喫茶ステラと死神の蝶と見える人   作:もう何も辛くない

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第二十五話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 脇目も振らず、ただただ足を動かし前に走り続ける。人の気配は未だに感じない。そのせいか、背後から迫る足音が嫌にハッキリ聞こえてくる。

 足音が近付いてくる度、緊張が高まり、心臓の鼓動が加速する。

 

「走りながら聞け。状況を軽く説明してやる」

 

 息が切れる中、ミカドが背後に視線を向けたまま口を開く。その台詞と同時に、俺は交差点を左に曲がる。

 

「今、貴様を追いかけている輩は…まあ、大体想像がついているだろうが、貴様の目を狙う連中の一人だ。恐らく貴様も対面しただろう。あの鬼神の部下だ」

 

 返事は返さない。その余裕はない。代わりに、脳裏にあの巌のような男神の姿が蘇る。ならば、こうして俺を追いかけているのはそいつの指示か、或いは独断か。どちらにしても、目的は俺の目を奪い、あの男に献上する事なのだろう。

 

「それで、だな。かなり言いづらいのだが…」

 

 再び鳴り響く衝突音。直前に風切り音が聞こえたのを考えると、ミカドがあの狐の攻撃をまた防いでくれたのだろう。

 そんな中で、ミカドは言葉通り、本当に言いづらそうに今、一番聞きたくない言葉を口にした。

 

「この際単刀直入に言おう。吾輩では、あいつに勝てん」

 

「…は?」

 

 返事を返すなと言われたが、呆然と声が漏れた。思わず足が止まりそうになる直前で何とか我に返ってスピードを緩めず走り続ける。

 いや、しかし、こいつは一体何を言っているのだろうか。その台詞はしっかり聞き取れてはいるのだが、理解はしたくない。

 

「吾輩は戦闘が得意なタイプではないのだ。対して奴は戦闘を生業としている。そんな奴に吾輩が勝てるわけないだろう」

 

「ふざ、けんなっ!」

 

 開き直ったように言うミカドに悪態を吐きながら再度方向転換。住宅街の脇道に飛び込む。

 変わらず背後から聞こえてくる足音。時折鳴り響く衝突音。全力で走ってはいるが、いつまで保つか。足音も次第に近付いてきているし、捕まるのも時間の問題だ。

 

 だからこそ、頼みの綱は助けにきてくれたミカドだったというのに。

 

「とにかく走れ。朔夜様が来てくれるまで粘るしかあるまい」

 

 あっけらかんと言うミカドに再び口から悪態が出そうになるが、これ以上喋ると息がもたない。というより、もう何メートルの距離を全力疾走しただろう。ハッキリ言って、喉が痛い。体が重い。こんな感覚は初めてだ。全力で限界まで走り続けると、こんな感覚になるのか。

 

「ペースが落ちてるぞ!もう限界か!」

 

 うるさい。こちとら運動不足の一大学生だぞ。むしろここまで全力で走り続けられた事を誉めてほしいくらいだ。

 なんて口に出しては言えず、乱れまくった呼吸が言葉を阻害する。

 

 疲労が限界まで来ると、どうも思考が鈍ってくる。そんな状態になってくると、躊躇いというものも弱くなるのが必然。

 

 だから、だろうか。ふと、あいつとの距離がどうなったのだろうと気になった俺は、無意識に瞳を発動していた。

 朔夜さんとの特訓の中で感じた感覚を思い出しながら力を行使、星との接続。

 

 瞬間、視界がクリアになる。今、視界に入ってくる世界だけじゃない。自身の周囲を上空から見下ろしているかのような、そんな映像が頭の中に直接流れ込んでくる。

 

「これは…!」

 

 右肩から聞こえてくるミカドの戸惑いの声。その理由は、俺の目の力を感知してのものか。

 分からないが、俺自身に訪れた変化はもう一つあった。

 

「っ─────」

 

 踏み出す足に力が戻る。乱れた呼吸が整っていく。訳が分からぬまま、突如沸いてくる力に呼応するように、俺の走るペースが速まる。

 

「千尋!貴様、何をした!」

 

「知らん!ただ目の力を使っただけだ!」

 

 そう、俺はただ朔夜さんとの特訓を思い出しながら目の力を使っただけ。視界の範囲が広がるのは良い。しかし、この身体に沸いてくる力は何なのだ。ついさっきまで息も絶え絶えで、立ち止まりそうな程限界だった体は、目の力の行使と同時に力を取り戻した。

 

 しかし理由は何であれこの状態は好都合だ。体力が回復した上に、身体能力が向上したように思える。

 これならば─────

 

「ミカド、服にしがみついてろ!」

 

「っ─────」

 

 理由は分からない。ただ、出来ると直感が叫んでいた。

 

 両足に力を込めて踏ん張り急停止、即座に振り返って逆方向、つまり追ってくる獣に向かって駆け出す。

 

「!?」

 

 獣が驚き両目を見開いたのも束の間、三本の尾が伸びる。その様子は、俺の目にハッキリと見えていた。

 左脇、右脇、中央から俺の逃げ道を塞ぐように迫る尾に対して、目を逸らさず足を止めない。

 

(ここ─────!)

