喫茶ステラと死神の蝶と見える人   作:もう何も辛くない

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まさかの一万字オーバー…。長くなりましたが、飽きずに最後まで読んでやってください。


第二十七話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…」

 

 さっきまであれ程走っても少しも乱れる事がなかった呼吸が荒れる。それと共に軽かった体も突然重くなり、同時に頭が強く痛み出す。

 

「はぁ…はっ…っ」

 

 乱れた呼吸を整えようと努めていると、ふと頬に何かが伝う感触。指でその感触の元に触れて目の前に持っていくと、指の先には赤い液体。右目から血が流れていた。

 原因は何となく想像がつく。目の力を酷使しすぎたのだろう。勿論、これは勝手な俺の想像であり、他に正しい原因があるのかもしれないが。ただ、他に原因が思い当たるものがない。

 

「おわ…った…?」

 

 手の甲で血を拭い、眼下で倒れ伏す獣を見下ろす。獣を中心にアスファルトは蜘蛛の巣状に割れ、先程の叩き付けの威力が見てとれる。

 これだけの攻撃を受けたのだ。死にはしなくとも、気を失うくらいはして貰わないと割に合わない。

 

「柳君!」

 

 その時だった。背後から俺を呼ぶ、彼女の声がしたのは。

 

 振り返って背後を見る。ミカドを肩に乗せ、急いでこちらに駆け寄ってくる四季さん。

 

 視線が交わる。それが、合図だった。

 終わったのだと、逆立った気が緩んでいく。警戒心が解けていく。

 

 それは油断だ。まだ生きている敵に背中を向け、気を緩めるという戦いに於いて最もしてはならない行為を、この時俺は犯してしまった。

 

「馬鹿者!警戒を解くな!」

 

「っ─────」

 

 ミカドの怒鳴り声が響き渡ると同時に、至近距離から風切り音。その正体が何なのか、考える前に、即座に特定できた。

 

 集中を解き、星詠みの瞳がもたらす視界を閉じてしまったせいで察知できなかった。

 果たして、いつ意識を取り戻していたのか。はたまた、最初から意識を失ってなどいなかったのか。

 

 どちらにしろ、俺の命を奪う死神の鎌はすぐそこまで迫っていて─────

 

「柳さん!」

 

 次の瞬間、俺は死神の手によって命を救われていた。

 突如腕を引かれ、何の抵抗も出来ず胸に抱かれた俺は、そのまま何者かによって腕に抱えられたまま獣から遠ざけられる。

 

 犯人…というより恩人は、先程言った通り死神、明月さんだった。

 

「ちっ」

 

「柳さん、大丈夫ですか!?」

 

 俺を仕留めることが出来なかった悔恨故か、舌を打つ獣を見ようともせず、明月さんは俺の顔を覗き込みながら安否を確認する。

 

「あぁ…。ありがとう、明月さん。ホント、助かった」

 

 明月さんの腕から抜け出し、自分の足で立ち上がりながら返事を返す。

 

「柳君っ!明月さんっ!」

 

「千尋!栞那!」

 

 直後、こちらに向かって駆け寄ってきていた四季さんが傍まで来る。

 

「柳君…っ、血が…!」

 

「ん、あぁ…。これは、まあ、大丈夫だから」

 

「大丈夫って…!目から血が出てるのに、大丈夫な訳ないでしょう!?」

 

 まあ、普通に生活していて目から血が出る場面なんてなかなか出会さないだろうし、動揺するのも当然かもしれない。

 しかし一方、四季さんの肩に乗ったミカドは俺の顔を見ても冷静な様子で口を開く。

 

「目の力を酷使しすぎだ。しばらくはその瞳で何かを見るのを控える事だな」

 

 なんて、俺の状態を診察する始末。だが今の状況は心得ているようで、ミカドは四季さんの肩から地面へ降りると、そのまま俺達の前に出て、こちらを睨み付ける獣と向かい合った。

 

「ずいぶんと千尋に痛め付けられたな、狐。そのお陰で、結界も崩壊を始めたぞ」

 

「…っ」

 

