 

「屈辱だ」

 

「――そう」

 

「俺を、笑っていたのか」

 

「――――」

 

「答えろよ、テレシア……いや、剣聖テレシア・ヴァン・アストレア!!」

 

力任せに剣を取り上げ、再び斬りかかるも、髪ひとつ乱さない動きで避けられる。素早い動きで剣を奪われ、鳩尾に柄頭を落とされる。

どうしようもない壁が、途方もない差が、二人の間には存在していた。

 

「もう、ここにはこないわ」

 

遠い。あまりにも弱い。届かない。足りない。

 

「そんな、顔をして……剣なんて握ってるんじゃねえ……!」

 

「私は、剣聖だから。その理由がわからないでいたけど、わかったから」

 

「理由、だと?」

 

「誰かを守るために剣を振る。それ、私もいいと思うわ」

 

――花を愛でるのが好きで、剣を握ることの意味を見出せないでいた彼女に、理由を与えたのは誰であろう彼だ。

 

誰よりも強くて、誰よりも剣の届く距離の大きな彼女だから、余計に。

ならば、自分が与えてしまった罪を清算するには――、

 

「待って、いろ、テレシア……」

 

「…………」

 

「俺が、お前から剣を奪ってやる。与えられた加護も役割も知ったことか……!剣を振ることを……刃の、鋼の美しさを舐めるなよ!剣聖!!」

 

遠ざかる背中に、剣に愛された剣聖に剣を語る愚かな鬼がひとり。

それきり、二人がこの場所で会うことは二度となかった。

 

 

 

 

 

白鯨の口に収まる直前、走馬灯のようにテレシアとの過去の逢瀬が脳内に映ったヴィルヘルムは、大した抵抗ができず白鯨に喰われた。

その仇を討とうにも、上空には五体の白鯨が眼下にいる人間たちを嘲笑うように空中を泳いでいる。

 

「もうダメだ……」

 

「お終いだ……殺される」

 

頭上に浮かぶ白鯨の巨躯を見上げ、誰かが膝を着く音が小さく届く。次第にそれは連続し、高い音を立てて武器を取り落とす音も続いた。

討伐隊に参加していた騎士たちが、ぐったりと肩を落とし、下を向いて顔を覆いながら蹲っている。肩を震わせ、喉を嗚咽が駆け上がるのを誰にも止めることはできない。

 

念入りに万全の装備を持ち込み、機先を制して火力を叩き込み、「至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)」の援護も加わったこれ以上ない攻勢をかけた上での――この理不尽な状況だ。

 

精神汚染による兵力の半減は深刻で、残った戦力もまた、新たに出現した白鯨の奇襲により粉砕されてしまった。

残る力を結集しても、それは最初のこちらの戦力の半分にも満たない。その上で相手にしなくてはならない魔獣の数は五倍――勝ち目など、あるはずがない。

 

誰もが一瞬でそれを悟り、自分たちの命が、目的が、ここで潰えるのだと思い知らされた。

魔獣の恐ろしさとおぞましさ。そしてその魔獣に奪われた大切な絆の重み。その絆に報いることのできない、自分たちの無力さに、どうしようもなく。

 

「――呑み込ませるな!!」

 

絶望に打ちひしがれた戦場。ふいに、怒号が沈黙の落ちかけた平原に轟き渡る。

響く声に思わず顔を上げれば、地を蹴って白鯨の一体に飛びかかる影――給仕服の裾を翻し、手に凶悪な棘付きの鉄球を握る少女の姿が見えた。

 

豪風をまとい、うなる鉄球が動きを止めていた白鯨の鼻面を直撃する。固い外皮を易々と打ち砕き、露出する骨と肉を抉って貫いて、なおも破壊を伝播する。

絶叫が上がり、首を持ち上げて空へ上がろうと尾を振る白鯨。その白鯨の尾が地面から延びる氷の刃に貫かれ、停滞したところを旋回してくる鉄球が再び殴打。小柄な少女の一発に、白鯨の巨躯が大きく揺らいで血がぶちまけられる。

 

「腹に呑み込まれる前なら、まだ助け出せるはずだ――!」

 

痛む肩を押さえて、地竜を走らせる一人の少年。

 

諦めに支配された騎士たちの前で、己の心を奮い立たせるように、顔を上げて、歯を剥き出し、目を見開いて、白鯨を睨みつけて、少年は叫んだ。

 

「――このぐらいの絶望で、俺が止まると思うなよ!!

諦めるのは似合わねえ!俺も、お前もーー誰にでも!」

 

白鯨の咆哮を眼前にただ一人、臆することなく立ち向かう存在が一人。地竜を走らせるナツキ・スバルの根性はこの時もなお、折れることはなかった。

 

 

 

 

 

吠えたけるレムが白鯨に猛然と飛びかかり、右の拳を岩肌に突き刺して体をよじ登る。途上で振り回される鉄球が激しい音を立てて削岩し、血飛沫を散らせながらの猛攻に大きな体をよじって、白鯨が苦鳴を上げている。

 

レムが飛びかかるのは、背後からヴィルヘルムをひと呑みにした白鯨だ。まだ彼は喉を通す場面まではいっていないはず。

最悪の場合、あの石臼のような歯に引き潰された可能性があるが――、今ならまだ助け出せる。

 

「頭が潰れてなけりゃ、どうにか引っ張り出してやらぁ――!」

 

手綱を引き、スバルはあまりに頼りない感覚の中で地竜の背に体重を預ける。スバルが手綱を手繰るのはぶっつけ本番。戦場に到着してからの僅かな時間が、スバルが地竜をひとりで扱うのに練習できたわずかな時間がそれだ。

 

方向と速度を指示し、あとは振り落とされないようしがみつくのが精いっぱいだ。それでも知能の高い地竜はスバルの意図と実力を把握して、背に乗る未熟な騎乗者を落とすまいと気遣ってくれているのがわかる。

