十二月。いよいよ今年が残り一月となり、寒さが一層厳しくなる時期。空は晴れ渡り、暖かな日差しが降り注ぐが、それ以上に身を包むのは肌を刺すような寒気。
まだ真冬程の寒さではないが、そろそろ冬物の衣服を用意しておかなければならないだろう。気付いた時には遅かった、では笑えない。
「どうしたの?」
「ん?いや、もう十二月だなと思って」
朝、店の仕込みを途中まで手伝ってから、講義の時間が迫り途中で抜けさせて貰い大学へ向かっている。その隣には、俺と同じ時間から講義を受ける四季さんが歩いている。
こうして店から一緒に大学に行くのは三度目だ。もうすっかり…とまではいかないが、周囲からの視線にも慣れてきて、あまり気にならなくなった。
だからといって、視線の数が減ったり噂が途切れたりしている訳ではない。初めて四季さんと大学に行ったあの日から、昭久や友人達から誰々から四季さんに彼氏が出来たのか、やら、あの四季さんと一緒にいた男は誰だ、やら聞かれたという話はほぼ毎日聞いている。
本当、どんだけ人気なんだ四季さん。四季さんは芸能人でも何でもない普通の女の子だぞ。まあ大学での四季さんしか見ていない人にとっては、他の人とは違う、特別な人に見えるのかもしれないが。現に俺も、実際に出会う前は“孤高の撃墜王四季ナツメ”として少し特別な目で見ていた。
しかし今は違う。普段は大人っぽいくせに、ふとした時に子供っぽさを見せる、そんな四季ナツメを知っている。
「そうね。…十二月、か」
四季さんは、俺が出した十二月という単語を反芻し、何か考え込む所作を見せる。
「どうした?」
「そろそろクリスマスだな、と思って」
「?」
四季さんにどうしたのかと問い掛けると、そんな答えが返ってきた。確かに十二月の下旬にはクリスマスがあるが、それがどうかしたのだろうか。
「やっぱり、クリスマス向けの特別メニューとか出した方が良いのかな…」
「あー」
続いて四季さんが口にした台詞に、あの考え込む所作に合点がいった。
確かに甘いものを売りにしている喫茶店として、クリスマスに何も特別な事をしないというのはどうかとも思う。
「そこら辺どう考えてるか、涼音さんに聞いてみたらどうだ?」
「んー…。それは勿論そのつもりだけど…」
どうもハッキリしないまま、四季さんは未だ何かを考え続けている。
ここは邪魔しない方が良いかもしれない。次の四季さんの言葉を黙って待つ。
「…今日の昼休み、時間ある?」
「昼休み?別に予定はないけど」
ずっと何かを考え込んでいた四季さんが、不意に何か決意をしたかのような引き締まった顔を向け、そんな事を聞いてきた。
誰か友人と現時点で約束している訳もなく、講義関係で何かある訳でもなく、急遽予定が入らない限りは昼休みは空いている。
何も予定はないと答えると、四季さんは引き締まった表情の中に僅かに緊張を奔らせて、どこか怖がるような様子を見せながら口を開いた。
「それなら…。昼休み、時間をくれない?クリスマスのメニューについて話したいんだけど…」
見た目、平然としている風に思えるが、微妙にその声が震えていたように聞こえたのは気のせいだろうか。
何にしても、四季さんの質問について一つ聞き返したい事があった。
「クリスマスの話って、今すぐ、涼音さん抜きでか」
そう問い掛けると、四季さんは声には出さずに頷いた。
涼音さん抜きとなると、話し合うにしてもその内容は限られてくる。少なくとも、詳細なメニューに関しては俺達だけで決める事は出来ない。そういったメニューは専門的な知識があるパティシエ、涼音さんを交えて話し合わなければいけない内容だ。
そうなると話せるとしたら、クリスマスで行うキャンペーンをどういうものにするか、くらいか。既存のメニューを利用するか、それともクリスマス限定で新しいメニューを考案するのか。
まあ昼休みの時間なんてたかが知れてるし、そのどちらかを決めるだけでも時間が足りないくらいかもしれない。
