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分からない。さっぱり分からない。目の前の信じられない光景が。猫が二足で立っているのは良い。頭に王冠、背中にマントを着けているのもまだ良い。しかし、しかしだ。どうしても、看過できない事が一つだけある。
「どうした。我輩をじっと見て」
「…」
喋ってる、よな?口の動きも明らかに言葉に合わせて動かされてた。それによく注視すれば体が呼吸に合わせて上下している。腹話術で使う人形というのはあり得ない。
つまり──────
「喋ってる」
「む、当たり前だろう」
「猫が」
「うむ」
「喋ってる」
「だから、そうだと言っているだろう」
この珍妙な猫が、本当に喋っているのだ。信じられない事に。
「…キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!」
「喧しい!」
「…」
叱られた。それも猫に。
「…いや待て待て待て。訳が分からん、猫が喋るって何だ。は?実は超凄いリアリティー満載の腹話術だったり?」
「いや、正真正銘、この猫が喋ってる」
「…」
きっとこの時、俺はすがるような目をしていた事だろう。しかしすがった相手、高嶺はバッサリと俺を崖から突き落とした。
「はぁ…。貴様、常識では測れぬ世界を視認しながら、我輩が喋る事は受け入れられんのか」
「いや、それのこれとは話が別…?」
待て、この猫は今、何と言った?
「何故我輩が知っている、と言いたげだな」
「…いや、少し考えれば分かる。高嶺があんたに報せたんだろう?」
「…その態度は気に入らんが、その通りだ。我輩と、そこにいる栞那に少しの間、貴様の時間を貰うぞ」
喋る猫の衝撃が大きすぎて今まで気付かなかった。店内には高嶺、四季さん、喋る猫の他にもう一人、人がいた。
「明月栞那です。突然お呼び立てして、申し訳ありませんでした」
「あぁ、いえ。…柳千尋です」
自己紹介をする女性、明月さんに自己紹介を返す。
「む、そういえば我輩の紹介をしていなかったな。ミカドだ。それと、我輩は由緒ある公爵家の当主だ。あまり無礼な態度をとるなよ」
「…公爵?猫が?」
猫が喋ったりその猫が公爵と名乗ったり、本当に意味が分からん。
「ケット・シーって知ってる?」
「?アイルランドの伝説にある妖精」
「閣下はそれなの」
「…これが?」
「これが」
「貴様ら、それとかこれとか無礼が過ぎるぞ。というかこの台詞、デジャブが…」
ケット・シーって。こいつが、ケット・シーって。
「それと、私は死神だったりするんです」
「…明月さんて重度の厨二病だったりする?」
「違います!」
何か次々に休む間もなくカミングアウトされまくってる。ケット・シーに死神?いや、さっきミカドが言ったようにオカルト世界にどっぷり浸かってる俺が困惑するのは可笑しいかもしれないけど、それでも受け入れ難いものは受け入れ難いのだ。
「死神はまあ…。しかし、ケット・シー…、喋る猫ねぇ…」
「おい。我輩に言いたい事があるならハッキリ言って貰おうか」
「いや別に」
言ったら面倒臭い事になるだろうし。ケット・シーってきっと何か不思議な力、魔法とか使えそうだし。気分を害して魔法ぶっ放されたら堪ったもんじゃない。
俺は見えるだけで使えないのだ。
「それで?高嶺に話したい事があるって連れてこられたけど、何?まあ、大体予想はつくけど」
「そうですねぇ…。とりあえず、席に着きましょうか。あ、何かお飲み物を用意しますか?」
「…それなら、紅茶ある?」
「あぁ、それなら私が淹れるね」
ここはオープン前とはいえ喫茶店。それならと、紅茶を頼んでみる。
すると、動き出したのは質問した明月さんではなく四季さんだった。
「茶葉はどうする?」
「アールグレイ。それとミルクも欲しい」
