喫茶ステラと死神の蝶と見える人   作:もう何も辛くない

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今回も短いです


第三十一話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、大学の講義はなく、朝からずっと店で働いていた。高嶺は俺と違って大学に行っており、今厨房には俺と涼音さんの二人だけ。

 更に涼音さんは先日、ユイナちゃんから注文を受けたケーキを作る練習に集中しているため、今はほぼ俺一人で客の注文を捌いている状態だった。

 

 勿論俺では対処できない注文が来た時や、俺一人では捌ききれない数の注文が来た時は涼音さんがヘルプしてくれるが、基本は予約のケーキのための練習に時間を費やしている。

 そうなれば自動的に俺の負担は増える。結果、俺は土日の混雑時並の労働量を強いられていた。

 

 文句は言えない。涼音さんはサボっている訳ではないからだ。むしろ、ユイナちゃんを連れてきたのは俺の方で、こうなったのは自業自得といえる。

 だから文句を言えないどころか言う気もない。ひたすらに厨房内を動き回り、注文を捌く機械となる。そこに意思はない、感情もない。そんなものは必要ない。俺は今、人間をやめるのだ。

 

「あの、涼音さん…。柳君の目から光が消えてるんですが…」

 

「あー、大丈夫。あれくらいならまだ症状は初期だから」

 

「あれで初期なんですか!?ていうかまだ中期と末期があるんですか!?」

 

「ア、シキサン。コレ、オムライスデキタカラモッテッテ」

 

「う、うん…」

 

 不意に視界に四季さんが映ったため、ちょうど完成したオムライスを四季さんに差し出す。四季さんはそのオムライスを受け取って、フロアへと戻っていったのだが、その際にやけに引きつった表情をしていたのは何故だろうか?

 

 …まさか、俺の仕事が遅いと感じているのではなかろうか。いつもなら涼音さんと一緒にやってるし、こうして一人で注文を捌くのは初めてだ。フロアスタッフ側から遅れを感じられてもおかしくはない。

 ダメだ、俺はまだまだ甘かった。もっとだ、もっと。今、考えているこの思考も全てカットしろ。これは全部不要なものだ。全ての思考を、意識を、注文を捌く両手両足に注ぎ込むのだ─────

 

「…あー、こんなに早く中期の症状が出てくるなんて思わなかった。こいつは有能なのか阿呆なのか…。どうしよ、作業スピードが上がってるのは間違いないからなぁ…。もう少し様子を見るべきか…」

 

 何か涼音さんが呟いている─────カット、いらない。もし必要な事だとしたら、もっとハッキリ俺に口を出している筈。独り言に意識を割いてる暇はない。

 

「─────」

 

 動きと思考が洗練され、最適化されていく感覚。俺は今、この瞬間のために産まれてきたのだとすら思わせられるような感覚の中で、俺はふとそれを見て手が止まった。

 

「あ、戻ってきた」

 

 我に返るというのはまさにこの事。失っていた意思と感情が戻っていく。俺自身には分からない事だが、この時の俺の目は徐々に光が戻っていったように見えたというのは後の涼音さんの話だった。

 

 話を戻すが、手を止めた俺はゆっくりと視線を左へと動かす。その視線の先にあるのは、青く光る鱗粉を落としながら羽ばたく蝶。

 本来、現世に存在する事が好ましくない蝶に救われたのは少し複雑だが、何にしても付近に気を落としてしまっている人がいるのは確実だ。

 

 とはいえ、フロアには蝶が見える四季さんに明月さん、ミカドだっている。俺がここからでしゃばらなくとも何とかしてくれるだろう。

 

「例のお客さん、今日も来ましたよ。ザッハトルテとグアテマラの注文です」

 

 明月さんがそう言いながら四季さんと一緒に厨房へ来たのはその時だった。

 

 例のお客さんというのは、俺が働いている時間帯には来た事がなかったのだが、ケーキを頼んだにも関わらず一口もそれを食べず帰ってしまう客がいると聞いていた。それが明月さんが言う例のお客さんの事なんだろう。