 

「行くぜ、パトラッシュ! 鯨の鼻先でくるくる回れ!」

 

スバルは高らかに叫び、手綱を弾いて地竜を走らせる。応じるパトラッシュが前のめりに駆け出し、強大な白鯨目掛けて本能を押さえ込んで突っ込んでくれる。

 

体に取りつくレムを振り落とそうと必死に身をよじっていた白鯨とは、別に上空を漂っていた別の白鯨がスバルの接近を察知して首をこちらへ思わず向ける。

 

スバルのすぐ背後まで接近していた白鯨であったがーー、

 

「ーーーーッ!」

 

突如飛来した大地のかけらが白鯨の頭に直撃し、脳を揺さぶり思わず白鯨は咆哮する。

それを筆頭に一個や二個ではなく、何百個の大地のかけらが白鯨の体を押さえつけるように囲っていく。

リーファウス街道に広がる広大な土地の表面が、文字通り抉られているのだ。大地が飛翔する方へスバルが思わず顔を上げると、広大な空に浮かび上がり両手首に何重もの魔法陣を展開するストレンジの姿があった

 

やがて白鯨の身体全体が岩で覆われると、その上から網状の魔術が展開され、白鯨の体全体を固く拘束する。だが、手元に小さな魔法陣を浮かべるストレンジの顔は芳しくない。

 

「ーー長くは持たない!早く行け!」

 

苦しい表情を見せながらのストレンジの叫びに背中を押されるようにスバルは、再びパトラッシュと名付けた地竜を走らせる。

レムの攻撃を受けていた白鯨は、走り出したスバルを捉えると、別の白鯨の拘束に文字通り手一杯であるストレンジの上空を通過し、再びスバルを追いかけ始める。

 

「スバルくんの臭いを嗅ぐのはレムの特権です――!」

 

その白鯨の体をレムは飛び上がり、砲弾のような威力の蹴りを喰らわせる。巨大な顔面がわずかにぶれ、そこに追撃の鉄球が大気を押し退けて飛来――頬をぶち抜いて口内を蹂躙し、反対側の頬を数本の歯を巻き添えにして突き抜ける。

黄色い体液と鮮血を大量に吹きこぼし、絶叫を上げる白鯨。その身がついに地に落ちると、まるで陸に上がった魚のように見境なしに暴れ回る。

 

大地が抉られ、土塊が激しく散乱する。振り乱される尾が地を割り、風を薙ぎ、不意打ち気味にスバルの真横へと接近――あわや直撃というところで、

 

「ばばんとミミさんじょー!!」

 

「簡単にはやられへんで!」

 

獣人たちの影が打撃の寸前に割り込み、手にした杖を振ると魔力の防壁が展開。

黄色の輝きが打撃を跳ね返し、生まれた間隙をライガーと地竜が一気に駆け抜ける。

 

息をつき、スバルはすんでで救ってくれた存在――ミミとリカードを振り返り、

 

「助かった! 反撃開始とかかっこいいこと言っていきなり終わるとこだぜ!リカードも無事で何よりだ!」

 

「ふふーん、もっと褒めてもいいよー! でも、きょーのところはおにーさんが頑張ったからおあいこにしてあげる!」

 

「頑張った……?」

 

胸を張って、それからスバルに笑いかけてくるミミに首をひねる。

 

「あんだけぎょうさん兵を集めたっちゅうのに、みんなブルって立てなくなったところに、一番早く立ち直ったのは兄ちゃんやで?まあワイもストレンジはんに、どうにか助けられた身さかい、少しブルっていたことは事実やけどな」

 

「大したことじゃねぇよ。このぐらいで絶望なんて、してやれねぇってだけだ」

 

大声で賞賛してくるリカードにそう応じて、スバルは唇を噛みしめる。それまでの抗えない絶望と比べれば、まだまだ戦いようのある現状――どうして、諦めに浸っている余裕などあるだろうか。

 

諦めと遊んでいる暇があるなら、希望を探して血反吐を吐いている方がいい。

 

諦めるより抗う方が、ずっとずっと、楽なのだから。

 

 

 

 

 

「クッ!ぬぉぉぉぉぉ!!」

 

拘束魔術の中で白鯨が暴れまわり、岩を破壊しようともがく中、ストレンジはその拘束に限界を感じていた。白鯨の身体を覆っていた岩が徐々に破壊され、拘束が緩みつつあることに、ストレンジが気づいていないわけではない。

しかし、彼にできることは少なかった。魔術の拘束を蹴破るように鰭や尾鰭を動かす白鯨によって、拘束魔術には穴が開き始めており、既に一部の部位は既に魔術外に出ている。

このままでは魔術は破られてしまい、解放された白鯨が再び戦場に舞い戻ることになるだろう。そう慣れば眼下の戦場は大混乱になり、討伐隊は逃げるのも精一杯になる。

全員を強制的にポータルで王都に移すことも考えたが、戦略を立て直し再びここに戻ったとしても、白鯨はここにはいない。また、何十年にも及ぶ追いかけが始まるのだ。それに、勝利に繋がらない。

 

最も価値ある勝利は、例えこの場で自分を含め全員が倒れたとしても、相打ち覚悟で白鯨を堕とすこと。そして、ナツキ・スバルを生かし続けること。 

 

(何が起こるか明かせば、実現しない。そのために、私はこれから起こるであろう犠牲に、目を瞑らなければならない。元医師として、救える命を見殺しにするのはこの上ない苦痛だが……。

これから散るであろう、無数の戦士たちよ。お前たちの命を、勝利のために犠牲にする私を許してくれ。そして、この戦いの運命をお前に託すのは、この上ない癪だが……お前が鍵だ。マルチバースの運命がかかっている)

 