四季さんの問い掛けに迷わず即答する。四季さんは着ていた上着を脱いで近くの椅子の背凭れに掛け、カウンターの奥へと向かう。
棚から茶葉が入ってると思われる瓶を手に取り作業を開始。
「…手慣れてるね」
「まあ、よく淹れてるし。それにこの店をオープンさせるために、練習もしてるから」
四季さんの手元を眺めながら軽く会話。
「柳はよく紅茶を飲むのか?」
「日に七回…とまではいかないけど、朝昼晩、毎日三回は飲んでる」
「根っからの紅茶党ですね…」
「まあ、コーヒーもよく飲むから、本当の紅茶党からは裏切り者扱いされそうだけどな」
軽く苦笑い。確かに紅茶は大好きだが、コーヒーも好きだ。両刀だと明月さんが言う根っからの紅茶党の人に知られればどうなるか、想像に難くない。
「やっぱり、自分で淹れてるのか?」
「外にいる時以外はな」
「ペットボトルの紅茶は飲まないんですか?」
「は?あんなもん飲むか」
「本気です…。声が本気です…」
よくもまあ、あれを飲めるものだと思う。大体冷たい紅茶とか、その時点であり得ない、紅茶じゃない。あとずっと不思議に思ってるのだが、ロイヤルミルクティーって何だ。あれを見る度に好奇心と猜疑心が大激戦を起こして大変なんだが。
「お待たせしました。アールグレイです。皆の分も淹れたから、どうぞ」
話している内に紅茶を淹れ終えた四季さんが丸盆にカップとソーサーを四つ載せて持ってくる。四人掛けの席に座った俺達の前にカップを置いていく。
「…なに?」
「いや、堂に入ってるなと思って。ウェイトレスっぽい」
「こっちの方も練習してるから。あと、ぽいじゃなくてそのつもりでいるんだけど」
その美貌も相まって、四季さんの仕草につい見惚れてしまう。じっと見つめてしまったせいで気付かれてしまうも、何とか見惚れていた事だけは誤魔化す事に成功する。
「…」
が、どうやら正面の明月さんだけは誤魔化せなかったようで。にまにまとしたやらしい笑みを浮かべてこちらを見ている。
「何か?」
「いえー?べっつにー?にひひ」
「…さすが死神。長生きしてるだけあって、観察眼に優れてますな」
「だ、誰がBBAですか!」
いや、そこまで言ってないんだが。
憤慨する明月さんをスルーし、ソーサーの上にあるミルクの蓋を開けて紅茶の中に投入。スプーンで軽く混ぜてから、カップとソーサーを持ち上げる。
まずは香りの確認。柑橘系の心地よい香りが全身に行き渡る。
ハッキリ言おう。この時点で学食で出されてる紅茶よりも美味だと確信した。結構良い茶葉を使っている。この茶葉を選んだのは四季さんなんだろうか?良い趣味をしている。
そしていよいよ、今度は味だ。ソーサーからカップを離し、縁に優しく口を付け、カップを僅かに傾ける。
「…なに?」
口に含んだ紅茶を味わってから喉に通し、一度カップをソーサーに載せてテーブルに戻す。
直後、隣の高嶺、正面の明月さん、そしていつの間にか同じテーブルの席に座っていた四季さんに、ミカドまでもがこちらをじっ、と見つめている事に気が付いた。
「あ、いや…。何か、仕草が堂に入ってると思って…」
「何だそれ、さっきの仕返しか?」
「そ、そうじゃないけど…」
さっきの態度を気にしたか、やや慌て気味に四季さんが答える。その答え方が先程のやり取りを思い出させ、つい笑みを溢してしまう。
「しかし、今の動作は四季ナツメの言う通り、中々堂に入ったものだったぞ」
「まあ、親の影響だな。俺が生まれる前はイギリスに住んでたらしい」
というより、今もイギリスに住んでいる。何だったら、今はカフェを営んでたりする。本場の国でカフェを営むのが夢だったーとか言って、俺が大学入った途端これ幸いとイギリスに行ってしまった。
あの常時新婚気分共が。
「それでその…、柳君。紅茶は…えっと…」
「…あぁ」
何かを言い淀む四季さんから出た単語と、視線の先にあるカップを見て何を聞きたいか察する。
