俺の名前を呼んだ女の子と視線がぶつかる。女の子は俺の顔をじっと見つめたまま固まってしまった。
「…あの?」
「っ、ご、ごめんなさいっ。いきなり無遠慮に見つめて…」
そのまま何も言わない女の子に声をかけると、ぴくりと体を震わせてから慌てて口を開き、謝罪する。
まあそこは別に気にしてはいない。しかし、俺の名前を呼んだ事だけがどうしても気になる。
俺はこの子を知らない。深山先生の顔を見た時に感じた、既視感も全く過らない。だが、この子は俺の名前を知っている。
「そこは気にしてません。でも今、俺の名前を呼びましたよね?」
「…やっぱり、柳君なんだ」
確証があった訳ではなかったようだが、果たして俺とこの子の接点はいつ、どこで生まれたのか。
それを聞くべく、口を開く。
「すいません。どこかでお会いしましたか?」
「…覚えてないか。まあ仕方ないよね、私は君とそんなに話さなかったし」
問いかけると、その子は少し寂しげな表情を浮かべてから、すぐに今度は微笑んで俺の質問に答える。
「十年前、この病院で。といっても、さっき言った通り、仲良くなったって訳じゃないんだけど…。でも、久しぶりにその絵を見たら、思い出したんだ。君の事」
そう言いながらその子が視線を向けたのは、先程俺が目を奪われたあの絵だった。
題名もない、描いた子供の名前も載っていない絵。十年前に出会った女の子とのちょっとした思い出。
しかし、たったそれだけでは収まらない光景が描かれた絵に、俺は再び目を向けた。
「柳…。そうか、やはり君が、あの時の…」
「?」
茫然としたその声に振り返る。
「センセー?」
「いや…。僕も、君の事を覚えている一人でね。といっても、染井さんとはまた違う経緯なんだが…」
深山先生はそこで一旦言葉を切ると、口を開閉させる。何か言いづらい事なのだろうか。
その疑問は数秒後、深山先生の言葉で晴らされる。
「君の祖母が亡くなったあの場に…、僕は居合わせていてね」
「─────」
その台詞に合点がいく。
なるほど、あの場に第三者として居合わせたのなら、俺の顔を覚えていても不思議ではない。あんな光景、忘れる方が難しいだろう。
しかし十年も前の事を、いくら俺の顔を見たからとはいえ思い出した事に驚きは隠せない。
「あの頃の僕は、まだ医者になりたてでね。あの時の光景は胸に突き刺さった」
「…」
俺にとっての苦い思い出は、この人にとっても苦い思い出として心に残っていたらしい。
あの時の俺は両親に庇われながら、ただただ俯いていただけだったから、周囲にいた人の顔なんて見てすらいなかった。
「ステラで誕生会を開いてもらったあの日、君の顔を見て、あの時の事を思い出した。あの時の君の顔を思い出した。…何様だと思われるかもしれないけど、あのお店で、笑顔でいた君を見て…僕はホッとしたんだ」
「…」
「…すまない。全く覚えのない人からこんな事を言われても困るだけだろう。忘れてくれ」
「いえ。…ありがとうございます」
少し前の、まだ過去を吹っ切れていなかった時の俺だったらどう思っていただろう。この人の心配を煩わしいと、切り捨てていたかもしれない。
戸惑いが全くないと言ったら嘘になる。ただそれ以上に、深山先生が抱いていた心配を、今の俺は素直に受け入れる事が出来た。
深山先生にお礼を口にしてから、次に染井さんと呼ばれていた女の子の方へと向いた。
「この絵の事を聞きたい所だけど、あまりのんびりはしてられないんだ。だから…、近い内にお見舞いに行ってもいいか?」
「…うん、勿論」
女の子が笑顔を浮かべて頷く。
その後、俺はその子にお礼を言い、挨拶を交わしてから二人に背中を向けた。
慌てる必要はない。時間はたっぷりある。
だから、
店に戻ってからは特に何事もなく、涼音さんが作った賄いを食べ、少し休んでから再び仕事へ。
