特に直すべきという指摘はなかったため、このまま物語を進行させます。
という事で続きをどうぞ。
スーパーの中を女の子と二人で並んで歩く今の自分の姿を、どうしても客観視してしまう。
端から見れば、完全に夕飯の買い物をしているカップルにしか見えないんだろうな。俺だって、第三者の立場だったら絶対にそう思う。いや、そうとしか見えないし。
ただ、夕飯の買い物をしているまでは正しいが、カップルではない。普通の友達、どころかつい最近まで少し仲違いをしていた間柄だ。
分からない。どうして四季さんは、いきなりこんな風に踏み込んできたのか。
昼休みに昭久が言っていた事を思い出す。
四季さんが俺の事を嫌ったりしている訳ではないというのは理解できた。まさか嫌いな異性を食事に誘ったりはするまい。特に四季さんは、嫌いな相手には絶対に自分から関わろうとしないタイプだ。だから、そこまでは理解できたのだが─────
「…柳君は、何か食べたいものある?」
「食べたいもの、ね…」
いやさっぱり分からない。マジでどうしてこうなった?何で四季さんが、今日俺が夜に食べたいものを聞いてるんだ?何で俺は四季さんと一緒にスーパーを歩いてるんだ?
マジで意味が分からない。というより何で俺は四季さんの誘いを受け入れた?よく考えろ。料理を作り、食べるには必ずどちらかの部屋にお邪魔しなくてはならない。このどちらかの部屋、とは勿論俺の部屋と四季さんの部屋の事だ。
何か互いに話したい事や相談事、そういった用事があるのならまだ分かる。そういう話があるのなら、外食に行くよりもどちらかの部屋にお邪魔する方が落ち着いて話せるだろう。
だが今回は違う。俺と四季さんの間にそういった急ぎの用事はない。完全に、プライベートでこれから俺は四季さんを部屋に招くか、或いは四季さんの部屋にお邪魔する事になるのだ。
男女の友情は成立しない。誰が言い出したか知らないが、俺はこの理論は違うと思っている。何故なら現に、今隣にいる女の子と友情が成立していると思っているからだ。
友情が成立しているなら、二人で食事くらい普通?違う、ただ食事するだけならいい。どちらかの部屋で、異性の手料理を振る舞って貰う、これは完全に友達の域を越えているんじゃないか?友情以上の意味が出てくるんじゃないか?
手料理を振る舞って貰う、これは完全に友達の域を越えているんじゃないか?友情以上の意味が出てくるんじゃないか?
俺は、それを分かっていながら四季さんの誘いを受け入れた。躊躇いを越える欲求に駆られて、四季さんの誘いを受け入れてしまった。
四季さんの手料理を食べたいと思った。どうしてこんなにも強く思うのか分からないけど、四季さんの誘いが俺が考えているのとは違う意味を持つと分かった瞬間、俺の心は傾いてしまった。
「柳君?」
「あ、うん、食べたいものだよな。…まあ、やっぱ肉かな」
四季さんの呼び掛けで我に返る。四季さんの質問を無視してのめり込んでいた思考を一旦放棄、まずは四季さんの質問に答える。
「肉か…。男の人が好きそうな肉料理で一番最初に浮かぶのは肉じゃがだけど、やっぱり好きなの?」
「あー、よく言うよなそれ。でも俺はそこまで好きじゃない。食べられない訳じゃないけど」
「そうなんだ…。なら…、ハンバーグとか、からあげとか?」
「いいね。両方好きだわ」
「…からあげはちょっとなぁ。なら、ハンバーグでいい?」
「異議なし」
という事で今日の夕飯のメニューがハンバーグに決定し、四季さんがひき肉や玉葱などハンバーグの材料を籠に入れていく。その他にも元々俺が買うつもりだった食材と調味料も籠に入れていく。
そうして一通り店内を回り、会計をするべくレジへ向かう。会計を済ませてから、レシートを見てハンバーグの食材の代金は自分で払うと言い出した四季さんと軽く揉めてしまったが、そこは何とかあれやこれやで納得させる。
買ったものを二枚の袋に分けて入れ、それぞれ一つずつ袋を持ってスーパーを出る。