「場所は?食堂で話すのか?」
「え…う、うん。そのつもりだけど…いいの?」
「何も予定はないって言っただろ?断る理由がない」
何で話し合いに誘った四季さんが、俺が了承した事に戸惑っているのか。よく分からないが、とりあえず四季さんに了承の返事はしたし、ポケットからスマホを手にとって電源を入れる。
「それじゃあ、高嶺の方は俺が呼んどくから」
「…へ?」
ライムを起動しながらそう言うと、四季さんは目を丸くして呆けた声を漏らした。
「いや、へ、って。高嶺呼ばないつもりなのか?」
「あ、そ、そうじゃないっ。高嶺君も呼ぶつもりだったっ。うんっ」
「…?」
何故焦る。四季さんの内心は分からないが、恐らくここで聞いても答えてくれないだろうし、その疑問を流す事にして高嶺のスマホにメッセージを送る。
今日は高嶺の講義は二限目からなので、メッセージが既読になるのはまだ先だろうが、一限目が終わるまでには返信が来るだろう。その時を気長に待つ事にする。
「…なんで」
「ん、何か言った?」
「…うぅん。何でもない」
メッセージを送信してスマホをポケットにしまうと、隣からぼそりと四季さんが何かを呟く声が聞こえた。
すぐに問い掛けるが、四季さんは頭を振る。その顔はやや浮かない表情に見えたのだが、何故かその事について聞かない方が良い気がして、俺はそれ以降この話題について言及する事はしなかった。
一限目と二限目の講義が終わり昼休みになると、俺は急いで鞄に資料をしまいながらスマホを見る。ライムを立ち上げ、高嶺との会話のページを開いて返信の内容を確認する。
「─────」
そして返信の内容を見て、一瞬固まってしまった。
何しろ画面には、高嶺の返信が、行けないという返事が書かれていたのだから。
もしや他に用事でもあったのだろうか?いや、でもあの高嶺に昼休み中の用事なんてあるとは思えないのだが─────いや、これは流石に高嶺に失礼か。あいつにだって仲の良い友人はいるのだし、その人達と何か約束でもあるんだろう。
しかしそうなると、俺と四季さんの二人で話す事になる。それが嫌な訳ではない…いや、それは嘘になるか。
勿論、四季さんと話す事自体が嫌な訳ではないのだが、食堂で四季さんと二人で食事をとったりしたら、それはもう今まで以上に注目を集める事になるだろう。
「…」
これは確認をとった方がいいかもしれない。高嶺には一言、了解と返信してから今度は四季さんとの会話のページを開く。そこで高嶺が来れない旨の説明と、それでも話し合いを決行するのかという質問を付けてメッセージを飛ばす。
「やーなぎー。何してんの?」
「あ」
送信ボタンをタップする直前だった。一緒に講義を受けていた友人が背後から俺のスマホの画面を覗き込んだのは。
当然、スマホの画面には俺と四季さんの会話画面が表示されている。すぐにスマホをスリープ状態にして画面を暗くしたが時既に遅し。振り返って友人の顔を見上げると、その顔にはありありと驚きの色が浮かんでおり、そして次第に俺を非難する怒りの感情が代わって浮かび出す。
「貴様。何をしていた」
「いや貴様って」
「答えろ。今、貴様は、何をしていた」
「なに、どうした?」
友人の唯ならぬ様子に、昭久がこちらに振り向いて声を掛けてくる。
だがその声に返事を返している場合じゃない。多分、先に質問に答えないとキレられる。いや、答えてもキレられるかもしれないけど。
「…ライムしてた」
「誰とだ?」
「…四季さんと」
「「「は?」」」
昭久だけじゃなく、他の友人達も目を丸くして呆けた声を漏らした。
「柳よ。私はその内容を見てしまったぞ」
「なあ、さっきからその口調なに?」
「話を逸らすんじゃあない!」
「ごめんなさい」
あれ、咄嗟に口から出てきたけど、俺謝る必要ある?これ。いやなくない?俺悪い事してなくない?