 

 一旦作業を中断、四人で厨房からフロアを覗き、丁度さっき来たと思われる、上着を脱いでいる途中のスーツ姿で眼鏡をかけた男性を眺める。

 

 しかし、何故だろうか。間違いなく初めて見る筈なのに、僅かな既視感を覚える。

 

「あの人がケーキを残すお客さんか…」

 

 四季さんが呟く。じっと男性客を見つめてから、ふと続けた。

 

「どこかで…見た事がある様な…」

 

 それは、俺が抱いた感想と同じ事だった。俺だけじゃなく他の二人の視線も四季さんに向けられ、その中で涼音さんが口を開いた。

 

「なに、知り合い?」

 

「いえ…。知り合いではないんですけど…、どこで会ったのかな…」

 

 既視感は間違いなくあるが、どこで会ったのかを思い出せない。そこも俺と一緒だった。

 

 俺は視線を四季さんから男性客の方へ向ける。さて、どこで会ったのだろうか。少なくとも最近ではない。ずっと前、それこそ子供の頃だったと思うのだが─────

 

「もしかして、柳さんもあのお客さんを見た事があるんですか?」

 

 過去に思考を埋めていると、不意に明月さんがそう問い掛けてきた。俺は思考を切って明月さんの方へ振り向き、その問い掛けに答える。

 

「多分…?」

 

「ハッキリしないわね」

 

「ホントに微かに、どっかで見た事がある気がする、くらいですから」

 

 それこそ、その気になれば気のせいとして片付けられる程に微かな違和感だ。というより、多分俺一人だったら普通にそうやって流してたと思う。

 俺がこうして思い出そうとしているのは、この店に関する事柄だというのと、もう一人既視感を覚えている人物がいるからだ。

 

「…やべっ、こんな事してる場合じゃねぇ。俺は戻ります」

 

「あ、ごめんなさい。忙しいのに邪魔しちゃって」

 

「いや、俺も気になってたから来た訳だし、謝る必要はない」

 

 明月さんと会話を交わしてから、すぐに厨房へと戻る。作業を再開し、再び厨房内を動き回る時間が戻ってくる。

 とはいえ、さっきまでよりも忙しさはなくなり、作業の中であの人はどうしただろう、という余所事を考えられる程度には余裕がある。

 

 そして、涼音さんがミカドを含めた全員を伴って戻ってきたのは、今手元にある注文分を全て捌き終わった時だった。

 

 聞こえてくる話を整理すると、ミカドが思い詰めている様子の男性客と話をしてその悩みについて少しだけ聞き出したという。

 

 その人は仕事で重大なミスを犯してしまったらしく、それを未だ吹っ切る事が出来ず、元々好きだった甘いものも食べられなくなってしまった、というのが、注文したケーキを食べずに帰ってしまう理由らしい。

 ミカド曰く、その人も食べようとは思っていて、残して帰る事も失礼だと感じてはいるらしい。だがそれ以上に、仕事にミスによって生じた心の傷が深いという事なのだろう。

 

「話から、失敗が許されない仕事をしている様だが…」

 

 失敗が許されない仕事なんてそこら中に溢れている。たとえばこのお店の仕事だって、失敗が許されない部類に入る。俺達キッチンスタッフは特に。

 

「あ、思い出した」

 

 その男性客について皆が考え込む中、声を上げたのは四季さんだ。視線が四季さんに注がれ、その中で四季さんは続ける。

 

「病院だ。駅向こうの美和総合病院であの人を見たんだ」

 

「…美和総合病院」

 

 この店の位置からは駅を挟んで向かい側にある大きな病院。そこが美和総合病院だ。そこに診察に行った事はないが、とある理由で建物自体には入った事がある。子供の時に。

 

 思い出した訳ではないが、予想は出来る。恐らく俺は、その病院に行った時に、あの人と会ったのだろう。どのタイミングで会ったのかは全く覚えていないが。

 

「ナツメさん、どこか悪いの?」

 