眼下では、地竜を乗り回しながら逃げ回るスバルと、スバルを追いかける白鯨に対して鉄球を振り回して攻撃するレムの二人が彼の目に映る。その後方からはミミとヘータロー、そしてマントによって攻撃の被害を免れたリカードが追尾しており、時折彼らの攻撃も行われている。

脳筋だが、恐れ知らずの彼らはこの戦場において、数少ない戦力となるだろう。何よりあのスバルが心が折れていないのが安心だ。

 

(馬鹿正直な奴ほど、恐れ知らずでこの戦場では戦えている。それに比べ……)

 

彼ら以外の討伐隊の面々は、殆どが脚がすくんでいるのか動けておらず、ただただ絶望に打ちひしがれたような表情を顔に浮かべている。

威勢の良かった出陣式とは打って変わり、誰も彼もがその場から動けず、白鯨の群れを見続けるのみだ。

 

威勢がいいだけで実力を伴わない人物が現場(手術)や戦場をかき乱すことは、それ即ち死に直結してしまう。こう考えるストレンジは、彼らの境遇を理解しつつも、死を覚悟でこの戦場にやってきた覚悟があまりにも脆いことに呆れてしまう。これほど脆い程なら、この場にいないほうがより犠牲者が少なく済むというに。

今のストレンジに、白鯨の行動を抑えつつ味方を援護することなど不可能だ。彼らがもし、このまま何もできないままならば、彼らは何れ白鯨の胃袋に収まることになる。彼らの心を揺さぶるものがなければーー、

 

「――――うッ!!」

 

手元に展開した魔法陣が内側から押されるように膨らむ。白鯨の暴走に拘束していた魔術が押され始めたのだ。ストレンジも更に力を込めて抵抗するが、白鯨の抵抗と共に魔術は押し切られるように内部から崩壊していく。

流石のストレンジの魔術といえども、伝説の魔獣相手に長時間保たせることは叶わない。

そして、白鯨と不意に目が合ったその時ーー、白鯨の顔がニヤッと嗤う幻覚をストレンジは見る。何世紀にもわたって、人を喰らい続けてきた邪悪な存在が見せた瞳の奥ーー、更に邪悪な何かが奥からを見据えたように見つめる感覚だ。敵としてはあのドルマムゥに匹敵するナニカだ。

その直後、白鯨から最大出力をもってして霧が放たれる。体内の全てのマナを消費し、存在ごと消えてしまう捨身の攻撃と引き換えに、魔術の拘束を、そしてあわよくばストレンジの身体ごと消し飛ばそうとした白鯨の最後の足掻きだ。

 

高速で噴射された霧は魔術を食い破り、被害を押さえ込もうとストレンジが移動させてきた大地のかけらさえも貫いた。

 

白鯨の渾身の一撃による攻撃による衝撃波でストレンジの体勢は揺らぎ、更に溢れ出た霧によって彼の身体は吹き飛ばされる。

マントを使った強制的な安定術によって体制を整えた彼は「ワトゥームの風」を使い、迫り来る霧を打ち払った。

 

やがて露わになる一帯に、彼が閉じ込めていた白鯨の姿を見ることはなかった。上空で戦っていたこともあり、一人の犠牲者も出すことなく白鯨の分体とストレンジの戦いは、彼の勝利で終わった。

 

 

 

 

大地を蹴り、真っ直ぐに駆けるパトラッシュの正面。スバルの眼前に唐突に現れる魚影が大口を開いた。上を見上げれば、ストレンジと白鯨による魔術大戦さながらの戦いが繰り広げられている。

有象無象が蠢く戦場の中、喉の奥、赤黒いグロテスクな内臓まで見えそうな至近で、スバルはとっさの回避行動をとろうと身を傾ける。が、その行動よりも白鯨の口腔に充満する霧が噴き出される方がわずかに――、

 

「口を閉じろ――!!」

 

大上段から振り下ろされる刃が、横合いから白鯨の大口を縦に切り潰す。斬撃の威力に口を閉じ、悶えながら地を滑る白鯨の横をスバルとミミが抜ける。間一髪の危機回避に顔を上げれば、戦場の向こうから駆けてくるクルシュの姿がある。

彼女は走るスバルに並ぶと、白鯨を忌々しげに見ながら、

 

「一見して、事態は最悪にあるな。ヴィルヘルムは?」

 

「あんたが覚えてるってことは、少なくとも霧に消されちゃいねぇ。……レムの奮戦次第ってとこだ」

 

首をめぐらせ、反転してこちらを追おうとする白鯨を警戒しながらスバルは答える。それを受け、同じように視界をさまよわせるクルシュ。彼女の視線が止まった先にあるのは、地響きを立てて跳ねている白鯨と、その上で懸命に鉄球を振るって血の海を作り出しているレムの姿だ。

 

「どう見る、ナツキ・スバル」

 

「どう見るってのは、どういう意味だ? 勝ち目って意味なら、俺の生死が色々と分けるって自分可愛さまじりに言ってみるが」

 

「そうではない。おかしいとは思わないか?」

 

背後から近づこうとする白鯨の鼻先に、腕を振るうクルシュの斬撃が入る。咆哮が上がり、大気の鳴動を背中に感じながら、スバルは「おかしい?」と彼女を見る。

 

「白鯨の数が五体……いや、ドクターが一体を倒したため四体であるが、いずれにせよ絶望的な状況に変わりはない。だが、もし仮に白鯨が群れを為す魔獣であるのだとすれば、いくらなんでもそのことが誰にも伝わっていないなどあるものか?」

 

「ーーッ!」

 

「なにか、カラクリがあるはずだ」

 

はっきりと断言し、クルシュはその凛々しい面差しをスバルへ向ける。

自然、その強い眼差しに射抜かれて、スバルは背筋を伸ばし、

 

「ようは、それを見つけろってことか」

 

「時間稼ぎは卿の逃げ足と、それを援護する形で我々が行う。いずれにせよ、そう長くはもたない。なんとかするぞ――撤退など、もはや選択肢にないのだから」

 

