喫茶ステラと死神の蝶と見える人   作:もう何も辛くない

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第二十六話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Another View~

 閣下が突然何かに焦った様に姿を消してから、私は明月さんと一緒に閣下が淹れてくれた紅茶を飲んでから店を出た。

 何となく、閣下のせいとは言うつもりはないけど、お茶を飲みながらゆっくり過ごすという空気ではなくなってしまった。

 それに、明月さんと閣下が私の本音を、正直な気持ちを言い当ててくれたお陰で私もそれに気付く事が出来た。そのお陰か、今の私の胸の内はとてもスッキリしている。

 

 あの日からずっと、まるで重石が乗っていたように重かった胸が、今は軽い。まだ、今すぐには柳君と何を話せばいいか分からないけれど…、近い内に柳君ともう一度話そう。それで、今の私の気持ちを正直にぶつけよう。

 まだ生きたいって。皆と一緒に、これからの未来を見ていきたいって。だからまた、柳君にお店に戻ってきてほしいって。

 

「…」

 

 自分の中でこれからどうしていくかを決めながら、いつもの帰路を歩く。いつもと変わらない道、いつもと変わらない景色。それなのに、どうしてだろう。違和感が拭えない。

 

 人がいない。人の声が聞こえない。人の気配が感じられない。まるで、世界に一人、私だけが置いていかれたみたいに。

 

「なに、これ…?」

 

 訳が分からず、頭が混乱する。あまりに静かすぎる。まだ人が出歩かなくなる時間帯でもないのに…いや、それどころか学生や社会人が帰宅を始める時間帯と言っていいのに。

 あまりに閑散とした住宅街が、怖いとすら思えてしまう。

 

「っ」

 

 その時だった。この静かな世界に響き渡る金属音に似た音を聞いたのは。驚き勢いよく振り向き、音がした方を見る。

 奥に見える交差点を左に曲がった所。ここからでは家屋が邪魔して見えないが、恐らく音の発生源はそこ。

 

「─────」

 

 息を呑む。

 怖い。

 怖い、けど、勇気を振り絞って足を踏み出す。明らかに周囲の様子がおかしいこの状況を何とかする事が出来るかもしれない。

 奥の交差点を左に曲がり、前を向いて─────私は足を止めた。

 

 そこには確かに、さっきの音の原因と思われる何かがあった。でもその光景はとても現実離れしていて、一瞬思考が止まってしまう。

 だけどその思考は、次の瞬間響き渡る大声によって無理やり引き戻された。

 

「さあどうする柳千尋!その安全な結界で、私の魔力が尽きるまで籠城するか!?それも良いだろう!だが、その間に私はあの女を殺すぞ!」

 

 そこにいた人物…、いや、生き物というべきか。人間も確かに一人いたが、その他はどう見ても人間には見えなかった。

 一人の人間の肩に乗った見覚えのある猫。その奥に見える、人並みの大きさをした、三本の尻尾を生やした狐。

 そして、あと一人─────

 

「柳君…」

 

 目を見開いて、呆然と柳君が私の顔を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が起こってるのか、すぐには飲み込めなかった。何故、どうして、という気持ちで一杯になった。

 何故ここに。どうしてこんな時に。

 

 だが、迷っている暇はない。今こうしている間にも、あいつは四季さんを殺せる。それだけは絶対にさせる訳にはいかない。

 

「ミカド。結界を解け」

 

「…いいのか」

 

「他に選択の余地なんてないだろ」

 

 俺に一言確認をとるミカドに即座に返答する。そう、選択の余地なんてない。四季さんを助けるために、この結界は邪魔にしかならない。それならば、結界を解くしかあるまい。

 

「…それが、貴様の答えか」

 

 ミカドが結界を解いたのを感じ取ったのだろう。笑みを浮かべたまま目の前の獣が口を開く。

 

「やはり、人間は愚かだな」

 

 獣の目は俺を蔑んでいた。まさに台詞通り、その目は愚か者と俺を見下ろしていた。

 ゆらり、と尾の一本が揺れる。

 

「女を見捨てていれば、助かったというのに!」

 

「っ─────」

 

 体を翻す。尾が体のすれすれを通りすぎていく。

 そんなものには目もくれず、踵を返して四季さんの方へと駆け出す。

 

「逃がすと思うか!」

 

 背後で残りの二本が俺に迫る。その瞬間、ミカドが動く。

 

「それを吾輩が許すと思うか?」

 

「…ケット・シーごときが!」

 

 忌々しげにミカドを睨む獣を置き去りに、未だその場で動けないでいる四季さんを横抱きに抱えて交差点を左に曲がる。

 