混雑のピークを過ぎてからも、普段の休日並みの忙しさに追われた。予約のケーキを取りに来たお客さんの相手もしているフロア担当の人達は俺達以上に慌ただしく動いていた。
それでも夕方を過ぎるとお客さんの数も減っていき、次第に手を止める時間が増えていく。
やがて閉店時間を迎え、最後のお客さんの帰りを全員で見送る。
外の看板をclosedにして、お客さんが居なくなった店内の掃除も終えて、後は帰るだけ─────
「「「メリークリスマス」」」
なのだが、そのまま帰りはせずに、何の問題もなくクリスマスを乗りきった事を祝し、ちょっとしたパーティーを開いた。
それぞれの手元には紅茶、或いはコーヒー。テーブルの真ん中には、今日のキャンセル分で残ったブッシュ・ド・ノエル。
全て店の物だが、今日くらいは良いだろうとミカドが目を瞑り、このパーティーの開催に至った。
「好評だったな。ケーキ」
切り分けられたブッシュ・ド・ノエルを味わっていると、いつの間にか傍に来ていた高嶺から声を掛けられた。
口の中の物を咀嚼し、飲み込んでから一度頷く。
「あぁ。…エゴサしてみるか?」
「えっ…」
高嶺の表情が固まる。
フロアにいたナツメ達は、ケーキを受けとるお客さんの顔を直接見ているが、厨房にいた俺達はそうじゃない。
お客さんの顔を、声を、直接聞いていない。だから、ふと気になったのだ。お客さんの生の感想を知りたい、と。
「気にならないか?」
「いや、なるけど…。柳って、度胸あるよな…」
「そうか?…ちょっと待ってろ、スマホとってくる」
高嶺に一言かけてから席を立ち、バックヤードへと向かう。そこで自分のロッカーを開け、コートのポケットの中からスマホを取り出す。
「…ん?」
スマホを手にとってから気付く。
青色のライトが点滅し、着信があった事を報せている。
ロッカーの扉を閉め、フロアへと繋がる扉を開けながらスマホの電源を入れ、誰からの着信だったかを確認する。
「─────」
そこに書かれた登録名を見て、俺は履歴画面を閉じた。
まあ、あれだ。通話を返すのは部屋に帰ってからで良いだろう。そうしよう。
一秒にも満たない思考の後、そう決めた俺はフロアの元の席へと戻り、SNSを開く。
そこに載った声は好意的なものばかりだった。というより、それしかなかった。
感想一つ一つを注視するのではなく、スクロールしながら流し見ていたから見逃したという可能性もなくはないが、それでも今回の試みが大成功だったと判断するには充分だ。
「何見てるんですか?」
「うおっ」
高嶺とSNSのコメントを眺めていると、ぬっと視界の端から後頭部が現れる。
薄紫の旋毛が突如目の前に現れ、小さく驚きの声が漏れた。
「あ、これもしかして…」
「うん。ステラで出したクリスマスケーキの感想だよ」
「おーっ!大好評ですね!」
スマホの画面を覗き込む火打谷さんが歓声をあげ、その場から少し離れる。
かと思えば、火打谷さんはその顔に僅かな緊張を浮かべながら俺の方を見た。
「どうした?」
一言、火打谷さんに問いかける。
火打谷さんは何やら口をモゴモゴさせている。何か言いたい事があるらしいが、それは言いづらい事でもあるらしい。
「そのー…。クリスマスケーキが好評なのは良かったんですけどー…」
「おう」
「それよりも…、千尋先輩とナツメ先輩に聞きたい事がありまして…」
───────────────
火打谷さんがそう言った瞬間、空気が固まった。直後、俺とナツメ以外の皆の表情が変わる。
高嶺と墨染さんは、火打谷さんと同じ様に少し緊張気味の表情に。明月さんと涼音さんは、やや悪戯気な笑みを浮かべた。
…物凄く嫌な予感がする。それもこの予感にはどうも覚えがある。つい最近、何なら今日、似た感覚を覚えた気が─────
「いいですか?」
「えぇ、いいけど…。どうしたの?」
「─────」
まずい。そう思った時には遅かった。止めに入る前に、ナツメが火打谷さんに続きを促してしまった。