「俺の部屋でいいか?」
外を歩き出す前にそう聞くと、四季さんが頷いた。四季さんの部屋でも構わないのだが、スーパーで買った荷物の事がある。車であれば四季さんの部屋にいる間、荷物を車の中に置いていく事も出来るが、荷物を持って四季さんの部屋まで行って、そして夕飯を食べ終えたらまた荷物を持って部屋に帰る。ハッキリ言って面倒臭すぎる。
四季さんもそこについて気を使ってくれたのだろう。俺の問い掛けにすぐに答えてくれた。
という事で、向かうは俺の部屋。歩き出した直後、ふと思い出す。
…そういえば、俺は四季さんの部屋の前まで行った事があるけど、その逆はないな。
四季さんを送るために、四季さんの部屋があるアパートの前には何度も行った。しかし、四季さんが俺が住んでるアパートの所まで来る機会は今まで一度もなかった。
あぁ、そうか。四季さんが俺の部屋に来るのか。女の子が俺の部屋に、これから来るのか。
何か、そう考えると少し緊張してくる。たかが異性が部屋に来るだけなのに、別に散らかる程の物が部屋にある訳でもないのに、ちゃんと片付けたか、掃除したのか、四季さんに見られてまずそうな物はなかったか、色々と心配になってくる。
「…お邪魔します」
スーパーを出てから数分、明かりが灯った部屋の中に四季さんがいた。両手で買い物袋を持ったまま立ち止まり、部屋の中を見回している。
「まずハンバーグの材料以外で買ったものを片付けるから、その椅子に座って休んでていいぞ」
「あ、は、はい」
四季さんから買い物袋を受け取り、二つの買い物袋を持って冷蔵庫の前へ。エリアを分けながら食材、調味料、飲み物と冷蔵庫の中に入れていく。冷蔵、冷凍しなければならない物を入れ終えたら、次にカップ麺などの常温で保管可能な物を棚に放り込んでいく。
数分と経たず買ってきた物を片付けてから、俺と交代で四季さんが台所に立つ。
四季さんが俺に場所を聞きながら調理器具を出していく。料理に使うであろう食材と調味料は予め俺が出しておいた。もしかしたら四季さんなりの調理があり、まだ他にも使うものがあるかもしれないが、必要なものはほぼ揃っているだろう。
「…?」
四季さんが調理を始めた直後、気紛れに手に取ったスマホがチカチカと光っている事に気付いた。電源を入れると、案の定一つの着信と、通知欄にはライムのメッセージが来ている事が載っていた。
着信もライムのメッセージも、どちらも昭久からのものだった。何事かとアプリを立ち上げ、ライムのメッセージを確認する。
「─────!!!!!?」
画面を見て驚き、体が大きく震える。膝とテーブルの足が強くぶつかって音を立て、驚いた四季さんが振り返った。
「ど、どうしたの!?」
「い、いや、何でもない。驚かせてごめん、大丈夫だから」
少しの間心配そうにこちらを見ていた四季さんだったが、それ以上何か言う事はなく、調理に再び集中した。
四季さんの背中を見て、小さく息を吐いてからもう一度スマホの画面に目を向ける。
昭久から送信されてきたのは一枚の画像だった。背景は見覚えのある建物、というよりはついさっき行ってきたスーパーだ。空は暗く、この画像が撮られた時間帯は夜だと予想できる。
…いや、回りくどい言い方はやめよう。この画像は今日、それもついさっき撮られたものに違いない。何しろ、画像の真ん中には買い物袋を持って歩く俺と四季さんが映っているのだから。
あいつ、あそこにいたのか。何で声を掛けなかったのか、なんて考えるまでもない。どうせ俺と四季さんが買い物してる所を面白がってこっそり眺めていたに違いない。
何か一言文句をつけなければ気が済まない。そう思い、親指で画面をタップしようとして─────何を返せばいいのか分からなくなった。
大体、何でこんなに焦る必要がある?四季さんと二人で買い物してたからって、昭久に何か関係あるか?いや、この事を他の奴らに知られたらかなり面倒だが。
