アパートから徒歩で五分ほど行った所にある公園。そこのベンチに腰掛けながら、ボーッと星空を見上げる。
父さんに部屋を追い出され、それからゆっくり歩いてコンビニへ。俺を含めた四人分のお酒を購入して帰路につくが、そのまま真っ直ぐ帰れば指定された三十分よりも早くなってしまう。
という事で公園に寄り道したはいいものの、する事は持ってきたスマホをいじるか、こうして空を見上げるくらい。
「…そろそろいいか」
しかしそれでも、三十分くらいなら案外時間は潰せるもので、気付けば丁度いい時間になっていた。
腰を上げてアパートの方へと足を向け、再び帰路につく。
時間も時間で、住宅街の歩道を歩く人は殆どいない。一応コンビニにはデート帰りに寄ったと思われるカップルが数組いたが、殆ど人が出歩かない時間だ。
俺だって、父さんに頼まれなきゃ普通に部屋にいただろうし。
「…」
公園を出てから五分、アパートの前まで辿り着く。俺の部屋の明かりは、まあ当然だが点いている。
今頃、ナツメと父さん達は何を話しているんだろう。俺に聞かれたくないという話は終わっただろうか。というより、俺に聞かれたくない話って何なんだ。ろくな話じゃなさそうだが。
「ナツメに変な事を吹き込んでたら許さん」
ポツリと呟いてから、アパートの中へと入る。階段を登り、二階にある俺の部屋の扉の前で鍵を取り出して錠を開ける。
もう指定された時間は過ぎているし構わないだろう。話が途中だったとしても関係ない。指定した時間を守らないそっちが悪い。
そう割り切りながら後ろ手に鍵を閉め、靴を脱いで玄関から部屋の中へと入る。
「ただい…ま?」
「おう。お帰り」
部屋の中に入ると、まず最初に声を掛けてきたのは父さんだった。
続いてナツメと母さんも俺にお帰り、と声を掛けてくる。まあ、それはいいのだ。そこは何も問題じゃない。
「…何してんの?」
「何って、見りゃ分かるだろ。荷物片付けてんだよ」
問題は、父さんと母さんがスーツケースに荷物を片付けている事である。
いや、何故?これから数日、或いは一週間以上泊まるのだから、そんな片付ける必要はない筈だが。
「帰るのか?」
「まさか。そんな今日明日でチケットはとれないよ」
何か急ぎの用事が入り、急遽帰らないといけなくなった─────という訳ではないらしい。
それなら何故、そんなに急にこの部屋を出ようとしているのか。
「私達はお邪魔でしょ?」
「は?」
不意にそんな事を言い出す母さんに、思わず呆けた声が漏れる。
その言葉の意味を理解できず、母さんを見ながら首を傾げてしまう。
「今日はクリスマスなんだし、ナツメさんとイチャイチャしたいでしょう?」
「…は?」
「というより、そのつもりだったんでしょ。部屋に連れ込んで、ちーちゃんは何するつもりだったのかなぁ~?」
「…別に」
「ん~?顔が赤いぞ~、ちーいちゃん?」
俺の首に腕を回し、腕を回した方の手の人差し指でつんつんと頬を突いてくる母さん。
「やめろ」
「はははっ」
息子をからかって何がそんなに楽しいのか。
けらけら笑いながら母さんは俺から離れて、スーツケースを持ち上げると父さんの隣へと場所を移す。
「それじゃあ、俺達は行くからな」
そう言うと、二人は俺に背を向け、玄関へと向かう。
あぁ、本当に行くのか。何かのドッキリとかそんなんじゃなく。他人に遣う気を持ってるのか、この二人。
「いつまで日本にいるんだ?」
「ん?今のところは一週間は滞在するつもりだ」
「ふーん」
滞在する期間はいつも通りらしい。
じゃあその間にどっか食事でも奢ってやろうか。去年も一昨年も、日本に来た二人にご馳走されてばっかりだったし。
「それじゃあね、ちーちゃん」
「あぁ」
靴を履き終えた二人がこちらを向く。母さんが微笑みながら俺に声を掛けて、そして今度はナツメの方へと向いた。
「ナツメさん」
「っ、はい」
「ちーちゃんの事、よろしくね?大変だと思うけど」