火打谷さんはもう口を開こうとしている。
どうする、どうする、どうする。しかし、この思考時間もただのカウントダウンに成り果てる。
「お二人は昨日、大人の階段を登っちゃったんですか!?」
「「…」」
二人して固まる。
純粋に火打谷さんの疑問に答えようとしていたナツメは勿論、俺もそのド直球な質問に固まってしまった。
もう少しこう、遠回しな聞き方はなかったのか。それだったら、言葉を濁しながら嘘を吐く事なくうやむやに出来たかもしれないのに。
まさかこんな一気に逃げ道を塞いでくるとは思わなかった。
「…えっと、もう一度言ってくれる?」
「お二人は昨日、大人の階段をお登りになられたのでしょうか」
「おかしい。日本語がおかしいぞ火打谷さん」
顔を真っ赤にしながらナツメの要求に応える火打谷さんだったが、冷静ではいられないらしい。
まあこんなド直球な質問、羞恥を覚えて当然だとは思うが。
「…えっと」
頬に羞恥の色が浮かんでいる所を見ると、質問の意味自体は理解しているようだ。しかし、この状況を呑み込めてはいないらしい。
当然だ。仕事終わりのクリスマスパーティーの最中に、端的に言えばS○Xしたんですかと聞かれたのだから、混乱するのも無理はない。
「千尋くーん?どこに行こうとしてるのかなー?」
「…くっ」
ここは戦略的撤退を、と試みたその時、背後から涼音さんに声をかけられる。
どうやら読まれていたようだ。立ち上がろうとした足を戻して座り直す。
「ナツメ先輩!」
「ナツメさん!」
「え…、えぇっ!?」
ナツメの方を見ると、火打谷さんだけでなく墨染さんにも詰め寄られていた。
時折チラチラとこちらに視線を向けるナツメ。俺に助けを求めているようだが…、大変心苦しいが、この状況を打破する力は俺にはない。俺は無力だ。
だが無力故に、一度標的にされればどうしようもなくなるのである。
「千尋先輩!」
「千尋さん!」
「待て、こっちに来るな」
ナツメの視線の先に俺がいると気付いた二人が今度は俺に詰め寄ってくる。
二人の背後ではナツメが困った顔でこちらを眺めている。
─────いや、待って。助けて、助けてくれナツメ。
先程までの自分を棚上げして、視線でナツメに助けを求める。
「まあ、この反応が色々と物語ってる気はするけどねー」
「付き合い始めたその日にS○Xですか…。やりますね」
「んなっ…」
この状況を楽しんでいる二人であり、もうとっくに俺とナツメの関係がどうなったのか、察しがついているであろう涼音さんと明月さんがニヤニヤしながら言う。
その言葉に、ナツメが分かりやすく動揺してしまった。こうなればもう、誰から見ても明らかである。
「あわわわわわわわわわ…。シたんだ…。ナツメ先輩、シたんだ…。千尋先輩のけだもの!」
「…」
何か反論したい所だが、反論できる要素が見つからない。ただおとなしくしている事しか出来ない。
「…っ」
フロアが騒がしくなってきた、その時だった。テーブルの上に置きっぱなしになっていた俺のスマホから着信音が鳴り響く。
静になった皆の視線が注がれる中、スマホを手にとって誰からの着信かを確認する。
「─────」
画面に書かれた登録名を見て、動きを止める。それは、先程スマホを取りに行った際に見た、不在着信を入れてきた相手と同じ名前だ。
一度周りを見回し、どうするか考える。
この電話に出るか、それとも無視するのか。
「出ないのか?」
「いや、出る…あ」
すると、俺の様子を不審に思った高嶺に声をかけられ、反射的に返事を返しながら通話を繋げてしまった。
画面に映る通話中という文字。こうなっては仕方ない、と観念して、スピーカーを耳に当てる。
「もしも『メリイイイイイイイイイイイイイイイイイイィクリスm』…」
通話を切った。
通話を繋げた瞬間にスピーカーから聞こえてきた奇声に等しい大声に思わず耳を離し、電話の向こうの相手が歌い切るつもりだと察してから通話を切った。