「おい、内容って何だよ。こいつ、四季さんとどんな話してたんだよ」
「約束だ」
「約束?」
「昼休みに四季さんと一緒に飯を食う約束だ」
「「「はぁ!?」」」
いや待て。確かに近くはあるが、正しくはない。俺はすぐにその話を訂正するべく口を開く。
「待て、約束してた訳じゃない。ただ質問しただけだ。元々三人で食べるつもりだったのが、一人来れなくなって、だからどうする?って質問しただけだ」
「ほぉ。では、四季さんの返答を待とうじゃないか」
ずいっ、と昭久達が顔を寄せてスマホの画面を覗き込もうとする。
「待て、寄るな。盗み見すんな。というか近い、キモい」
「顔を近付けて良いのは四季さんだけってかぁ!?」
「んな事言ってねぇだろ!」
まずい。最初に俺が四季さんに送ったメッセージの内容を見た奴が錯乱している。何故そんなにと思わないでもないが、とにかく錯乱している。このままじゃ何をしでかすか分からない。
友人を落ち着かせるべく、思考を最高速で回して何て言葉を掛けるべきか考慮しつつ口を開く。
「…」
開いた直後、声を出す前にスマホのバイブが震えた。このタイミング、何故バイブが振動したかは考えるまでもない。
俺は昭久達の視線を受けながら、ライムの画面を見る。
「─────」
「あ、逃げたぞ!」
「待て柳!くっそ、急げ!俺達も早く食堂に向かうぞ!」
何かを言われる前に、取り押さえられる前に鞄を持って逃げ出した。背後から昭久達が騒ぐ声が聞こえてきたが、構う事なく講堂を出て食堂へ向かう。
食堂前に来た時には、すでに多くの学生達が食券売場の前に並んでおり、それなりに待ち時間を要しそうだった。とはいえ、食堂内にはまだそこまで人はいないため、多分空いてる席を探すのに苦労はしないだろう。
「柳君、こっち」
周囲を見回し、目的の人物を探すと俺を呼ぶ声が聞こえた。振り向いて見ると、こちらに歩み寄ってくる四季さんの姿があった。俺より先に来て待っていたらしい。歩いてくる四季さんの背後には木製のベンチが見えた。
「ごめん、遅くなった」
「うぅん、そんなに待ってないから大丈夫。…むしろ、私の方こそ少し遅くなって、柳君を待たせてるって思ってたし」
どうやら四季さんも講義が終わってすぐにここに来た、という訳ではないらしい。教授の話が長引いたのか、それとも他の理由か。
まさか俺と同じような理由で遅れた訳ではあるまい。四季さんが少し疲れた顔をしているのは気になるが。
「とにかく並ぼう。席がとれなくなる」
とりあえず、四季さんを促して学生の列の最後尾に一緒に並ぶ。列は少しずつ前に進んでいき、俺達が食券を買えたのは三分ほど経ってから。そこからそれぞれ違う場所で頼んだメニューを受けとり、合流してから席に着いたのは更に五分後。
何にしても、俺と四季さんは二人がけの席を確保する事に成功し、そこで向かい合って座った。
「さて…。それじゃあ、早速本題に入るとするか」
このまま本来話す予定のクリスマスのメニューについてではなく、四季さんと雑談するというのも魅力的ではあるがそれでは本末転倒。何のために友人を振りきってここまで来たのか分からなくなってしまう。
頷いた四季さんを見て、俺は続ける。
「じゃあまず、クリスマス限定で新しいメニューを作るのか、それとも既存のメニューでなにかキャンペーンをするのかだけど…」
「そこはもう決めてる。やっぱり、クリスマス限定メニューを作ろうって思ってる。…作るのは涼音さんだし、もしかしたら断られるかもしれないけど」
「いや、断られはしないだろ。というか、二択を出した俺が言うのもあれだけど、普通に新メニュー作るべきだって正直思ってたし」
最初の議題はあっさりと決定した。喫茶ステラにて行うクリスマスキャンペーンは、クリスマス限定のメニューを出す方向で決まり。
なら次は当然、どういったメニューを出すのかだが─────
「まあ、ケーキだよな」
「ケーキよね」
時期はクリスマス。当然、メニューは何らかのケーキにするべきだ。というよりしなくてはならない。
それじゃあ、何のケーキをメニューとして出すか。
「とりあえずさ、周りで同じ様な事をする店とメニューがかぶっちゃいけないと思って。もう情報が出てる店限定で調べてみた」
「え?」