 ミカドは小さな笑みを浮かべながら獣にそう言い放つ。ミカドに言われた獣は悔しげに小さく唇の端を歪める。

 だが、それだけだった。ミカドに何かを言い返す事はせず、ただ黙ってミカドの話を聞いていた。

 

「もう良いだろう。貴様の敗けだ。早々に我々の前から消えろ」

 

 ミカドがその言葉を口にしている最中だった。何か硝子が割れるような、そんな音が辺りに響き渡り始めたのは。その音を聴いて思い出すのは先程のミカドの言葉。結界の崩壊。

 その単語から考えるに、この音は崩壊していく結界が発しているのだろう。

 

「…我らは決して諦めんぞ」

 

「…」

 

「柳千尋。貴様の星詠みの瞳を、次は必ず奪う」

 

 言葉少なくそう宣言してから、獣は姿を消す。

 何処へ行ったのか、それは知らないが、恐らく撃退できたと考えて良いんだろう。

 

「…うむ。気配は消えた。とりあえず一安心、といったところか」

 

 ミカドが振り返り、俺達に笑みを向けながらそう言う。隣では明月さんが安堵の息を吐き、四季さんもまた安堵から笑みを溢している。

 

「皆さんがご無事で良かったです…。しかし、ナツメさんまでいらっしゃるなんて」

 

「そこだ、栞那。吾輩は貴様に店で待つよう言った筈だが?」

 

「だって、閣下の帰りが遅いんですもん。心配で来てしまいました」

 

「…まあ、結果的に助けられた訳だが」

 

 ミカドと明月さんが穏やかな声で言葉を交わす。その声に、もう緊張は含まれていない。

 

 ようやく、俺の胸に滲んでいた固さが解れていく。本当に終わったんだ。もう、あの獣はいない。力を抜いても、俺達を脅かす者は今はいない。

 

「柳君?」

 

「…ん?どうした?」

 

「顔色悪いけど…、大丈夫?」

 

 ミカドと明月さんの会話を眺めていると、傍らにいた四季さんがこちらの顔を覗き込みながら問い掛けてきた。

 

 大丈夫、と答えたいところだが、多分そう言うだけでは四季さんは納得しない。実際、先程の戦闘での疲れのせいか体がかなり重く、頭も鈍い痛みを発している。

 それらは大した事はないし、一人で歩けないという程でもないため、問題ないというのは本当なのだが、今の自分の状態を交えて答える事にしよう。

 

「大丈夫だ。ちょっと体の所々が痛いけど、歩けない程じゃないし、問題は─────」

 

 ない、と口にしようとした瞬間だった。ずきずきと俺を襲っていた頭痛が、何の前触れもなく激しくなったのは。

 

「柳君?」

 

 四季さんが俺を呼ぶ。その呼び掛けに応える事は出来なかった。激しくなった頭痛は、和らぐ気配を見せないまま続く。

 

「─────」

 

 言葉が出ない。声を発せない。体から力が抜けていく。やがて両足が体重を支えきれなくなり、がくりと折れる。

 

「ごほっ!ごぼっ…!」

 

「っ、柳君!?柳君!」

 

 やばい、と思った時には手遅れだった。喉を逆流してきた液体が、咳と共に外へと溢れ出る。咄嗟に掌で口許を押さえたが、その掌にべっとりと付いた赤を見て、血の気が引く。

 

「しっかりして、柳君!お願い!」

 

 体から更に力が抜けていく。視界がだんだんと暗くなっていく。

 何か、最近、こんな事ばっかりだな。なんて他人事のように思いながら、近付いてくる地面を眺める。

 

 やがて、顔面をコンクリートの固い感触が…とはならず、何故か俺の体は柔らかい感触に包まれた。間違いなく、コンクリートに倒れた訳ではない。

 

「や…ぎち…ろ!気をしっ………て!」

 

「…なぎ…ん!」

 

 誰かが叫んでいるのが聞こえる。その叫びも、途切れ途切れにしか聞こえない。

 

「お願い…。私、やっと変われたのに…。生きたいって、思えるようになったのに…」

 