「え…え?え!?」

 

「文句なら後で聞く!ミカド!尻尾は任せる!」

 

「分かってると思うが、あの魔弾は防げんぞ!」

 

「それはこっちで避ける!」

 

 鬼ごっこの第二ラウンドが始まる。

 

 獣が吐き出す弾丸は無理だが、尾による攻撃ならばミカドの即興の結界で防げる。ミカドが防げない攻撃はこちらで把握し、避けるしかない。

 

「ちょっと、なに?何が起きてるの!?」

 

 腕の中で四季さんが戸惑いまくっている。当たり前だ。多分、この結界の中に訳も分からず迷い込んで、その上こんな妖怪大戦争みたいな場面に巻き込まれてしまったのだから。しかも異性にお姫様抱っこされるとか…そして相手が仲違い真っ只中の俺とか…。

 

 後で誠心誠意を持って謝り倒そう。

 

「っ!」

 

 獣の口内に光が見え、すぐに方向転換。直後、先程まで俺達がいた場所を光弾が通り過ぎていく。

 

 危ない。余所事を考えている場合ではない。ほんの少しの判断の遅れが命取り。今、俺は俺の命だけではない。四季さんの命も抱えているのだ。

 

 俺のせいで他人まで死なせてたまるものか。

 

「…おかしい」

 

 ミカドがポツリとそう呟いたのはその時だった。

 

「何がっ」

 

「そろそろ魔力が尽きても良い頃の筈なのだが」

 

 ミカドが怪訝な視線を送るのは、当然背後から俺達を追いかけ回す獣。獣は変わらず動きを止めず、尻尾と魔弾で俺達を攻め立てる。

 

「これだけの大規模な結界を維持しながら、あれだけ苛烈な攻撃をし続ければ、とっくに魔力が尽きている筈」

 

「…何か種があるって事か」

 

「恐らくな。可能性はいくつかあるが…、奴の魔力切れを期待するのは控えるべきかもしれん」

 

 この結界がどれだけの規模なのかを俺は把握できていないが、ミカドが言う事に嘘はないのだろう。この状況で嘘を言う筈もないだろうし。

 

 ならば、魔力切れを期待しない方が良いというのもそうすべきなのかもしれない。だが、そうなるとこれからとれる選択肢は一気に限られてくる。

 

「この結界からの脱出は」

 

「吾輩だけならともかく、貴様とナツメもとなると時間が必要だ。その間、吾輩は貴様の援護が出来なくなる」

 

「…朔夜さんが来るのを待つ」

 

「いつこちらに来れるようになるか分からんぞ。すぐ来るかもしれんし、下手をすれば明日になるまで来ないかもしれん」

 

「…」

 

 結界からの脱出は可能、しかし時間が掛かる。朔夜さんの増援は期待できない。

 

 だとすれば、もう、あれしかないのかもしれない。

 

「…ミカド」

 

「なんだ」

 

「さっき、俺が星の力を引き出しているって言ってたな」

 

「…聞こえていたのか」

 

 その台詞は、さっきミカドが呟いたもの。あの時は状況が状況だけに適当に聞き流してしまったが、その台詞は今を打破するヒントになるかもしれない。

 

「貴様…、まさか、戦うつもりか」

 

「え?」

 

 ミカドのその台詞に最初に反応したのは俺ではなく、四季さんだった。ただただ戸惑っていた四季さんの表情が呆気にとられたものへ変わり、俺を見上げる。

 

「無理か?」

 

「…いや、可能だ。星の力を引き出し、底上げされた身体能力でなら奴と張り合えるだろう。だが、分かっているのか?どれだけ能力があっても、貴様は普通の人間だ。…荒事と無縁の人間なんだ」

 

 ミカドが俺の目を見ながら言い放つ。遠回しに難しいと。その力あっても、お前では経験がまるで足りていないと。

 

「でも、それしかないだろ。全員で生きるためには」

 

「…」

 

 ミカドが何も言わないのは、図星故か。ミカドではあの獣は倒せない。四季さんを抱えた状態で、またミカドが結界を完成させるまで時間を稼ぐのも不可能。

 それならもう、まだ未知数な能力に賭けるより他にない。全員で生きて帰るために。

 

「ミカド、四季さんを頼む」

 

「…あぁ」

 

 脇道に飛び込み、足を止めて四季さんを降ろす。ミカドが俺の肩から四季さんの肩へと飛び移る。

 

「柳君…?」

 

 突然こんな状況に巻き込まれ、その上俺にお姫様抱っこをされるという混乱極まる状態で、四季さんは不安そうに俺を見上げる。

 