「いえ。昔の事ですから、今は大丈夫です」

 

 そして四季さんがあの人と会ったのは、これも予想だがまだ体が弱かった頃、入院したのがその美和総合病院だったのだろう。その時に会ったに違いない。

 

「柳さんも、その病院であのお客さんを見たんですか?」

 

 明月さんが俺の方に歩み寄ってきて聞いてくる。その質問に対して頷いてから口を開く。

 

「多分。正直、まだ思い出せてないけど」

 

「…柳さんも、その病院に入院した事があるんですか?」

 

「いや、俺じゃない。あの病院に入院してたのは俺の祖母だよ」

 

「おばあ様ですか?」

 

 そう。あそこの病院で診てもらっていたのは俺じゃない。俺のばあちゃんだ。俺がその病院に行ったのも、お見舞いのためだった。

 

「じゃあ、おばあ様のお見舞いの時にあのお客さんと?」

 

「と思われる」

 

「いや、思われるってあんた…」

 

「思い出せないんだから仕方ないじゃないですか」

 

 俺の曖昧な言い方に呆れる涼音さん。とはいえ、実際に俺が入院してた訳でもなし、思い出せないのも仕方がない。自分で言うのもあれだが。

 

「とにかく、あの人の悩みについて考えましょう」

 

「いや、考えようがないだろ。悩みについて詳細に語ってくれた訳じゃない。それに、これ以上踏み込むのも難しい」

 

 少し冷たい言い方だったかもしれないが、その悩みの詳細を知らない以上相談に乗る事はできない。第一、相談された訳でもない。それに、答えを期待して悩みを打ち明けた訳でもないだろう。

 直接その場面を見てはいないが、多分そうだろうと想像は出来る。

 

「…でも」

 

「別にあの人を見捨てろって言ってる訳じゃない。ただ、今の段階で急いだってどうしようもないって言いたいだけだ。またあの人は店に来るだろうし、少しずつ心を開いて貰えば良い」

 

 何度かこの店に来ている以上、あの人にとって行きつけ、或いは行きつけになりかけているのは分かる。きっと、近い内にまたこの店に来るだろう。コーヒーか紅茶を、ケーキと一緒に頼んで。

 

 以前の涼音さんの時の様に切羽詰まった状況ではない。それなら少しずつで、ゆっくりで良いだろう。まだ時間はある。

 

「それに、今は目下優先すべき事があるしな」

 

 急を要さないのなら、今は他に優先しなければならない事が俺達にはある。

 

 そう、小さなお客さんのお願いを、俺達は叶えなければならない。

 

「それは、主に頑張るのは柳君と涼音さんでしょう?」

 

「違うぞ。主に頑張るのは涼音さんだけだ」

 

「おーい。あんたが頑張ってくれないと私ゃ練習の時間がとれんのだが?」

 

 四季さんの問い掛けを涼音さんに指差しながら否定すると、指を差された涼音さんが苦笑いしながらツッコんでくる。

 

「だが、千尋の言う通りだ。まずは、あの子供から要望を受けたケーキについてだ」

 

「…そうね」

 

 ミカドが俺に加勢して言うと、ようやく四季さんが笑顔を浮かべて頷いた。

 繰り返すが、あの客を見捨てる訳ではない。勿論、予約の日までにまたあの客が来たら、その時はどうするべきか考えよう。ただ、もっとも優先すべき事は、ユイナちゃんのケーキだ。

 

「うし。それじゃ、私は練習を続けるから。もうすぐ昂晴が来るだろうし、あと少し一人で頑張れ」

 

「へい」

 

 この話はここでおしまい。四季さん達はフロアへ戻り、俺と涼音さんは厨房で変わらずそれぞれのやるべき事を熟す。

 

「柳さん、オムライスをお願いします」

 

「はいよ、オムライス了解」

 

 すぐに冷蔵庫から必要な食材と調味料を取り出し、棚に置かれたフライパンを取って油を敷く。

 フライパンが熱するまでの間に、卵の準備を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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