~Another View~
風呂場から上がり、体を拭いて服を着て、髪を乾かしてから洗面所を出る。
部屋に戻った瞬間、紅茶のいい香りに包まれる。テーブルの方を見ると、千尋が椅子に座って私を待っていた。
テーブルの上には二人分の朝食と紅茶。トーストと目玉焼きにキャベツの千切りとミニトマトが入ったサラダ。私がシャワーを浴びている間に千尋は私の分も一緒にこれを準備していたらしい。
「私の分は良かったのに」
「着替えるために一回帰るんだろうけど、それから朝飯準備するって大変だろ」
私の言葉に千尋が笑みを浮かべながらそう答え、そして更に続ける。
「それに、どうせなら一緒に食いたかったんだよ」
目を伏せて少し恥ずかしげにそう言う千尋としては、多分そっちが本音だったんだと思う。
勿論、嫌じゃない。千尋の気持ちは勿論、好きな人と一緒にいられる時間が増えるのも嬉しい。
それに、好きな人と
「ありがとう」
目を伏せた千尋に向けてそう言ってから、テーブルを挟んで千尋の正面の椅子を引いて腰を下ろす。
顔を上げた千尋と目が合い、そして微笑み合う。
ただ笑い合っているだけなのに、どうしようもなく幸福を感じてしまう。私は少し可笑しいかもしれない。ただでさえこれ以上ないくらい千尋が好きなのに、こうして一緒に過ごしているだけでもっと好きになってしまう。
「「いただきます」」
二人で挨拶をしてから、食事を始める。
「…おいしい」
「それはどうも。つっても、ろくに調理したものないけどな」
「ううん、本当に美味しい。千尋と一緒だから、一人で食べる朝御飯よりずっと美味しい」
千尋は目を丸くしてから、「俺も同じだ」と言って笑う。
初めて恋人と過ごした朝の時間は、笑顔が絶えないまま過ぎていく。
朝食を食べ終えてから、千尋と待ち合わせの約束をして一度私の部屋へ帰る。
部屋に着いて、昨日から着ていた衣服から新しいのに着替え、千尋と約束した時刻まで時間を潰す。
丁度良い時間になってから部屋を出て、早朝の、まだ人通りの少ない歩道を歩く。
空は青く晴れ渡り、降り注ぐ日差しの暖かさと冬特有の刺すような冷気が身を包む。
時折朝の散歩、或いはランニングをする周辺の住人とすれ違いながら歩くこと数分、千尋と待ち合わせの約束をした交差点が見えてくる。
すでに千尋はそこに来ていて、私の姿を見つけるとこちらに手を振った。
私も手を振り返しながら歩きから小走りに移して千尋の元へ急ぐ。
「ごめん、待った?」
「いや、さっき来たとこ」
そんなベタベタな会話をしてから、どちらからともなく同じ方向へ歩き出す。
その直前に、千尋から差し出された手をしっかりと握って。
幸せだ。握り合った手を通して千尋の体温が伝わってくる。私と交わす千尋の目と声から気持ちが伝わってくる。
千尋も、私と同じだったら良い。私と同じ気持ちを感じてくれていたら嬉しい。ううん、そうであると信じたい。
「今日はあまりお客さんは来ないだろうな。少なくとも昨日よりは確実に」
「そうね。クリスマスも終わったし、涼音さん年末に掛けてはお客さんが減るって言ってた」
歩いている最中、千尋がふと口にする。千尋の言う通り今日はお客さんはそこまで来ないだろうし、涼音さんもクリスマスが終わってから年末に掛けてお客さんの数は減ると言っていた。
それにもうすぐお店も年末年始のお休みに入る。以前までの私なら、お客さん達が戻ってきてくれるか心配になっていたと思うが、今は違う。
勿論、絶対に大丈夫という自信がある訳じゃない。でも、たとえお客さんが減ってしまったとしても、頑張ってまた来て貰える様に努力をすればいいだけ。そう思える様になった。
隣にいる千尋と、私を支えてくれる皆のお陰だ。
「…本当に変えられちゃったな、私」
「?何が?」
「んーん。何でもない」
私の呟きを聞いていた千尋に聞き返されたのを、頭を振って返す。千尋は首を傾げるだけで特に追求はしてこなかった。
二人で並んだまま歩いて十数分。お店に着いた私達は最初に私から休憩室で制服に着替えて、それから千尋が作業服へと着替える。
「おはよう。今日は遅刻しなかったか」
千尋と一緒にまずは厨房へ。私は挨拶をするために入口付近で立ち止まり、千尋はそのまま厨房内へと入っていく。
そんな私達の姿を見た涼音さんが話し掛けてくる。からかう様な、悪戯っ気を含んだ笑みを浮かべながら。
「おはようございます。…二日連続遅刻は笑えないでしょう」
「まあ、昨日と同じ理由でまた遅刻してたら千尋をぶん殴ってたかな?ナツメさんに無理させるんじゃねぇ、って」
「…」
「…何で黙る?ちょっと、もしかして─────」
「お、おはようございます。涼音さん」
雲行きが怪しくなってきたから口を挟む。呆然と千尋を見ていた涼音さんがこちらを向く。
「高嶺君は…まだですか?」
「昂晴?そういや、今日は遅いわね。いつもならもう少し─────」
涼音さんがそこまで言った時、私の背後から扉が開く音がした。振り返って見ると、噂の高嶺君が眠そうな顔をしながらこちらに向かってきていた。
「おはよう」
「あー、四季さん。おはよう…ふぁ…」
私と挨拶を交わしながら、高嶺君は大きな欠伸をする。かなり眠そうだが、夜遅くまで何かしていたんだろうか?