「なにを…」

 

「大丈夫。ここにいれば、ミカドが守ってくれる」

 

「え…」

 

 四季さんの肩に手を乗せて安心できるように声をかける。勿論、そんな程度の事で、本気で四季さんが安心できるなんて大それた事は考えてないけれど。

 それでも、少しでも四季さんが落ち着けられるように。

 

「待っ…!」

 

 四季さんが俺に向かって手を伸ばす。その前に四季さんの肩から手を離し、足早にその場から去る。

 

「待って!」

 

「…四季さん」

 

 一度、足を止めて振り返る。そこには、泣きそうな顔をした四季さんがいて。

 

「俺が命賭けて助けてやんだから。また、もう死んでも良いなんて言ったらぶん殴るからな」

 

「─────」

 

 四季さんが何かを言う前に引き返す。脇道の影から出て、大きな道路へ。そこには、俺が出てくるのを待ち構える獣が一体。

 こうして俺が一人で出てくるのを知っていたかのように。

 

「観念…した訳ではないようだな」

 

 正面から獣と睨み合う。鋭くつり上がった目が、見開かれた瞳孔が、俺の全身を捉える。

 並みの人間ならば失禁しそうな程に濃い殺気が注がれる。正直、怖い。それでも、後ろにいる彼女を思うと、不思議と足は逃げ出そうとしなかった。

 

 そんな俺の様子を見て、獣が臨戦態勢に入る。毛が逆立ち、ゆっくりと揺れる。口許が開き、鋭い牙が露になる。四本足の筋肉が膨れ上がる。いつでも俺に飛び掛かれるよう、獣の準備が整っていく。

 

「やはり人間は度し難い。三百年前もそうだった。…子を見捨てれば助かっていた命を。我が主の温情を無為にしたあの人間と、貴様が重なる」

 

 その瞳に宿るのは怒り。標的としてとはまた別に、一個体として俺を敵視している。

 

「お前の都合なんか知らない。三百年前に何があったのか、知ろうとも思わない。でも…、自分の命を賭けてでも助けたいっていう人の気持ちは、分かる」

 

「…下らん。自分の命以上に大切なものがあるとでも?」

 

「ない。でも、同じくらいに大切なものならある─────」

 

 言いながら、自分で発した言葉に驚く。俺は今、何と言った?自分の命と同じくらい大切なものがある、と言ったのか?

 

 あぁ…、そうか。そうだったのか。

 俺はこの時、どうして四季さんにあんなにも怒りを露にしてしまったのか、その理由をようやく悟った。

 

 俺はいつの間にか、四季さんをこんなにも大切に思うようになっていたらしい。だから、俺が大切に思うものを四季さん自身が平気で諦めようとしている事が許せなかったんだ。

 

 …そうやって改めて自覚すると、俺ってかなり面倒な奴だな。何だよそれ。本当に、俺ってバカだ。

 だって、それじゃあ俺も四季さんと同類って事になるじゃないか。四季さん自身が諦めているんだから、もうどうしようもないって。俺も、大切なものを諦めようとしていたんだから。

 

「何が可笑しい」

 

「?」

 

「度し難い…。誠に度し難い。この状況で、何故貴様は笑う?精神が壊れたか」

 

 笑う。俺は今、笑っているのか。

 だとしたら、その理由は明らかだ。自分の馬鹿さ加減が可笑しくて仕方ない。そして─────

 

「お前のお陰で自分の本音に気付けた、からだな」

 

「…?」

 

 獣の顔が訝しげに歪む。当たり前だ。こいつに俺が何を思っているかなんて分かる筈がない。故に、俺がどういう意図でその言葉を発したのかも悟れる筈がない。

 

「やっぱり、死ねないな」

 

 小さく、自分に言い聞かせるように呟く。

 死ねない。こんな所で死ねない。俺はこの後で、やりたい事がある。話したい事がある。だから、ここで死にたくない。

 

「命を取るつもりはないと言った筈だが」

 

「一緒だ。お前に捕まれば、きっともうここに戻ってこれなくなる。それは、俺にとって死ぬのと同じだ」

 

 こいつに捕まればもう、四季さんにも、ステラにいる皆とも会えなくなる。そんなのは、たとえ命が続いていたとしても、俺にとっては死んだのと同義だ。

 もっと皆と過ごしたい。話していたい。そのために、俺はまだ生きていたい。

 

 そして今、俺が強く生きたいと思う同じ気持ちを、四季さんも抱けるようにしたい。

 

『俺は、見る事しか出来ない』

 