スマホをテーブルに置き、フォークで刺したブッシュ・ド・ノエルを口に入れる。
「…千尋?」
「…どうした、ナツメ?」
「さっきの電話…、大丈夫なの?」
「…電話なんてなかっt」
電話なんてなかった、と言おうとしたのだが、言い切る前に再び着信音が鳴り出す。紅茶が入ったカップに伸びた手が止まる。
一度目の着信から俺に集まったままの視線を受け続けながら、再びスマホをとる。
「もしもし」
『もぉ!どうして切っちゃうの?酷いよちーちゃん!』
「通話を繋げた途端奇声が響いてきたら誰だって切るだろ」
『奇声じゃないわよ!ちーちゃんのバカっ!』
通話を繋げると先程と同じ奇声が─────という事はなかった。一応、電話を掛けてきた相手は先程と同じなのだが、いきなり奇声を上げる奇行には走らなかった。
本人には奇行という自覚はないらしいが。
「で、何の用だよ。今ちょっと取り込み中なんだけど」
『別に用事はないけど。ただ、ちーちゃんの声が聞きたいなーって思って。クリスマスだし♪』
「用がないなら切るぞ。さっきも言ったけど、取り込み中だ。帰ったらまた電話かけ直す」
『あー、待って待って!一つ伝えたい事があるからストップ!』
耳からスピーカーを離して電話を切ろうとすると、慌てた様子で相手が俺を止める。
その声色から、伝えたい事があるのは本当の様だから仕方なくスピーカーをもう一度耳に当てる。
「なに?」
『クリスマスプレゼント。もうちーちゃんの家に来てるから、楽しみにしててね♪』
後から考えれば、この台詞は妙だった。しかしその違和感を、今の俺は気付く事が出来なかった。
とにかくこの電話を終わらせたかった。何だって恋人と友人達の前で
「あぁ分かった。分かったから、切るぞ」
『…ちーちゃん冷たい。反抗期が長すぎるぞちーちゃん!もっとお母さんに優しくしてくれてもい』
切った。これくらい強引に切らないとずるずると長電話になってしまう。国際電話って結構電話料喰うんだぞ、分かってるのかあのバカ親は。
「…バカ母が失礼しました」
完全にパーティーに水を差す形になった事に、母さんの代わりに謝罪する。
この謝罪に最初に反応を返したのは火打谷さんだった。
「さっきの電話、お母さんだったんですね」
「はい、お母さんだったんです」
「何というか…、元気な方ですね…」
「…恥ずかしい。死にたい」
二度目の着信からの会話は分からないが、少なくとも一度目の着信にて母さんが発した奇声は皆にも聞こえていた筈だ。
だからこそ、火打谷さんの微妙な笑顔が心に刺さる。恥ずかしい。死にたい。まさにその言葉通りの感情を抱きながら、俺はテーブルに突っ伏した。
その後は涼音さんが皆を包んだ微妙な空気をとある話題で払拭し、それによってある二人が犠牲になりながらパーティーは明るい空気を取り戻した。
残ったブッシュ・ド・ノエルを食べきってからも、昨日の俺とナツメのデートについて色々とつつかれ、更に下の名前で呼びあっている事にも気付かれかなりからかわれた。
俺が車で迎えに来てからどこへ行ったのか、何をしたのか、ナツメの部屋にお邪魔した所まで吐かされた。数の暴力には勝てないのだと思い知らされた。
というか、何で女という生き物はああいった話題になるとテンションが振り切れるんだ。
ナツメの部屋に泊まったって言った直後のあの金切り声はヤバかった。
「…疲れた」
「お疲れ。…いやホント、お疲れ」
そして今、俺は夜道をナツメと並んで歩いている。パーティーも終わり、片付けと着替えも済ませて帰路についている途中だ。
隣で疲れきっている様子のナツメを労う。
主に女性組からの追求のターゲットになったのはナツメだ。俺の方にも時折追求の手は迫ったのだが、殆どの質問に答えていたのはナツメだった。
何とか助け船を出したかったのだが…、情けない話だが、涼音さん達の勢いに圧倒されて口を挟めなかった。