そう言い切り、クルシュの地竜が方向を変えてスバルから離れていった。

 

 

 

「ーー生きていたか」

 

「ああ、こういうのは慣れている。それにしても、威勢が良い連中だと思っていたが、まさかこれほどで屈するとはな。かませ犬程度の役回りはあるだろうが、あれでは蛇足もいいところだ」

 

地竜の向きを変えたクルシュは、体制を整え上空に浮かぶストレンジの方へ向かった。

彼女の存在に気づいて降りてきた彼は、その問いかけに軽い愚痴と共に返す。彼が首を向ける方へ視線を移せば、顔面蒼白に震える魔導師達の姿がある。

 

「その口ぶりからして、卿は随分と平気なのだな。これほどの脅威は卿にしてみれば、序の口なのか?」

 

「強さでいうならば、奴は上の下程度だ。我々はこれよりもっと強い敵との戦闘を経験し、それを超えてきた。それこそ、世界を滅ぼすほどの脅威と戦ったこともある」

 

「ーーならば、どうして卿は一刻も早く奴を仕留めない?本当は、奴の弱点すらも見抜いているのではないか?」

 

「至高の魔術師」を名乗るほど、強力な彼が未だに白鯨に対する有効打を見つけられていないとはおかしい。ストレンジとの関わりがこの中では長いクルシュは、戦いの中でそう感じていた。

無論、白鯨が苦労しない敵といえば嘘になり、実際に現在も死傷者は増え続けている。だが、時間を操るほどの力を持つ彼がそう苦戦するとは考えられなかった。何より、彼はこの戦いに勝利を見出している。とすれば、何故手を打たないのかーー。

そう考えるクルシュは、礼を欠くことを承知でそうストレンジに問うた。

 

「聞こう、クルシュ。それは、何か根拠があってそう言っているのか?それとも単なる勘か?」

 

「……根拠はない。勘でそう感じているだけだ。卿ならば、もっと簡単に戦えるのではないかと。この場にいる皆の中で、卿と最も長く時を共にしていると自負しているが故に出てきた突拍子もない話なのだが、おかしいだろうか?」

 

彼とは、フェリスやヴィルヘルムの様に長い時を過ごしたわけではない。それこそ、今戦場を駆けているスバルとレムの付き合いよりも短いことだろう。それでも戦いを通して、それなりの信頼を置いていた立場だ。何より、あのロズワールをも上回るかもしれない男であり、上から目線が気にならない実力も兼ね備えている。

クルシュはこの時ばかりは彼が何かを隠しており、それはこの戦いに関わる重要なことではないかと疑っていた。

 

「ーー奴だ」

 

「奴?」

 

上空を移動するストレンジの目線を追って、クルシュもその方角を見る。二人の視線の先には、白鯨に追われながらも地竜を操り走り回る少年、ナツキ・スバルの姿が。

 

「奴が、あの少年が()()()()()()におけるキーマンだ。奴活躍無くして勝利はあり得ない。自らの手で白鯨に対する有効打を見つけ出す。このことが、勝利への大前提だ」

 

「では、ナツキ・スバルが次なる一手を打つまで……」

 

「文字通り、粘るしかない。どれほどの犠牲が出ようとも、どれほどの命が失われようと、それを我々は甘んじて受け入れる以外に道はない。気に触るが、奴を……彼を信じるしかない」

 

「卿は口では彼を罵ってもいたが、本音ではあの男を買っているのだな」

 

ストレンジの上から目線な性格と傲慢な振る舞いの裏に隠れた、彼の本音。それは何より、人の命を救えるのは力と才能に恵まれた己しかいないという信念、そして命が失われることへの恐怖だ。

しかし、今はそれを収める形でスバルに運命を託している。

 

「それほどまでに、あの男は大きな存在なのか。ナツキ・スバルという少年は……」

 

「ああ。今後、彼には多くの厄災が降りかかることになる。そして多くの命が失われ、多くが穢されることだろう。彼が歩むことになる道はとても険しく辛い、謂わば茨の道だ。挫けてしまえば、その先には深く誰しもが報われない、残酷な闇が待っている。良き未来のためには、彼が彼自身の殻を破ることが重要なのだ」

 

「“殻”か……。私としては、この数日で彼は大きく変わったように見えるのだが」

 

「確かに今の彼の状態は波に乗っている。だが、あれはまだ殻を破ってはいない。彼が真に殻を破る時、それは彼が大切な存在を喪った時だ。だが、それは私の想像を絶する程の、身を引き裂かれるような惨劇だ。恐らく、彼は受け入れるのに苦労するだろう。

しかし、彼がそれを乗り越えてこそ、真なるヒーロー(英雄)となる。我々の勝利に通ずるには絶対の条件だ。最も、その時に彼が道を踏み外すリスクも大きくなるが」

 

ナツキ・スバルにとって大切な存在ーー、その存在に見当がたいたクルシュはまさか、と目を見開く。

 

「卿は、まさかーー」

 

「何が起こるか明かせば、それは更なる混沌をもたらす。良き未来は実現しない。すまない、クルシュ。私は、世界を守るために必要な犠牲を払う。それは君たちにとって受け入れ難いだろう。恐らく、私を怒り罵ることになる。それでも進まなければならない。

 

 

言えることは一つーー私を信じろ」

 

そう言うと、次なる標的に向けてストレンジは高度を上げて上空へと消えていった。

 

 

 

 

 

(“必要な犠牲”……ドクターはそう言っていたが、他に道はあるはずだ。私が、彼が苦しまないよう別の選択肢を与えなければ)

 

ストレンジから告げられた重い言葉を胸に、彼女は大きく迂回すると、睥睨する白鯨を回り込みながら、フリューゲルの大樹の下で震える討伐隊の下へとめぐり、声を上げる。

 