あぁ、考えたらむしろ焦るべきなのかもしれない。だがここで焦って昭久に口止め等を頼もうものなら、あいつはもっと面白がるに違いない。そこを考慮すると、やっぱり冷静になるのが一番なんだろうか。
「…」
うん、めんどくさくなってきた。もう既読スルーでいいや。アプリを閉じ、スマホをスリープモードにしてテーブルに置く。
さて、完全に手持ち無沙汰となってしまった。こういう暇な時は大抵ゲームか読書かしている俺だが、流石に四季さんに夕飯の準備をさせておきながら娯楽に興じられる神経は持ち合わせていない。
特に急ぎの課題やレポートがある訳でもなく、本当にする事がない。強いていえば、手慣れた様子で包丁を扱う四季さんの後ろ姿を眺めるくらいだ。
「四季さんって、よく料理するのか?」
一定のテンポで小気味良く流れる包丁とまな板がぶつかる音を聞きながら、四季さんに話し掛ける。
調理中に話し掛けるのはどうなのかとも考えたが、以前の焼き肉の帰りの車中、あの時のような空気はもっと御免だ。俺は同じ失敗を繰り返さない男なのだ。
「毎日ではないけど、なるべく自分で作るようにしてる。でも、あまり期待しすぎないでね。本当に人並みにしか出来ないから」
俺の心配は杞憂だったようで、すぐに返ってきた四季さんの声は気分を害した様子もなく、いつもの落ち着いた声だった。
しかし、期待しすぎないでね、か。そう言われても、期待をしてしまうのが人の性。言葉には出さないが、正直結構期待してたりする。
だって、女の子の手料理だぞ。しかも四季さんのだぞ。あまり恋愛事に深く興味がない俺でも、男として一定の期待はしてしまう。
時折、四季さんの邪魔にならない程度に雑談をしながら時間が過ぎるのを待つ。肉が焼けるいい匂いに耐えられなくなりそうになりながら、遂に四季さんの料理が完成する。
テーブルにはメインであるハンバーグと、キャベツの千切りとプチトマトのサラダにソースが入った小皿。ご飯は昨日炊いた残りを温めたものだが、その隣の味噌汁まで四季さんの手作りである。
「おぉ…、おぉ~…」
「な、なに?」
「いや、感動してる。家族以外で、俺のじゃない飯がテーブルに並ぶのは初めてだから」
「え?草野君と食べたりしないの?」
「あいつ連れてきたら散らかしそうだし。その他も同様」
さっきも言ったが、実を言うとこの部屋で、両親以外で食卓を一緒にするのは今回が初めてだ。
その理由もさっき言った通り、昭久や他の奴らをここに連れてきたら滅茶苦茶散らかしそうだし。というか、他の奴の部屋が被害に遭ってるのを何度か見た事あるし。あれを見てあいつらを部屋に連れてくる気なんて微塵も起きないね。
四季さんが俺の正面の椅子に座る。料理が全て並び、美味しそうな匂いを醸しながら湯気を立てている。
あ、ダメだ。もう無理だ。我慢できない。
「それじゃあ、いただきます」
食事前の挨拶をしてから、四季さんの返事を待たずにまずソースが入った小皿に手を伸ばす。小皿の傍ら置かれたスプーンでソースを掬い、ハンバーグにかける。
ソースを適量ハンバーグにかけてから、箸でハンバーグを一口サイズに割る。そして、一口サイズに割ったハンバーグを箸で掴んで口の中へ運ぶ。
「…」
その様子をじっと四季さんが見ている事には気付いていた。だがその視線を気にする余裕も今の俺にはない。
「うまっ」
ハンバーグを噛み締めた途端に口一杯に広がる肉汁。そして、絶対に市販のソースではない風味を出すソースもまた、ハンバーグの旨さを引き立てている。
「うめぇ、マジでうめぇ。人並みって、嘘吐くなよな」
「嘘を吐いたつもりはないけど…。でも、そっか。美味しいって思ってくれるのなら、良かった」
四季さんが安堵からか微笑みを漏らす。なお、俺はそんな四季さんには目もくれず夢中で料理を味わう。
ハンバーグは勿論、ワカメと豆腐を使った味噌汁も、特に味付けされていない市販のドレッシングの味しかしないサラダですらいつもより美味しく感じる。
実はこの人、退学を賭けて料理の決闘が行われたりする学校に通ってたんじゃなかろうか」