「涼音さん、柳もおはようございます」
「おはようさん」
「おはよう。…眠そうだな。夜更かしでもしたか」
「あー…、うん。まあ、ちょっとな…」
高嶺君を見てれば当たり前の様に分かるが、私と同じ疑問を抱いた千尋が高嶺君に問い掛けた。
その問い掛けに対して、どうも高嶺君の歯切れが悪い。千尋から目を逸らし、首の辺りを掻きながらどこか虚空を見上げている。
「大丈夫?無理そうだったら、休憩室で仮眠とかとっていいから」
「四季さん…。俺を心配して─────」
「ううん、高嶺君がミスしたら迷惑被るの千尋と涼音さんだから」
「柳。お前の彼女が冷たくて俺泣きたい」
「明月さんに泣きついてこい」
冗談交じりの会話の後、笑いが溢れる。
いつも通りの日常。このお店で、皆と一緒に笑って働く。千尋と付き合う以前から続く、私にとっての大事な日常が、今はもっと輝いて見える。
「分かった。栞那に慰めて貰ってくる」
「おいこら待て。本当に行くな」
踵を返してホールへ行こうとする高嶺君の襟を涼音さんがむんずと掴んで止める。
ぐえっ、という苦しそうな高嶺君の声を聞いて、千尋と一緒にまた笑う。
この和やかな空間にいつまでもいたい気持ちはあるが、そういう訳にもいかない。
「それじゃあ、私は行きますね」
「あぁ。また後で」
「うん」
涼音さんから受けた雑な扱いについての言い争いをする二人を他所に、千尋と手を振り合ってから厨房を出てホールへ向かう。
背後から千尋が二人を窘めようとする声が聞こえてくる。一度振り返って賑やかな厨房の方を見て、無意識に零れた笑顔を浮かべたまま私は明月さんと閣下が待つホールへと入るのだった。
朝の準備も終わり、開店の時間を向かえてから数時間。お昼時を迎えたお店はお客さんの話し声で賑わっていた。
とはいえ流石に昨日程混雑はしておらず、それなりに余裕を持って仕事が出来ていた。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
お会計を済ませた男女二人組のお客さんがお店を出ていく。
昨日ならばこの後、店内で順番を待つ次のお客さんを空いた席に速やかに案内する所だけど、今日はそこまで混んでいない。
予想はしていたが、本当にごっそりお客さんの数が減った。こうなるだろうと涼音さんも言ってたし、私も思っていたけれど、こうしてそれと直面してみると少し不安に感じてしまう。
「──────」
違う、それは今考える事じゃない。お店に来てくれたお客さんを前にして考える事じゃない。
意識を切り替えて、まずは今すべき事に集中する。とりあえず、さっきのお客さんが使っていたテーブルに置かれた空の食器の片付けを─────
しようとした所で、お客さんの来店を報せるベルの音が鳴り響く。
何かを考える前に、無意識に音が鳴った扉の方へ向きながら笑顔を浮かべる。
「いらっしゃいま─────」
せ、と言い切る事が出来なかった。折角お店に来てくれたお客さんに失礼だとは思ったけど、それ処ではなかった。
「お、ナツメさん」
「来ちゃった♪」
何しろそこには、私の恋人のご両親が笑顔を浮かべて立っていたのだから。
お昼時の一番混む時間帯とはいえ、流石に昨日一昨日ほどの人数は来ていないらしい。厨房の俺達はそれなりの余裕を保ちながらホールから伝えられる注文達を捌いていた。
何ならクリスマス前の時よりもお客さんの数が少ない気がする。お陰で、今日に関しては厨房に三人というのは人数過多な気さえしてくる。
一応混雑時の筈なんだが。昨日までの修羅場を経験してきたお陰なのか、何と言えば良いのだろう。物足りなさというか、何というか。…俺はMじゃなくノーマルの筈なんだが。
「墨染さん、四番テーブルのカルボナーラよろしく」
「希、同じく四番テーブルのオムライスも運んでくれ」
「はーい」
丁度近くにいた墨染さんに、出来上がったカルボナーラを届けるよう頼む。
ほぼ同じタイミングで高嶺が完成させたオムライスと一緒に、墨染さんが両手に二枚のお皿を載せてホールへと入っていく。
「んで、次の注文は…っと」
手を休める暇はない。昨日程ではないとはいえ、混雑時。ノンビリ休んでいる暇はない。
ホールから届いた注文用紙が纏められたボードに目を向けて、次に古い注文が何かを確かめる。
「七番テーブル、パンケーキ二つお願いします」
直後、墨染さんと入れ替わる形で厨房に来た明月さんが新しく入った注文を俺達に伝える。
その後、注文用紙をボードに貼り付け、そのままホールへと戻っていく。
その筈だった。
「それと、柳さん」
「ん、どうした」
明月さんはホールへ戻らずその場に留まって俺に話し掛けてきた。作業に集中しつつ、これから続くであろう明月さんの声に耳を傾ける。
「柳さんのご両親がいらっしゃってます。今ナツメさんが対応してますが、柳さんもこっちに来ますか?」
作業に向けていた集中がぷっつりと途切れ、手が止まる。
「は?」
口から漏れた呆けた声が、厨房の中でやけに響き渡った。