「…はい」
何やら俺に対して物凄く失礼な事を言っている様な気がするが、気のせいだと考えておく。
何故だか母さんの顔を見ていると、ここで突っ込んではいけない気がした。
「じゃあな、千尋」
「あぁ」
最初に父さんが扉を開けて外へ出る。そして、次に父さんが開放した扉の前で、もう一度母さんがこちらを向いて。
「…バイバイ、ちーちゃん」
母さんが手を振りながら言って、部屋を出ていった。
閉まった扉の向こうから、二人が階段を降りていく足音が聞こえてくる。
その音も次第に小さくなっていき、やがて聞こえなくなる。
扉の鍵を閉めて、ナツメと部屋に戻ったのは二人の足音が聞こえなくなってから。先程までは騒がしかった部屋が、今はやけに静かで、どことなく虚ろに思える。
「…あ」
ふと、テーブルの上に置かれたコンビニの袋が目に入る。そこに入っているのは四人分のお酒。結局、買ってこいと言った本人達はそれを飲まずに行ってしまった。
小さく溜め息を吐きながら、父さんと母さんの分と考えて買ったビール二本を冷蔵庫にしまい、残りのチューハイ二本を持って、座布団に腰を下ろすナツメの傍まで歩み寄る。
「ナツメ、飲むか?」
ナツメの方に二本のチューハイの内、アルコール分が低い方を差し出しながら問い掛ける。
「…」
しかしナツメは反応を示さない。どこか浮かない表情をしながら俯いたまま。
「おい」
「っ、ひゃっ」
今度は呼ぶだけじゃなく、ナツメの頬に缶を当てる。流石にこれには反応を示し、突然伝わってくる冷たい感触に驚いたナツメがようやくこちらを向く。
「飲むか?」
「…うん」
もう一度問い掛けると、今度は頷くナツメ。俺が差し出した方の缶を受け取ったのを見てから、俺もナツメの隣に座布団を敷いてそこに腰を下ろす。
「なにボーッとしてたんだ?」
「…」
受け取った缶を握ったまま、それを飲もうとしないナツメに話し掛ける。
ナツメは先程と変わらない浮かない表情のままこちらを向いて、何か言おうと口を開く。
しかし何か言葉は出ないまま、その口は閉じてしまった。
ナツメと父さん達を置いて部屋を出る前はこんな様子じゃなかった。いつもの元気なナツメだった。ならば、ナツメがこうなった理由は火を見るより明らかだ。
父さん達と話をした結果、こうなった。それに限る。
「二人から何を聞いた?」
「っ─────」
ナツメがびくりと震える。どうやら図星らしい。
しかしここまで塞ぎ込むとか、あの二人は一体ナツメに何を話したんだ。
「何を言われたか知らないけど、あんま気にすんなよ」
「…無理」
プルタブを開けて中身を呷ろうとしたその時、ナツメから返ってきた返答を聞いて動きを止める。
「私、何も聞いてない」
ナツメが俺を見上げる。その顔は、どこか怒っている様に見えた。
だがナツメが何に怒っているのか俺には皆目見当がつかない。
「気にするな、なんて無理。あんな話を聞かされて…、好きな人の悲しい話を聞かされて、気にしないなんて出来る訳ない」
「…」
悲しい話。そのフレーズを聞いた瞬間に引っ掛かりを覚え、直後にナツメが父さん達から聞いた話が何なのか、合点がいった。
二人がどういうつもりでナツメに話したのかは知らないが、つまりは俺の過去について聞いたのだろう。まあ、この目の事で色々と言われたからな。
「…それこそ、ホントに気にしなくて良いんだけどな。割り切ってるし」
「割り切ってるって…」
「割り切れたんだよ。ナツメのお陰で」
ナツメの顔から怒りが消え、目を丸くして呆けた表情へと変わる。
「少し前までずっと引っ掛かってた。あの人が言った通り、俺はばあちゃんを助けられなかったって。ばあちゃんとの約束を守れなかったって」
「…約束」
「昔な。この目の力を、人を救うために使いなさいって。それなのに、俺はばあちゃんを助けられなかった」
所詮こんなものなんだと。こんな目を持っていたって、宝の持ち腐れだと。