「立て!顔を上げろ!武器を持て!!」

 

絶望と悲嘆に暮れて、顔を俯けていた男たちが視線を上げる。

彼らの前でクルシュは堂々と、抜き放った宝剣を天にかざしながら、

 

「あの男を見ろ!あれは武器もなく、非力で、吹けば飛ぶような弱者だ。打ち倒されるところを、私もこの目で見た無力な男だ!」

 

剣で走る背中――地竜にまたがるスバルを示し、クルシュは声をさらに高く上げる。

 

「他の誰よりも、あの男が一番弱い。戦う力がない。生き残るだけの能力もない。何度も何度も挫かれて、そのたびに打ちひしがれてきた敗北だらけの男だ。

ーーそんな男が、まだやれると誰よりも早く吠えている!」

 

この場の誰よりも無力な男が、まだ戦えると歯を食い縛り、痛みに耐えて、涙を堪えて、血反吐を吐きながら、それでもまだ抗おうと上を見ている。

 

「それでどうして我らが下を向いていられる!もっとも弱い男が諦めていないのに、どうして我らに膝を折ることが許される!」

 

「ーーッ!」

 

士気を折られた男たちが顔を見合わせ、震える膝を鼓舞して立ち上がる。

取り落とした武器を手に持ち、主の騎乗を待つ地竜がその傍らに寄り添った。

 

「卿らは恥に溺れるためだけにーー、」

 

手を伸ばし、手綱を握り、膝を屈したはずの騎士たちが地竜の背にまたがる。地竜が嘶き、その背の上で騎士たちもまた、剣を抜いて喉を嗄らした。

雄叫びが上がる。自らの心を奮い立たせるように、己の魂を誇るために。

 

「ーーここまで来たのか!」

 

刹那、クルシュの横を通り過ぎていく鉄球が一つ。コンラッドが投げたそれは、真っ直ぐに白鯨の眉間に向かい飛んでいく。戦う弱い少年の後ろで、蹲って下を向くことの愚かしさを恥じ、己を奮い立たせてそれをふり投げたのだ。

その感情を「恥」という。「恥」が恐れを、諦めを、負感情を切り開き、騎士たちに顔を上げさせ、前へ踏み出す力を与える。

 

「続け――!総員、突撃!!」

 

「おおお――!!!」

 

続けて放たれるクルシュの斬撃。彼女の咆哮を合図に、屈したはずの魂にかけて、騎士たちが再び前進する。

地を蹴る地竜の足に土煙が立ち上り、総勢で五十を下回る数になった討伐隊が街道を突き抜け、刃の届く位置を泳ぐ二体の白鯨に猛然と襲いかかった。

 

 

 

 

「あそこまで低かった士気を最も簡単に上げるとは。流石、王候補の筆頭格だ。あれだけの力量ならば、それこそアベンジャーズでも埋もれないだろう。お前もそう思うだろ?」

 

クルシュ達が咆哮を上げ、白鯨に突撃している頃と時同じくして、地上に被害が及ばない上空で白鯨と戦っていたストレンジは、大きな口を開け迫ってくる白鯨にそう呼びかける。

 

「ーーーッ!」

 

「霧か。だが、私には届かないぞ!」

 

大きく開かれた口から放たれる霧の攻撃。ストレンジに向かって一直線に放たれたそれだが、彼に届くことはない。

霧が彼を飲み込もうと迫った直前、開かれたポータルに白鯨の霧は吸い込まれていった。そして、その直後。

 

「ーーーーッ!!?」

 

「喜べ。常に腹を空かしているお前を憐れんで、胃袋に霧をつめてやる。飢餓に苦しむお前にとって、満腹で死ねるというのはこの上ない幸福だろう」

 

徐々に膨張を始める白鯨の身体。ストレンジが開けたポータルの先、暗く底が見えないそれは、なんと白鯨の胃袋だった。

外部からの衝撃には強くとも、内部からの攻撃には脆いと考えたストレンジは、どこかの陽気な銀河の守護者たちの集い(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)の脳筋よろしく、内側から破壊すると言う手法を使ったのだ。

 

自らの霧の直撃を受けた白鯨の身体は、許容範囲を超え徐々に内側から崩れていく。

身体の至る所から穴が開き、霧が漏れ出ていく。充血した目や苦しく開かれた口からは、体内に収まりきれなくなった霧が溢れており、苦しい白鯨の咆哮が聞こえてくる。

 

「ーーーーッ!!」

 

「だが、私には動物を痛ぶる趣味はない。偏に止めを刺す」

 

ストレンジが片手を上げると、白鯨の目が大きく開かれ、恐怖の色が浮かぶ。

 

その直後、まるで火山の噴火の如く、膨れ上がる白鯨の背鰭。彼の念力によって体内で一束に集められた霧は、勢いよく白鯨の身体を突き破った。上空へ勢いよく飛び出した霧は、白鯨の内蔵物や血を周囲に撒き散らしながら、天高くへと昇っていく。内部から圧縮された空気が勢いよく飛び出たその反動は目玉を抉り出し、顎を崩壊させ、白鯨の白い身体を血で染める。

 

やがて、噴き出る霧でマナを制御できず、身体を維持できなくなった白鯨は、まるで霧のようにその姿を消した。それと共に、上空を貫くばかりに高らかと聳え立っていた霧の塔も、刹那のうちに消えていく。

その場に残るのは、盾状のエルドリッチ・ライトを展開したまま、空中に佇むストレンジただ一人。

 

敵を倒したストレンジは、丁度直下を走り抜けるスバルを発見し、彼を目指して降下する。

 

 

 

 

 

 

 

「非力で無力で負け犬のナツキ・スバル。まだ生きているようで、良かった。流石、世間から逃げ続けてきただけのことはある」

 

「こんなヤバイ戦場でも嫌味かよ!いや、そうなんだけどさ…‥アンタは随分余裕そうだな!ドクター!」

 