 それは以前、ミカドに向かって言い放った言葉。以前までの俺は、そこで立ち止まっていた。そこから前に進む事を諦めていた。

 

 ふざけるな。他人には諦めるなと大それた事を言っておいて、自分が真っ先に諦めてんじゃねぇ。

 

『アンタが、母さんを殺したのよ!』

 

 知るか。俺は何も悪くない。

 今までずっと心を縛り付けてきた言葉を、今は簡単に振り払える。

 

 本当に下らない。あんな奴のあんな言葉のせいで、俺は四季さんを見殺しにしそうになったのか。…いや、それは俺が弱かったせいか。他人に責任を擦り付けられる立場じゃない。

 

 でも、まだ間に合う。まだ救える。

 

「お前を倒して、俺は生きる」

 

「…ほざくな、人間風情がっ!」

 

 俺が足を踏み出したのと、獣の尾がぶれたのはほぼ同時だった。

 三本の尾がそれぞれ別の方向から俺へ迫り来る。瞳に力を入れて、三本の尾の軌道を見る事に集中する。

 

 三本の尾は俺の方へと向かいながらも、決して全く同じ地点に向かっている訳ではなかった。俺が避けようとしても出来ないよう、計算された位置へ、そしてたとえ避けられたとしても、次の攻撃で仕留められるように。

 

「─────」

 

 それでも、それらは全て見えている。見えているのなら、対処のしようはある。数はたったの三本。それだけの数で、一個人の行方を全て遮る事など出来やしない。

 足を止めないまま体の角度を変え、尾を掻い潜っていく。丁度その時、獣がこちら目掛けて弾丸を吐き出そうとしていた。

 

 それも、()()()()()。弾丸が吐き出される前にその場で半身になりながら地面を蹴る。

 

「っ、馬鹿な─────!」

 

 獣が驚くのも無理はない。今の俺の身体能力が人外の域に至っている事を加味しても、必殺のタイミングでその一撃は放たれていた。それを何かしらの手段で防がれたのではなく、回避されたのだ。

 

 理由は二つ。奴が俺を侮っていた事と、星詠みの瞳について詳しく知られていなかった事。

 いや、後者に関しては俺が断定できる事ではない。ただ、俺が目の力をこの段階まで引き上げられている事実を知らなかった、というだけかもしれない。

 

 だがそんなのはどちらでもいい。重要なのは、この二つの理由がこれから、奴の敗因となる事だけ。

 

 ビジョンが星を通じて伝わってくる。背後から尾による追撃と、獣が次弾の準備を始める。

 俺はそれらは()()()()()()と断じ、足を前へ踏み出す。

 

「くっ!」

 

 獣が右前足を振りかぶる。人外の…いや、自然界に存在するどの生き物とも比べ物にならない膂力によって振り下ろされる爪は、容易に人間の体など八つ裂きにするだろう。

 危機感を感じたか、俺を生け捕りにするという目的はこの際捨ててしまったらしい。

 

 踏み出した左足先に力を込める。姿勢を低く、首を傾け、体を回転させる。俺の僅か頭上を、何本かの髪の毛を持っていきながら獣の爪が通り過ぎていく。

 

「っ…!まさか貴様、私の動きを…!?」

 

「もう遅いっ」

 

 振り抜かれた前足を引き戻すには時間が掛かる。この体勢から四肢の何れかを振るうのもまた同じ。

 先程のビジョン通り、背後から迫る尾は間に合わない。ここで初めて、正真正銘の自由を得る。

 

 拳を握り、右腕に力を込める。狙うは獣の顔面、左側頭部。そこ目掛けて、力一杯裏拳を打ち込んだ。

 

「ガッ─────」

 

 まるで角ばった硬い岩を殴ったかのような、そんな衝撃が拳に響く。それでも躊躇わず、今度は左の拳を握り、獣の鼻っ柱を狙ってストレート。

 

 パァン、と小気味良い音を鳴らしながらこれも命中。まだ終わらせない、先程獣を殴った衝撃が抜けない右手でこれまた獣の顔面を掴む。

 

「うぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!」

 

 思考も何もない。ただ我武者羅に、ダメージが大きそうな箇所を狙って攻めているだけだ。

 

 獣の顔面を掴んだ手に、腕に力を込めて獣の体を持ち上げる。掌から腕へ、腕から肩へ、肩から下半身へ。全身の力を伝達させ、俺が出せる全力を以て、眼下のコンクリートに獣の後頭部を叩き付けた。




一先ずこれにて戦闘描写はお開きです。
次回は今回の事件についての結び、の予定。
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