俺なんかじゃ、誰も救えないんだ。俺のせいでばあちゃんは死んだんだ。
今考えれば、とんでもなくぶっ飛んだ考え方をしてたものだ。それくらい、あのおばさんの言葉が効いていたらしい。
だが、もう俺は知っている。俺でも他人を、好きな人を助けられるのだと知っている。
「ナツメ。俺はお前を助けられたんだよな」
「…うん。私は千尋のお陰で救われた」
「だから、俺は過去を割り切れた。だからもういい。あんなものに縛られてた俺はもういない」
俺自身何かをしたという自覚はないが結果、ナツメを死の運命から救い出せた。こんな俺でも人を救えるのだと知った。
チューハイを少量口の中に含み、味わってから飲み下す。大きく息を吐いてから、ナツメの方を向いて口を開く。
「そんなのよりも大事な今がある。これから見ていきたい未来がある。戻れない過去に縛られるのは、もう終わりにした」
「…そっか」
俺と目を見合わせてから数秒、視線を逸らしながらナツメは小さく溢した。
「千尋は、強いね」
「強くなんてないさ。俺一人で乗り越えたんじゃないし」
そう、俺は強くなんてない。強かったら第一あんな過去に囚われたりしないだろう。
ナツメがいて、皆がいて、だから乗り越えられた。
「だからナツメも大丈夫だ」
「…そう、かな」
「前までの俺と違って、手を借りたい放題出来る相手がいるだろ」
不安がったままのナツメが俺を見上げる。見上げて、俺の顔を見て、ゆっくりと微笑む。
「そっか。今の私には、貴方がいるんだ」
そう言ってから、ナツメは俺の腕に寄りかかってくる。
「好きなだけ寄りかかれる千尋がいるんだった」
「あぁ。好きなだけ寄りかかっていいぞ」
ナツメに返事を返しながら、右手に持っていた缶を置いて、その腕でナツメを抱き締める。
ナツメの温もりが身を包む。ナツメの香りが鼻腔を擽る。
先程までの沈んだ空気はどこにもなかった。その代わりに部屋を包むのは、恋人同士の艷めいた空気。
「…千尋。こっち向いて」
不意にナツメがそう言い出す。その言葉に従って、何も言わずにナツメの方を向く。
直後、唇が柔らかく温かい何かに触れた。
「ん…」
至近距離に、目を瞑ったナツメの顔がある。唇に触れているのが何なのか、もう俺には分かっていた。
「んむ…ぅ」
ナツメの要求に応えて、唇を動かす。
「んちゅ…む……はぁ…ちゅる…んんっ…」
初めはソフトな触れ合いが、次第に激しさを増していく。というか、ナツメから仕掛けてきたキスが、今では俺の方からもっと深いそれを要求する様になった。
ナツメの要求に俺が応えるキスから、俺の要求にナツメが応えるキスへ。口の周りが汚れるのも気にせず、互いに貪り合う様にキスを繰り返す。
「はぁっ…、んっ…じゅる……ちゅぱ、んん…!」
息が苦しくなれば唇を離して、そして息を吸い込んでからもう一度キスをする。
キスを繰り返して、また息苦しくなってきたらまた唇を離して、呼吸をしてからまた唇を重ねる。
キスをしながら、まだ冷静を保っている天使の俺が語り掛けてくる。もうそろそろ止めろと、ナツメも苦しいだろうから、と。
しかしそれに対抗して悪魔の俺が語り掛けてくるのだ。いや、苦しくなったらナツメから合図があるだろう。それがないって事はもっとしたいって事で間違いない。
あー、どうしよう。やっぱり天使の言う通り、一度キスを止めて呼吸を整えるべきか。一応息継ぎの時間を作ってるとはいえ限界はある。
いやでも、ナツメも本当に苦しくなったら胸を叩くなりしてくるだろうし、ていうか気持ち良くて止めたくないし。
てかそんな事よりもキスの気持ち良さとかナツメの温もりとか匂いとかで俺の理性が限界なんだが。
『『それならキスを止めていっちまえ!!!』』
その瞬間、天使と悪魔が声を重ねて叫んだ。
え、そうなるの?天使的にはナツメが息苦しくなければそれでいいんだ?悪魔的にはキスよりも更に深く繋がれるからそれでいいんだ?