 

 尾が眼前まで迫った瞬間、走る勢いを利用して力一杯跳躍。

 普段ならば考えられない高さまで体が浮き、崩れそうになるバランスを必死に保ちながらコンクリートに突き刺さった尾の一本に着地。そして再び跳躍して今度は獣の背後に着地してからそのまま走り去る。

 

 我ながらよくこんな映画も真っ青なアクションが出来たものだ。本来ならば自身を吊るすワイヤーが必須な行為を、何の道具もなしに実現させた自分に驚きながらも元来た道を戻っていく。

 

「貴様!本当に人間か疑わしくなってきたぞ!吾輩のような存在が化けているのではあるまいな!?」

 

「俺は正真正銘人間だ!」

 

 ミカドの言う事は分からないでもないし、第一俺もミカドと同じ立場にいたなら俺みたいな奴は本当に人間なのかと疑わしく思うだろうが、しかし出来てしまったものは仕方ない。人間にもこんな事が出来た、それが現実である。

 

「…まさか貴様、星から力を引き出しているとでもいうのか?」

 

「は!?なに!」

 

「何でもない!それより、来るぞ!」

 

 前半、ミカドが何を言っているのか聞き取れなかったが、聞き返してからの返答はハッキリと聞こえた。

 走りながら視界を展開、後方を確認する。先程よりは離れているが、確かにこちらを追いかける獣の姿が見てとれた。

 

 それに、ただ走っているだけではない。走りながら開けている口の中に、何やらエネルギーのようなものが溜まっているように見えるのは気のせいだろうか。

 

「ミカド。あれは防げるか?」

 

「残念ながら、即興であれを防ぐ結界は張れん」

 

「あいつはあれを即興で作ってるのにか!?」

 

 使えない、と口に出さなかった自分を誉めてほしい。本当にこの目がなければ詰んでいた。いや、この目がなければまず狙われる事すらなかったのだが。

 

「くっ!」

 

 獣の口から吐き出される光の弾丸。それを展開した視界の中で察知し、横にステップして回避する。

 

「千尋!次が来る!吾輩が結界を完成させるまで、何としても避け続けろ!」

 

「こっ…の!」

 

 回避されてもなお、獣は弾丸を放ち続ける。二弾目、三弾目、次々に迫る弾丸を必死で避け続ける。

 足を止めれば即死、そんな状況を駆け抜けていく。

 

「まだか、ミカド!」

 

「急かすな!」

 

 ミカドは目を瞑り、両手を合わせて集中している。集中しているのは分かるのだが、状況が状況だけにどうしても急かしてしまう。

 もう少しの間は大丈夫だろう。だが、時間が長引けば長引くほど─────

 

「っ!」

 

 弾丸だけでなく、尾がいよいよ動き出す。つまりそれは、俺と奴との距離が尾の射程距離まで縮まったという事。

 当然だ。俺が弾丸を避けるために真っ直ぐ走れないでいる間、向こうは一直線にこちらに向かってきているのだから。

 

 そう、時間が長引けば長引くほど、俺と奴との距離は縮まり、やがてゼロになるだろう。それまでにミカドの結界が完成しなければ終わりだ。

 その上、今のミカドは結界を完成させるべく集中している。つまり、ミカドの手助けを当てにはできない。全て、自分で回避、或いは防御しなければならない。

 

 後方を確認する。距離は先程よりも更に縮まっている。それを目の当たりにした俺は、一つの決心をして走る速度を上げる。

 距離の確認、相手の攻撃の把握は広がった視界のみで行う。視線を前に向けたまま走る事に全力を注ぎつつ、背後の確認にも意識を割く。

 

 ひっきりなしに耳に届く風切り音。顔面すれすれを通りすぎていく尾と弾丸。

 

「!」

 

 通りすぎていった尾が、引き戻される事なく、鋭い先を俺に向けてUターンしてくる。背後からは残った二本の尾と吐き出される弾丸。

 姿勢を低く、前方に飛び込んで前から迫る尾を掻い潜る。地面で一回転、すぐに立ち上がって走り出す─────

 

「っ、がっ!」

 

 前に、体を翻す。しかし僅かに間に合わず、再び背後から迫った尾の一本が左腕をかする。

 かすっただけでも尾は腕の皮膚を剥がし、鮮血を飛ばす。

 

 勢いよく擦られた熱さと痛みを耐えながら、足を動かす。しかしその前に立ちはだかるのは、回り込んできた一体の獣。

 

「ようやく、追い詰めたぞ」

 

 眼前に立ちはだかった獣がゆっくりと口を開き、そして流暢に喋り出す。

 獣が喋った事に驚きはしない。現に、今俺の肩に乗っている猫だってぺらぺら喋っているのだから。それに、そんな事を考えている場合ではない。

 