「ああ。今上で呑気に泳いでいる敵よりももっと強い敵と戦ってきたからな。この程度など序の口だ」

 

「その序の口に、俺らは殺されかけてるんだけど、なっ!」

 

上空から降りてきたストレンジに開口一番、神経を逆撫でる言葉を浴びせられるも、地竜の操作で手一杯のスバルは、どうにか彼に言葉を返すだけで精一杯だ。残りの白鯨が迫る中で、既に白鯨を二体も倒しているストレンジは、既に英雄級の働きをしていると言っても過言ではなく、その様子を地上から見ていたスバルもその実力だけは悔しいが、認めていた。

 

「んで、エース級の活躍をしているアンタが、態々空から降りてきて何の用?早く白鯨を倒せっていうなら、今やってるからさ!アンタも引き続き、その魔術で頑張ってくれ!」

 

「威勢はいいな。あの少女がいるからか。愛する女がいると、男は舞い上がってしまうものだな」

 

「お、俺とレムはそんな関係じゃ……ん?今なんて?」

 

「さて、だが白鯨を倒す策は今手元にない、違うか?」

 

ストレンジの指摘は的を得ている。事実、これだけ戦っても未だなお、誰も勝利への道を掴めていない。スバルこそ、この白鯨討伐のきっかけを作った一人であるというのに、白鯨から逃げ回ることしかできない。力不足故の行動だが、とても歯痒いことに変わりない。

 

「……ああ。悔しいけど、白鯨が増えた理由が分からねぇ。それで、これといった対策も立てられずにいる。クルシュさんやレムの……勿論、アンタの奮戦あってどうにか五分五分の戦況だ。早く倒し方を見つけないと、みんなやられちまう」

 

彼らの眼前、体に取りつくレムを振り落とそうと躍起になる白鯨に、クルシュと別れた混成小隊が援護の攻撃を入れている。騎士剣で火花を上げて白鯨の外皮を削り、距離をとりながら巨躯と並走する騎兵が魔鉱石による爆撃を加える。

 

絶叫を上げ、地べたを白鯨がのたうち回る。その痛みに悶える挙動ですら、間近にいる人間にとっては避け難い暴力だ。白鯨の力によって、一組の地竜と騎手がその一撃に吹き飛ばされる。死が待ち受けていると重わず目を瞑る彼らだが、ふと謎の浮遊感と何かに収まるような感覚を味わう。ストレンジが召喚した魔獣の如き生命体が彼らを口に入れ、フェリスのいる安全地帯まで送ったのだ。

一方、突如召喚された魔獣の存在を感知した白鯨は、ストレンジと共にスバルの接近を察して全身の口を開けた。

ゾッと血の気が引く感覚を味わいながら、地竜の全力に信頼を預けて風を切る。――その真横を、無数の口から放たれる「消失の霧」がかすめていく。

仮に指一本にでも触れれば、そこから掻き消されてスバルの存在は終わりだ。全身を「死」とは異なる、喪失感に取り巻かれる想像が心胆を震え上がらせる。

 

走る順路は地竜に任せ、地竜の背の上でスバルの肉体が回避運動。腕を跳ね上げてプッシュアップ。地竜の背の上で倒立するように後ろから迫る霧を避け、完全にバランスを崩して背から落ちるが――、

 

「こん……じょぉおおおおお!!!??」

 

握りしめた手綱と共に、身体に巻き付いた橙色に輝く縄によって身体が元の位置に戻される。元から少ない体力の上限をさらに減らし、そのまま今度はもう一方――クルシュたちが攻勢をかける白鯨へと足を向けた。

 

「ナツキ・スバル!身体だけじゃなく、頭も回せ!このままではその地竜もお前も、白鯨のいい餌になるぞ!」

 

スバルを上空から叱咤するストレンジは、まるで観音菩薩のように、腕を無数に出現させた。彼の身体は、腕を胸元でクロスさせた腕を広げると共に無数に分裂する。分裂したストレンジの身体が一様に同じ行動を取りながら白鯨に近づくと、鞭状のエルドリッチ・ライトを手元に出現させ、それを白鯨に巻きつけた。数多くのエルドリッチ・ライトに巻き付けられた白鯨は咆哮を上げ、脱出しようともがく。

荒い息を吐き、再び命懸けの囮行為に身をさらしながら、スバルは先ほどのクルシュとの会話で持ち上がった「カラクリ」ついて思考をめぐらせた。

 

「掻き回して……はぁっ。クソ、言う通りだ!命張ってるばっかりじゃねぇぞ、頭も回せ!どうして急に増えた……もとから五匹、なのは前提に合わねぇ……!」

 

なにか、とっかかりが掴めそうな気がする。が、その前にパトラッシュの懸命な疾走が白鯨の嗅覚範囲に到達。

宝剣の斬撃で下腹を切り裂くクルシュを追っていた白鯨の視線が、ぐるりと大きくめぐってスバルの方へと向けられる。同時、開かれた口腔に溜め込まれた濃霧が、大気を打ち破る咆哮とともに膨大な破壊となって吐き出された。

 

鋭く角度を変えて踏み込むパトラッシュ。迫る霧の暴威からその体を逃れさせるが、勢力範囲から逃れるには半歩足りない。――そのスバルたちの足りない半歩を、割り込んできたミミとヘータローの二人が稼ぐ。

逃れ切れないスバルの隣で、双子の獣人が口を開き、「わ」と「は」の咆哮を重ねて放つ――高い音同士の交わりが波紋を生み、それは距離をとって破壊に変換、膨大な震動破が波打つように平原の大地を耕し、迫る霧すらをも正面から吹き散らす。

 

「うおおおお!! すっっげええええええ!!」

 

「そーだろーそーだろー! もっと褒めろー!」

 