 それなのに。その声は決して大きく叫んでいた訳じゃないのに。俺の耳にハッキリと届いた。

 

「そう思わせてくれた人が…、貴方が死んでどうするのよ…!」

 

 嗚咽混じりのその声は、薄れていく意識の中でもハッキリと届いた。

 

「死なないで、柳君…!」

 

 あぁ、そうか。

 

 四季さんはもう、変われていたのか。生きたいって思えるようになったのか。

 

 それなら、俺だって、ここで死ぬ訳には──────

 

 ────

 

 ───

 

 ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、次に俺が目を覚ました時、俺は見覚えのある屋根裏部屋のベッドに寝かされていた。そう、あのステラの、明月さん達が間借りしている部屋である。

 どういう経緯でそうなったのかは知らないが、気絶した俺はまた明月さんのベッドを独占してしまったらしい。

 

「後で謝ろう…?」

 

 手を突き、体を起こしながらもう一方の手で後頭部を掻きながら、多分ほわほわと笑って許してくれる明月さんの顔を思い浮かべて、ちゃんと謝ろうと決めた時だった。

 視界の端で、艶やかな黒が過った。

 

「…は?」

 

 両腕を枕代わりにして眠る四季さんの姿があった。木製の床に座ったまま、ベッドに体を凭れて眠るという明らかに体に悪そうな体勢で眠る四季さんを見て、つい呆けた声を漏らしてしまう。

 

 何故にここに四季さんが?いや、ステラにいるのは別に何故も糞もないのだが、それにしてもこの部屋にいるのは何故?

 

 俺の頭が混乱に陥り始めた時、ガチャリと扉が開く音がする。傍らで眠る四季さんから視線を外し、音がした扉の方へと振り向く。

 開いた扉の向こうに見えたのは一人の人影と、その足下に立つ小さな影。逆光のせいで見えないその顔は、部屋の中に入ってきたと同時にハッキリ見えるようになった。

 

「明月さん。ミカドも」

 

「柳さん…。良かった、目を覚ましたんですね」

 

 体を起こした俺を見て、目を丸くした明月さんはすぐに微笑み、安堵のため息を漏らした。

 

「千尋。体に違和感はないか?」

 

「…いや、特には。そういや、頭痛もしなくなってる」

 

 次に口を開き、俺に問い掛けてきたのはミカド。ミカドの問い掛けを受け、両腕を回し、首を押さえながら左右に傾け、違和感がない事を確認すると同時に、気を失う前はあれだけ激しかった頭痛が収まっている事を自覚する。

 

「ふむ。どうやら朔夜様の言う通り、もう大丈夫の様だな」

 

「…あれからどうなったか、聞いても良いか?」

 

 俺の返答を聞いてから、ミカドもまた安堵したのか大きく溜め息を吐いた。

 そして俺が気絶してからの経緯を問い掛けると、ミカドはゆっくりと語り出した。

 

 あの時、俺はかなり危うい状態だったらしい。目の力によって星の力を引き出し、獣を撃退した。しかし、俺自身の身体は人間のものである。人間であるが故に、大きすぎる力は毒となり、身体を蝕む。

 その結果、俺の体はかなりのダメージを受けていたらしい。ミカドですら手の施しようがない程に。

 

 しかしそれなら何故生きているのか。それは、先程ミカドが名前を口にした、朔夜さんのお陰である。

 俺が気を失い倒れてすぐ、朔夜さんが戻ってきたそうだ。朔夜さんは一目で俺の状態を見抜き、正しい処置を施してくれた。そうして俺は今も、生を繋げる事が出来ている。

 

 つまりどういう事かというと、朔夜さんSUGEEEEEEEE!という事らしい。正直、毒とか人間には耐えられないとか、あまり理解できなかったけど、とにかく朔夜さんのお陰で助かったという事だけは理解できた。

 

「それで、これは何」

 

「何、とは?」

 

「いや。何で四季さんがここで寝てんの?」

 

 俺が倒れてからここに運ばれた経緯は分かった。だが分かったのはそこの経緯だけで、現時点までの経緯を聞いた訳ではない。

 まだ、何故四季さんがこの部屋にいるのか。この部屋で、こんな体勢で眠っているのかを聞いていない。

 