スマホを操作し、履歴からブラウザを読み出す。まずは以前まで涼音さんが働いていた店。そこもクリスマス限定で新メニューを出すらしく、そのメニューについて調べてみた。
その店ではショートケーキをベースとしたメニューを出すようで、SNSを覗いたところかなり評判になっていた。
「あぁちなみに、話は少しずれるけどステラはクリスマスに何かやらないのかって声がぽつぽつあったぞ」
「え…」
スマホの画面を見ていた四季さんが顔を上げ、またもや呆けた声を漏らす。
「柳君って、エゴサ出来る人なんだ…」
「普段はしないけどな。なんか、他の店の事調べてたらうちの店の事も気になっちゃって」
講義の途中、教授の話を聞かずにエゴサしてたのは私です。好意的な声に心踊らせ、理不尽な低評価に腹を立てたりとメンタル揺らしまくってたのは私です。
「だから、クリスマス限定メニューを出すのは正解だと思う」
「…そっか」
四季さんが柔らかい笑みをこぼす。こうする、とは決めていたもののどこか不安に感じていたらしい。
でも、その不安は払拭されたようだ。その様子に俺も安心し、四季さんに見せていたスマホの画面の位置を戻して再び指を走らせる。
「それと、何駅か行った所の店だとこんな─────」
「あっれ、四季さんじゃーん」
履歴から違う店のホームページを呼び出そうとしたその時、何とも軽々しい男の声が四季さんの名前を呼んだ。
俺も四季さんも、同時に声が聞こえてきた方へと振り返る。
「なになに、何の話?俺も混ぜてよー」
金に染めた髪をワックスで立たせ、更に両耳にはピアス。ぶっちゃけ頭の悪そうな、それこそ割と偏差値が高いこの大学に受かる学力があるとは到底思えない格好をした如何にもなチャラ男が、こっちに近付いてきていた。
「てゆっかさ、俺の誘いは断っといて他の男と一緒にご飯とか俺への当て付け?妬いちゃうなー」
「いや、そういう訳じゃないけど…」
うっわ、四季さんの口許がひくついてる。あれ、内心結構イラついてるぞ。
あんたに対して当て付けする程暇じゃないし親しくもないんだから早くあっち行け、とか思ってる顔だぞ。
しかしチャラ男はそんな四季さんの心情に全く気付かず、ただ好き放題言いたい事を言いまくる。
「ほら、こんな冴えない男なんかと一緒にいないでさ、こっち来ようよ。四季さんの株が下がっちゃうよ?」
「…」
その台詞は、横目で俺の方を見ながら言い放たれた。冴えない、なんて言ってくれるな。自覚してるわうっせえな。ブッ飛ばしちゃうぞ。
初対面の癖に失礼な台詞を連発するチャラ男に苛立ちが募っていく。ていうか、マジ邪魔。話の邪魔。そういえばさっき俺の誘い、とか言ってたけど、もしかして四季さんこいつに絡まれてたりするのか?
…うーわー、めんどくさそー。
それより、助け船を出した方が良いだろうか。でもこういう奴っていきなりキレたりするんだよな。そうなると面倒くさい。店の事がある以上、暴力沙汰は起こしたくない。なるべく穏便に片付けたいのだが…。
「別に株が下がるとかどうでもいい。私はこの人と一緒にいたいからいるだけ」
「─────」
俺がどうするべきか悩んでいると、四季さんはチャラ男の方を見ないままハッキリとそう告げた。
言葉の矛先であるチャラ男だけじゃない。俺も驚き、目を見開いてしまう。
「…なに?もしかして、噂通りこいつと付き合ってたりする?」
「もしそうだとして、貴方に関係ある?」
ずっと変わらなかったチャラ男の笑顔が僅かに歪む。それは、思いどおりにならないこの状況に対しての苛立ち。
チャラ男は四季さんから今度は俺の方を見て、口を開いた。
「ねぇ、君。この人、俺に譲ってくんない?」
「─────」
かと思えば、思いも寄らない台詞を吐いた。思わず俺が絶句する中、チャラ男は更に続ける。
「ほら、君と四季さんじゃ釣り合わないっていうか。君じゃあ手に負えないでしょ。安心して、代わりに君にピッタリの女の子を紹介するからさ」
「…」
言葉が出ない。清々しいまでの屑っぷり。我ながら人の汚い部分は多く見てきたつもりだが、それでもここまでの奴は見た事がなかった。故に、返事を返せない。どう返事を返せばいいのか分からない。というより、言葉の意味を理解したくない。
こんな気持ちは初めてだった。
「ねぇ、無視はやめてよ。傷つくなー」
「───あぁ、すいません」