「美味しいよ。最近外で飲んだ中では一番」
「ほ、本当?」
「ただ、ちょっと抽出時間を短くした方が良い。苦味が出てる」
「…いつもと同じ時間の筈なんだけど」
紅茶の感想を言った上で、自身が感じた改善点を四季さんに伝える。四季さんは不思議そうに呟いているが、別にこちらのアドバイスを疑っている様子はない。
「茶葉の種類が違えば、ベストな抽出時間も違う。四季さんは家でもこの茶葉を使ってるのか?」
「ううん。それはさすがに」
だろうな。一人暮らしの大学生が毎日この茶葉で紅茶を飲んでたら破産する。
「ならいつもと同じ淹れ方じゃダメだ。茶葉によってベストな淹れ方は違うんだから」
「…すげぇ。専門家みたい」
「本場仕込みというやつでしょうか」
こそこそと囁き合ってるそこのお二人さん。位置的に顔を近付けると思い切り俺と四季さんの間に割り込む形になるからバレバレだぞ。
「おほん」
その時、ミカドが咳払いをする。その声を聞いて我に返り、思い出す。ここに何をしに来たのかを。
「そろそろいいか?」
「あぁ」
「それなら、まずは単刀直入に聞こう。…蝶を視認し、神の下に送る事が出来るというのは本当か?」
空気が変わる。和やかだった空気が固く、緊張したものへ。
さて、まずはミカドの問い掛けに答えなければ。蝶、というのはまずあの青い蝶、人間の魂に間違いはない。しかし、それを神の下に送る、とはどういう事だろうか。そんな事をした覚えはないのだが。
「蝶は見える。けど、神の下に送るって何だ?そんな事はしてないぞ」
正直に返答する。それに対し、ミカドは表情を変えず淡々としていた。
「しかし、高嶺昂晴は貴様が蝶を天に送る場面を見たと言っている」
「…蝶を成仏させた所か?」
「成仏…、まあ、間違ってはいないが」
何故か複雑そうな顔をしているミカド。何か変な事を口走ったか?
「とにかく、天に上った蝶の向かう先が神の所だ」
「…神って、いんの?」
「戯け。いらっしゃるに決まっているだろう。神の下に辿り着いた蝶は神によって次の人生に転生する」
「…輪廻転生って、あんの?」
「貴様…。その能力を持ってる癖に信仰心が無さすぎないか?」
だって、実際に会った事ないし、経験した事ないし。そんな見た事のないものを信じろなんて言われましても。
「まあいい。とにかく重要なのは、貴様が蝶を見れ、そして送る事が出来る力を持っている事だ」
「何か問題が?」
「大有りだ。それ程の力、悪用されれば世界のバランスを大きく崩す事に繋がる。下手をすれば、神によって排斥されかねん」
「え、マジで?神ってそんな物騒なの?」
神ってそんな世界に直接介入したりするものなの?
「因みに、そこの高嶺昂晴はとある理由で神に警戒されている。神による排斥候補筆頭だ」
「おー」
「やめて、そんな目で見ないで。排斥だよ?死ぬんだよ?そんな凄ぇじゃんって言いたげな目で見ないで」
「…それってさ、こいつの魂の光が弱くなった事と関係あんの?」
ふと、会話の中で気になった事をミカドに問い掛ける。すると、ミカドと明月さんの目が大きく見開かれる。
「…柳千尋。貴様、人の魂が見えるのか…?」
「この眼鏡を外せばな。てか、眼鏡を外さないと蝶も見えない」
「眼鏡…。その眼鏡、見せて貰っても構わないか?」
「良いぞ。でも、レンズに触るなよ」
ミカドが俺達のテーブルに乗り、こちらに歩み寄ってくる。俺の前に立ったミカドに眼鏡を手渡すと、ミカドは振り返り、正面の明月さんと一緒に眼鏡の観察を始める。
「…魔力が込められていますね」
「あぁ。柳千尋の目の力を抑えるための…、しかし、誰がこんなものを…」
何やら話し合っている。もしかして、誰がこの眼鏡をくれたかとか言うべきなのだろうか?いやしかし、あの人の事は言わない約束だし…。
『ネェ、ワタシガミエテイナイノ?ホントウハミエテルンデショウ?』