 その事について問い掛けると、明月さんとミカドは目を丸くし、顔を見合わせると、やがて小さく笑みを吹き出した。

 

「おい、何が可笑しい」

 

「貴様の鈍さに呆れているのだ」

 

「は?」

 

「分からないんですか?ナツメさん、ずっと柳さんの看病をしていたんですよ?」

 

 ミカドのあまりの口ぶりに文句を言おうとするが、明月さんの台詞に言葉が詰まってしまう。

 

「看病って…」

 

 明月さんから四季さんへ、四季さんから窓へ、視線を移す。窓の外は明るい。つまり、少なくとも一日は経っているという事だ。

 

「ちなみに、貴様が気絶したのは昨日だ。つまり、貴様は一日中眠り続け、その間ナツメは看病していたという事だ」

 

「…」

 

 とりあえず何日も眠りこけていた訳ではなかった様で安心した。いや、たとえ一日でもその間ずっと看病を続けていたという四季さんには申し訳なさと有り難さで一杯だが。

 

「私達が代わると言っても譲らなかったんですよ?愛されてますねぇ」

 

「いや、そんなんじゃないだろ。…そんなんじゃ」

 

 明月さんのからかいを聞き流してから、四季さんの寝顔を見る。

 安らかに、柔らかく寝息を立てている。

 

 こうしてまじまじと四季さんの顔を見るのは初めてだ。顔立ちが整っているのはもうとっくに知っていたが、改めて思い知る。四季ナツメという女の美貌を。

 

 艶やかに伸びる黒い髪に長い睫毛、しゅっと細い鼻と、桜色の唇は柔らかそうで。

 

「─────っ」

 

 いかん、俺は何をしているんだ。これではまるで変態ではないか。落ち着け、我を取り戻せ。確かに四季さんに見惚れるのは男としてごく自然な事かもしれないが、女の子の寝顔を見つめるなんて失礼にも程がある。

 

「ふ」

 

「ふふっ」

 

 そう思って視線を逸らしたのだが、遅かったらしい。男女の笑みを溢す声は、しっかりと俺の耳に届いていた。

 

「閣下?私達はお暇しましょうか」

 

「そうだな。我々はお邪魔になりそうだ」

 

「待って。一人に…じゃない。二人にしないで。せめて四季さんが起きるまでどっちかいて」

 

「「だが断る」」

 

「息ピッタリ」

 

 部屋を出ようとする二人に食い下がるもバッサリと切り捨てられる。明月さんがドアノブに手を掛け、そのまま扉を開ける。

 

「柳さん。…ナツメさんが起きたら、話を聞いてあげてくださいね?」

 

「?」

 

 そして部屋を出る直前、明月さんは最後に振り返ってそう言い残し、俺が聞き返す前に去っていった。

 四季さんの話、とは何だろうか。さっぱり分からないが、俺にも四季さんに話したい事がある。丁度良い。この際、とことん四季さんと話をさせて貰おう。

 

「…」

 

 明月さん達が出ていった扉から、もう一度四季さんの寝顔へと視線を向ける。変わらず寝息を立てている四季さんの顔を眺める。

 何だろう、物凄く心が安らぐ。女の子の寝顔って実はリラクゼーション効果でもあるのだろうか。マジで心が落ち着く。例えるなら、そう。猫の喉なりを聞いてる時の様な。

 

 …この例え方は微妙かもしれない。四季さんに失礼な気がする。

 

 しかし、いつまで俺はここにいればいいんだろう。このまま四季さんの寝顔を眺めているのも良いが、やっぱりそれは悪い気がする。それに、このベッドと布団は明月さんが使っているものだ。とりあえず一旦、布団からは出ておきたいのだが、身動きをとれば間違いなくベッドが揺れる。そうなれば、四季さんが目を覚ますかもしれない。

 

 何時から寝ているのかは知らないが、明月さんとミカドの言い方からして、夜通し看病してくれていたのは間違いないだろう。

 それを考えれば、やはりまだじっとしているのが良いだろうか。四季さんが自然と起きるまで、待つ事にしよう。

 