「いや、そんな学校通ってないから。ていうかそんな学校存在しないから」
「あ、はい」
まあ流石にそんな事はある筈もなく、声に出ていたらしく四季さんにツッコまれてしまった。
「でも本当にうまい。ハンバーグに使ってるソースも、四季さんが作ったんだよな?」
「うん。オリジナルって訳じゃないけど…、どう?」
「察して」
「…口に合ったならよかった」
四季さんが苦笑いしているのは言うまでもないだろう。多分、というか絶対に呆れられてるだろうけど、仕方ない。四季さんの手料理が美味すぎるのが悪い。
しかし、そんな至福の時間も終わりは訪れる。お椀も皿も全て空になり、完食してしまう。四季さんには言えないが、もう一つ多くハンバーグを作って貰えばよかったと思ったのは秘密だ。
四季さんも俺より遅れて完食し、二人で食器を片付ける。料理は四季さんにやって貰ったんだし、洗い物は俺がやって四季さんには休んで貰うつもりだった。というより、四季さんがそうしたいなら帰って貰っても構わなかったのだが。
俺は未だに夕飯を食べていたその席に座ったままだった。夕飯を食べていた時には正面にいた四季さんは、再び台所に立っている。
聞こえてくるのは水音と食器がぶつかり合う音。そう、四季さんが洗い物までやってくれているのである。本当は洗い物は俺がやるつもりだったのに、四季さんが断固として譲ろうとしなかった。流石に全部四季さんに任せてしまうのは悪いと思い、俺も譲らなかったのだが…。四季さんは強引に台所に立って洗い物を始めてしまった。
手伝おうかとも思ったのだが、二人で立つにはこの部屋の台所は狭すぎた。邪魔になると分かりきってる以上、俺はまた作業をする四季さんの背中を眺めるしか出来ずにいた。
「…」
スポンジで食器を擦る四季さん。その両肩が揺れ、それと一緒に長く伸びる黒髪も小さく揺れている。
四季さんは髪の手入れとかしているんだろうか。勿論、一人の女として最低限の手入れはしているんだろうが、それだけであんな綺麗で触り心地良さそうな髪になるんだろうか。四季さんはそこまで細かくそういった手入れとかはしなそうに思える。
いや、これは四季さんへ失礼だろうか?でもな…、どうなんだろう。
─────俺は何を考えているんだろう。確かに四季さんの髪は綺麗だが、それを触り心地良さそうとか、普通に相手によってはセクハラと思われかねない思考だぞ。
いやだがこの状況、そういった思考に陥っても仕方ないのではなかろうか。男の部屋に女がいる。勿論、四季さんは俺を信用しているからこそここにいるのだから、その信用を裏切る行為はしない。ただ…、考えるくらいは─────
いやダメに決まってるだろう。バカか、何が考えるくらいは、だ。冷静になれ、クール、そうkoolに…いや違うcoolになるんだ。いつもの俺を取り戻せ。もっと別の事を考えろ。
「…」
そういえば店を出る前から疑問だったけど、何故こんなに積極的というか大胆というか、そういう誘いをしてきたのだろう。何なら、昨日までの四季さんは俺と会話しようともせずに逃げていたというのに。
それなのに今日になって、会話どころか一緒に食事、それだけではく俺の部屋にお邪魔してくる。この急展開は一体何なんだ。四季さんの中でどんな心境の変化があったというのか。
「四季さん。一つ聞いていいか?」
「ん?どうしたの?」
返ってくる声は昨日までの態度をまるで感じさせない、以前までの四季さんの声だった。
その声を聞き、もしかしたら聞かれたくないかもしれない、と心の隅で小さく抱いていた抵抗がなくなる。
「何でいきなり俺を食事に誘ったんだ?しかも手料理まで振る舞ってくれて」
「─────」
四季さんの手の動きが止まった。先程まで聞こえてきた食器の音が消え、水が流れる音だけが部屋に響き渡る。
「昨日まではさ、四季さんは俺の事を避けてただろ?だからさ、正直今日いきなりあんな風に誘われて驚いた。あぁ、嫌だった訳じゃない。嫌だったら断ってるから、そこは勘違いしないでくれ」