 じり、じり、と後退りをする。それに合わせて獣もまた、一歩ずつ俺に歩み寄ってくる。

 

 隙を窺う。無闇に逆方向に逃げ出しても、この至近距離では避ける暇もなく串刺しにされるだけだ。

 

「安心しろ。我が主からは殺すなと命じられている。手足の一本か二本は貰うが、それだけだ。今はな」

 

 だからといって、この獣と対峙していても状況は変わらない。いよいよ俺ではどうしようもない状況まで追い込まれてしまった。

 

 ()()()()()()なら、ここまでだっただろう。

 

「よくやったぞ、千尋」

 

「…これは」

 

 耳元でミカドがそう口にした直後、先に変化に気付いたのは獣の方だった。獣は目を細めて俺を、いや、俺達の前の空間を見つめている。

 

 そして、俺も気付く。目の前の景色が、空間が、僅かに揺らいでいる。その揺らぎは半球型に、俺達を囲むように存在していた。

 

「─────」

 

 僅かなぶれと共に発せられる三度の風切り音。それとほぼ同時、金属音にも似た音が鳴り響いた。

 眼前では揺らぎに遮られてその場で停止する三本の尾。いや、停止というのは正しくはなかった。獣が尾に力を込めているのだろう。三本の尾は僅かに震えていた。

 

「無駄だ。貴様の尾も、魔弾も、この結界には通用しない。吾輩の魔力が続く限り、どんな干渉をも防ぎきる」

 

「…貴様の魔力が続く限り、か」

 

「そうだ。吾輩の魔力が続く限りだ。が、貴様には吾輩と消耗戦を繰り広げる余裕はなかろう?ここまで大規模な結界を展開しているのだ。今こうして喋っている間も魔力を削られている筈だ」

 

「─────」

 

 二人…いや、二体というべきだろうか。二体の会話に黙って耳を傾ける。

 ミカドの台詞から推測するに、周囲に俺達以外の生き物の気配が感じられないのは、どうやらこの獣の仕業らしい。

 しかし、俺とミカドを囲むだけの結界でも完成させるまでかなりの時間を要した。あれだけの広範囲を包む結界を完成させるのに、どれ程の時間を掛けたのか。その周到さに思わず感嘆してしまう。

 

「吾輩は一向に構わんぞ。貴様の魔力が尽きるまで、付き合ってやってもいい」

 

「…」

 

 ミカドの挑発に獣は答えない。獣は結界に突き立てていた尾を戻し、その顔面を俯かせる。

 黒い影に包まれ、その表情が見えない。だが、獣の体は小さく震えていた。それは目的を達せなかった事への悔恨か、それとも。

 

「…その結界。こちらからの干渉を全て防ぐ、かなり厄介な代物だ。…が、どうやらそちらからの干渉も無効化してしまうようだな」

 

「…」

 

 ミカドは答えない。元々ミカドに答えを期待してなかったのか、獣は顔を上げると今度は俺の方を見る。

 

 その顔は、厭らしく笑みを浮かべていた。

 

「柳千尋。私は貴様を見つけてから、ずっと貴様を監視していた。二十四時間、この結界の準備をしながら、ずっとだ。といっても、忌々しいあの女神が現れるまでだが」

 

「…お前。まさか、時々感じたあの視線」

 

「ほぉ。さすがは星詠みの瞳の宿主といったところか。私の気配を察していたか」

 

 以前、何度か俺に向けられる視線を感じた事があった。周囲には誰もいなかったし、獣の言う通り朔夜さんと再会してからは視線を感じなくなったため、気のせいだと思っていた。

 あの視線の主は、目の前のこいつだった。

 

「短い間ではあったが、貴様の事をある程度知る事が出来た。たとえば─────」

 

 獣はそこで言葉を切ると、唇の形を歪め、深く笑みを浮かべながら続けた。

 

「もし貴様に人質をとるとしたら、一番効果的なのは誰か、とか」

 

「!!!!?」

 

 俺はこの時、獣の台詞の続きを聞いている場合ではなかった。何故なら、展開したままにしていた視界に、その人を見たからだ。

 ()()()()を揺らし、ゆっくりと歩くその人を。

 

「─────」

 

 ()()()()()()()()()()足音で振り返る。

 

 誰もいなかった筈だ。展開していた視界にも、俺達以外の姿はなかった筈だ。それなのに突然、何の前触れもなく彼女は現れた。

 

「貴様…!()()()を招いたのか!この結界内に!」

 

 ミカドが狼狽を隠さないまま獣に向かって怒鳴る。

 一方の獣はまさに愉快と言わんばかりに豪快に笑う。俺とミカドの姿を見て、さぞ面白そうに。愉しそうに。

 

「さあどうする柳千尋!その安全な結界で、私の魔力が尽きるまで籠城するか!?」

 

 獣が選択を迫る。俺に。

 

「それも良いだろう!だが、その間に私はあの女を殺す!」

 

 自分の命か、それとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「柳君…?」

 

 四季ナツメの命を選ぶのか。

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