 そう決めたのは良いが、ただじっとしているのも暇である。しかし何かをしようにも四季さんを起こす訳にはいかないため無理。出来る事といえば、四季さんの寝顔を眺めるだけ。

 

(…気持ち良さそうに寝やがって)

 

 本当に気持ち良さそうに眠っている四季さんを見ていると、例の悪い癖が顔を覗かせる。何かこう、うずうずしだす。

 

 誰か、誰かペンを持ってないか。あぁいやダメだ。さすがに女の子の顔に落書きとか最低だ。…水性なら許してくれるかも─────いや、インクが落ちるか落ちないかの問題じゃないだろ。いやそこも大事なとこだけれども。

 

「…」

 

 しかし、しつこいようだが本当に気持ち良さそうに眠っている。どこか、いつもの起きている時の四季さんよりも幼く見える。時折むにゅむにゅと唇を動かす仕草が可愛らしい。

 あの大人な雰囲気の四季さんの、こんな無防備な面を見られるとは。

 

「─────」

 

 そんな四季さんの髪に手が伸びたのは無意識だった。いつもの四季さんと今の四季さんとのギャップやら、こんな風に疲れはてて眠ってしまうまで看病をしてくれた事への感謝やら、様々な感情がごちゃ混ぜになり、気付けば俺の手は四季さんの髪に触れていた。

 

「…ありがとう」

 

 我ながら気持ちの悪い事をしている自覚はある。ただ、どうにも抑えられなかった。

 四季さんの髪を撫でながら、口から出てきたのはお礼の言葉。

 

 俺を心配してくれてありがとう。眠かっただろうに、夜通しで看病を続けてくれてありがとう。

 四季さんへの感謝の気持ちを心の中で呟きながら、髪を撫でていた手を離そうとしたその時だった。

 

「ん…んん…」

 

「っ」

 

 四季さんが身動ぎし、俺は即座に手を引っ込める。そして同時に我に返る。キモい事をしていた自覚はあった筈なのだが、改めて考えるとただのセクハラである。

 いや、本当に何やってんだ俺。女の子の髪を、女の子が寝ている時に黙って触るとか。

 

 あっ、ダメだ。後になって俺がした事を整理して並べたらマジでダメージでかい。てか犯罪じゃね?俺捕まらね?

 

「…やなぎ、くん?」

 

「はい、柳君です」

 

 身動ぎしていた四季さんが頭を持ち上げ、薄く開いた目がこちらを向く。寝ぼけ眼で俺の顔を見た四季さんが、呆けた声で俺の名前を呼ぶ。

 視線が交わり数秒、次第に四季さんの目が開かれていき、やがて驚きの色をありありと瞳に浮かべていく。

 

「柳君!?」

 

「おう」

 

「大丈夫!?どこか痛いところとか…そう!目とか大丈夫!?」

 

「あー、うん。大丈夫だ。痛いところはないし、目だって痛くない」

 

 四季さんが体を乗り出して詰め寄ってくる。それに対して背中を反らしながら四季さんとの距離を保って、四季さんの質問に答える。

 

 四季さんは少しの間俺の目を見つめてから、力が抜けたように溜め息を吐く。

 

「よかった…」

 

 安堵の一言を漏らす四季さんに、俺は申し訳なさで一杯だった。つい先程まで四季さんの寝顔を眺め、あまつさえ髪に触るというセクハラを犯す始末。

 四季さんはこんなにも俺を心配してくれていたというのに、俺と来たら。

 

「…明月さんとミカドから聞いた。ずっと看病してくれてたんだってな」

 

「っ…。だって、それは…。柳君は私を守るためにそうなったんだし…。だから…」

 

「違う」

 

 浮かない表情となった四季さんに、俺はハッキリと告げる。

 

「四季さんの()()じゃない。俺が四季さんを見捨てないって決めて行動したんだ。こうなったのは俺の自業自得だよ」

 

「…でも、私があそこに迷い込まなければ、柳君が危ない目に遭う事はなかった」

 