何も返事を返さない俺に苛立ちながら、再度声を掛けてくるチャラ男。さすがにスルーじゃ乗り切れない。かといって、こういう輩は理屈じゃあ引いてくれない。
それじゃあどうするか。
「あの、日本語でお願いできますか?俺、見ての通り日本人で、外国語は英語以外聞き取れないんですよ」
「…は?」
この際、好き放題言ってしまおう。散々言われたい放題されたんだから、このくらい良いだろ。
「えっと…、何言ってんの?」
「あ、日本語は出来るんですね。それなら、もう一度お願いします」
「─────」
あぁ、キレたな。
簡単に分かるくらい、チャラ男の表情は一変した。
「てめぇ、調子乗んなよ」
こちらを見下ろし、その声には隠しきれない苛立ちが込められていた。いや、隠すつもりなんてないのだろう。
完全に俺を舐め切った、こうして威圧すれば縮こまるだろうと高を括った態度。
そんなチャラ男の態度に対して、俺はわざと大きなため息を吐いた。
「意味が分からないんですが。俺がいつ、調子に乗ったんです?というより、調子に乗ってるのは貴方の方でしょう?」
「…おい、マジでいい加減にしろよ」
「いい加減にすんのはてめぇだろ」
チャラ男の目が丸くなる。突然態度を変え、鋭く睨む俺に戸惑っている様子。
「四季さんを譲る?四季さんは物じゃねぇんだよ。何だよ譲るって。王様気取りか?てめぇの方こそ調子に乗ってんじゃねぇ」
「…」
「でも一応、お前の頭脳レベルに合わせて質問に答えてやるよ。四季さんは譲らない。女の子の紹介もいらない。以上、分かったら帰れ」
「っ─────」
チャラ男がこちらに詰め寄ってきた。完全に堪忍袋の緒が切れたらしい。いや、堪忍する立場なのは俺と四季さんの方だとは思うが。
とにかく、こうなるともうチャラ男がとる行動なんて一つしかない。ほら、拳を握って引き溜めに構えてる。
「ちょっ…!」
成り行きを見ていた四季さんが声を上げる。当然だ。何しろこのチャラ男、完全に俺を殴る気でいるのだから。
それに対して俺も右手を持ち上げ、掌をチャラ男の方に向ける。これでチャラ男の拳が俺の掌に命中すれば、正当防衛の名聞を獲得できる。そうなれば、こっちのもの─────
「やめとけ、小泉」
そう思っていたのだが、突然聞こえてきた第三者の声にチャラ男の動きが止まる。動きを止めたチャラ男が声が聞こえてきた方へと振り返る。俺もまた、チャラ男が視線を向けた先を見て、目を細めた。
「草野…」
「こんな公衆の面前で騒ぎ起こすんじゃねぇよ。おら、席戻れ」
「…ちっ」
やり取りに割り込んできた第三者、昭久とチャラ男は知り合いらしい。昭久の言葉にチャラ男は不満げながらも従うらしく、拳を引いて俺達に背を向けた。
「命拾いしたな」
そう言い残し、チャラ男は食堂を去っていった。あれ、あいつ飯食いに来たんじゃないの?ここにいるって事は、少なくとも食券は買ってる筈だけど…、いや、考えるのはやめよう。あいつに割く思考のリソースが勿体ない。
「…命拾いしたのはお前だっての。ったく、驚いたぞ千尋。お前を追って来てみれば、こんな騒ぎになってんだから」
「邪魔すんなよ昭久。折角のストレス解消の玩具が行っちゃっただろ」
「小泉は玩具かよっ」
俺の返答に笑う昭久。お盆が揺れて味噌汁が溢れそうだけど大丈夫か?指摘するのは面倒だし、放っておくが。
「…えっと」
「あぁ、こいつ、俺の友達の草野」
「草野昭久です。こいつの友達やってます」
「はぁ…。あ、四季ナツメです」
置いてきぼりになっていた四季さんに昭久を紹介する。そして昭久の挨拶に律儀に挨拶を返す四季さんに、昭久が微笑する。
「それで、柳君を追ってきたって?」
「あー…、それはー…」
四季さんの切り返しに、昭久の笑顔が固まった。当たり前だ、言いづらいに決まってる。俺と四季さんとのライムのやり取りを見て気になって追ってきました、なんて。
「俺と四季さんのライムを見たんだよ」
「え?」
「ちょっ、おまっ!」
だがそんな事は関係ない。俺は情けなく、躊躇いなく、四季さんに事実を告げる。昭久が慌てているが構わない。
「俺と四季さんを出歯亀するつもりだったんだよ」
「出歯亀っていうな!俺達は友人としてお前が心配でだな!」
「余計なお世話だ。あ、ついでに最初にライムを覗いたのはあそこでこっちを見てる茶髪でメガネの奴な」