スバルの端的な賞賛に、ミミが胸を張って満足げに頬をゆるめる。その隣で息を切らすヘータローが「お姉ちゃんてば……」と小さくこぼし、それから駆けるライガーでこちらの左右を囲みながら、

 

「援護します。スバルさんの存在がないと……この戦いの勝ち筋が見えませんから」

 

「ばーっとやって、どかーんってやって、ずばばんばーんってやるんじゃダメなの?」

 

「ばーどかずばばーんってやるのに、スバルさんの協力が必要なんだよ、お姉ちゃん」

 

「へー」

 

と、スバルを挟んで緊張感に欠ける会話を続ける双子。

スバルは事態の困窮ぶりの触りも理解していなさそうなミミをさて置き、話の通じそうなヘータローの方へ顔を向けると、

 

「さっきの合体攻撃、途中で白鯨にぶち込んだやつだよな。まだいけんのか?」

 

「ーーあんな、兄ちゃん。ミミとヘータローはギリギリまでマナを絞ってやっとるんや。せいぜい、あと一回やで。――まあ、心配せんといてくれや。ワイらが兄ちゃんをしっかり守ってやるさかい。そや、兄ちゃんには妙な感覚があったことを伝え忘れるところやった」

 

更にスバルに合流する影が一つ。ライガーを軽く乗りこなす犬の獣人。ストレンジのマントによって命を救われたリカードだ。

彼のいつも通りの態度にスバルの内心に安堵が広がる。

 

「忘れるって……そんな大事なことなら忘れんなよ」

 

「すまんすまん。ほんで、その話やけどな、あの身体、なんや軽ぅなっとるで。斬る時から違和感はあったんやが、どうもおかしい。まるで実態のないモンを斬っとるみたいやった」

 

「軽く……?」

 

軽く空を見上げるスバル。二手に分かれた討伐隊と揉み合い、いまだ激戦を繰り広げる二頭の白鯨。

空に浮かぶ白鯨は五頭の魔獣の中でも最初に出現し、猛攻の前に上空へ逃れた一匹だ。依然、戦いに加わるでもなく高空からスバルたちを見下ろしている。

 

その態度がどこか不自然にスバルには思えた。

戦力が減少し、減らした数をさらに二つに分けて抗っているのが現状の戦局だ。スバルによる撹乱の効果があるとはいえ、空に浮かぶ白鯨がどちらかの戦場に加勢すれば、それだけで戦局は一気に傾く。ましてストレンジによって既に二体の白鯨が屠られているのだ。片方が食い破られれば、それで終わりなはずだ。

 

地竜の揺れに身を預け、再び白鯨の鼻先を突っ切る。クルシュたちと無数のストレンジ軍団に取りつかれていた白鯨が口腔をこちらに向けるが、開いた口の中にクルシュの見えない斬撃が、魔鉱石が投げ込まれて血霧が飛び散る。

騎士たちの雄叫びが上がる。ひとり、またひとりと確実に数を減らされながら、尽きることのない士気だけが今や戦線を支えていた。

 

「いくらなんでも、意思の力万能説は言い過ぎだろ」

 

そこまで考えて、スバルはハッと顔を上げる。背後、置き去りにしてきた白鯨、そして群がるストレンジの大群を振り返り、目を凝らして遠ざかる魔獣の顔面を見据えた。そして、ストレンジが倒した白鯨の死体がこの場にないことに気付く。

 

「だとしたら……!分かったぞ!」

 

歯を噛み、わき上がった可能性の奔流にスバルの全身を震えが走る。

意思を握る手綱に伝え、パトラッシュが鋭い切り返しで猛然ともう一頭の白鯨へ。奮戦するレムが鬼の力を解放し、鉄球で白鯨の胴体に次々と風穴を作っている。彼女はそのエプロンドレスを魔獣の返り血でドロドロにしながらも、接近するスバルに気付くと気丈にも微笑む。

鮮血に彩られた微笑みはただただ凄惨さを際立てていたが、レムのその姿は気高く、スバルには愛おしくてたまらなかった。

 

白鯨の頭部側へ回り込むと、スバルの接近に気付く魔獣が頭をこちらへ向けた。頭部の真横、目の下あたりに出現する複数の口が牙を剥き出し、涎を垂らしながら白い霧を噴出する。しかし、それはひどく遅い。

 

「どどーん! ばばーん! ずんばらばー!」

 

八の字にパトラッシュをまたぎながら、ミミの操るライガーが縦横無尽に飛び回る。大犬の背中で決めポーズをとるミミが、抜けた効果音を口にするたびに掌の中の杖の先端が輝き、生じる魔法壁が霧を遮断。スバルへの着弾までの時間を稼ぐ。

 

「これはたかくつくんだぞー、おにーさん!」

 

「これが終わったら百回ぐらいありがとうって言ってやらぁ!」

 

「ならよーし!」

 

安上がりなミミの返答に背を任せ、並走する白鯨を追い抜き、追い越し、前へ出たスバルは首を傾けて魔獣を睨みつける。スバルの方へぎょろりと、「隻眼」を向けてくる白鯨を確認し、スバルは間違いないと確信に頬を歪めた。

 

「思った通りだ。てめぇら、五匹いたんじゃなくて――分裂してやがるな!」

 

クルシュたちと一戦を交える白鯨にも、左目が存在していなかった。

今、こうして真横を駆け抜けた白鯨もそれは同じ。当然、その傷を負った空に浮かぶ最後の一匹も同様だろう。――左目の欠落は、即ちヴィルヘルムの斬撃だ。

 

同じ傷を一匹だけでなく、他の二匹も共有している理由など、はっきりしている。

先程のストレンジの魔術のように、空に浮かぶ一匹が分裂し、もう四匹を生み出したからに他ならない。

 

「一発が軽いのも、ある程度戦えちまってるのも、そういうカラクリだろうが!」

 