いやしかし、いつから好きだったんですか?とか、キスしたんですか?とか、キスはどんな味でしたか?とか、そんな事を聞かれまくってる所に乱入できるだろうか。いや、出来ない。
まあただの言い訳にしかならないが。
たまに助けを求めて俺に視線を向けてきたナツメに本当に申し訳なかった。マジで情けない彼氏でごめんなさい。
「でも…、私達だけじゃなくて良かった」
「…そうだな」
そんな疲れきった中でも、ナツメは微笑んだ。
良かった、と。
それは、母さんからの電話のせいで微妙な空気になった時、それを払拭すべく涼音さんが切り出した話題の事だった。
「しかし、まさか店内で公開告白とはな。閉店してからとはいえ、よくもまあ…」
昨日、つまりクリスマスイブ。俺とナツメが店を休んだ日、とある事件が起きた。
それが先程俺が言った、公開告白である。
誰が誰に告白したのかというと、勿論、高嶺が明月さんにだ。
涼音さん曰く、バックヤードで、フロアにまで聞こえる大声で、情熱的に告白し合っていたらしい。
そう、告白し合っていただ。高嶺だけでなく、明月さんもなのだ。
あの二人は結ばれた。二人は付き合う事を選んだのだ。たとえどれだけ短い時間でも、想い合う事を選んだ。
ならばそれを祝福しよう。いずれ来る終わりの時まで、二人を見守ろう。
「…ナツメ?」
そうして歩く内に、俺のアパートとナツメのアパートへの道が分かれる交差点まで来た。
いつもの様にナツメを部屋まで送るべく、ナツメのアパートの方へと歩くがその時、ナツメが立ち止まった。
不思議に思い、振り返ってナツメを呼ぶ。
「…」
立ち止まったナツメは俺を見上げていた。街灯に照らされて、ナツメの頬が赤く染まっているのが分かる。
どうかしたのか、俺は体を反転させてナツメと向き合う。
「…今日は」
ナツメがおずおずと口を開く。恥ずかしそうに視線を巡らせながら、ナツメは続ける。
「今日は…、クリスマス、じゃない…?」
「…そうだな」
ナツメの言う通り、今日はクリスマスである。しかしだから何なのかさっぱり分からず、それにまだナツメは何か言いたげだったため、黙って続きを待つ。
「その…、昨日は、私の部屋で過ごした…から…」
「…」
「今日は、その…」
「…」
今度は俺が赤くなる番だった。
まだハッキリとそう告げた訳ではないが、ここまで来ればもう、ナツメが何を言いたいのか、俺に何を求めているのかは一目瞭然だ。
しかし、それを言葉に出すのは流石に恥ずかしいのか、ナツメはもじもじしたまま何も言い出せずにいる。
「…来るか?俺の部屋」
「え─────」
「今日はクリスマスだし」
それなら自分から誘うのが男というものだろう。
俺も自分の部屋に誘うのは少し恥ずかしく、ナツメの顔を見れない。
だが─────
「─────うん」
返ってくるその声色で、今ナツメがどんな顔をしているかが浮かんでくる。
ナツメは俺の隣まで駆け寄ると、何も言わずに俺の手を握る。
俺もナツメの手を握り返して、しっかりと繋ぎ合ったままナツメのアパートではなく、俺のアパートの方へと歩き出した。
「マフラー、使ってくれたんだな」
夜道を歩く途中、ナツメの首もとを見ながら言う。
今日、店に行く途中でナツメと合流した時から気付いてはいたが、その時は急ぐのを優先して言わなかった。
それに仕事中もそういう話をする訳にもいかないし、休憩も結局は俺が忘れ物を届けに行ったから時間がずれてしまった。
ナツメの首に巻かれたマフラーは、俺が昨日ナツメにプレゼントしたものだ。昨日の今日で早速使ってくれている。
「うん、とても温かい。ありがとう」
「いや。こちらこそ、使ってくれてありがとう」
互いにお礼を言い合い、微笑み合う。
甘い雰囲気の中、街灯で照らされる歩道を歩き、やがて俺のアパートの前まで辿り着く。
ここまで来ると、甘い雰囲気の中に緊張が混じり出す。