「お前、もう少し友人に容赦を持った方が良いと思う!」
「俺、最近お前らに罪人扱いされた記憶があるんだけど」
「…俺は後ろから見てただけだし」
「知ってるか?いじめを止めない奴もいじめに加担してるんだと」
「くそっ、何も言い返せねぇっ」
「─────」
あぁ、いけない。また四季さんを置いてきぼりにしてしまった。ていうか、あれだな。こいつも話の邪魔という点ではあのチャラ男と一緒だな。
さすがにあのチャラ男への扱いと一緒にはしないが、昭久にもここからご退場願うとしよう。
「柳君って、友達と話す時はこんな感じなんだ」
「は?こんな感じって?」
昭久を追い出そうとする前に、四季さんが口を開いた。その言葉の意味が理解しきれず、つい聞き返してしまう。
「なんというか、こう…。遠慮がない感じ?」
「四季さんに遠慮してるつもりはないけど?」
「え、お前四季さんに対してもこんな感じなの?」
「んな訳ないだろ」
さすがに昭久に対しての態度をそのまま四季さんに向けるなんてしない。ていうか出来る筈がないだろ。大体、四季さんは昭久みたいにバカじゃないから、そんな態度をとる機会がない。
「何か、柳君の新しい一面が知れた気がする」
「…さいですか」
何故か嬉しそうに言う四季さんに、俺は一言そう返す事しか出来なかった。
そして、そんな俺をじっと見つめる昭久。
「…なんだよ」
「お前、マジで四季さんと付き合ってねぇの?」
「違うって」
「…ふーん、そっか」
「それより、四季さんとはバイトの事で話があんだよ。一緒に飯食ってんのもその話をするからなんだよ。だからあいつらん所にとっとと戻ってくれ」
「あー、そういうことか…。分かった、あいつらにも言っとくよ」
事情を理解した昭久は素直に俺と四季さんから離れていく。そして離れたところからこちらの様子を見ていたあいつらの所へ戻り、少し話をしてから空いてる席を探し始めた。恐らく、俺がさっき言った事を説明したのだろう。
これにてようやく一件落着。思わぬ展開があったが、ようやく落ち着いて話をしつつ飯を食える。
「それじゃあ、話の続き…は、やめるか。何か、そんな気分じゃない」
「そうね…。ごめんなさい、私のせいで」
「いや、四季さんのせいじゃないだろ。あのくそチャラ男が全部悪いんだから、四季さんが責任感じる必要ないって」
浮かない顔をしてしまった四季さんにそう言葉を掛けるが、その表情は晴れないまま。
こうなった四季さんは頑固である事を知っている。だが、それならそれでやりようはある。
「それなら…」
「あっ」
四季さんの方にある皿から、トンカツ一切れをとって口の中に入れる。
「こえれ、ひゃらってこおれ(これで、チャラって事で)」
「…飲み込んでから話してよ、聞き取れないでしょ?」
一連の流れを呆然と見ていた四季さんが、むぐむぐとトンカツを咀嚼する俺を見て笑みをこぼす。これで、責任感は晴れただろうか。四季さんの気持ちが分かる訳じゃないが、その笑顔は素直に気持ちから出ているものだと思いたい。
重い空気は払拭され、バイトの話の続きは出来なかったが、普通に雑談しながら食事を進める。
その時の俺は、周囲の視線なんて全く気にならない程に、四季さんとの話に没頭していたのだった。
~Another View~
「バイトの話、だっけ?」
「千尋はそう言ってたぞ」
「…そんな風には見えねぇけど」
「こりゃ、また後で尋問だな」
「やめとけって。また千尋の機嫌損ねるぞ」
顔を向き合わせ笑いながら食事を進める千尋とナツメを見てヒートアップする友人達を、昭久が宥める。
だが、あまり効果は見られない。これはまた、尋問は避けられないらしい。
「てか、さっきの見たか?」
「あぁ、見た。あいつ、四季さんのトンカツ食いやがった」
「有罪だな」
「執行猶予なし。慈悲はない」
「てか、極刑で良いだろ」
「お前らの沸点低くね?」
昭久のツッコミは届かない。友人達はただただ殺意を昂らせていく。
ため息を吐きながらそんな友人達から今も食事を続けていく千尋とナツメの方へと視線を移す。
「…普通にお似合いに見えるけど」
そして、微笑ましそうな笑みを浮かべながら、小さくそう呟いたのだった。
ここまで長くなる予定はなかったのに
チャラ男、ユルスマジ…