四季さんは何も言わない。こちらに背中を向けているから、どんな顔をしているかも分からない。だから、俺の言葉をちゃんと聞いているかも定かではない。流石にそこは大丈夫だと思うが─────
「…」
四季さんの手が動く。しかしそれは洗い物を再開した訳ではない。流れる水で手を洗い、タオルで拭いてから蛇口を閉めて水を止める。
そして、ゆっくりとこちらに振り向いた。
「…本当はね、ただ柳君と二人で話す時間が欲しかった。それだけだったの」
四季さんはやがて、語り出す。視線は俺じゃない、どこかを向いていて。両足が僅かに震えていて。まるで、恐怖に怯えているようにすら思えるその弱々しい姿は、昨日までの四季さんと重なって見えた。
今にも逃げ出していきそうな、そんな四季さんは唇を噛み締めて耐えているようだった。
やはり俺は、何か四季さんにしてしまったのだろうかという不安が再燃する。そうでなければ、最近まで普通に接していた筈の相手がこんな風にはならない。
「柳君が悪い訳じゃないの。私が柳君を避けてしまったのは…、私自身のせいで、柳君は何も悪くない」
まるでそんな俺の不安を悟ったかのように、四季さんは語気に力を込めてそう言った。
そして、四季さんは顔をあげて、今度は俺の目を真っ直ぐ見て、ハッキリと告げた。
「だから…、今日、柳君を誘ったのは、私は柳君を嫌ってる訳じゃないって伝えたかったから」
四季さんは俺を嫌っている訳じゃない。俺を避けていたのは、そういう理由からじゃない。
それなら、何故俺を避けていたのかという疑問が再び湧いてくるが、正直今の俺にとって重要なのはそれじゃなかった。
「そう、か。嫌われてる訳じゃなかったのか」
「…ごめんなさい。柳君に変な勘違いをさせた」
「いや。それならよかった。安心した」
重要なのは、四季さんが俺を嫌っていた訳ではなかったという事だ。俺を避けていた本当の理由なんてどうでもいい。
本当に、マジで安心した。
「や、柳君?」
安心した途端、力が抜けた。だらりと椅子の背凭れに寄りかかり、ぐだ~っと体を伸ばす。
「あ~、マジでよかった。四季さんに嫌われてたらどうしようって、ここ数日気が気じゃなかった…」
「っ…」
「俺が何かしたのかってずっと頭の中ぐるぐる巡って…。それについて四季さんに聞こうにも聞けなかったし…」
「ご、ごめんなさい…」
「マジで…安心した」
本当に四季さんに嫌われていたら、店を辞める事も視野に入れていた。だって責任者に嫌われて、その店に居られる訳がない。かといって、俺もあの店で働くのは好きになっていたし、正直辞めたくなかった。
それに、四季さんに嫌われていたらと考えるだけで、どうしようもなく不安になって仕方なかった。
だから、そうではないと知って、物凄く安心して、力が抜けて、こうなるのも仕方ないだろう。
「もう避けたりすんなよ」
「…うん」
「せめて、理由くらい教えてくれよ。そしたら、それを直す努力するからさ」
「…」
「…四季さん?」
急に四季さんが黙り込んでしまう。俯いてしまった表情は、前で垂れる前髪に隠れて見えない。
だがすぐに俯いていた顔は上がり、俺の方を向いた。その表情は、まるで何かの意思を固めたようで。
「柳君。…私が、柳君を避けてたのは…、その理由はね?」
「うん」
「その…、それは…」
四季さんの頬が次第に紅潮していき、目が潤んでいく。俺たちの間で流れる空気がどこか艶めいたものへと変わっていく。
何だこれは。この空気はなんだ。四季さんのこの表情はなんだ。
同じ屋根の下で男女二人きり。二人の男女が向き合い、片方はこの上なく緊張した様子で相手を見つめている。
そういった事に全く詳しくない俺ですら分かる。この状況、まるで四季さんが俺に─────
「こ、今度!」
「─────は?」
「今度、教えるから!」
「…はぁ?」