しかしまあ、天使と悪魔の意見が一致したという事で。
唇を離し、ナツメから一度離れる。といっても、抱き締めたままだし、キスの最中に抱き締める腕が両腕になった事で最初よりも距離は縮まっているが。
「…ナツメ」
荒くなった息を整えるナツメの赤くなった顔を覗き込みながら、小さく呼び掛ける。
俯かせた視線を上げて、潤んだ目を俺に向けてくるナツメ。呼吸を繰り返す口を一度閉じてから、ナツメは小さく頷いた。
それは了承のサイン。俺の要求を、ナツメが受け入れたという証。
それを見て、今度は俺の方からナツメと唇を重ね合わせる。
そのまま床に倒れ込んだ俺達は、更なる繋がりを求めたのだった。
「…今度は寝坊しなかったか」
朝、目が覚めた俺は緊張に駆られてすぐに時計を見上げた。時刻は五時を少し過ぎた所。充分朝の仕込みには間に合う時間である。
布団を剥がして体を起こす。その際、まだ隣で寝ているナツメを起こさない様に努めて…いや、違う。起こさないとダメなんだ。心地よさそうに寝てる所心苦しいけど、起こさないとダメなんだった。
「ナツメ、起きろ。朝だぞ」
「…んん、朝…?」
ナツメの肩に手を置いて、軽く揺すりながら呼び掛ける。
反応は比較的すぐに返ってきた。目はまだ瞑ったままだが、眠そうな声で俺の台詞を繰り返す。
「あぁ、朝だ。早く起きないと遅刻するぞ」
「ちこく…、遅刻…っ!?」
うっすら目を開けたナツメが、寝ぼけ眼のまま遅刻という単語を繰り返したかと思うと、突如勢い良く起き上がる。
恐らく昨日の悲しい事故を思い出したのだろう。その気持ちはよく分かる。
は?事故じゃない?あれは自業自得?
ちょっと話が理解できないな俺日本語じゃないと分かんないなー。
「おはよう」
「千尋、遅刻って…」
「あー、まだ大丈夫だから。ほら、時間も余裕あるだろ」
「…はぁ~、よかった…」
俺が指差す先にある時計を見て、ナツメが安堵のため息を漏らす。
かと思うと、ふと今の自分の格好を見下ろしたナツメが恥ずかしげに頬を染めながらこちらを見る。
「…なに?」
「…別に」
問い掛けにそう答えるナツメだが、つまり自分の今の格好が恥ずかしいのだ。
何しろ今、下の方は布団で隠されて見えないが、ナツメは裸だ。
昨日、あれからまあ、一度シてから、今度は場所をベッドに移して二回戦。前日に続いてで疲労があったからか、そこでナツメが眠ってしまった。
俺もナツメと一緒の布団を被って寝て、そして今に至る。
「俺朝御飯作ってるから、ナツメはシャワー浴びてこいよ」
言いながら布団から体を出してベッドから降りる。
その際、ナツメが俺を見て更に顔を赤くしたが、見なかった事にする。
ナツメの顔を見て我ながらとんでもない事したんじゃないかという気がしてくるが、気にしない事にする。
ナツメがいる方には背を向けて、箪笥から着替えを探す。
「…ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうから」
背後から聞こえてくるナツメの声と足音。
足音はそのまま風呂場の方へと離れていき、やがて風呂場の扉が閉まる音が聞こえてくる。
「…はぁ~」
それと同時に、息を大きく吐き出す。
何だろう、二度目だというのにどうも緊張してしまった。
いや、一度目は色々とあれだったせいでこうやって余韻に浸る暇もなかったから仕方のない事かもしれない。
「…やばいなー」
箪笥を漁る手を止めて、ポツリと呟く。
「マジでやばいな…。どんだけ好きになるんだろ、ナツメの事」
脳裏に過るのは昨日のナツメの姿とつい先程の恥じらうナツメの顔。
もうこれ以上ないという程に好きなつもりなのに、まだナツメが好きだという気持ちが募っていく。
そんな自分に呆れはするが、決して嫌じゃない。むしろ幸せで堪らない。
「…って、ボーッとしてる場合じゃない」
昨日のように急ぐ必要はないとはいえ、のんびりしている時間がある訳じゃない。
早く朝食の準備をして、ナツメがシャワーから上がって来るまでに済ませてしまおう。
「…ナツメって、朝は何食ってんだろ。米派だったら…謝ろう」
初めて迎える恋人同士の朝の一時に胸を踊らせながら、着替えを終わらせた俺は台所へと向かうのだった。
二日連続で何してんだこのバカップル