「それこそ四季さんのせいじゃないだろ。あの狐野郎が全部悪い。四季さんは何も悪くない。ただの被害者だ」

 

「…」

 

 四季さんが浮かない表情のままこちらを向く。四季さんの目を真っ直ぐに見据えて、俺は続ける。

 

「謝罪なんて要らない。もっと違うものが欲しい」

 

「─────、……」

 

 四季さんは一瞬呆気にとられた表情になってから、すぐに微笑み、ゆっくりと口を開いた。

 

「助けてくれてありがとう、柳君」

 

「どういたしまして。俺も、看病してくれてありがとう」

 

 四季さんの口から出てきたのは、謝罪ではなくお礼。俺が欲しかったのも、謝罪ではなくお礼。

 二人で微笑み合い、お礼を言い合う。少しむず痒い空気の中で、それでも心はとても安らかに、かつ踊る。

 

 初めて知った。お礼を言われるのって、こんなにも嬉しく感じるものだったのか。

 

「…でもね、柳君」

 

「ん?…んん?」

 

 初めての感情に浸っていると、四季さんに呼ばれて振り向く。

 そして、四季さんの顔を見て俺の顔は引きつった。何故なら─────

 

「私ね、少し怒ってる」

 

「…」

 

 でしょうね。今の四季さん、笑ってるけど目が怖い。その瞳はギラギラと怒りに満ちていた。

 

「…えっと、それは、何故?」

 

 怒っているのは分かるのだが、理由に全く心当たりがない。訳でも、ない。というより心当たりしかないというのが少し悲しいところ。

 

 さあ、四季さんが怒っている理由は何でしょう。俺のバイト辞める宣言についてだろうか。それとも四季さんに好き放題言ってしまった事だろうか。

 どちらにしても覚悟は出来ている。さあ、どこからでも来い。

 

 四季さんの口が開かれる。直後に発せられるであろう台詞を、俺は待ち構える。

 

「死ぬんじゃないかって思った」

 

「…は?」

 

「柳君が死ぬんじゃないかって思った。心配した。置いていかれると思った」

 

「…?」

 

 四季さんの口から出てきた言葉は、俺の予想したどの言葉とも違っていた。

 つい、訳が分からず疑問符を浮かべてしまう。心配した、というのはまだ良い。しかし、置いていかれる、とは一体どういう意味か。

 

「君のお陰」

 

「え?」

 

 またも四季さんの口から出てくる意味が読み取れない言葉。さっきから、どうしたのだろう。聞き返すと、四季さんは泣きそうな目でこちらを睨んだ。

 

「君のお陰で、生きたいって思えるようになったのに。私にそう思わせてくれた君が死んじゃったらどうするの」

 

「─────」

 

 絶句、というべきか。またしても思わぬ言葉が四季さんの口から飛び出した。それも、俺が全く、これっぽっちも可能性として考えていなかった台詞を。

 というより、これから四季さんに言わせてやろうと目論んでいた台詞を。

 

「…なに?悪い?」

 

「いや、悪い訳ないだろ。むしろ逆」

 

 四季さんが僅かに頬を染めながら細い目で睨んでくる。明らかに照れ隠しでしかないその所作をツッコむ事も出来ず、ただただ唖然とする。

 

 生きたい。生きたいと言った。誰が?四季さんが。

 

「…どういう心境の変化だよ。何か切っ掛けでもあったのか?」

 

「切っ掛け…」

 

 戸惑いつつもそう問い掛けると、四季さんは少しの間、何か考え込むように俯いてから、やがて顔を上げて笑顔でこちらを見る。

 

「ううん。私は最初から持ってたのよ。生きたいって願いを。それにただ気付いていなかっただけ」

 

「…」

 

「でも、そうね。強いて言うなら、やっぱり柳君が強く言ってくれた事かな。お陰で泣いちゃったけど」

 

「大変申し訳ございませんでした」

 

 え、泣いたって。俺が言った言葉が四季さんを泣かせたって事?は?やばい、ちょっ、やばい。

 

 The 混乱の極み。勢い良く頭を下げながら思考を働かせる。これからどうやって四季さんに償っていくべきか。

 