…実はあの眼鏡、視界だけじゃなく音も遮断してくれてたりしている。ていうか、高嶺にまだ付き纏ってたのね。
「…なに?」
「いや。…お前、大変だな」
「何が?」
声を掛けると、当たり前だが高嶺は困惑。しかし、言わない方が本人のためだろう。
そう、思っていたのだが。
「おい、柳千尋」
「ん?」
「貴様、高嶺昂晴に憑いている女は見えているか?」
「勿論。…あ」
ミカドの問い掛けに即答した直後、自分が何を言ったのかを自覚する。当然、俺の声は
『…ミエテルノ?』
「…」
『ミエテルノ?ネェ、ミエテルッテイッタワヨネイマ。アナタ、アナタガ…』
あー、やっちまった。どうしよう。何度も言うが、俺には見る能力はあっても対抗する能力はない。悪意のない霊や蝶ならば何とかしようがあるが、有無を言わさず他人を害する事しか能のないこの女みたいな悪霊は別。
『アナタガアアアアア、アアアアア、アアアアアアアアア!!!』
マジでやばい。とり憑かれる。おわた。
何も抵抗できずそのまま俺は、女の悪霊にとり憑かれていた。この場にいるのが、俺だけだったなら。
『ナ、ナニ?』
戸惑う女の声。俺の目の前では何故かその場で動きを止めている女の姿。
「柳千尋。何故抵抗しようとせん」
「いや、そんな力ないし」
「…視る事しか出来ないということか。栞那」
「はい」
『ナ、ナn───』
呆れたようにため息を吐くミカドが呼んだ直後、明月さんがいつの間にやら持っていた鎌を一閃。鎌に薙がれた悪霊は、次の瞬間にはその姿を消していた。
「…死神っぽい」
「ぽいじゃなく、死神ですよ?」
「それに、さっき女が動きを止めたのって…」
「我輩が簡易的だが結界を張った」
「…」
あまりに突然の出来事で把握しきれていないが、どうやらこの二人に助けられたらしい。
「…ありがとう。二人とも」
「礼には及ばん。どの道、あの醜悪な霊は祓っていた」
「…え、なに?霊ってもしかして、柳が言ってた女の霊?」
「…本当にいたの?」
「貴様ら、信じてなかったのか」
どうやら四季さんと高嶺には俺の話は信じて貰えていなかったらしい。いや、あんな荒唐無稽な話は信じる方が難しいかもしれないが。
それにしても、悲しい。あれ、目から汗が。
「あ、あ、す、すまん!蝶の話は実際に目の当たりにしたからすぐに信じられたんだけど…」
「いきなり悪霊、とか言われてもね…」
「…」
慌ててフォローする二人。ショックを受けている俺。
いつの間にか、本題に入る際の緊張した空気は和らいでいた。
「柳千尋。眼鏡を返す」
俺の精神状態なんて知ったことかと、空気を読まずミカドが俺に眼鏡を差し出す。
突っ込む気力もなく、俺は素直に眼鏡を受け取り耳にかけ直す。
「それで、柳千尋。その眼鏡についてだが…」
「ある人から貰った。でも悪いな。その人については誰にも話さないと約束している」
「…どうしても、か?」
「あぁ。それに、もう十五年も前の事だ。顔も声も覚えてないよ」
たとえ約束がなく、教えようと思ったとしても不可能だ。唯一覚えてるのは女の人だったという事だけ。それだけの情報で特定など出来る筈もない。
「悪いな」
「いや、謝る必要はない。どうやら、その約束がなくともろくな情報は手に入りそうになさそうだしな」
喧しい。悪かったな、覚えてなくて。
何かこいつ、こうして話してると人間とは別の存在なんだな、と実感させられる。空気の読めなさとか、言葉の容赦のなさとか。思い遣りが皆無。
「あの、閣下。そろそろ」
「…そうだな。柳千尋。これから話す事が、貴様をここに呼んだ真の理由だ」
「…俺の目の事じゃないのか?」
「それもある。が、貴様に一つ、頼みたい事がある」
頼み事。猫が、俺に。何か不思議な感覚だ。
そんな感覚の中、ミカドは続ける。
「柳千尋。この店で、我々と共に働いてくれないだろうか」
この小説での栞那の鎌は悪霊も払えます。そういう設定です。