内心で満ちていた緊張が一瞬にして霧散する。代わりに湧いてくるのは、何とも形容し難い、気の抜けた感情。
「…今度っていつ「さあ、洗い物の続きしないと!」おい」
四季さんが振り返って洗い物を再開してしまう。どうやら、もうこの話を続ける気はないらしい。
おい、ふざけるな。とんでもない肩透かしを食らった気分だぞ。何だよ、言えよ続きを。俺を避けてた理由は何なんだよ。おい四季さん。
「…」
なんて実際に言う度胸は俺にはなかった。内心では四季さんに悪態吐きまくってるが、実際のところは俺も四季さんに負けず劣らずのヘタレだったという事だ。
俺も鈍くはない。四季さんが言おうとした事は、何となく察しがついている。そして、もしそうだったらいいと思っている俺は…、つまり、そういう事なのだろう。
「…はぁ」
四季さんの後ろ姿を見ながら溜め息を吐く。今まで疑問だった、四季さんにだけに抱いていた特別な感情の正体がようやく掴めた。掴めたところで、どうしようもないのだが。
ここからさっきの話を蒸し返す勇気はない。というか、自分から話を切り出せる気がしない。
何しろ、こんな経験は初めてなのだ。昭久辺りに知られれば大笑いされるだろうが、俺にとってこれは初めての経験なのだ。
─────初恋が成人してからとか、相当異端な気がする。
初恋の相手を眺めながら思う。
俺には自分から告白する勇気はない。少なくとも、今回の件のほとぼりが俺の中で冷めるまでは、その勇気は持てないだろう。
一方の四季さんから告白、というのもどうやら期待できそうにない。何しろ、あの決意に溢れた表情からのヘタレ発揮だ。多分、待っていても告白してくる事はないだろう。
それならやはり、男として俺からするべきなのだろうか。いやしかし、まず俺の予想が完全な的外れだという可能性だってある。だとすると、俺が告白したその先には悲惨な未来が待っている。俺は号泣しながら店を辞める事となるだろう。
もしそうなった場合、俺は立ち直れない自信がある。人生からリタイアする自信もある。
─────うん、もう少し様子を見よう。いつか丁度良い機会が来るさ。多分。
俺がとった選択は先延ばしだった。いやマジで無理。ここで告白とか絶対無理。さっき四季さんがヘタレた直後ならともかく、完全にタイミングを逃してしまった。
結局、その後は洗い物が終わった四季さんと少し話をしてから、帰る四季さんをアパートの前まで送っていった。数日前までは普通にしていた行為なのに、今日はいつもと違って少し緊張してしまった。
平然を装って四季さんと歩きながら会話をして、多分俺の緊張は悟られなかったと思う。もし悟られてたら恥ずかしすぎる。恥ずか死する。
特に何事もなく、四季さんをアパートに送り届けてから俺はUターンして家路につく。
その直後、コートのポケットの中に入れていたスマホから通知音が鳴った。
「あ」
そしてふと思い出す。そういえば、既読スルーしたままだった、と。スマホの電源を入れれば案の定、ライムに昭久からのメッセージが来ていた。
既読スルーすんなという旨のメッセージだったが、それを俺はまたもや既読スルーするという選択をする。だって、こいつの相手をしたら今のこの安らぎが台無しになるに決まっているから。
「…さてと、今日は夜更かししないでさっさと寝るか」
雲一つない夜空を見上げ、ポツリと呟く。
いつもなら日付を跨ぐまでゲームをするところだが、今日はそんな気分じゃない。明日になればまた会える。そう思うと、明日が待ち遠しくて仕方ない。
早く明日にするにはどうすればいいか。勿論、物理的に時間の経過を加速させるなんて不可能だが、早めに寝れば感覚的に早く明日を迎える事は出来る。
歩くペースが早足になる。それをふと自覚して、これは重症だと自分で呆れながらもペースを変えず部屋へと急ぐのだった。
今回の話のある場面を執筆中、“は…?”をBGMで流してました。
どこの場面の事を言ってるかは、最後まで読んでいただいた読者様なら分かる筈(笑)