「えっと…、謝る必要はないんだけど…」

 

「でも、泣かせたのは事実だろ。それなら男として謝らなくちゃならん。こんな事で償いになるか分からないけど、何かして欲しい事があるなら言ってくれ。出来る範囲でなら何でもやる」

 

 戸惑う四季さんを見据えて言い切る。

 正直、俺のおバカな頭では償いの方法なんて思い付けなかった。だから、四季さんに聞いてみる。

 切腹以外なら出来る限り応えたい。

 

「本当に?」

 

「ん?」

 

「本当にお願い、聞いてくれるの?」

 

「出来る範囲でなら」

 

 四季さんは俺の言葉を聞いて目を丸くして、逆に質問で返してきた。その問い掛けを頷いて肯定すると、四季さんは真剣な表情になり、こう口にした。

 

「それなら、柳君。このお店に戻ってきて欲しい」

 

「…」

 

 今度は俺が目を丸くする番だった。

 

『本気か?』

 

 と聞き返そうとして、止める。四季さんの目は本気だ。自分勝手な理由で店を抜けた俺を、本気で引き戻そうとしている。

 

「…皆、良い気しないんじゃないか?」

 

 今、俺の店での立場は休暇中という事になってはいるが、もう休み始めてから二週間以上になる。何か用事がある訳でもなく、体調が悪い訳でもなく、自分勝手な理由で休んだ俺を、皆は迎えてくれるだろうか。

 

「ううん、むしろ皆、柳君の…というより、私と柳君の事を心配してる」

 

「?何でそこで四季さんが出てくる?」

 

「…私と柳君の間に何かがあったって、感付かれちゃって」

 

「…」

 

 うん、聞かなかった事にしよう。俺は固くそう決めた。

 

「…ちなみに、俺と四季さんの会話は─────」

 

「そ、それは言ってない!というより、多分私に聞けなかったんだと思う。私、仕事中も切り替えられてなかったから…」

 

「本当に、誠に申し訳ありませんでした」

 

「あー、だから謝らなくて良いんだってば」

 

 再びの謝罪。四季さんがすぐに俺のフォローをする。あぁ、本当にあの時に戻りたい。それでやり直すか、或いはあの時の俺をぶん殴ってやりたい。

 

 もう完全なる黒歴史化である。マジで四季さんに関係する黒歴史多くない?

 

「とにかく、心配しなくても大丈夫。皆、柳君が戻ってくるのを待ってるから」

 

 四季さんは語気を強めて、かといって怒っている訳に非ず。俺にその言葉を届けてくれた。

 

 皆が待っている、と。

 

「…ホント、人が好すぎる。俺には眩しい」

 

 それでも、離れたいとは思わない。むしろ逆。あの場所に戻りたい。それが、偽らざる俺の本音。

 

「諦めるな」

 

「…うん、諦めるつもりはないよ」

 

 四季さんが微笑みながら言い、俺が同じ言葉を返す。それが、四季さんに対する答えだった。

 

「四季さん、長い間休んでゴメン」

 

「うん」

 

「明日から復帰する」

 

「…あの、私から言っておいてあれなんだけど、明日からって大丈夫?もう少し休んでからの方が良いんじゃない?」

 

「心配してくれるのは嬉しいけど、色々台無しだ」

 

 俺の体調面を気遣ってくれているのは分かるけれど、今の話の流れでその台詞は色々と台無しだ。完全に流れをぶった切られた。

 

「本当に大丈夫だって。まあでも、やっぱり体調悪いって感じたら連絡する」

 

「…分かった。それで納得する」

 

 どこか腑に落ちなさそうな顔で、俺の言葉に頷く四季さん。

 

 すると、四季さんがベッドに腰掛ける。そして俺の方を見ると、柔らかく微笑んで、こう口にした。

 

「ありがとう、柳君」

 

「…さっきも聞いたぞ」

 

「そっちのお礼じゃなくて」

 

 四季さんは俺の顔に手を伸ばした。殴られるとか、そんな筈はないのだがつい反射的に目を閉じてしまう。

 直後、まずは右の目蓋が何かに触られる。その何かとは考えるまでもない。四季さんの指だ。

 