今日はクリスマスで、恋人と俺の部屋で二人きり。
こんなシチュエーションだと、男としてはどうしても期待してしまう。昨日から今日に掛けて体験した、あの二度目を。
とはいえ強引にするつもりは更々ない。しかし、期待だけはどうも抑えられない。
どうしたものかと、自身の性欲に呆れながらアパートを、二階にある自分の部屋のベランダを見上げて─────
「─────」
そのあり得ない光景を前にして、俺は固まってしまった。
「千尋?」
俺の様子がおかしい事に気が付いたナツメが俺を呼び掛ける。
「どうしたの?」
「…電気がついてる」
「え?」
その問いかけに、簡潔に答える。
ナツメもまた俺と同じ方を見上げ、そして目を見開いた。
この位置からでは当然、部屋の中は見えない。ただ、部屋の電気が着いている事だけはハッキリと目視できた。
俺以外の誰かが部屋の中にいる、或いはいた。空き巣か、それとも─────
ここで俺の中で一つの可能性が過る。あれからもう一月以上が経ったのか。あの人智を越えた存在達との衝突。
奴らは消滅した訳ではなく、あの時はただ撃退しただけだ。それならば、再び俺を襲撃しに来たっておかしくはない。
「ナツメはここにいろ。何もなかったらここに戻ってくる」
「な─────」
ナツメの手を解き、そう言い残して俺はアパートに入ろうと足を踏み出す。
「待って!」
だがそれは、ナツメが俺の手を掴んで来た事で止められた。
「私も行く」
「いや、それは駄目だ。ここで待ってろ」
「出来ない。ここで千尋を待ってるだけなんて」
ナツメの視線に射抜かれる。
もし俺がナツメの立場だったら同じ事をしただろう。しかしだ。
「危なすぎる」
「だから千尋を危ない所に一人行かせてここで待てって?出来る訳ないでしょ、そんな事」
何もないかもしれない。ただ、間違いなく俺の部屋に誰かが侵入したのは間違いないのだ。そしてその侵入者は今も俺の部屋にいるかもしれない。
そいつと鉢合わせして、荒事になる可能性だってある。俺はいい。最悪、目の力も駆使してそいつを押さえ込む。だが巻き込まれるナツメはどうだ。ただでさえ非力な女の子なのだ。どうなるか分かったものじゃない。
それでも、それを分かった上でナツメは俺についてこようとしている。
「…分かったよ」
こうなったナツメはもう譲らない。仕方なく、ナツメがついてくる事を了承する。
ナツメと一緒に建物の中に入る。なるべく足音が立たないよう慎重に階段を登り、俺の部屋の扉の前まで行く。
ポケットの中から昨日、ナツメから貰ったキーケースを取り出し、その中から家の鍵を取る。
「開けるぞ」
そっと、すぐ傍らにいるナツメに言う。
ナツメが無言で頷いたのを見てから、これもなるべく音が立たないよう慎重に鍵を差し込み、錠を開ける。
そこからはあっという間だった。
勢いよく扉を開けて、靴も脱がずに玄関から部屋の中へと飛び込む。
「あ、ちーちゃん。お帰りー」
「…」
部屋の中にいたのは、二人の男女だった。その内の台所で立っていた茶髪の女性が部屋に入った俺を呑気に出迎えた。
「…おい千尋。お前、何で靴を履いたままなんだ」
そして次に俺に声を掛けてきたのは黒髪の男性。椅子に座り、のんびりとティーカップを握って俺を呆れた目で見ている。
「…千尋」
遅れて部屋に入ってきたナツメが俺に話しかける。
この光景に、ナツメも戸惑っている様子。しかし、断言しよう。この場で戸惑っているのは俺である。
「ちょっとちーちゃん!その子誰!?なに女の子を部屋に連れ込んでるの!?」
「…」
「…もしかして、彼女!?アナタ、ちーちゃんに彼女が!」
「…マジで?」
そして、部屋に入ってきたナツメを見て騒ぐ女性と信じられないと言わんばかりに目と口を大きく開けて唖然とする男性。
もうここまで来れば分かるだろう。この二人は─────
「…何でここにいる。父さん、母さん」
俺の両親である。
襲・来