あれほどの戦力で拮抗していたはずの白鯨が、兵力の激減した討伐隊である程度戦えてしまっていること。

――奇跡や意思の力といったご都合主義を信じられない、捻くれ者のスバルはそこにこそ複数の白鯨の出現の根幹を見た。

 

「消失の霧」という一撃必殺を持つが故に、白鯨は耐久力を犠牲にして手数を優先した。数の暴力――その威容が増えたことで、討伐隊の心が折れるのであればそれで戦いそのものすら終わっていただろう。

魔獣という存在が人間の機微を理解してそんな作戦を打ったとも考え難いが、事実としてそれだけの効果が「分裂」には存在した。

 

「――なんだ!?」

 

ひとつの結論に結びついたスバルの前で、こちらを追おうとしていた白鯨の動きに変化が生じる。宙に浮かぶ体を地に擦りつけて、下腹で地面を削りながら滑空。まるで異物感に耐え切れずにいるような仕草に、

 

「お姉ちゃん、今!」

 

「痒いのに手がないなんて大変だぁー!」

 

好機と見たヘータローが飛び出し、囲むように動いたミミが白鯨の動きに誤解した感想を漏らす。双子は意思の疎通はともあれ、息の合った動きで左右から白鯨の胴体を挟み込み、同時に口を開くと――、

 

「わ――!」

「は――!!」

 

左右からの共振攻撃に白鯨の胴体が大きくたわみ、くびれの生まれた白鯨の体内で圧迫感に耐えかねた内臓がいくつも押し潰される。硬質の外皮も歪み、亀裂が走り、傷口の至るところから再出血し、白鯨にこれまでで最大のダメージ――そして、

 

「――ずぁぁぁああああ!!」

 

地面に擦りつけられていた下腹の一部が内側から膨らみ、血肉をぶちまけて切り開かれた。赤黒い体液が地面に濁流のように噴出する中、その流れに乗って外に吐き出されるのは――、

 

「ヴィルヘルムさん!?」

 

白鯨の顎にひと呑みにされ、そのまま生存が絶望視されていた老剣士の帰還だ。

暴れる白鯨を討伐隊が押さえる中、駆け戻るスバルは倒れ込むヴィルヘルムの下へ。全身をおびただしい血で汚すヴィルヘルムは、消えそうな意識で覗き込むスバルに口を開く。

 

「……未熟、油断を……」

 

そこまで言いかけたヴィルヘルムは、それ以上の言葉を吐くことなく気絶する。

 

「おじーさんが出てきたぞー!」

 

「ヴィルヘルムさん、生きてるんですか!?」

 

彼が気絶すると同時に駆け寄ってきた三人がすぐ傍らまでやってくる。彼らは顔を見合わせて頷き合うと、

 

「ヴィルヘルムはん……白鯨の腹ん中に収まるような男ではないと思うとったがが。とにかく、生きていてくれただけで、ワイらにとってはこの上ないっちゅうことや」

 

「スバルさん。ヴィルヘルムさんをフェリックスさんのところまで?」

 

「ふぇりっく……ああ、フェリスか。そうだよ。瀕死の状態で今にもヤバい。ホントなら俺が連れていきてぇんだが……」

 

首を傾け、スバルは再起動を始めようとしている白鯨を睨みつける。

腹の傷は深く、そこからとめどない体液の流出はあるものの、全身の口を開閉して淡い霧を生み出す魔獣の姿からは戦意が喪失する気配がない。

 

「今、俺が動けば下手したらケガ人集まってるとこに鯨を引っ張っていきかねねぇ。リカード、ヴィルヘルムさんを、任していいか?」

 

「もちろんや。ワイらのライガーで責任持って送り届けるさかい。……なにか、思いついたんか?」

 

スバルからヴィルヘルムを受け取り、軽々と大犬の背中に乗せるリカード。彼はそれからスバルを見下ろすと、能天気に「がんばんなきゃー」と手を叩いているミミと彼女の相手をするヘータローを呼び出し、

 

「勝算があるなら聞かせてくれや。もしもダメやら、ワイ以外のヤツはここから逃してやらんといかん」

 

「えー、どーしてだよー。まだあいつをやっつけてないのに……」

 

「お姉ちゃんは黙ってて」

 

ぴしゃりと告げる弟にミミが不満そうに唇を尖らせる。

そんな双子のやり取りを目にしながら、スバルは「そうだよな」と納得の頷き。

 

「お前らは傭兵だ。俺やドクター、クルシュ、鯨に恨みがある騎士たちと違って金で雇われてるに過ぎない。……命まで賭ける義理はねぇよな」

 

「スバルさん。ボクらは命を捨てる義理がないだけです。誤解されたく、ないので」

 

気弱そうな顔と態度だが、毅然と言わなくてはならないことを言うヘータロー。自分の腰ほどまでしかない小さな獣人を見下ろし、スバルは「悪い」と前置きしてから、

 

「時間がねぇ。勝算は、あると思う。とりあえず、ヴィルヘルムさんを後方送りにして……レムとクルシュ、それにドクターか。主だった奴らに声をかけなきゃな」

 

傍らのパトラッシュの背に飛ぶようにまたがり、スバルは顔を上げる。 

見上げた空、悠々と泳ぐ魚影を忌々しげに睨みつけて。

 




ドクター・ストレンジMoMの感想を一言で言えば、まさに「マッドネス」!でした。

ストレンジとアメリカ・チャベスが経験する物語もマッドネスだし、ワンダもマッドネスだし、イルミナティもマッドネスだし……

とにかくマッドネス尽くしで2時間があっという間に過ぎてしまうほど、面白かったです!
新旧の魔術や、クリスティーンとの恋物語、そして新たに紡ぎ出ささるであろう新たな物語など、見どころポイントはたくさんです!

色々語るのはネタバレになるので、あまり言えませんが、ベネ様の魅力が一段と引き上げられたのが今作だと思ってます!

皆様のご感想も是非お聞かせください!

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