 次に四季さんの指は俺の左の目蓋に触れてから離れていくのが分かった。

 おずおずと目蓋を開け、四季さんの顔を見る。

 

「四季さん…?」

 

「ありがとう。私を助けてくれて」

 

「だから、さっき聞いたって…」

 

「その目で私を見つけてくれて、ありがとう」

 

「─────」

 

 またもお礼を言われ、四季さんを止めようとする。もうお礼は受け取った。その筈だった。

 

 俺は、次の四季さんが言った言葉を聞いて、動きを止める。

 

「私に諦めるなって言ってくれて、ありがとう」

 

「私に生きたいって思わせてくれて、ありがとう」

 

「私と出会ってくれて、ありがとう」

 

 言葉が出ない。何か言葉を返さなくてはいけないのに、胸に渦巻く感情の奔流が邪魔をして声に出てくれない。

 

 俺は、救えたのだろうか。この、他人を救う力なんて無かった筈のこの目で。

 四季さんは、救われたのだろうか。この、何かを見る事しか出来ない筈のこの目に。

 

 俺の目は、誰かを救う力を持っていたのか。

 ずっと思い込んできた、俺の中の真実が、あっという間に崩れ去っていく。

 

 俺の目がおかしいと自覚してからずっと、何度この目をいらないと思っただろう。何度普通の目が欲しいと願った事だろう。

 何度、バアちゃんを救えなかったこの目を呪った事だろう。

 

 でも今、目の前に、この目に救われた人がいる。

 

「柳君」

 

「…しき、さん」

 

「これからも、よろしくね?」

 

 四季さんが笑いながら言う。それは、これから先の未来の話。以前までの四季さんが諦めていた筈の未来。

 

 しかし今、四季さんは未来を語る。そしてその未来の中に、俺はいる。その未来にいて欲しいと、手を差し伸べられる。

 

「…もう一度」

 

「え?」

 

「もう一度、満足なんて言ってみろ。引っ叩いてでも目を覚まさせてやる」

 

「…うん。もしそんな時が来たら、お願い」

 

 強い言い方になってしまったが、その言葉は差し伸べられた手をとる言葉。

 その事を悟った四季さんが笑い、俺もつられて笑みを溢す。

 

「…んじゃあ、ちょっと明月さん達に挨拶してくる。明日から復帰するって」

 

「え?…立てる?」

 

「そんな爺じゃねぇんだから。ほら」

 

 四季さんの心配を他所に、ベッドから降りた両足はしっかりと俺の体重を支える。その場で軽くジャンプしたり、腕を回したりと体の調子を確かめてから、足を部屋の扉の方に向ける。

 

 扉を開けて四季さんと一緒に部屋を出ると、俺より後に部屋を出た四季さんが俺の隣まで来た。

 一度四季さんを見下ろして、逆にこちらを見上げていた四季さんと目が合って。でも、言葉はなかった。互いに視線を外し、前を見てフロアへと向かう。

 

 今は皆仕事中のため、休憩室からではなく表の入り口から。今日は従業員ではなく、客として。

 

 裏口から外に出て、まだ人が並んでいない表へ。

 

「すぅ────はぁ────」

 

 気まずさはある。でも、またこの店に戻るには避けては通れない。大きく深呼吸をして覚悟を固めようとする。

 

「ほら、柳君」

 

「す…え、ちょっ、四季さんっ?」

 

 店に入りたがろうとしない心の一部を落ち着かせる前に、四季さんに手を掴まれる。

 そのまま四季さんに引かれ、店の前へ。俺の手を掴んだまま四季さんは扉を開ける。扉の奥からはいらっしゃいませ、という声と、四季さんを呼ぶ聞き馴染んだ高い声が。

 

 一度四季さんはそこで足を止め、振り返って俺に微笑みかける。それは俺を勇気づけるためか、或いは別の目的があったか。

 分からないが、何にしても俺はこの後、四季さんに手を引かれて店の中へと連れていかれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




とりあえず、これにてこの作品における第一部が完という事で。
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